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第一章 現れた天才射手
七
しおりを挟む約束の巳の刻、宿の前には大きな馬車が一つと小さめの馬車が三つ停まっている。
雀の鳴き声が聞こえる中、宿の入り口からは峰鷹の荷物が運び出されていた。
「峰鷹、本当に行っちゃうんだ‥‥。」
燕芽が目に涙を溜めて言う。その隣で、斑鳩は既に涙をぽろぽろ溢していた。鷹嶺はいつも通りの表情をしているが、鼻と耳が赤らんでいる。
「うん。将軍様のとこの屋敷で弓をやることになったんだ。」
斑鳩が呟く。
「いつ帰ってくるんだよ。」
峰鷹は一瞬言葉に詰まった。
「分からない。」
鷹嶺が聞く。
「それは、もう帰っては来ないって言うことなの。」
「そういう訳ではないよ。けれど落ち着くまでにどれくらい掛かるのか、本当に分からないんだ。」
子供達は黙ってしまった。
「峰鷹。」
鷹臣が峰鷹の肩に手を置いた。峰鷹は鷹臣に向き直る。
「元気でやれよ。何か道具で必要な物があったら手紙を書いてくれ。いつでも協力するからな。」
「有難うございます。本当にお世話になりました。」
二人は握手をした。丁度その手を離した時、豊菜と駒鳥が歩いてきた。
豊菜は峰鷹を抱きしめる。
「またいつでも帰ってきなさい。」
駒鳥も、「待っているぞ。」と言った。
「はい。」
今度は峰鷹の方が泣きそうになってきた。
「出発するぞー。」
鷹之助の護衛としてきていた兵隊の一人が声を上げた。
峰鷹は改めてみんなに向かってお辞儀をする。
「では、行ってきます。」
峰鷹が歩き出した時、燕芽が言った。
「あたし、お手紙書くからね!」
男子二人は下を向いたままだった。
峰鷹は「うん。待ってる!」と応え、鷹之助が待っている一番大きな馬車に乗り込んだ。
馬車はがたがたと音を立てて走り出す。皆んなの手を振る姿はだんだん遠のいていくが、最後の一人が見えなくなるまで、峰鷹は手を振り続けた。
馬車は森の中を走る。
感傷的な空気になってそのまま少しの間、二人は無言だったが、鷹之助が突然口を開いた。
「なあ、俺の名前の事なんだが。」
峰鷹は窓の外に向いていた視線を鷹之助に向ける。
「名前がどうかしたのか。」
鷹之助は頷いた。
「言い忘れていたんだが、俺の将軍としての名前は聞いたことはあるか。」
峰鷹は記憶を捻り出そうとする。
「あー、たしか時雨葉とかは聞いた気がする。」
「ああ、それは姓だな。」
鷹之助は言った。
「俺の将軍としての名は、時雨葉鷹清照というんだ。鷹之助は幼名だ。」
幼名って、何だっただろうか。現代でも聞いたことはある気がしないでもない。
峰鷹は混乱する。
鷹之助は続けた。
「何というか、峰鷹は記憶が無い様だから知らないのだろうが‥‥。一般的に、貴族や名のある武士、将軍は名前を二つ持っていることが多い。幼名は真名と呼ばれ、人には知られない様にする。」
鷹之助は湖で、随分あっさりと峰鷹にその名前を教えたので、峰鷹は全くそんな風には思わなかった。
あんなに簡単に自分に教えてよかったのか、と峰鷹は心配になる。
「理由は、真名は呪いなどの類に利用される可能性があるからだ。」
峰鷹は呪いという言葉に酷く驚いた。
「呪いなんてもの、本当に存在するのか。」
鷹之助の目に、暗い色が差した。
「信じない者もいるが、実際そういった事のできる人間がこの世には存在する。」
ぞわりと悪寒が走ると共に、これは峰鷹がこの世界に来てしまった理由も関係があるのではないかと峰鷹は思った。
鷹之助は窓の外に視線を移す。
「これから屋敷に帰ったら、あの村よりは敵の目も増える。今までの様に二人になる事があったとしても、屋外であれば鷹之助と呼ぶことは控えて欲しいんだ。」
鷹之助は真剣な眼差しだ。だが峰鷹は渋い顔をしてしまう。
それは、最初の頃の様に「お前」とか「あんた」とかで呼ぶということか。将軍様をそんな風に呼ぶのをもし人に見られたら、逆に峰鷹の命に関わるのだが。
峰鷹は少し考えて‥‥良い案を思いついた。
「分かった。ならこれからは、二人の時には鷹ちゃんと呼ぶことにするよ。」
「ちゃん‥‥。」
鷹之助は唖然としている。
駄目だろうか。鷹という漢字は将軍の名前の方にもあるし、お前とかに比べればまだ良い方だと思うのだが。
「鷹ちゃん‥‥。」
鷹之助はまだぶつぶつ言っていたが、取り敢えずの呼び方は決定した。
ふと窓の方を見ると、外が全く違う景色になっている。
「わ、町だ。」
鷹之助も同じ窓を覗く。
「俺の領地の町だよ。ここは主に庶民が暮らしていて、奥に行くにつれて武家が並び、その武家に囲まれる様にして将軍の屋敷がある。」
鷹之助の領地。この町がこの人一人の領地だなんて、本当に全く違う世界へ来てしまった。
町には日本家屋が並び、町の人々は全員和装だ。
歴史の教科書にある昔の日本を描いたイラストにはあんなに懐かしさを覚えていたのに、いざ同じ様な世界に来ると、ああ、違う世界に来たんだと強く感じた。
だんだんと並ぶ家の一つ一つが大きくなっていく。
「武士街に入ったな。」
鷹之助が言った。
もうすぐ屋敷に着くのか。
正直、将軍の屋敷事情なんて知らないし、この世界の常識もあまり分かっていない。
峰鷹は上手くやっていけるだろうか。町並みは鳥守ノ村と全然違っている。屋敷にいる人間は殆どが貴族や武家の者なのだろう。暮らしも人もガラッと変わって、馴染むのには時間がかかるかもしれない。
峰鷹がそんなことを考えていると、鷹之助が声を上げた。
「屋敷が見えてきたぞ。」
峰鷹は目を見張った。
「え‥。」
これが、屋敷。
これまで町で見た日本家屋が五つくっついた様な大きさの屋敷があり、庭はさらにその屋敷の三倍はある。
将軍の屋敷、やばすぎるだろう。
峰鷹がぽかんとしていると、馬車が屋敷の前に止まり、扉が開かれた。
鷹之助は先に地面に降り立つ。後ろで前髪ごと一つに結ばれた髪が、風に大きく揺れた。
鷹之助は手を差し出す。
「では、行こうか。」
峰鷹はその手を取った。
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