恋も魔力も期限切れですよ。

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恋をすると、人は馬鹿になる。
それは私も例外ではなかった───。



「ありがとうヴァネッサ、これで僕は王国一の魔法使いになれるよっ!」

寒さで白くなった息の量が歓喜する気持ちを表している。いつも穏やかで大人っぽい初恋の人の喜ぶ様を、わたし──ヴァネッサはポカンと口をあけた間抜け面で眺めていた。
何故こんなにも温度差があるのか。それは彼の手中にある謎の結晶が全てであった。

何の色もない、汚れのない透明。
リンゴくらいの大きさのそれは、突然わたしの手のひらから出現した。いや……正確には突然ではない。
目の前にいる彼──トーマさんから渡されたブレスレットをつけ、教えてもらったとやらを唱えた瞬間。
真っ白い光が全身から吹き出し、その光はしばらくしてわたしの手のひらの上に小さくまとまる。その光が落ち着くと、代わりにあの結晶が現れたのだった。

突然現れた謎の結晶。
訳もわからず呆然とするわたしと違い、トーマさんは当たり前のようにそれをパシッと奪い取ってしまう。

「サイズも十分、透明度も桁外れだ。やっぱり君は守護の力を持つ人間だったんだね」
「あ、あの……トーマさ、」
「クククっ!これで僕もあの方と……ふふ、ふふふっ!面倒な演技をした甲斐があったなぁ」

(ダメだ。わたしの声なんて聞こえてないっ!)

もうあの結晶しか眼中にないようで、こんなに近くにいるのに言葉も気持ちも伝わらない。
悔しさでどんどん涙が溢れてしまう。

(トーマさんは孤児のわたしにも優しくしてくれて、いつもみんなの話を聞いてくれて、大人で、王子様みたいで!)

私の“初恋の人”はこんな悪魔のように笑わない。

「じゃあねヴァネッサ、僕はもう……」
「ま、待ってっ!!」

立ち去ろうとするトーマさんの腕を掴む。

「お、お願いですっちゃんと説明してください!急に呼び出されて、突然変な石が体から出てきて……わ、わたしっ何もわからないの!」
「チッ!うっとうしいなぁ」
「きゃぁっ!!」

乱暴に振り払われた体はあっけなく地面を滑る。

「せっかく最後は優しくしてやろうと思ったのに。バカな女だね君は」
「と、トーマさ、」
「あのねヴァネッサ、君に近付いたのはある人のご命令だから。じゃなきゃ孤児のガキに優しくなんかしない」

見下ろすトーマさんの目は鋭く、吐き捨てられた言葉に身体が小さく震えてしまった。

「それって……」
「終わったの?トーマ」
「「!!!」」

突然した女性の声に勢いよく振り返る。

その人は、わたしが出会ってきた女性の中で群を抜くほどの美人だった。
手入れの行き届いたヘーゼル色の髪、陶磁器のような肌、シンプルながらも高級感のあるワンピース。一目みてすぐにどこかのご令嬢だと悟った。

「例のものは手に入れたの?」
「はいっ!こちらです!」
「ふーん、これが守護の魔法石……」

トーマさんは奪い取ったあの結晶をその人に渡す。
彼女は結晶をしばらく眺めた後、ようやくわたしを見てニコッと微笑んだ。

「お嬢さん、いくら欲しい?」
「……え、?」

きょとんとしていると、ご令嬢は一枚の紙を取り出しサラサラと何かを書き込んだ。

「そうねぇー、この額ならどうかしら?」

渡された紙は小切手で、そこには目を疑うほどの金額が書かれている。

「孤児でも不自由なく暮らせていける金額よ。そのお金でこの石とトーマのことは忘れてちょうだい」
「え、」
「行くわよトーマ。こんな小ネズミに構ってる暇、今の私たちにはなくってよ」

“小ネズミ”
それは貴族が平民の子供を侮辱するときによく使う言葉。初めからこの人は……わたしを人間だと思って相手していなかったんだ。
無意識のうちに小切手をぐしゃりと握り潰す。

(だったらこんなお金……!)

「まぁ貰っときな。シャルロッテ様にとってその程度はした金なんだから」
「っ……最初から騙すつもりで、わたしに近付いたの?」

トーマさんは孤児院に出入りしていた行商のバイトで、サラサラの金髪と青い瞳を持つ容姿はおとぎ話の王子様のようだと騒がれていた。彼が訪れる日になると女の子はみんな浮き足立つ、わたしもその中のひとりだった。

優しくて、大人なトーマさん。
わたしの大切な初恋の人。それなのに……

「あぁそうだよ」
「!!!」
「森で僕が魔物に襲われていたとき、たまたま通りかかった君は詠唱も魔法陣もなく防御魔法を発動したよね?あれってすごいことなんだ、光魔法よりも上の……守護の力とよばれる特別な魔力が備わっていないと説明がつかないんだよ」

詠唱。魔法陣。防御魔法。
そのどれもが馴染みのない言葉だ。

「それをシャルロッテ様にお伝えしたら、とーっても興味を持って下さった!そのブレスレット、強制的に魔力を放出させ魔法石に変換する術がかけてあるんだ。シャルロッテ様の生家、ニュートロン公爵家だけが保有する禁忌術。あのサイズなら魔力70年分くらいだから……今の君にはこれっぽっちも残ってないだろうね」
「か、返してください……!」

あの結晶の価値なんて分からないし、どうでもいい。
ただあれがわたしの一部であったのは確か。それを何の説明もなく、交渉もされず、強制的に奪われた。

トーマさんは転んだままのわたしの頭をポンと撫でると、いつもみたいに穏やかに笑う。

「ヴァネッサ、君のことは忘れないよ。偉大なる魔法使いに相手にされなかった、妄想家な少女としてね」





人がいなくなった公園に残され、バタンとそのまま寝っ転がる。

「……ははっ」

トーマさんのあの口ぶり、きっとわたしを頭のおかしい女に仕立て上げるのだろう。どんなに力を奪われたと訴えても、全て嫉妬による妄言だと言ってしまえばいい。
彼の後ろには公爵家がいる……孤児と貴族、どちらの言葉を信じるかなんてバカでも分かるわ。

騙されて、奪われて、振られて。
ほんとうにバカみたい。

じわりと涙が滲んだことに気付き、グッと唇を噛み締めた。

(泣いちゃダメ、泣いたらもっと惨めになる……)

ぽつぽつと雨粒が落ちてくる音が聞こえた。
今思えば雨が降ったとき体が濡れたりしなかったのも、その守護の力とやらのおかげだったみたい。……まぁ知っていたところでどうにもならないけど。

ザァアアアア───

「………ん?」

しばらくしてある違和感に気付く。
激しくなる雨音、なのに……雨粒が全く落ちてこない。勢いよく起き上がると、自分の全身をほんのりとした光が包んでいた。

(なんで……だ、だって、もう魔力は残ってないって)

一生分の魔力を吸い取られたはずなのに。

(……調べなきゃ)

守護の力。魔法石。魔法騎士。
残された手がかりはこのブレスレットと謎のおまじない。知らない情報を追っていくにはこれしかない。

「……返してもらうわ、全部」



これがわたしの初恋。

苦すぎる恋を知ったのは、私──のちのヴァネッサ=モートルが12才のときだった。

    
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