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第二章 和臥虎山の哀しき剣士
二
しおりを挟む鷹之助は、夢を見ていた。
ふわふわと宙に漂っているような第三者目線で、幼い自分が布団で母と話しているところを眺める。
畳の上、敷かれた布団に寝転がる鷹之助は肩まで毛布を掛けられてていた。
母が幼い鷹之助の腹の上を、一定の間隔でとんとんと優しく叩く。
何を話しているのか。鷹之助は耳を澄ます。
幼い鷹之助は、譫言のように言った。
———俺、将軍様になるんだ。
ずっと、同じようなとこを繰り返して言っている。
———俺は、将軍様にならないといけないんだ。
———どうして、将軍様になりたいの。
———守るために。
———何を?
あの人のことを。
そこで、鷹之助は目を覚ました。顔の下には、書類の山が重なっている。居眠りをしてしまっていたようだ。
最近は仕事をし過ぎている。峰鷹とお忍びで出かける為に、書類を巻きで片付けているからだ。
今のは‥‥懐かしい雰囲気だったが、第三者目線であって幼い自分目線ではなかったので記憶ではなくただの夢だろう。
幼い頃、鷹之助がやけに将軍様になりたいと言っていたというのは、母から聞いて知ってはいた。将軍というものを正しく理解できるほどの歳もなく、子供が将軍という地位に憧憬を抱いている、では片付けられないほど繰り返し言っていたらしい。母は鷹之助の精神を心配したほどだ、とも言っていた。
鷹之助の先祖は、以前峰鷹に言ったように遠い昔は鳥守ノ町の人間だった。ある時、何かの職人を目指す為に町を出た様で、町の人と険悪だったわけでも無いので、その文化は今でも鷹之助の家系に受け継がれている。子供が産まれれば鳥守ノ町の長に鳥の漢字が入った名前を貰い、年に一度か数年に一度か鳥守ノ町へ行く。
つまり、鷹之助は武家の家系の人間では無い。
父は志願して兵になり戦績を上げて武士となったが、祖父は機織り職人で、それ以前の人間も武士ではなかった。
将軍になるなど、夢のまた夢。
それでも鷹之助は将軍の地位を授かった。それが彼に国内にも敵が多い理由の一つだ。
そこで、外から聞こえる木刀のぶつかり合う音で我に帰った。
腰窓から、外を覗く。
峰鷹と五内川が、木刀を使って剣の稽古をしていた。五内川は垂れ目に色素の薄い髪を持つ男で、ふんわりした雰囲気を纏っているが抜刀隊副隊長なので、かなりの実力者だ。
ガッ!と音を立てて、峰鷹の木刀が五内川に吹っ飛ばされる。
少し遠くで、カランカランと音がした。
「くそ、やっぱり長くは持たないな。」
峰鷹は額の汗を袖で拭う。
「いや、仮にも抜刀隊副隊長に少しでも持つ方がおかしいけれどね。あんた抜刀隊員でもないのに。」
五内川は冷静に返した。
「恐ろしい程の成長だよ。まだ始めて少しなのにさ。」
峰鷹は息を整えながら、「ありがとう。」と少し掠れた声で言った。
「だが切り込みは凄く良いが、受け方がまだまだだな。力のまま受け止めようとするから、時間が経つほど疲れが溜まる。もう少し流す様に止めるんだ。」
峰鷹は頷く。
峰鷹は、少し前からこの男に剣を教わっている。弓隊の訓練もあの戦以降は参加しているので、忙しい毎日だと二日前に屋根で言っていた。
しかし鷹之助は、五内川という男にはもっと警戒して接するべきだと思っている。
個人的な感情が無いとは言わないが、あの男には警戒すべき理由があった。
最近、この街も含めた和臥虎山脈付近の村で、妙なことが起こっている。鷹之助は、その件に五内川が関わっている可能性があると考えていた。
* * *
峰鷹は、井戸の近くの曲がり角で着物の裾を整えている。
今日は、そう。お忍びでお出かけの日だ。まだ鷹之助は来ていない。
峰鷹はどうにも緊張して何故か忍び足で井戸まで行くと、そっと井戸の端に腰掛けた。
さくさくと、草を踏む音が近づいて来た。今日は弓隊の定休日なので、弓隊倉庫に用のある人間は居ない。間違いなく鷹之助が歩いている。
曲がり角を曲がった。峰鷹は顔を上げてその姿を見て、目を丸くした。
くそダサい。
態とぼっさぼさにした髪は低い位置でお団子になっているが、良く分からない長い髪がぴょこぴょこ飛び出している。何やら良く分からない模様の小袖を着ていて、謎な髑髏の首飾りをかけている。
瓶底眼鏡で、目の大きさが変わっていた。
峰鷹は笑いを堪えようとしたが、開いて閉じない口から、はっ、はっ‥‥と息が吹き出ていく。
「ぶっ‥‥!あはははは!」
鷹之助がさっと近づいてきて、峰鷹の口を塞ぐ。
「おい馬鹿!大声を出すな。人が来たらどうする。」
鷹之助はしきりに辺りをちらちら見ていた。
「来たって誰も気付きやしねぇよ。」
峰鷹は今だに息を吐き出す様な笑いが止まらない。
「本当にそろそろ人が来るぞ。騒ぎになる前に屋敷を出よう。」
鷹之助は笑い声が出ない様に片手で口を塞ぐ峰鷹を、裏門へ引きずっていった。門兵に、そいつは具合が悪いのでは無いかと心配されて、本気で吹き出しそうになった峰鷹を鷹之助が担いで走りだす。
後ろから「あの瓶底眼鏡、俊足だな‥‥。」という声が聞こえて、峰鷹は鷹之助に担がれたまま大笑いした。
この世界で峰鷹だけが知っている鷹之助がいることが嬉しかった。
少し走ったところで、峰鷹は丁寧に下ろされる。鷹之助のこの姿にはまだ慣れないが、見た途端に笑い出すことは無くなった。
「なあ、今日は本当に名前を呼べないし、鷹ちゃんって呼ぶスタイルでいいか。」
峰鷹は提案する。
「すたいる‥‥?別に構わないが。」
そうして、二人は歩き出した。
「なあ、俺、今日は食べ歩きをする感じで考えていたんだけどさ。」
峰鷹が言って、鷹之助は頷く。
「俺もそう考えていた。」
「何だけれど、お昼時で思ったよりがっつり食べたくなってさー。食べ歩きはやめて、何処かのお店に入らないか。」
鷹之助は微笑んで頷く。
「そうだな。食べ歩きができる道はこの時間は混むし、『流れ星』はその道の中にあるわけでは無いから。」
峰鷹は安心した。
「良かった、その店の場所が気掛かりだったんだ。じゃあ、うどんか蕎麦でも食べに行くか。」
「それなら、『流れ星』の近くに良い蕎麦屋がある。移動できる小さい障子の仕切りがあって、食べる場所を個室の様にすることが出来るんだ。」
その中でなら、一時的にでもこの変装を解けるという訳か。
「なるほど、それで鷹ちゃんの御用達って訳か。」
屋敷を抜け出すたびにそこで一休みでもしているのだろう。そんなことを思いながら何気なく呼んでみると、鷹之助は目の前で目を見開いたまま固まっていた。
「っ、ごめん、嫌だったか。別にわざわざこの呼び方でなくても、」
「違う。嫌ではないんだ。」
鷹之助は速攻否定したが、言葉を探す様に視線が泳いだ。
「ただ、何故か‥‥物凄く懐かしく感じた。」
峰鷹は首を傾げる。
「昔母親にでも呼ばれていたのか。」
「いや、そんなことはない。何なんだろうな、この感覚は。お前の姿が、誰かと重なった様だった。」
鷹之助はその場から動くことなく、感覚を研ぎ澄ませようとしている様だった。峰鷹は腰に手を当てる。
「なら、この呼び方は止めよう。慣れないことはするもんじゃないな。」
峰鷹は頬を掻くが、鷹之助は首を振った。
「いや、このまま呼んでくれ。」
「けど‥‥。」
「良いんだ。この感覚は悪くない。」
鷹之助は気分良く、峰鷹の頭を撫でた。今の鷹之助には負けるが、峰鷹もそこそこぼさぼさ頭になった。
「じゃ、蕎麦屋に行くかあ。」
二人は蕎麦屋を目指して歩き出す。
蕎麦屋では、やっと落ち着いて話ができた。三日おきに会っているので話題なんて無くなっていてもおかしくないのに、二人の会話は途切れない。食べ盛りの二人は蕎麦をもう一杯ずつおかわりしてから、すぐ近くの『流れ星』に向かった。
「うっまー!」
峰鷹は饅頭を一口齧って叫ぶ様に言った。鷹之助は優しく笑う。
「峰鷹は本当にお菓子が好きだな。」
「糖分補給は大切だからね。」
そう言って笑い合った。
皆へのお土産にしようと、峰鷹は五人の為に饅頭を別でも買う。
それで用事は済んだのだが、意外にもこの後見つけて入った武器屋が一番盛り上がった。いろんな人間のためのいろんな武器があって、峰鷹は胸を躍らせる。鷹之助の目も輝いていて少年めいた表情をたくさん見ることが出来た。
「この小刀は軽くて良いな。」
反対通路を見て回っていた鷹之助が後ろに立った。
「そうだな。状況にもよるが、ふつうの戦でなく日常の上では小型の刃物の方が使うからな。」
ますます欲しい
「これ買いたいなー、あ″ー、高い!」
峰鷹はその小刀を棚に戻した。
そうして、あっという間に帰り道だ。
二人は、少し時間を置いて門に入ろうと決めた。まず、鷹之助が門を潜る。峰鷹は約束通り百二十秒数えてから、門の方へ向かう。中へ通してもらうと、もう見えない鷹之助の足跡を辿る様に、峰鷹は弓隊宿舎の方へ向かった。
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