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第1章 少女が統べる国と嘱託補導員

102 後は俺がやる

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 俺が明かした事実により、静けさに包まれる面会室。
 ライムさんは噛み締めるように目を固く閉じている。

「アロンの弟が、救世の転生者、か……」

 そして彼はゆっくりと目を開くと、そう絞り出すように呟いた。
 その視線は、俺の手にある祈望之器ディザイアード印刀ホウゲツへと注がれている。

「確かに、警察署の面会室で偽物を持ち出すなどあり得ないな。他の祈望之器ならいざ知らず、それの複製は理由如何では極刑に処されるとも聞く。……しかし――」

 紛うことなき本物の国宝印刀ホウゲツがここにあるということ。
 それが意味するところをようやく受け入れた様子のライムさんは、そこで一度言葉を区切ると、活力を失ってしまったかのように項垂れた。

「そうか。全て俺の空回りだったのか……」

 そのまま自嘲するように口元を歪ませるライムさん。
 ピンと張りつめていたものが切れてしまったかのようだ。

「は、ははは」

 更に、乾いた弱々しい笑い声を上げ、それから深く深く息を吐き出す。

「俺のやっていたことは、何もかも無意味だった訳だ」
「い、いえ、そんなことは――」
「気休めはいい」

 否定しようとした俺の言葉を遮り、ライムさんは首を横に振る。
 そして彼は、今にも泣き出しそうな程に苦しげな表情を浮かべながら言葉を続けた。

「本当は……本当は分かっていたことだ。全て」
「分かっていた? 全て?」

 今一要領を得ないその内容に、その意味を問うように繰り返す。
 すると、ライムさんは「ああ」と頷いてから天を仰いだ。

「俺一人が足掻いたところで百年もの間、耐えられるはずもない。何より――」

 彼はそこで一瞬だけ躊躇うように口を固く結び、それから逡巡を振り払うように一つ大きく息を吸い込んで口を開く。

「そもそも俺は正義感から、義憤から行動を起こした訳じゃない!」

 その叫びの声は、神父に告解する罪人の如く震えていた。
 余りにも辛そうな姿に、思わず胸をかきむしられるような感覚を抱く。
 そんな相手を前に俺は、その意味を言葉では問えず、黙したまま続きを待った。

「俺は、ガラテアに連れ去られるアロンを前に何もできなかった。にもかかわらず、こうしてのうのうと生きている。その罪悪感に常に苛まれてきた」

 そして彼は、十二年前の情景を面会室の天井に投影しているかの如く虚空を睨む。
 正に、罪悪感に塗り潰された表情と共に。

「全てはそれを誤魔化すためだった。それらしい理由で正当化し、何もできなかった自分から……それ以上に、何もできないままでいる自分から目を逸らし続けてきたんだ」

 根底にあった勘違いが正されたことによってか、捨て鉢になったように心情の全てを吐露し始めたライムさんに成程と納得する。
 彼は最初から己の行いを正しいなどとは微塵も思ってもいなかったのだろう。
 そも、心の底から正しいと信じているのなら少数の同調者のみでの行動に固執する必要はない。それこそ最初からトリリス様辺りに協力を求めればいい話だ。
 しかし、ライムさんはそれをしなかった。
 何故ならば、彼には悪をなしているという自覚があったからだ。

 それでも……何かせずにいられなかったに違いない。
 心を蝕む罪悪感から逃れるために。
 その結果として取った行動がああだったのは残念だが、ただ己を鍛えるというような生半可な方法では罪悪感を薄められなかったのだろう。
 アロン兄さんのため、世界のために行動していると思い込むことのできる最もそれらしい形が、ライムさんの中ではああだったのだ。

「ああ……本当に、浅ましい。本当に、無意味な十二年だった……」

 深い悔恨と共に肩を落とし、下を向くライムさん。
 強さを求める多くの人々を誘惑し、少女化魔物ロリータの心を蔑ろにしたことは許せない。
 受け入れた者達にも落ち度があるにしても。
 どのような動機があったとしても。

 だが、今。俺の目の前にいる存在は余りに脆弱で憐れだった。
 本来、善人に属するであろうライムさん。
 そんな彼が何故こんな事態に陥ったのか。どこで道を誤ったのか。
 その理由は唯一つ。
 ガラテアが彼の目の前でアロン兄さんを連れ去ったから。
 即ち、諸悪の根源はガラテアに他ならない。
 そこを履き違えてはいけない。
 だから俺は、己の十二年全てを根底から覆され、生きる意志さえ失いつつありそうなライムさんを真っ直ぐに見据えて口を開いた。

「貴方は罪を犯しました。それは償わなければならないことです」

 これもまた、如何なる理由があろうとも。
 ハッキリと告げた俺の言葉に目を閉じ、一層弱々しくなるライムさん。

「……ですが、その行いは決して無意味ではありません」

 そんな彼に俺は一拍置いてからそう続けた。
 それを受け、ライムさんは疑問の表情と共に顔を上げて俺を見る。

「何を、言っている。俺は徒に多くの人間と少女化魔物を……」
「俺が、救世の転生者である俺が、貴方のこれまでの苦しみを、ガラテアが持つ悪意への恐れを、そして兄さんへの罪悪感を知りました。だから、無意味ではありません」

 俺の主張を否定しようとするライムさんに、俺は理由をつけ加えて繰り返した。

 かつて。兄さんがガラテアに連れ去られた時。
 俺は精神的に衰弱し、命を落としかけた母さんを見た。
 兄さんを探すため、東奔西走する父さんを見てきた。
 俺にとってガラテアは、諸々噂は聞いているものの、伝聞のような全人類に敵対する悪の権化ではなく、あくまでも家族の敵という印象の方が強かった。
 だが、今回。間接的にせよ、その影響は連鎖して多方面に及び、一歩間違えれば人命に関わる事態にまで陥っていた。

 人形化魔物ピグマリオン
 戦乱の世に多く発生すると聞く人類の敵。
 世情が乱れるから人形化魔物が生まれるのか、人形化魔物が生まれたから世情が乱れるのか。鶏が先か卵が先か。イリュファから話を聞いた際に疑問を抱いていたが……。
 まずガラテアが社会を乱し、そこから生じる不安や恐れが人心を惑わし、世界の情勢を緊迫させ、付随的に破滅衝動が大きくなり、人形化魔物が生まれるのではないか。
 この事件を目の当たりにし、そう強く感じた。
 恐らく。これから先、同じように少しずつ秩序が崩れていくのだろう。
 そして。セトやラクラちゃん、レギオのような子供達が被害に遭うことも増えていくに違いない。それは、先達たらんとする者として見過ごすことはできない。
 だから――。

「俺は必ずガラテアを倒します。元々定められた使命ですが、その思いはより一層強くなりました。それは貴方が起こした事件があったからでもあります」
「…………ものは言いようだな」
「ですが、事実です」

 至極真面目に告げる。
 すると、ライムさんは僅かに呆れたような顔を見せながら苦笑した。
 強引な理屈だったかもしれないが、いくらかの慰めにはなったのかもしれない。

 前世の年齢と足し合わせて考えれば、彼もまた導くべき後進。
 悲運によって歪まされた道を正すことは、先達の仕事だ。

「後は俺がやります。アロン兄さんも、救って見せます」
「イサク……」
「だから、貴方は罪を償い、待っていて下さい。その時が来るのを」
「……………………分かった」

 目を瞑り、俺の言葉を噛み締めるように。
 短くない時間をかけてからライムさんは頷く。

「俺は、大人しく刑に服すとしよう。後は救世の転生者に任せる」

 そして彼は、重苦しいものを吐き出すように深く息を吐いた。
 表情は、晴れやかとまではとても言えないものの、余計な重荷を下ろしたかのように幾分か穏やかなものへと変わっている。
 この様子ならば、己を過剰に責めず、さりとて開き直らず、粛々と己の罪と向き合ってくれることだろう。その本質的な善性に従って。

「では、今日はこれで。また会いましょう」

 俺は、そんなライムさんの様子に安堵を抱きながら面会を終え……。

「まだ見ぬ宿敵ガラテア。いずれ必ず」

 直接的にせよ、間接的にせよ、世界に多大な悪影響を与える存在たるそれを、改めて大きな脅威と強く認識し直し、ホウゲツ学園への帰途についた。
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