阿頼耶識エクスチェンジ

青空顎門

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一 阿頼耶①

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 昼休みの始まりを知らせる鐘の音が響き渡ると共に、担当の教師は授業の終わりを告げた。彼が教室を出ていくと、すぐさまクラスは喧騒で包まれ始める。
 その有り触れた光景を眺めていると忌々しい気持ちになってしまい、世良連示は思わず舌打ちして目を伏せた。
 あれらは全て偽りの光景に過ぎない。あの喧騒に生身の人間は存在していないのだ。その事実を知っていると、彼等の振る舞いが酷く無機質なものに感じられてしまう。

 AMICUS。無意識的に人格と記憶をその所有者と共有する自律機械人形。一般にアミクスと呼ばれている存在。それが彼等の正体だ。
 アミクスは所有者の体内に注入されたマイクロマシンによって神経を走る電気信号に干渉、その情報を送受信することで所有者のパーソナリティを模し、記憶をも共有する。
 同期のタイミングは睡眠時であり、人格の微細な変化や記憶の蓄積分はその際に自動的にアップデートされるそうだ。

 つまり所有者はアミクスの行動をも自らの経験として記憶でき、またアミクスも記憶の同期によって所有者の人格の変化分をその際に更新できる訳だ。そうすることで、ある選択肢が突きつけられた時、アミクスは所有者と同じ選択をするらしい。
 キャッチコピーは同時間に存在する都合のいいもう一人の自分だ。
 この機械人形は二〇五三年、ヨーロッパ系の企業、CEカンパニーによって販売が開始された製品であり、二〇七二年の現在、この日本を含めた多くの国で普及している。
 現に、連示のクラスメイトの実に九割以上はこのアミクスで占められている。それだけでなく、教え導く立場にある教師もまたそうだ。

 このような事態が許されている理由は、何と言ってもそれが効率的だからだ。
 先に述べた通り、アミクスは所有者の人格通りに行動して記憶を共有する。
 例えば学生なら、アミクスを学校に通わせて所有者は家で勉強するなどすれば、学習効果は単純に二倍だ。それは仕事などの作業効率についても近いことが言える。
 また、所有者が何もせず娯楽に耽っていようとも、むしろアミクスを利用した方があらゆる分野で能率がよくなるという研究報告もあるという話だ。
 恐らく理屈の上では、所有者の記憶が次の日に引き継がれるため、アミクス側にも娯楽に興じた記憶が共有され、ストレスが蓄積されない、ということなのだろう。
 この技術によって過去の多くの人々がしただろう妄想、誰かに自分の代わりに自分として学校や職場へ行って貰いたい、という望みが叶ってしまう訳だ。
 しかし、このアミクスには欠陥があった。アミクスを呑気に使用し、利便性にしか目を向けない所有者達は気づけない、いや、気づこうともしない欠陥が。

「連示君、連示君。昼休みだよ。ごはん、食べようよ」

 思考を遮るようにそう声をかけられ、アミクス達の喧騒から目を背けるように俯いていた連示はゆっくりと顔を上げた。
 目の前にあったのは幼馴染の金村遊香……のアミクスであるユウカの、覗き込むような顔のどアップだった。彼女はいつの間にか連示の前の席に逆向きに座っていた。

「……お前も飽きないな。食べる必要なんかない癖に」
「う、一応、食べられない訳じゃ、ないんだよ?」
「食べると機能不全を起こして腹壊すじゃないか」

 そう連示が言うと、ユウカは小さく恥ずかしそうな笑みを浮かべた。そんな彼女の、記憶に残る幼馴染そのものの表情に、思わず軽く溜息をついてしまう。
 実際には、現在の彼女がどのような姿をしているかは分からない。人格や能力が本人を基にしていても、体格や格好までは自動で一致させるは無理だからだ。
 しかし、それはあくまでも本人の現在の姿と違うかもしれない、というだけで、アミクスを単純に外見で人形だと判断することは不可能と言っていい。
 ユウカも一見しただけでは普通の女の子以外の何物でもない。

 結局は設定次第なのだが、現在の彼女の髪型であるセミショートの黒髪は、背が低く全体的に幼い体型の彼女の場合、子供っぽく可愛らしい印象を受ける。
 口調もどこか子供染みたものに感じられるが、本当に遊香がこの外見で、しかも現在も昔の印象そのままの話し方をしているとは連示にはとても思えなかった。アミクスの仕様を考えれば、その言動は所有者と全く同じになるはずなのだが。

「世良君、駄目だよ。幼馴染を苛めちゃ」

 と、はきはきした声を背後からかけられ、連示は振り返った。

「風守さん……」

 そこにはクラスメイトの風守鈴音が、どこかお姉さん振ったような表情で右手の人差し指をピンと伸ばして立っていた。その右腕の肘にはコンビニの袋がかけられている。
 彼女は空いている左手で椅子を右隣の空席から連示の机の右側に動かして、そこにすとんと座った。その動きで僅かに髪が揺れ、微かに柑橘系の香りがしてくる。
 丁度腰の辺りまでと長い黒髪は、彼女の動きの余韻を示すように少しの間さらさらと流れ、よく手入れされていることが分かる。
 全体を見れば平均的なプロポーションだが、美人系の顔つきのおかげか大人っぽい印象があり、子供っぽいユウカが近くにいると、それが更に引き立つ気がする。

「いや、苛めてないよ。これぐらい、いつものスキンシップだし」
「本当? ユウカちゃん」
「うん。えっと……喧嘩する程仲がいい?」

 わざとらしく立てた人差し指で頬に触れながら、ユウカは可愛らしく小首を傾げた。

「別に喧嘩はしてないだろ?」
「じゃあ、普通に仲がいい」

 にへら、と締まりのない笑顔を見せながらそんなことを言うユウカに、幼い頃の遊香本人が強く思い出され、連示は複雑な気持ちを抱いてしまった。
 本物の彼女は本当に今もそんな風に無邪気な笑みを浮かべることができるのか、と。

「どうした? 世良。難しい顔をして。金村がどうかしたのか?」
「……友井か。いや、何でもない」

 気配なく近づいてきて、そう声をかけてきたクラスメイト、友井紀一郎に答える。

「そうか」

 特に興味なさそうに紀一郎は近くの椅子を取り、ユウカと鈴音の間に座った。
 その直前にユウカが目の前の席から椅子ごと連示にくっつくように左側にずれていたため、最終的には紀一郎が連示の真正面に位置取る形になっていた。
 この二人、鈴音と紀一郎だけが連示の、人間の友人だった。
 鈴音は連示と同様に、アミクスを使用せずに毎日登校している現代では非常に稀有な存在だった。とは言え、最初からそうだった訳ではなく、彼女が自ら学校に通うようになったのは大体八ヶ月前。高校一年生の終わりの頃のことだ。
 その変化の理由は分からないが、生身の人間同士ということもあって必然会話をする機会が多くなり、現在では仲いいと自信を持って言えるぐらいの関係になっている。
 少なくとも連示はそう思っていた。

 一方、紀一郎は不思議な男で、彼はほぼ一日置きにアミクスと交互に登校している。昨日も法則通りアミクスが登校してきていた。
 そんな一風変わった彼は今年の四月、つまり高校二年生になってからの友人だ。
 既に知り合って半年は経っているのだが、それにもかかわらず、まだどこか掴みどころがないように感じられる。電話番号もメールアドレスも知らない。
 時折法則を破って、彼自身が学校に来ていても、いつの間にかアミクスと入れ替わっている時があるのも全くの謎だ。
 そんな紀一郎は自作という話の弁当を近くの机に置いて、黙々と食べ始めていた。
 そのマイペースな様子に微かに苦笑しながら、連示は通学の途中に買っておいた三種類のパンを袋から取り出し、机の上に並べた。
 鈴音もそれを待っていたようにパンを三つ、机の上に広げる。

「じゃあ、私はこれね」

 鈴音はそう言いつつ、連示が買ってきた惣菜パンの内の一つをひょいっと手に取る。

「ん。じゃあ……俺はこれにしようかな」

 続いて、連示も同じように鈴音の菓子パンの中から一つ貰った。

「あ!」
 その声に鈴音を見ると、彼女は、やられた、という感じの表情で、連示の手にある菓子パンを見詰めていた。それはイチゴメロンパンというイチゴなのかメロンなのかよく分からないパンだった。その曖昧さが妙に気になって手に取ったのだが。

「うー」

 そして、恨めしそうに唸る鈴音。どうやら、それが三つある菓子パンの中で彼女が今日一番楽しみにしていたものだったらしい。

「世良君、いつも私の好きそうなの選んでない?」
「いやいや、そんな意地の悪いことはしないって」
「ほんとーにぃ?」

 唇を軽く尖らせて、鈴音が未練たらしく睨んでくる。そんな顔をされると少し申し訳ない。しかし、情に絆されて取り替える訳にはいかない。
 これはより親睦を深めるために、ということで始め、今では定例となっている昼食時のちょっとした遊びのようなものだった。だが、単なる遊びだからこそ決めたルールには則ってやらないと興醒めになってしまうものだ。
 そのルールは単純だ。コンビニで好きなパンを三つ買ってきて、それを一個相手に選ばせて交換する。この時、交換を拒否してはいけないし、勿論、買う段階で同じパンだけを揃えてもいけない。それだけだ。
 そんな下らない戯れだが、現在では単調で無味乾燥な日常に、全く本当にささやかながら刺激を与えるイベントとなっていた。
 蛇足だが、基本的に連示は惣菜系のパンを、鈴音は菓子系のパンを買ってくるようにして、互いにパンが被らないように気をつけている。

「いいな。二人共、いつも楽しそうで」

 その様子をすぐ隣で見ていたユウカが羨ましそうに呟いた。

「仕方がないだろ。お前はアミクスなんだから」

 ユウカは連示の言葉に不満そうに、ぶー、と不満の声を上げた。

「……つまらないなら、別に俺達に合わせて無理しなくていいんだぞ? アミクスはアミクスらしくしてればいい」

 そう連示が言うとユウカは一転して困ったような、寂しそうな表情で俯いてしまった。
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