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第一章 現れた天才射手

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 翌日、峰鷹と鷹臣は山を降りた。子供達の熱烈なお迎えを受け、宿の皆に挨拶をして獲物を全て引き渡すと、峰鷹はやっと自分の部屋へ帰って来た。
 戸を開くとたたみには既に布団が敷いてある。普段は洗濯が終わった布団は自分で敷くのだが、気を遣ってやってくれたんだろう。
 峰鷹は布団の上に倒れ込む。大の字になって、この山籠りを振り返った。
 かなり色々な技に挑戦したり無茶振りをしたりもしたのだが、振り返ると思い出すのはあの青年のことばかりだ。
「そうだ、名前を聞き忘れた。」
 あの太々しい美丈夫の名前は何と言うのだろうか。出会って二時間ほどしか一緒に居なかったのに、出来事が濃すぎて最後の方はもう旧知の中のようなやり取りになっていた。
 峰鷹は、あの最初に会った時の、水に濡れて太陽を浴びた笑顔を思い出した。
「ふっ‥‥。」
 何故だか顔がニヤつく。
 腰窓こしまど障子しょうじの戸が少し開いていて、入ってくる風が心地いい。 
 そのままうとうとしてきて、峰鷹はそれにあらがわず眠りについた。
 それから暫く経った頃。
「う‥‥ん‥‥。」
 ゆっくりと意識が覚醒していく。峰鷹は目が半分開いた状態で、障子の隙間から外を見た。まだ日が高い。
 大分だいぶゆったりとした動きで起き上がる。身体の下で布団がぐしゃぐしゃになっていた。峰鷹は乱れた小袖こそでの襟を直す。
 立ち上がって廊下に顔を出す。宿の中には人の声一つ聞こえない。食事時しょくじどきは人の出たり入ったりが激しいので騒がしいが、それ以外の時間は静かなことが多いのだ。
 峰鷹は特に何も考えずに廊下に顔を出したが、ふと、湖に行こうと思い立った。
 別にあの人にもう一度会いたいとかではなく、ただ峰鷹は帰る方法を求めているだけだ。
 そう頭の中で繰り返しながら、峰鷹は竹皮草履たけかわぞうりを足に引っ掛けた。
 宿を出て、のんびりと補正されていない道を歩く。草履越しに道の凹凸を感じるのが、峰鷹は地味に好きだったりする。
 村は今日も騒がしい。どの店も張り切っているようで、人々の話し声が飛び交っている。
 外に出てみると思っていたより日差しが強く、部屋にいた時は吹いていたはずの風を余り感じない。
 森に入ると、一気に空気が涼しくなった。
 湖までの道を手慣れた様子で歩き、あっという間にその場所へ辿り着いた。
 水面みなもは今日も陽を浴びて輝いている。
 開けた場所へ足を踏み出した瞬間、足首だけ湖に入った、あの青年と目が合った。
 「あ。」という声が重なって、二人は笑顔をなった。
「あんたも来てたのか。」
 青年は親指を少し離れた木の方へ向けた。そこには昨日あの男たちを乗せた荷車が置かれている。
「ああ。あれを返そうと思ってな。だが名前も聞いていなかったから、お前が誰なのか分からなかった。時々ここに来ると言っていたから、次に来た時に見つけられれば良いと思って置きに来たんだ。」
 そうだった。すっかり忘れていた。
 口にはしなかったが、顔を出ていたんだろう。青年は呆れた顔をした。
「おいおい。まさか忘れていたのか。」
 この男の喋り方はなかなかに煽りっぽい。峰鷹は草履を脱ぎ捨てて水辺へ行き、青年に向かって水を蹴り飛ばした。
「うお!危ねえ。」
 青年は余裕で避けた。そんな気はしていたが。
「また会えたんだから、いいだろう。」
 二人は日陰に移動した。
「あの男たちはどうなったんだ。」
 峰鷹は気になっていた事を聞いた。
「警備の者に引き渡し、事情は話した。然るべき処置がされるだろう。」
 きっと将軍様が居るこの時に事件を起こした事で、罪の度合いは跳ね上がるのだろう。
「そうかぁ。」
 今度は青年が疑問を口にした。
「お前は猟師だと言っていたが、人間と戦ったこともあるのか。かなり手慣れた様子だった。」
 峰鷹は両手を頭の後ろで組み、特に何も考えずに答えた。
「ないよ。だが、長距離戦に有利な武器を持たず我武者羅がむしゃらに向かってくる人間は、野生動物と然程さほど変わらない。」
「‥‥。」
 青年は無言で峰鷹を見てくる。
 何だその目は。別に間違った事を言ったつもりはないぞ。
 それから二人は、何となく湖を眺めていた。昨日ここで襲撃されたとは思えない程、穏やかな空気が流れている。
 日陰にいると、部屋で感じていた風が確かに感じられた。
 青年が、思いついたように口にした。
「なあ、名は何と言う。」
 峰鷹はこの一ヶ月を思い返して、最近よく自己紹介をするなあと小さく笑った。
峰鷹みねたか。あんたは何と言うんだ。」
 峰鷹がそう聞くと、青年は何故か迷っている様な素振そぶりを見せる。
 名前を聞かれて迷うことなど有るのか。まさか峰鷹を信用できないと考えているのか。自分は聞いておいて。
 峰鷹が怪しむ視線を向け始めた頃、青年は覚悟を決めた様な顔で峰鷹の方を向いた。
「俺は、鷹之助たかのすけという。漢字は、鳥の方だ。」
「鷹‥‥。」
 最近、名前に鷹が付く人間に出会う確率がやばすぎる。この村の人間が鳥関係の名前を村長に授かるのは分かるとして、この人まで。
 峰鷹が渋い顔をしていることは知らずに、鷹之助は口を開く。
「もうかなり昔の話だが、実は、俺の先祖はこの村の出身だったらしいんだ。」
 峰鷹は、え、と顔を上げた。
「それでうちの家系は、今でも生まれた子に鳥の漢字が入った名を名付けている。」
 思っていたより伝統的な理由だった。
 そうだったのかと納得すると、同じ漢字を持っていることが、じわじわと嬉しく感じてきた。
「何をニヤついている。」
「別にニヤついていない。」
「かなり腑抜けた顔をしているぞ。」
「ふぬっ‥‥。」
 聞き捨てならない、と峰鷹は鷹之助を睨みつけるが、鷹之助は気にせず荷車の方へ歩き出した。
 何かよく分からないが峰鷹は鷹之助を目で追うのはやめ、木の枝に巣を作っている小鳥を眺める。
 丸っこい鳥だなと考えていると、鷹之助が隣へ座った。手には膨らんだ紙袋を持っていて、袋の口は折り畳まれて閉じている。
 峰鷹は、どこかで見たことがある、とその紙袋を見つめる。
「あっ、雲風の家紋だ。」
 それは昨日峰鷹がおすすめだと教えた餅屋の紙袋だった。
「気になったから買ってみたんだ。」
 鷹之助は中から小さな紙に包まれた芋餅を取り出して、峰鷹に差し出した。
「食べるか。」
「やった!」
 峰鷹は有り難く頂いた。
 峰鷹がおいしいおいしいと言って芋餅を食べるのを、鷹之助はじっと見つめている。
「食べないのか。」
 峰鷹が聞くと、鷹之助ははっとした。
「いや、食べるよ。食べる食べる。」
 なんでこんなに不審な挙動なんだと思いながら、峰鷹は食べるのを再開する。
 鷹之助も芋餅を食べ、その目が輝いた。
「美味いな。」
「そうだろ。」
 二人で居るとあっという間に時間は過ぎていく。腕時計なんて物がないこの世界では、大時計が設置されているところに行くか、太陽の位置を見ることで何となく時間を把握しているのだ。
 もうそろそろ空が朱くなる頃だ。
 空を見て、峰鷹が何となくそう考えていると、鷹之助が突然立ち上がった。
「大変だ。この後用事がある事を思い出した。」
 峰鷹も立ち上がる。
「なら急がないと。」
「荷車の片付けを頼んでもいいか。」
 鷹之助は荷車の方を向く。峰鷹は頷いた。
「勿論。最初からそのつもりだった。」
「ありがとう。」
 鷹之助は走って山を下っていった。
 その背中が見えなくなると峰鷹は荷車を引いて、小屋に向かった。
 











 空があかい。少し見えにくくなった足場の悪い道を乗り越えて、小屋の裏に荷車を置く。
 そろそろ宿に戻るか、と峰鷹が考えていると、遠くから声が聞こえて来た。
「みーねーたーかー!」
 子供達の声だ。峰鷹は声のする方へ走った。
「あ!峰鷹!」
 最初に目が合った燕芽が声を上げる。子供達は思っていたより小屋の近くまで来ていた。
 斑鳩も声を上げる。
「帰るのが遅い。今日は狩は無いはずなのにって、母ちゃんが心配してたぞ。」
 鷹嶺が付け加える。
「それでうちの父さんが、村に居ないなら小屋か湖だろうって教えてくれたんだ。今度はちゃんと鳥笛も持たされて、お使いって感じで来た。」
「そうか。ありがとうな。」 
 鷹嶺の頭を撫でる。
 本当に鷹嶺の言葉のお陰で、峰鷹はいつも子供達の状況把握に助かっている。
 鷹嶺はちょっと誇らしげだ。可愛い。
 四人は山を下り出した。子供達に引っ張られ、いつもと違う道を歩くと、途中で川を見つけた。
「川だぁー!」
 燕芽がはしゃぐ。
「夕暮れの川は危ないから、絶対に近づくなよ。」
 鷹嶺は近くに生えている笹を指差した。
「僕、笹舟を作ってみたいんだ。峰鷹は笹舟の作り方、知ってるの。」
 鷹嶺が聞いてきた。峰鷹は子供の頃を思い出そうとする。
「あー、ずこくおぼろげだけれど、何となくならね。」
 鷹嶺はきらきらした目で見つめてくる。
「今度教えて!」
「わ‥‥かった。今度な。」
 村で笹舟の作り方が分かる人はいないか聞いてみよう。
 斑鳩も話し出す。
「本当にこれで呼んだら、でっかい鳥の大群が現れんのかな。」
 斑鳩は首から下げた鳥笛をつまんで見つめている。
「呼ぶって、それは鳥を追い払う的な道具なんじゃないのか。」
 峰鷹は聞く。斑鳩はわくわくした様な顔で峰鷹を見上げる。
「使い方次第だって、母ちゃんは言ってた。」
 本当マジかよ。
 峰鷹は遠い目を空へ向けた。
「今だけは、絶対呼ぶなよ。」
 斑鳩は不思議そうな顔をする。
「そもそも俺、呼び方知らないよ。」
 峰鷹はどうにか子供達をまとめながら、順調に山を下っていった。
「あ、そういえば。」
 燕芽が何かを思い出したらしい。
「どうかしたか。」
 峰鷹は聞く。
「さっき、将軍様が山を下りていくのをみたよ!」
 峰鷹は固まった。将軍様が山に。山は静かだったし、全くそんな気配はしなかったが。
「それは、たくさんの人を連れて、ぞろぞろ歩いていたってことなのか。」
 斑鳩が首を振る。
「んーん。なんか一人で走ってたぞ。」
 鷹嶺も続ける。
「なんか、格好もやけに庶民っぽかった。」
 峰鷹は先程、庶民的な格好で山を駆け下りた人物を一人知っている。
「まさか、な。」
 そんな筈はないか、と考えて、峰鷹は言う。
「気のせいじゃないか。」
 子供達は口を尖らせる。
「えー、だって見たのにー。」
 燕芽は不貞腐れた顔で言った。
 空はすっかり暗くなっていた。






 


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