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第1章 少女が統べる国と嘱託補導員

056 仕事の先輩

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「ここだゾ」

 ホウゲツ学園の敷地を出て、少し歩いたところ。
 控え目な看板と小さな扉。
 客の目を引くための過度な装飾もない。
 知る人ぞ知る名店という雰囲気がある。
 ただ、近づくと焼肉屋だと即座に分かる匂いが鼻孔をくすぐるが。

「トリリス、早く入るのです。空腹の人間に対して匂いだけ嗅がせるのは拷問以外の何ものでもないのです。非人道的なのです……」
「分かっているゾ」

 ディームさんの言葉に頷き、自ら焼肉店に入るトリリス様。
 彼女を見るなり、店員は間違いなく一般客とは異なると感じられる慇懃な対応を始める。
 学園長の知名度は高いようだ。
 とは言え、トリリス様的には余り面白くないようだが。
 ともあれ、丁寧に奥の方へと案内され、十人は座れる広い座敷席に通される。

「遅かったじゃないですかい、学園長様。もう始めてましたぜ」

 と、そこには禿頭とくとうの大男がいて、彼は大ジョッキを軽く持ち上げた。
 ……真っ昼間からビールかよ。
 俺の研修を担当する人間のはずだが、大丈夫かと不安になる。
 その両隣には彼が契約していると思われる少女化魔物ロリータが二人。
 双子のように似た姿形をしている。
 髪と瞳の色的に土属性だろう。
 姿勢正しく美人な顔立ちだが、表情は柔和で可愛らしさもある女の子だ。
 ……美女と野獣、もとい美少女と野獣だな。元の世界なら通報待ったなしだ。

「遅れたら先に注文して食べていていいとは言ったから、別にそれは構わないがナ。酒は控えろと言ったはずだゾ、シニッド。逃げの酒は心に障る」
「説教は勘弁ですぜ。まあ、奢って貰っておいて何ですがね」

 シニッドと呼ばれた男は、ツルリとした頭を手で擦りながら決まりが悪そうに言う。

「そんで、用件は何です? まさか、それを言うためじゃないでしょう?」

 って、トリリス様。まだ何も話してないのかよ。適当だな。

「十二年振りに新人研修の指導をして貰おうと思ってナ」
「新人研修? いや、俺はもう――」
「新人補導員はこいつだゾ」

 拒絶の雰囲気を出すシニッドさんの言葉を遮って言うと、トリリス様は俺の顔を見る。
 そこでようやく彼もこちらに視線を向ける。
 酒が入っていたせいか、それまで俺達の姿は目に入っていなかったようだ。
 そして彼は俺を認識し……。

「なっ!?」

 一瞬遅れて、驚愕で目を見開きながら立ち上がった。何ごとかと思う。

「ア、アロン?」
「え?」

 今度は俺が驚く番だった。
 こんなところで兄さんの名前を聞くとは思わなかった。

「違うゾ。アロンの弟のイサクだゾ」
「弟……」

 シニッドさんはトリリス様の言葉に呆然と俺を見て、それから力なく座り込む。

「兄さんを知ってるんですか?」
「……ああ、まあな」

 彼は軽く息を吐くと、呟くような声で祈念魔法の詠唱をした。
 耳に届いた内容から察するに、体内のアルコールを分解する祈念魔法のようだ。
 先程、トリリス様が心に障るとだけ言って体に障ると言わなかったのは、この世界では祈念魔法が使えれば肝臓がやられたりする心配などないためだ。全くの余談だが。

「シニッドはアロンが補導員になる時に、新人研修の担当をしていたのだゾ」
「……あれ? 確か学園って九年制じゃなかったでしたっけ」

 兄さんが行方不明になったのは俺が五歳の時で、俺が生まれる前の年に村を離れた訳だから当時十七歳ぐらいだったはず。まだ学生をしている年齢だ。

「飛び級だよ。アイツは……本当に優秀だった」

 俺の問いに絞り出すようにシニッドさんが言う。
 彼は小さく逡巡を見せた後、痛みに耐えるような表情で俺の顔を見て続けた。

「まあ、言っても飛び級ぐらいヨスキ村の人間なら当たり前だ。実際、同じ年にヨスキ村から一緒に入学してきたライムの奴も同じタイミングで卒業したからな」

 ライムさん。
 確かガラテアと遭遇した際に兄さんと共にいて、しかし、幸運にも難を逃れてその事実を知らせてくれた人だ。……そう言えば、今どこで何をしているのだろうか。
 軽く疑問を抱くが、今はシニッドさんの話に耳を傾ける。

「ただ、アロンは別格だった。いつか必ず俺よりも優れた補導員になると思ってた」

 シニッドさんはそう呟くと、黙り込んでしまった。
 耳に届く店の喧騒が大きくなる。

「…………皆様、そこで立っていても仕方がありません」
「一先ず、お座りになって下さいませ」
「そうだナ」

 と、シニッドさんの隣に座る二人の少女化魔物が言い、トリリス様が頷いて席に着く。
 その後にディームさんも続き、俺達もそれに倣った。
 配置としては、ロースターつきのいわゆる焼肉テーブルを挟んで正面右端からトリリス様、ディームさん、少女化魔物A、シニッドさん、少女化魔物B。
 こちら側は俺を中心に左にサユキとリクル、右にフェリトとイリュファという具合だ。
 閉鎖気味の空間で人数も少ないため、フェリトも何とか外に出ていられるようだ。
 空腹だからということもあるだろう。
 ただ、俺の隣でないと駄目そうで、彼女は(サユキも)本来座布団が置かれている位置よりも少し近いところに座っているが。

「ええと、その……俺は二人がガラテアに遭遇してさらわれたとしか聞いてないんですけど、結局、あの日何がどうなってそうなったんです?」
「……運が悪かったとしか言いようがねえ。誰が見ても簡単な依頼だった。だから二人で行かせた。二人の実力なら余裕だと思った。なのに、奴が何の前触れもなく突然現れた」

 俺の問いに、半ば己に言い聞かせるように答えるシニッドさん。

「想像つくかよ、そんなもん!」

 しかし、彼はテーブルを殴りつけようと拳を振り上げ、それでも振り下ろすことなく固く握ったそれを天板の上に圧しつけるように置く。
 自分が傍にいれば、兄さんを助けることができたかもしれない。
 そんな考えに、十二年経った今でも苛まれ続けているのだろう。
 トリリス様が酒に逃げていると言ったのは、そのことが原因か。
 あるいは、用件を告げずにシニッドさんを呼び出したのも、先に言っていたらこの場に来すらしなかっただろうと予測してのことだったのかもしれない。

「そう。運が悪かった。だから、お前が悔やむ必要などないのだゾ」

 奥歯を噛み締めながら俯くシニッドさんに、諭すように告げるトリリス様。
 彼女の言う通り、ガラテアとの遭遇は事故みたいなものだ。
 予期できた訳でもなし。対策の取りようもない。誰の責任でもない。

「シニッド。それでも後悔があると言うのならイサクに協力するのです。イサクはアロンをいつか救い出すつもりなのです……」
「こいつが? …………お前、今何歳だ」
「十七です」
「アロンと同い年で卒業か。まあ、ヨスキ村出身として多分に漏れず、優秀ではあるんだろうが……それだけじゃアイツの二の舞になるぞ」
「そうならないために、自分自身を鍛えたいんです。補導員という仕事を通じて」

 射抜くように俺を見据えて忠告するシニッドさんに、負けじと視線を逸らさずに返す。
 その仕事に就くと知ったのは今日のことだが、最善の道ではあると納得している。

「いいか。救うってことは第一に、アロンすら容易く操って配下としたガラテアからアイツを掠め取らねえといけないってことだ。そんなことがお前にできるのか?」
「できるできないじゃなく、やらなきゃいけないんです。家族のために」

 それは父さんと母さんのためにできる親孝行の一つでもある。
 何より、たとえ兄さんのことがなかったとしても。
 救世の転生者として生まれついたからには、隙を突いて兄さんを奪還するどころか、ガラテアと対峙して打倒しなければならないのだから。

「……一つ。勘違いを訂正しておくゾ」

 と、数秒互いに視線を逸らさずにいた俺達に割って入るようにトリリス様が口を挟む。

「イサクは今年卒業ではありません。それどころか入学もしていません」
「は? 何を言ってるんですかい。いくらヨスキ村出身の子供だからって、学園での教育もなしに四人もの少女化魔物と契約できる訳がないでしょうに」

 彼女達に全く言及しなかったのは、学園を卒業していれば別に珍しくないからか。

「そもそもヨスキ村には十二歳になったら村を出て、真性少女契約ロリータコントラクトの相手を探す掟があるはずでしょう。そして、そのために学園に入学する」
「その通りだゾ。しかし、逆に言えば、掟を満たすことさえできれば学園に入学する必要は別にない訳だゾ。つまり――」
「イサクは十二歳になる前に真性少女契約を交わしているのです……」
「そこにいるサユキとナ。それと真性少女契約ではないが、リクルとは五歳、イリュファとフェリトとは六歳で契約しているゾ」
「な――」

 畳みかけるような二人の言葉に、驚愕と共に四人の顔を見るシニッドさん。
 突然話題に出され、所在なさげに座っていたリクルとフェリトは愛想笑いを浮かべる。
 サユキは自慢するように俺の腕を取って満面の笑み。
 イリュファは澄ました顔でお茶をすすっている。

「嘘だろ……」
「ワタシは嘘をよくつくが、これに限っては嘘ではないゾ」
「勿論、早く少女契約したからと言って優れているとは一概には言えないのです。それでもイサクは幼い頃から戦う術を学んできたのです……」
「十二歳になってからは時折ジャスターとも模擬戦をしていたと聞いているゾ。いつかアロンを救い出すためにナ」

 まあ、父さんと手合わせしたのは数える程だったが。
 それと、鍛錬の目的も兄さんの救出だけではない。
 フェリトの姉のセレスさんを助け出すためでもあるし、いつか救世の転生者に襲いかかってくるだろう運命を乗り越えるためでもある。
 とは言え、この場はそうしておいた方がいいだろう。

「シニッドがアロンの情報を集めるために手を回しているのも知っているのです……」
「その根底にある罪悪感。イサクに手を貸せば、消すことができる可能性が高くなるゾ」

 俺が頭の中で補足を入れている間にもトリリス様とディームさんは交互に言い、それに圧されるようにシニッドさんは押し黙ってしまう。

「十年以上手がかりの得られない情報収集に固執するよりも、一人でも多くの優秀な協力者を育てる方が余程有意義なのです……」
「正直、経営者としても、シニッド程の指導者を腐らせたままでいる損害をこれ以上見過ごせないゾ」

 更に説得を重ねる二人に、シニッドさんは目を閉じて深く考え込んだ。

「シニッド」

 そして、十分に時間が経ってから促すように告げられたトリリス様の呼びかけに、彼は小さく嘆息してから目と口を開く。

「……分かりました。分かりましたよ。新人研修でも何でもやりますよ」
「よしよし。よく言ってくれたゾ」
「シニッドならそう言ってくれると思っていたのです……」
「はあ。よく言いますぜ。必要となったら、了承するまで絶対に諦めないでしょうに」

 諦めたように首を横に振りながら言うシニッドさん。
 確かに、この二人ならそうしそうだ。
 勿論、この十二年の間は彼の気持ちを尊重していたはずなので、状況が変わってしまったせいでもあるだろうが。

「今日は思い切り食わせて貰いますからね。遠慮なく」
「ああ。構わないゾ」
「……イサク。言っておくが、俺の指導は厳しいからな」
「望むところです」
「よし。……ま、何をやるにせよ、まず飯だ。力をつけるなら肉だ。とにかく食え食え」

 そうしてシニッドさんは、長きにわたった迷いを振り払うように頷き、それから馬鹿みたいな量の肉を注文し出したのだった。
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