阿頼耶識エクスチェンジ

青空顎門

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三 特別処理班④

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 阿頼耶の感知から遅れること数秒。特別処理班のコンピューターでもファントムの位置が特定でき、拓真は雅人に指示してトラックを現場へと向かわせていた。
 ネットワーク異常自体は同時に感知していたのだが、位置特定の処理によってその数秒という差が生じたらしい。
 処理班のシステムよりも、阿頼耶達のそれの方が格段に優れている証拠か。

「えっと、そこにいるのは阿頼耶ちゃん、なの?」
「はい。そうです」

 美穂の質問に連示の声で返答が来る。
 しかし、その表情や口調は明らかに連示のものとは異なっているように見えた。

「阿頼耶。連示君に怒られるよ? 学校でみたいに連示君の振りをしないと」

 どこか困惑したように末那が言った。
 どうやら彼女はまだそれに慣れていないようだ。

「既にこの体が私の人格によって操られていることは周知ですから。態々混乱させる必要もないはずです。それに、末那もそれは嫌なんですよね?」
「それは、そうだけど……これはこれで何だか違和感があって」

 末那は軽く唇を尖らせて不満を表現していた。
 その様子はこれまで対峙してきたファントムとは一線を画すものがある。
 ともすれば、遊惰な生活を送り続けている現在の人々よりも人間らしい気がする。
 拓真はそんな末那と多少口調は硬い部分もあるが彼女と同様に人間らしい阿頼耶のやり取りを、複雑な気持ちを抱きながら眺めていた。

「どーしたんですか? 班長」

 美穂に尋ねられ、視線を彼女に移す。

「いや、何でもない」
「そうですか」

 そう呟いて阿頼耶と末那の二人を見詰める美穂に倣って、再度その様子を眺める。
 待っているのが退屈なのか、末那は阿頼耶に対して連示との思い出話を楽しげに語り始めていた。そんな末那の言葉に阿頼耶は優しい表情で、ただし連示の体でだが、静かに耳を傾けている。
 そんな余裕のある態度は、ファントムについては連示に任せておけば大丈夫という信頼から来るものなのだろう。

「……でも、連示君と阿頼耶ちゃん、本当に人格が入れ替わってるんですね。話を聞いてもまだちょっと半信半疑でしたから、びっくりしちゃいましたよ」
「全くだな」

 正直に言えば、拓真はLORとかいう組織の目論見についてもまだ完全には信じていなかった。特に、人間をより完成された知的生命体に、というくだりについては胡散臭い啓発セミナー染みている気がして眉をひそめた程だ。
 しかし、火輪から聞いていた話もあるし、全体的に見れば説得力がない訳ではない。
 先の話についても、その論を利用して金儲けをしようとする者が後を絶たないために疑わしく感じるが、内容としては理解できなくもない。

「……人間以外の知的存在、か」
「班長?」
「有史以来、そういった存在の記録は眉唾なものしかない。そのせいで大衆は人間がこの宇宙で唯一の知的な存在だと思っているのかもしれない。表面では何と言おうと、な」

 厳密に言えば、阿頼耶と末那へと静かに目を向けて様子を窺っている火輪もまた、人間以外の知的存在と言えるのかもしれない。
 しかし、人間は彼女がその範疇にあるとは認めないだろう。彼女はあくまでも人間の創造物に過ぎないとして。

「そのことが人間の思考に壁を作っているのかもしれない」
「壁、ですか?」
「この世界に自分達以上の知性を持つ者は存在しない。文学などでそういう存在が想定されていても、大衆は人間こそが宇宙全体においても万物の霊長であると固く信じ、そのことに満足している。そう感じる」
「……成程」

 世界の全ては人間の手によって明らかにできる。
 そういう考えをも大衆は持っているかもしれないが、それもまた明らかな誤りであり、逆に思考に壁を作るものだろう。
 世界には人知を超えた、と言うとこれもオカルトに聞こえかねないが、人間には決して辿り着けない真理というものが存在するのだ。
 人間である限りは、不完全と自認する人間の目で世界を見なければならないのだから。

「人間は人間という枠組みに閉じこもった思考しかできない。それは人間である以上仕方のないことだ。しかし、現状その枠組みの更に限定された部分でしか人間は思考力を働かせていない。人間は本来、まあ、身体面ではほぼ限界に達しているのかもしれないが、精神面ではまだまだ成長の余地があると俺は思う。個体的にも総体的にも、な」

 まだ幼い存在としての人間は、様々な局面で自らの精神的な弱さを突きつけられる。
 その都度それを乗り越えて、人間は強くなっていく。本来そういうもののはずだ。
 しかし、この世界では弱さを自覚する機会自体がなくなり、精神的に停滞してしまっているような気がする。

「人間はいつの間にか合理性にばかり目を向けて、そういった精神的なものから遠ざかってしまった。その果てにあるのが、今の世界だろう」

 現代社会は極めて合理的だ。
 表側には見えていない問題が多々ある、あり過ぎるが、実際にアミクスが社会活動のほとんどを行っているのだから。だが、これは本来、それに加えて人間が精神活動に励むことで初めて完全な状態となるものだ。
 古代ギリシアの哲学者たるアリストテレスは、皆が哲学することができる社会を最良の社会形態だと言った。それに近づけるため、つまり一人でも多くの人間が思索に耽るために、彼は奴隷すらも容認していたらしい。
 現在。奴隷をアミクスに置き換えて考えると、アリストテレスが望んでいた前提部分はほぼ整ったと言っていい。しかし、それだけでは駄目だった。人間自身がまだそれをできるだけの段階になかったのだ。
 人々はむしろ思考を停止させ、日々享楽に耽るだけの愚者に成り下がってしまった。聖書の世なら、ソドムとゴモラのように滅ぼされるのではないか、と思う程の堕落振りだ。
 結局、心を伴わない発展は心を歪めるだけなのだ。

「そんな中で現れた人間以上の力を持つ存在、か。神の与えた戒めか、あるいは罰か」

 そう呟いて拓真は苦笑してしまった。神、などとつい言ってしまったのは、人々の現状をソドムとゴモラになぞらえて考えていたせいだろう。

「少なくとも機械という存在は人間より遥かに合理的な存在と言える。それは確かなことだ。……まあ、あの二人は人間味があり過ぎる気がするが。ともかく、人間は人間以上の存在が確実に存在することを理解しなければならないのかもしれない」

 拓真は彼女等二人から視線を逸らさずにいる火輪の頭に手を置いた。
 すると火輪は何やら不機嫌そうに、鬱陶しそうに見上げてくる。
 火輪も、今は修理に出されている陽光も、単純な身体的な能力や情報処理能力では人間を軽く超えている。
 彼らは確かに人間の手によって生み出された人間以上の力を持った存在なのだ。
 つまり、神だとか、地球外の生命体だとかを態々考えずとも、人間自身がそれを作り出せるのだ。たとえ人間自身がそれを認めなくとも、だ。
 人間はその事実をしっかりと自覚して、そういった存在と正しい形で相対することができるようにならなければならないのだ。

「他方で、彼等は電子の海に生まれた、か。それはある種自然的なものなんだな」

 その土壌自体は人間によって、いや、人類全体によって作り出されたものと言うべきかもしれない。それは長い年月をかけて構築された巨大な情報の集合体なのだろうから。
 だが、それはこの時代の人間だけの成果ではない。
 自然、既にそこにある環境であり、もはや人間が全てを掌握できず、手綱をかけられないものと言っても間違いではないはずだ。

「拓真。現場に到着したぞ」
「……ああ、分かった」

 雅人の低い声に頭を切り替えて、モニターに視線を送る。

「って、もう終わってますねえ。いつも通り」

 そこには頭部を完膚なきまでに叩き壊されたアミクスが何体か転がっていた。
 その中心にはカメラに背を向けた連示、阿頼耶の体の小さな後ろ姿が見える。
 外見的には人間を極限まで模したアミクスが無惨な姿で地面に転がっている中で静かに立ち尽くすその姿は、異様なまでの威圧感を放っていた。
 やがてトラックの存在に気づいたのか、連示が振り返る。
 モニター越しながら鮮血で染め上げられたかのような深紅の瞳と目が合い、拓真は思わず目を逸らしてしまった。
 アミクスに血は流れていないにもかかわらず、まるで破壊した彼等から吸い上げたかのように見えたためだ。

「今日はこの件の処理をする必要があるから……さっきの作戦の決行は明日、ですかね」

 美穂に尋ねられ、首を振って気を取り直してから、ああ、と頷く。

「今日と同じように彼を迎えに行くから、君達二人もそのつもりで頼む」
「はい。放課後に倫定学院の裏口に止められたトラックに向かえばいいんですね?」
「あ、ああ、そうだが。分かっていたのか?」

 その言葉に阿頼耶は軽くほくそ笑んでいた。
 その様子を見て嘆息しつつ心の中で、敵わないな、と呟く。
 火輪にアミクス用の周波数帯をジャミングさせていたが、通じなかったらしい。

「では、末那。行きましょうか」
「うん」

 微笑みながら立ち上がった末那と共に、阿頼耶はトラックの後部の扉から出ていった。
 それからモニターの中に二人の姿が現れ、連示へと歩み寄っていく。
 人格交換を解いたのだろう。阿頼耶の瞳は優しげな緑色に戻り、末那は人格が元に戻った連示の腕に抱き着くようにして自分の腕を絡めている。
 連示は照れ隠しのような半端な笑みを浮かべていたが、その表情はとても穏やかだった。
 その光景、やり取りを見ていて、拓真は何となく複合娯楽施設にいる人々とは比べものにならない人間らしい生きた気配が感じ取れるような気がした。

「幻影人格はこれから増えていくんだろうな」

 阿頼耶の説明からすれば、それはもはや必定。
 今更、人間の力で抑えられるようなものではない。

「なら、あれが未来の、普通の光景なんですかねえ。私にはちょっと、まだ想像がつかないなあ。……でも、悪くはない、かもしれません」

 そうであればいい。拓真は本気でそう思った。
 しかし、人間の多くは自らと同等以上の知性を持つ別の存在を疎み、恐れるだろう。
 相手が人間に友好的な存在であれ、だ。
 あるいは、己の思考を完全に止めて追従してしまうか。
 どちらにせよ、それはやはり幼稚な状態なのだ。
 これから先、もしこの地球から星空の彼方へと旅立っていくようなことがあれば、完全に別の、生命としての知的な存在との出会いが本当に待っている可能性だってある。
 その時、人間は幼いままではいられない。いてはいけない。
 それは対立を生み、自らに滅びを与える要因となるものだから。
 故に総体として成熟した存在とならなければならないのだ。

「成程。人間の成長を促す、か」

 並んで連示のマンションへと帰ろうとしている三人をモニター越しに眺めながら、拓真は阿頼耶の言葉を反芻していた。
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