阿頼耶識エクスチェンジ

青空顎門

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一 阿頼耶④

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 数日後、日曜の午後。
 連示は自分の部屋で一人、一歩も外に出ず、授業の復習をしていた。
 一人で暮らすマンションの一室はひたすらに静かで、ただシャープペンシルの芯がノートに擦れる音だけが僅かに響いている。
 現在、両親は日本にはいない。
 医師である父親は外国の貧困地域で医療活動を行っており、母親もそれについていっている。アミクスに任せずに態々本人達が出向いているのは、そういった地域ではまだアミクスが普及しておらず、それに対する拒否感も強いためらしい。

 父親が貧困地域での医療支援を行うNPOに加わったのは、連示が小学校高学年頃のことだった。一人でも多くの病に苦しむ人を救いたいという真っ当過ぎる理由で医師になった父親であるため、そういった組織に加わったのは不思議なことではない。しかし、その最たる理由としてはアミクスの存在があるだろう。
 今から五年程前のその当時には、既に現場で実際に医療行為をするのもアミクスという状況が当たり前になっていた。
 そこで先述した通りの真っ当過ぎる医者である父親は、自身のアミクスに加えて自分も医療活動を行えば、単純計算で二倍の人を救うことができると考えた。
 しかし、日本では既に人間の雇用はなく、海外、それもアミクスが普及していない貧困地域に活躍の場を求めたのだ。

 両親に日本に残っていいと言われたため、連示は特に反対しなかった。
 当時は連示もアミクスは当たり前で便利なもの程度の認識しか持たず、両親のアミクスがいれば、特段生活に変化はないだろうと思い込んでいたためだ。
 母親のアミクスが主婦として家にいて、父親のアミクスが医師として仕事に出る。それがアミクスである事実に目を瞑れば、全く有り触れた家庭の姿だ。
 一般に言われているアミクスの機能を信じた両親が、疑似的にでも家族を感じさせることができると考えたとしても無理もない話だ。
 結果として、その両親の選択が大きなターニングポイントだったと言っていい。

 実際にアミクスと生活したことで連示の考えは一変し、結果、アミクスという存在を許容する現代の社会に対して疑問を抱くようになったのだから。
 両親の人格を宿すアミクスが普通に機能し、適切な形で対話できていれば、問題など何もなかったのかもしれない。一般大衆同様、アミクスを受け入れていたに違いない。
 だが、アミクスには大きな欠陥があった。そのために両親のアミクスは、連示から話しかけない限りは何の反応も示さない単なる動く人形と化してしまったのだ。
 人形は互いにコミュニケーションらしきものを取りながら、しかし、連示は存在していないかのように振舞い続ける。
 それはまるで、決して触れられない画面の向こう側を眺めているかのようで、酷く悲しく、何より空しかった。姿形は完全に両親のものなのだから尚更だ。

 そんな生活を連示は中学校を卒業するまで何とか耐えた。アミクスが使える年齢になっても、それを全く使おうとしないままで。反抗期が微妙に上手く重なっていたため、その状況を我慢するという選択を取ったのかもしれない。
 そして高校に入学すると同時に一人暮らしを望み、今に至っているのだ。
 ともかく、その経験が原因で、連示はアミクスを利用する社会に対して疑念を抱き続けていた。それは今も着々と大きくなっていたが、しかし、一方で歪みつつもあった。

「俺は何を、やっているんだろうな」

 連示は一つ大きく溜息をつき、シャープペンシルをノートの上に放り投げた。
 今の時代では電子ノートが一般的だが、アナログな方が記憶し易い気がして、家ではそれを使用している。ある種それも現代への反発なのかもしれない。
 それらから視線を逸らした先、マンション二階の窓から見える空は、昔も今も同じ青色だという知識を持っていても、連示の目には灰色がかって映っていた。
 アミクスを活用していない連示では、こうして休日も家にこもって勉強してようやく平均を多少上回れる程度にしかならない。
 アミクスが存在しない社会だったら、頭のいい部類に入っていたはずだ、と連示は思っていたが、それが意味のない仮定であり、無価値な言い訳に過ぎないこともまた理解していた。頭のいい悪いは所詮、時代ごとの相対的な評価に過ぎないのだから。

 例えば、ジェネラリスト。中世の天才達は幅広い分野で優れた功績を上げている。
 しかし、彼等が現代、つまりスペシャリストが望まれる世界でも天才と呼ばれることができるかどうかは定かではないのだ。
 下手をすれば、単なる半端者になりかねない。

 連示は机に肘をついて俯き、片手で頭を押さえながらもう一度深く溜息をついた。
 しかし、何を言おうと、結局のところ自分は異端なのだ。これからの時代に自分のような考えを持つ者の居場所などないのかもしれない。アミクスを受け入れない限りは。
 高校に入ってから、時々言葉では言い表せないような複雑に絡み合った、鬱屈した感情に囚われてしまうことがままあった。
 アミクスへの疑問が日に日に大きく膨らんでいきながら、アミクスを認めるべきなのではないか、と思う矛盾した気持ちが募るのだ。
 どちらにせよ、今のままではいけないことだけははっきりとしているのに、社会に対するには一人では余りにも無力で、自分からは何も動き出すことができずにいた。
 何か。何か変化が欲しい。
 アミクスを、今の社会を受け入れるにしても、このまま拒否し続けるにしても、それを決断できるだけの切っかけのようなものが欲しかった。

「ん?」

 連示が頭を抱えたままの体勢でしばらくの間そんなことを考え、完全に思考の袋小路に陥ってしまったのを見計らったかのように、玄関の呼び鈴が鳴った。
 その音に顔を上げて思考を打ち切り、ドアホンの前まで歩いていく。
 その受話器を取ると、脇のモニターには配送業者の制服を着た青年、のアミクスが映し出された。その後方には何やら人も入れそうな程大きな箱が置かれている。
 アミクスと顔を合わすのは嫌だったが、荷物を放置する訳にもいかない。
 連示は仕方なく入口の電子ロックを解除し、完全に定型的な応対をして荷物を受け取った。アミクスに対してマイナスのイメージを持っているからか、その中で機械的な冷たさを余計に感じてしまって気分が悪くなる。
 配達に来たアミクスが去ってから、連示は頭を振って気を取り直し、玄関に置かれた箱を持ち上げて運ぼうとした。

「って、ちょ、重い、な。何だ、これ」

 だが、それは思わずそう呟いてしまう程馬鹿みたいに重く、連示の筋力では持ち上げることは不可能だった。そのため、体全体を使って無理矢理押してフローリングの廊下を滑らせ、それでようやくリビングまで運ぶことができた。
 予想外に体力を消費して乱れた息を整え、落ち着いたところで差出人の欄を見る。

「Cerebral Extension Company……CEカンパニー? な、何で、俺に?」

 そこから荷物が送られてくるような謂れなどないはずなのに。
 そのことを訝りながらも、連示はとにかくこの中身を確認することにした。カッターでテープを丁寧に切り剥がし、恐る恐る開けてみる。

「こ、これは……」

 その中身を目の当たりにし、驚愕に思わず言葉を詰まらせてしまった。
 連示の目に映ったのは、体育座りの格好で静かに目を閉じている、あどけない少女の裸体。まるで命を持たない者のように微動だにせず、そのどこまでも白く美しい肌は彼女が尊く神聖な存在であるように思わせる。

「な、あ」

 連示はそれを前にどうすることもできず、凍りついたように彼女に目を奪われていた。
 太陽の光を反射して不思議な輝き方をしている銀色の長い髪。正に西洋の人形のように美しい、しかし、どこか幼い顔立ち。
 愛らしさというものを凝縮したようなその姿は、明らかに自然的な完成度ではない。

「んっ……」

 どれだけの時が経ったのか、呆然と少女を見詰めていた連示には分からなかった。
 しかし、その微かな息遣いと共に伝わってきた少女が目を覚ます気配に我に返り、この状況に対する混乱が追いついてきて、連示は意味もなく右往左往してしまった。
 彼女はそんな連示の動揺などお構いなしに、無防備に起き上がって背中の滑らかな肌に白銀の髪をさらりと落とした。
 それから箱を出て、どこか心細そうにきょろきょろと周囲を見回し始めた。
 連示は一糸まとわぬ彼女の姿にさらに狼狽してしまい、今度は金縛りにあったように身動きができなくなってしまった。
 しばらくして彼女は不思議そうに首を傾げながら振り返った。それでようやく連示の姿を認めたらしく、その瞬間、親を見つけた迷子のように安心し切った笑みを見せた。

「おはようございます。ご主人様」

 彼女は両手を合わせながら、心底嬉しそうな口調で言った。

「ご、ご主人様?」
「はい!」

 ニコニコと可愛らしい笑顔を向けて、くりくりとしたエメラルドのように綺麗な緑色の瞳で彼女は見詰めてくるが、何分全裸だったので連示は目を逸らしてしまった。

「いや、ま、まずは服を――」
「え? ひゃあ! そそ、そうでした!」

 少女は自分の姿に今正に気づいたようで、瞬間的に顔を真っ赤にして大事な部分を両手で隠しながら背を向けた。
 それから彼女は自身が入っていた箱を慌てたようにあさり、そこに入っていた小さな箱から服を取り出して、連示の目の前で着始めた。
 可憐と評するに相応しい女の子の着衣の様子に一瞬視線を固定されそうになったが、連示は首を振って彼女に背中を向け、冷静な思考を取り戻そうとした。

「…………君は、アミクス、だな」

 衣擦れの音を背中越しに聞きながら、努めて平坦な口調で尋ねる。
 普通の人間が箱に詰められて配達されてくる訳がない。

「はい、そうです。あ、もう少しだけ待って下さいね、ご主人様」

 然程重要なことでもないかのようにあっさりと肯定され、戸惑いを覚えてしまう。
 彼女の反応は、通常のアミクスのそれとは全く異なっている。
 どちらかと言えばユウカに近いもので、即ち極めて人間的なものだ。

「これでよし、っと。すみません。見苦しい姿を見せてしまって」

 振り返ると少女はまるでメイドのような服装になっていた。が、それは本場英国のメイドのエプロンドレスというよりは、サブカルチャー的なメイド服という感じで、スカートの丈は非常に短く、白いオーバーニーソックスを留めるガーターが見て取れる。
 いかにもな純白のカチューシャに負けずに美しく輝いている長い銀髪は、黒いリボンによって二ヶ所でまとめられていて、いわゆるツインテールになっていた。

「改めまして、私は阿頼耶と言います。今日からよろしくお願いします、ご主人様」

 慇懃に深々と頭を下げながら当然のことのようにそう言い、それから頭を上げて柔らかく微笑む阿頼耶と名乗る少女に、連示は当惑して軽く頭を抱えてしまった。

「い、いや、ちょっと待て。よくは分からないけど、その、何かの間違いじゃないか?」
「え?」

 連示の言葉に阿頼耶は急に不安そうな表情になり、おずおずと見上げてきた。
 心なしか警戒しているようで距離が一歩遠のいている。

「あ、あの、世良連示様、本人ですよね? 同じ顔の別人とか、アミクスとかではないですよね?」
「それは、そうだけど」

 阿頼耶はそれを聞くと一転して安堵の笑みを見せた。
 遠のいた距離も元に戻る。

「なら、間違いありません。貴方は私のご主人様です」
「ま、待て待て。君はアミクスなんだろ? なら、所有者はどうしたんだ? いや、そもそも何でCEカンパニーからアミクスが送られてくるんだよ」
「私に所有者なんていません。あえて言うなら、ご主人様、ですよ?」
「……所有者が、いない?」
「はい」

 まさか野良アミクスだとでも言いたいのだろうか。
 しかし、そんな事例は一度も聞いたことがないが。

「い、いや、だとしても、君の人格の元になっている人間は――」
「いません」
「は?」

 間の抜けた声を出してしまった連示とは対照的に、阿頼耶は自分の慎ましやかな胸に手を当てて、どこか誇らしげに口を開いた。

「私は電子の海にある無数の情報の集合、疑似集合無意識から自然的に発生した全く新しい意識の形、幻影人格と呼ばれる存在ですから」
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