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(あり得ない……よりによってあんな男と結婚だなんて)

闘技場までの長い廊下を歩きながら、私は数時間のことを何度も何度も考える。

(いっそ試合に勝ってしまおうか。……いや、相手がヴィアイント公ならそんな簡単な話じゃない。ならやっぱりこのまま逃げ出した方が)


「リゼリア」

名前を呼ばれてハッと顔をあげる。
薄暗い廊下の壁に持たれる赤髪の男は、柔和な表情でこちらに向けて手を振った。

「……イーサン」
「遅かったじゃないか。もしかして緊張してるのかい?」

歩み寄り私の頬に触ようとする手をバシッと振り払う。

イーサン=ネクト。
数年前から家によく出入りする商会のオーナー。若くして無名に近いネクト商会を、王国第3位の規模まで押し上げた名手。
中性的な顔と優しげな雰囲気で人気もある男だが……私は好きになれない。

(むしろ大嫌いだ、こんなやつ)

「応援に来たよ。今日が君にとって最後の試合だしね」
「……嘘。逃げ出さないか監視しに来たんでしょ?」
「意地悪だなぁ。でもそんなつれない所が君らしい」

こんなやつに構っている暇はない。
そのまま無視して横を通りすぎようとしたとき、ガッと腕を捕まれ強引に足止めされる。

「離して」
「分かってると思うけど試合が終わったらすぐに誓約書に名前を書くんだよ?その足で一緒に教会へ行き、今日のうちに婚姻を済ませよう」
「っ……そんな急がなくても、」
「ダメだ。君は今日僕のお嫁さんになるんだ」

ぎりぎりと力が込められる手首にピリッと痛みが走る。

(あぁ……やっぱ、この目だ)

言葉は優しく表情も柔らかい。でも、目の奥だけは冷たく濁っていた。

これがイーサンを嫌う理由。
リアンナ姉さんと同じく、表面上は優しく無害に思えても腹の中は真っ黒だ。

「……姉さんを愛していたんじゃないの?」
「リアンナを?ハッ!あんな尻軽ビッチ、利害関係が一致しただけの捨て駒さ。僕はずっとずっとリゼリアだけを愛している、そのために伯爵もリアンナも利用しただけさ」

得意気な顔でぺらぺら語るイーサン。
まるで愚かなピエロのような振るまいに思わずクスッと笑ってしまった。

「……何がおかしいんだい?」
「あぁごめんなさい、笑うつもりはなくて。ただ商人のくせに価値が分からないんだね。自分のことを過大評価しすぎ」

その瞬間、ガンっと壁に身体を叩き付けられる。
頭を軽く打った程度で何の痛みもない。それよりも、イーサンの必死な顔の方がより痛々しく感じた。

「は、はははっ!さ、さすがだね、挑発のつもりかい?」
「本心だけど?」
「っどうやら自分の立場を分かってないみたいだね?なんならこの場でハジメテを済ませたっていいんだよ?どうせ君の敗けは確定なんだから!」

早口になるイーサンには余裕が微塵もなかった。

(少しからかいすぎたかな……?)

隙を見て彼の脇腹に拳を叩き込もうとした瞬間、


「何をしている」


重厚な声で、私もイーサンも無意識に動きを止めた。

コツコツと響く足音と共に姿を現したのは、暗闇に溶け込むような屈強な男。
そして何より、鋭いアイスブルーの瞳が私たちを射貫く。

(この人が……)

「ヴ、ヴィアイント公爵……っ!!」

公爵の出現に驚いたイーサンは、すぐに私から離れ膝をつく。貴族でも何でもないイーサンにとって公爵は雲の上の人、カタカタと小さく震え頭を下げ続けた。
呆気に取られたままの私もすぐに膝をつく。

「ここは決闘に参加する者しか立ち入れないはずだが」
「あ、いやそのっ、わ、わたくしめはっ!そ、その……お、応援に……そ、そうっ!つ、つ、つ、妻のっ」

完全に動揺しているイーサンは口ごもりながらも言葉を吐き出す。無理もない、そうなってしまうほどヴィアイント公の威圧感は凄まじいから。

「妻、だと?」
「あ、いやっ?!その、こ、この後というか……い、いずれ?みたいなっ?!」
「……もういい。とにかく去れ」
「は、は、はいぃっ!」

イーサンは勢いよく立ち上がり、私のことなど完全に忘れ猛ダッシュで逃げていった。


「………」
「………」

暗い廊下に残されたのは、私とヴィアイント公だけ。

(き、気まずい……)

初対面にしては最悪のタイミング。
公爵からしてみれば、試合前にのんきに男といちゃいちゃしているように見えたかもしれない。

先に話し出したのは、ヴィアイント公だった。

「コルトピア伯爵令嬢に結婚を決めた男が居るなんて初耳だ。それは本当なのか」
「え?いや……最近決まったことでして。私もよく分かっていないのですが」
「君はあの男が好きなのか」
「す、好き?いえ……えっと、」
「……まぁいい。試合に勝てばそんなこと関係ない」

いまいち噛み合わない会話に混乱するものの、公爵はスッと背を向け闘技場へと歩き出す。

(……一緒に向かってもいいのかな?)

行き先は同じ。ここで変に避けるのもおかしいので、大人しく彼の大きな背中についていく。

(それにしても大きな背中……公爵という肩書きを忘れてしまうほどたくましい)

背の高い私が見上げるほど高身長と程よく鍛えられた筋肉。これが単純にでかいだけの体ならば勝機はあったが、こうも無駄な筋肉がないと厄介だ。
まだ剣を交えてなくとも、しなやかで重みのある攻撃が容易に想像できる。

「勝ちたいな……」

ポツリと本音が漏れ、すぐに口元を押さえる。
しかしちゃんと聞かれてしまったのか、振り返ったヴィアイント公がじっと見つめてきた。

「あ、いや……その、」
「本気で来い、俺は手を抜かない」
「っ……そうまでして、欲しいのですか」

リアンナ姉さんのこと。
続く言葉は飲み込み見つめ返すと、一瞬だけ公爵の表情が和らいだ。

「あぁ。今すぐ抱き締めたいくらいにな」


それ以降、公爵が口を開くことはなかった。

(羨ましい……こんな人にそこまで愛されるなんて)

もやもやした気持ちに戸惑いながら進む。

闘技場に足を踏み入れた瞬間、割れんばかりの大歓声に私はまた現実世界へと引き戻されるのだった。


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