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6 リリー視点

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『さぁ顔を上げて?今日からここが君の居場所だ』

その人は温かい笑みを浮かべ私に手を差し伸べた。

愛した夫に捨てられた惨めで冴えない私に優しい言葉をかけてくれた。どん底から一気に天に舞い上がった私の心には、もうジョエルの姿は残っていない。

『君を捨てた男は必ずもう一度ここに来る。今度は君が彼を捨ててやる番だね』

子供に言い聞かせるような声に私は小さく頷く。

それが、ノエル=ベロニアを捨てた日だった。




*****

「皆さん帰っていったよ」

自室でのんびりと過ごしていると部屋に彼が入ってきた。

「そう」
「彼、最後の最後まで君の名前を叫んでいたよ」
「それはノエル?それともリリー?」

自分でも意地悪な言い方をしてしまったのは分かる。それでも、彼は困ったように微笑みながらゆっくり近づいて来た。

「アレン」

名前を呼べば「どうしたの?」と声をかけてくる。レンと呼ばれていた時とは違う、のほほんとした雰囲気に私もつられて笑ってしまった。

「終わったわね、全部」
「ああ、君がだ」
「3年も無駄にしてしまったわ」
「無駄なんかじゃない。ようやく過去に蹴りをつけられたじゃないか」

そう言って私の隣に座ったアレンはそっと優しく肩を抱いてくれた。



ここが娼館でないと分かったのは、便利屋に攫われてきてアレンと顔を合わせた時。

近年、貴族連中の間では邪魔になった妻や浮気相手を娼館へ売り飛ばすといった犯罪が横行しており、国はこの事態に頭を悩ませていた。
そんな時、官僚である一人の青年がこう提案する。

『ならば偽の娼館をいくつか作り、こう噂を流すのです。"あの娼館ならばどんな女でも買い取ってくれる、よその娼館よりもずっと高い金額で"と』

彼の思惑通り、男たちは国が作った偽の娼館へ次々とやって来た。そして男たちは決まって女を売り、その後もその娼館へ顔を出すらしい。



「男というのは馬鹿な生き物だからね、女性を金でどうにか出来たと思ったら今度は買いに来るのさ。」
「アレン……」
「馬鹿だよね、同じ人間同士なのに」

口元は笑っているが、彼の目は死んだように暗い。

「俺はね、ここに連れて来られた女性たちを何十人も見てきた。夫に捨てられた人、父親に売られた人、結婚の約束をしていた恋人に裏切られた人……泣いていない人は一人もいなかった」

苦しそうに話す彼をそっと抱きしめた。

「リリー」
「ごめんなさい、貴方の辛い思いを知ってるのに」
「俺は大丈夫。一番辛いのは君たちだ」

何でこんなに苦しいだろう。
堪えるように話す彼を見ていると自然に涙が出てきてしまう。

「でもそれも今日まで。俺たちの努力の甲斐もあって法改正の準備が整った、今まで以上に人身売買や娼館への規則は厳しくなる」
「そうね」
「保護した彼女たちも今はみんな元気に他国で過ごしているし。もう俺の役目は終わったね」

今回のような事例が多く挙がり、国は法改正を徹底的に行ったらしい。今まで見過ごされていた人身売買については大きなメスが入るだろう。
そしてここに連れて来られた女性たちも、今は身を潜めるように過ごしているのが時期に堂々と街を歩けるようになるはずだ。

全ては、ジョエルを最後に片がついたのだ。

「まだ未練がある?」
「えっ?私がジョエルに?」
「その、ちょっとうわの空だったから」

心配そうに私を見るアレンに苦笑してしまう。
この人は他人に敏感なくせに、自分に向けられている好意にはまるで気付かないのね。

「あり得ないわ、ジョエルへの気持ちなんてとうの昔に捨ててしまったもの」
「……うん」
「貴方が最後のチャンスとして出した手紙だって無視したのよ?結局初めから愛されていなかったんだわ」

アレンは復讐前に必ずあの手紙を出す。もしそれで男が会いに来れば真実を話し、ただの詐欺罪で事を済ませようとしていたらしい。
それでも、危篤の手紙を出して女に会いに来ようとした男はジョエルを含めて一人もいなかった。男たちに対するたった一つのチャンスだったのに。

「しかしアンジェリカさんには少し同情しちゃう。あんな男に売られそうになるなんて」
「自業自得だろ、君を侯爵家から追い出したんだ」
「例えお金目当てだったとしても、彼女は私よりもちゃんとジョエルを愛していたと思うの」

私がまだベロニア侯爵夫人だった頃。
一度だけジョエルと寄り添う彼女の姿を見た事がある。その姿は自信に満ち溢れ、私になかった妖艶な色香で彼を虜にしていた。

「君よりあんな女を選ぶなんてどうかしている」

でもまぁ彼女も無事とは言えないだろう。
彼女は侯爵夫人ではなくなる。それに実家である男爵家の土地はジョエルが銀行の担保にしてしまった、きっとしばらくすれば爵位返上の命令が下るだろう。

「終わったわ、全部」
「リリー」
「これでもう、私は自由ね」

そう言って私はアレンに飛び付いた。
勢いよく抱き着いた私をしっかり受け止め優しく包み込む様に腰に手が回る。

「ようやく貴方の恋人になれる!」
「……君は真面目だからね。"復讐が終わるまでは付き合わない"って言うから、俺も我慢するのが大変だったよ」
「ふふっごめんなさい」

私たちは愛し合っていた。
でも、こんな私の我儘を受け入れてアレンは何も言わず、何もせずに今日まで待っててくれたのだ。

「でもこれで、貴方の奥さんにちゃんとなれる。二人で並んで歩くことも出来るのね」
「ああ。嬉しい?」
「とっても!」

ニコッと笑えばアレンは優しく微笑んだ。

ノエルはあの日死んだ。そしてジョエルが愛した美しいだけのリリーも死んだ。

今の私こそが本物の私だ。

「では、恋人記念に食事でも行こうか」
「ええ!」

私は彼の腕にギュッと抱き付き部屋を出た。

床に散らばる綺麗なだけの百合の花を一度だけ見て、嘲笑うかのように足元に落ちた花びらをそっと踏みつけた。






*****

残り番外編2話で本編完結となります。
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