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15 そして高嶺の花はいなくなった
しおりを挟む『その家はね、目の前に大きな海が見えるの』
私のお母様は最期まで明るい女性だった。
ベッドの上に寝たきりになっても、顔を傷が痛みだした時でも、お母様は私を見ればいつもニコッと笑ってくれた。
そんなお母様は、離れへ移ってから毎日のようにこの話をするようになったの。
『私のお祖母様の持ち物でね、ここから国を3つほど跨いだところにあるの。とても小さい国だけど国民たちは幸せに働いて暮らしていたわ』
窓の外を見つめながら楽しそうに語る。
『庭先にはシロツメクサがいっぱい咲いてるの。また……行きたいなぁ』
『じゃあまたいこっ!おかあさまと、ルノアと、おとうさまと!おとうさまが今度ここへきたら相談してみるわ!』
『……そうね、お父様も一緒ね』
子供だった私は何とかしてお母様を励ましたかった。きっと家族3人で行けば、また仲良く過ごせると思っていたから。
でも、お父様は一度もここへ見舞いには来なかった。
誘っても誘っても誘っても、仕事が忙しいといってお母様の元を訪れなかった。
避けているとすぐに分かったわ、でもどうすることも出来なかった。お父様は私も遠ざけるようになってしまったんだもの。
離れを出入りする侍女たちもよく入れ替わっていた。
包帯だらけのお母様の看病を嫌がりヒソヒソと噂する。奥様は捨てられたのだと……。
そして最期の夜。
お母様は私の手をぎゅっと握った。
『ルノア、自由に生きなさい』
『え……、な、何、自由って』
『私はなれなかったけど、あなたなら大丈夫。あなたを全て受け入れてくれる人と共に生きるのよ』
『や、やだお母さまっ!やだっ、何それ……っ!』
段々と声が小さくなるお母様。
わからない、自由って何?なんのことを言ってるの?
『ルノア……』
『っおかあ、さま』
『だいすき、よ……』
そう告げた後、手を握る力はフッと消えてしまった。
今思えば、お母様の前だけが私が子供に戻れる唯一の場所だった。どんなに大人びた振る舞いをしても息抜きが出来る場所があると思えば何だって出来た。
でもそれを失ってしまった。
それなら私はいつ"子供"に戻れるの?
お父様や侍女たちはお母様が亡くなった後も私に完璧を求めてきた。清廉なルノア=ダリッジを……。
だから私は期待に応えてあげた。
清く、正しく、美しくーー。
決して手の届かない"高嶺の花"を、私がいなくなるその日まで演じ続けてあげたのだ。
*****
「ルノア様」
心地のいい声が聞こえ、私は静かに目を開ける。
窓から夕日が差し込み波の音が聞こえる。正面には私を心配そうに見つめる黒髪の青年がいた。
「ハル……」
「お疲れですか?」
膝の上にある読みかけの本を取り、ハルはパラパラとそれを眺めた。興味がないのかそれを机に置いた後、再びこちらへ戻ってきた。
「夕食の用意が出来ました」
「え……ごめんなさい、今日は私の当番なのに」
「いえ」
窓辺にあるチェアに座って本を読んでいたらついうたた寝をしてしまったみたい。
立ち上がろうとすれば少しよろけてしまう。が、自分よりも逞しい腕がしっかりと身体を支えてくれた。
「ありがとう、ハル」
「はい」
アレグロ王国を飛び出してから今日で半年が経つ。
私たちはお母様が言っていた、曽祖母が所有していたという屋敷で暮らしている。
元々は休養するための別荘として建てられたこの屋敷は周りに他の民家もなく、週に一度だけ行商人が近くを通るような田舎にあった。どうやら曽祖母は倹約な方だったらしく、敷地には畑もあるし果実の木も植っているので食料には困ったことがない。
まさにお尋ね者の私たちにはうってつけの場所だ。
「ハル、今日はお仕事早いのね」
「はい。何でも祭りがあるとかでみんなそっちに行ってしまい暇でした」
ハルが作ってくれた食事を取りながら会話する。
ハルは街の警備隊に所属している。
田舎だけど悪いやつはそれなりにいるようで、都市部からやって来たハルは高待遇で迎え入れられた。
「何で花火が上がるそうですよ」
「花火?ここから見えるかしら!」
「どうでしょうか……後で見に行きましょう」
「ええ!」
嬉しさのあまりつい大きな声が出てしまう。
「あ、ごめんなさい。マナー違反ね」
「……俺しかいないので大丈夫ですよ」
「……うん」
そう呟き、私はまた食事を再開した。
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