阿頼耶識エクスチェンジ

青空顎門

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二 末那④

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 放課後。生徒達の部活動に励む様を模したアミクス達の声が聞こえ始める中、連示はユウカと共に他に誰も残っていない教室にいた。
 耳に届く青春を象徴するような音も、全て偽りに過ぎない。学生時代という名の、しかし、本人はどこにもいない空虚な、作られた思い出を植えつけるためだけの行為だ。
 その是非を決定するのは個人の勝手だろうが、連示はそれを受け入れられなかった。

「連示君。用って、何?」

 沈黙に耐えられなくなったのだろう。
 ユウカは居心地が悪そうに視線を揺らしながら、おずおずと口を開いた。
 彼女のこの表情も、そこから確かに読み取れる不安という感情も、その全てが他のアミクスと同じく偽りなのか。それとも本物なのか。
 その答えもまた既にある程度推測できていたが、連示は阿頼耶の言葉を切っかけに明確な答えを求める決心をしていた。
 もはや中途半端なままにしておく訳にはいかない。

「その、な。ユウカ。久しぶりに遊香本人の様子を見たいんだけど、どうかな?」
「え!? ど……どう、して?」
「いや、何となく久しぶりに顔を見たくなったんだ。一応、幼馴染だしさ」
「だ、駄目だよ!」

 切羽詰まった様子で声を荒げたユウカに連示は驚いてしまった。
 こんなにも慌てた、それも恥ずかしさの類によるものではない慌て方をするユウカを見たのは初めてだった。

「ど、どうしたんだ? ただ様子を見るだけだぞ?」
「それでも、駄目、だよ。連示君、お願いだから、そんなこと、言わないで」

 ユウカは懇願するように、一歩距離を詰めて必死な表情で見上げてきた。

「あんな女、いなくたって、わたしがいる。それでいいでしょ?」

 感情が高まり過ぎたのだろう。ユウカは聞き逃せないことを口走ってしまっていた。

「あんな、女?」
「あ……」

 ユウカは重大な過ちを犯したのを自覚したように顔を歪め、それから連示の視線から逃れるように俯いて目を逸らした。

「ユウカ。いくら何でもアミクスのお前が所有者に対してそんなことを言うのは――」
「わ……わたしはあの女の玩具じゃない! あの女の都合のいい道具じゃないよ!」

 一度こぼれてしまった本音に、堰を切ったようにユウカは叫んだ。

「でも、お前の人格は、記憶は、感情は遊香本人から共有されたものじゃないのか?」
「そんなことない! これはわたし自身の感情だよ! 連示君のことが好きなのも、一緒にいたいって思うのも。全部、全部わたしの感情なんだもん! だって、あの女はもう連示君のことなんて――」

 ユウカははっとしたように言葉を切り、右手で口元を押さえた。
 その瞳には高まった感情の証、涙が溜まっている。
 本来、それはアミクスが人間らしく振舞うための偽装機能の一つ。
 しかし、ユウカのそれは彼女の想いが満ちているかのように光り輝き、疑似的な、単なる成分を真似た液体などではない本物の涙のように見えた。

「独立した人格……やっぱり、ファントム、なのか」

 やはり阿頼耶の推測、自分でも予想していたことは正しかったのか、と確認するように呟きながら、ユウカの瞳を見詰めたまま一歩近づく。

「連示、君」

 瞬間、ユウカはこの世の終わりを目の当たりにしたかのように目を見開き、ぎこちなく首を振りながら後退りした。
 そんな彼女に、連示はゆっくりと手を伸ばした。しかし、ユウカはそれを避けようとするようにさらに距離を取った。

「あ、い、いや……」

 そして、怯えたように両手で自分を抱き締めるようにしながら震える声を出したユウカは、目も口も固く閉じ、連示に背を向けて駆け出した。

「ユウカ!」

 咄嗟の呼びかけに応じることもなく、彼女は一目散に教室を走り出てしまった。
 連示もそれをすぐさま追いかけて教室を出たが、既にユウカの姿は遥か彼方にあった。

「ユウカ……」

 廊下で立ち尽くし、彼女の名を呟く。
 タイミングから考えて、連示が廊下に出た時点で先のような位置に彼女の姿があるはずがなかった。アミクスとしての身体能力があればそれも可能だが、学内において通常のアミクスには身体能力に制限がかかっているのだから。
 そこから導き出される答えは、彼女が制限を無視できる存在であること。
 つまりファントムだということだ。そして、ファントムに対しては何をするにしても生身の人間では太刀打ちができない。

『阿頼耶。阿頼耶、聞こえるか?』

 とにかくユウカを追いかけるために、連示は初めて自分から人格交換を頼もうと阿頼耶に呼びかけた。

『おい、阿頼耶!』

 しかし、彼女の反応が即座にはなく、焦りから思わず頭の中で声を荒げてしまう。

『ごご、ご主人様!?』

 それでようやく声が届いたようで、慌てた阿頼耶の声が脳裏に響いてきた。

『す、すみません。恋愛小説に集中してしまって。色々と参考になりそうなものが――』
『そんなことはどうでもいいから、阿頼耶、今すぐ人格を交換してくれ!』
『え、い、一体、どうしたんですか?』
『ユウカを追いかけるためだ! 頼む。事情はあいつを追いながら説明するから。今は急いでくれ!』
『わ、分かりました。人格交換を開始します』

 そう声が届いた瞬間、連示はマンションの自室で自分のベッドに寝転がって電子ブックを読む体勢を取っていた。
 彼女一人の時の過ごし方が垣間見られたが、今はそれどころではない。
 連示ははしたなく捲れ上がっていたスカートを直して、ベッドから飛び降りた。

『よし。阿頼耶、ユウカの位置を調べてくれ』
『へ? そんなことできませんよ。ネットワークに異常がないんですから』

 彼女はどうやら呼びかけに気づけなかったことで微妙に混乱しているようだ。

『特定のアミクスを指定して位置を調べることぐらいできるだろ?』

 どのアミクスがファントムかを特定するために、電子の海の揺らぎやネットワーク異常が必要なだけだ。
 最初からどのアミクスを探したいかが決まっていれば、阿頼耶なら位置を調べることなど造作もないことのはずだ。

『そ、そうでした。では、少しの間待って下さい。金村遊香さんの情報からユウカさんの個体識別番号を調べます』
『ああ、頼む』

 阿頼耶にそう答えながら、連示はこれからどうすべきかを考えていた。
 教室を出た時、ユウカは酷く混乱していたようだった。
 本来の彼女の性格ならばそんなことはないと信じられるが、今の不安定な状態なら、もしかしたら所有者たる遊香本人の命を狙うような真似をしてしまうかもしれない。
 それがファントムという存在の習性なのだから。
 今更ながら先の対応が悔やまれる。もっと彼女の気持ちを考えて、落ち着いて尋ねるべきだった。この社会ではどうも人情の機微というものに疎くなるようだ。
 しかし、言い訳に意味はないし、後悔していても始まらない。

『阿頼耶。このメイド服以外で着られる服はないのか?』
『あ、えっと、あの箱に入っているはずですけど』
『分かった』

 可能性としては遊香本人や他の人間と出くわしてしまうこともあり得る。その時、こんなメイド服では目立ち過ぎる。
 アミクスは誤魔化せるとしても、人間相手では厄介なことになりかねない。
 阿頼耶が入って配達されてきた箱を開け、その中をあさる。
 すると、可愛らしい雰囲気の下着数枚と代えのメイド服の下に、異様にふりふりのついた闇をイメージさせるような黒いワンピースが入っていた。
 恐らくゴシックアンドロリータとか呼ばれる類の、妙な雰囲気のある服だった。
 メイド服といい、阿頼耶は独特の洋装が好みなのかもしれない。
 ともかく、これはこれで変な目立ち方をしてしまいそうだ、と連示は見なかったことにして結局自分の薄手のコートをメイド服の上に羽織って誤魔化すことにした。
 半端な素材ではこの体の身体能力に耐えられず、破けてしまう可能性もあると阿頼耶からは言われていたが、ユウカを相手に戦うつもりは毛頭ない。問題ないだろう。

『た、大変です! ご主人様』

 そのまま部屋を出ようとしたところで、阿頼耶の緊迫した声が頭の中に響いた。

『どうした?』
『ユウカさんがネットワークから切り離されました。これでは特別処理班が動きます』
『な、それじゃあ――』
『はい。特別処理班より先にどうにかしなければ、金村遊香さんとしてのではない、ユウカさん自身が培ってきた人格が破壊されてしまいます』

 連示は、自分の最悪の想像が阿頼耶の想定と一致してしまったことに表情を歪めた。

『しかも、このネットワーク異常、ユウカさん自身によるものではないようです。何か外的な意思を感じます』
『外的な? ……いや、今はそれよりもユウカだ。居場所は分かるな?』
『はい。今、表示します』

 その言葉に続いて視界の中にウインドウが開かれる。
 それによるとユウカは自宅に向かっているようだった。今では訪れることなどなくなってしまったが、昔は何度か訪れたことがあったため、何となく分かる。

『阿頼耶。俺の体もユウカのところに向かわせてくれ』
 同じ画面を同時に見ているはずの阿頼耶に、ウインドウに表示された地図上を指差して彼女の家の場所を示す。

『え? そ、そんな、危険です!』
『ユウカのためだ。頼む。阿頼耶』
『……分かり、ました。ご主人様はユウカさんを説得したいんですね』

 言葉に出さずとも目的を理解してくれた阿頼耶に小さく頷き、内心で感謝しながら、連示はその場から走り出した。
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