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第一章 現れた天才射手

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 「よし、これから二時間は休憩にしよう。やり過ぎも身体に良くないからな。」
 鷹臣が森の中、少し離れたところから大声で峰鷹に声をかけた。
「はーい。」
 峰鷹は返事をして、回収して手に持っている矢を小屋に置きに行く為に歩き出す。
「あ、そうだ。鷹臣さん!俺、さっき泥だらけの水溜まりに弓を落としてしまったので、それを洗い流すついでに湖で一休みして来ます。」
 鷹臣は「分かった!」と返事をして、小屋の中に入って行った。
 峰鷹は小屋の前にあるたるに回収した矢を差し入れ、弓を持って湖に向かって歩き出した。
 向かっている湖は、峰鷹が最初に目覚めたあの湖である。峰鷹はここの暮らしも好きだし馴染んできてはいるが、元の世界にも暮らしがあるし、帰る方法はないかと時々この湖を見に来ているのだ。
 昨日村を見たあの岩場を通り過ぎる。今日もまだ村の様子は騒がしい。
 今日でこの山籠りも終わりなので、明日は村の様子を直接見る事が出来る。噂の若将軍も見られるだろうか。昨日あんな話を聞いたので、実際どんな人なのか、峰鷹は会って見たくなっていた。
 湖に辿り着く。木の開けている場所へ来ると、今日の日差しがいっぱいに降りかかってくる。
 峰鷹は浅瀬で軽く弓の泥を流すと、近くの木の下に置いた。そしてその木の下で狩の時に着る服たちを脱ぎ、適当に丸める。
 よく着物の下に着る長襦袢ながじばんだけになった峰鷹は、人が居ないか軽く辺りを見渡す。
「よし。」
 そのまま湖に向かって走り出す。風が頬に擦れるのが、自然を感じて心地いい。裸足にちくちくする草は、ずっと陽を浴びていたからか暖かい。
 峰鷹は全力で走って、水が太腿辺りまで来る深さのところへ飛び込んだ。
 ばしゃん!
「おわぁ!」
 水の跳ねる音と同時に、男の驚くような声が聞こえた。
 予想外の声に峰鷹は焦って顔を上げる。
「あ、こんにちは。今日はいい天気ですね~。」
 なんだか呑気な声がした方へ体を向ける。
 峰鷹が荷物を置いたところから約十五メートル離れた木の根元に、峰鷹より二つ三つくらい年上の綺麗な青年が横たわっていた。背中程までの長さがある黒髪は後ろで結われていて地面に垂れている。
 痩せすぎず筋肉がついていて、横になっていても身体の線が綺麗なのが分かった。美しい顔をしているがどこか勇ましく、現代のイケメンよりは、男前おとこまえという言葉がしっくりくる。
 荷物からは少し離れているが峰鷹が飛び込んだところからは近く、顔に少し水が掛かっている。
 飛び込んだ時に顔に掛かってしまったのだろう。
 峰鷹は慌てて湖から上がろうと動き出した。
「すみません!顔に水が——」
「これくらいなんて事ないよ。服には掛かっていないし。なんなら今日は暑すぎるくらいだから、俺も泳ごうかな。」
「え。」
 そう言った青年は立ち上がると、峰鷹が止める間もなく長襦袢以外の服を全て脱ぎ去り、今まで寝ていた木の根元に畳んで置いた。
 青年がたたっと峰鷹がいるところへ走って来る。身長は百七十五センチの峰鷹より数センチ高い。
 青年は峰鷹の近くまで来ると、後ろ向きに水の中に倒れた。
 ばしゃん!
 今度は峰鷹に水が掛かった。
 青年が倒れた所から、ぶくぶくと泡が登ってくる。どんどん量が減って、全て出し切ったらしい青年は湖から顔を出した。
「ぷはっ、けほけほっ‥‥」
 そして、元から水は浴びていたが今ので更に水に濡れた峰鷹を見て、
「これでおあいこだろう。」
 そう言って笑った。
 それが峰鷹には、今まで見たどんな笑顔よりも輝いて見えた。水に濡れて太陽の光で艶めく黒髪を見て、同じ黒髪でも、今の自分の髪はこんなに美しくはあるまいと思う。
 その青年を見ていると、峰鷹は何故だか無性に笑いが込み上げて来た。
「ぷっ‥‥、あははっ。」
 青年は不思議そうな顔で峰鷹を見ている。
「すみません。まさかそう来るとは思わなくて。」
 峰鷹が笑顔でそう返すと、青年は呆けたように峰鷹を見つめたまま言う。
「いや、実は、今のは計画的にやった訳では無いんだ。水から上がった時に思いついて‥‥。」
 お互いの顔を数秒見つめて、何だか可笑しくなって、二人同時に笑い出した。
 湖の水に、二人の影が揺れていた。













 少し泳いで、二人はすぐに陸に上がった。
 今度は長襦袢を木の枝にかけて干し、それ以外のものを身につける。長襦袢を乾かす間、二人は先程青年が寝ていた方の木の根元に座って話をした。
 峰鷹が自分の荷物のあるところの木に長襦袢を干し、青年のそばに来てその木の根元に腰掛けると、青年が口を開く。
「そういや、見ない顔だな。この湖にはよく来るのか。」
 それはこちらの台詞せりふなんだが。峰鷹はそう思いながら、応える。
「この湖には時々来ているよ。俺はこの村の猟師なんだ。まあ、まだ見習いみたいなもんで、教わりながらやっている感じだけれど。」
 先程湖で敬語は無しにしようと言われたので、峰鷹は敬語を外している。
 青年は驚いた顔をしていて、峰鷹は、綺麗な人はどんな顔でも絵になるなと考えながら続ける。
「今は山籠りで修行をしていて、もう三日山を下りていない。あなたはその三日間の内にこの村に来たんじゃないか。」
「山に籠って修行とは、凄いな。確かに俺は三日前にこの村へ来たばかりだよ。」
 今度は峰鷹が疑問を口にする。
「あなたこそ何者なんだ。旅の人なのか。それとも将軍様が来るという話を聞いて駆けつけて来たのか。」
「どちらかと言うと、後者かな。」
「どちらかと言うと‥‥。」
「いや、まあ、旅の人では無いよ。確かに将軍とやらと同時に駆けつけて来はしたが、元から用事があってこの村に来たんだ。」
 仕事関係で来たか、この村に親族でも居るんだろう。峰鷹はそう考えた。
 そうやって話をして、一時間ほど経った頃。
「そうだ。折角せっかくこの村に来ているんなら、おすすめの店があるんだ。」
 峰鷹がそう言うと、青年の目に興味の光が走った。
「ほう。何の店だ。」
「お餅を売っている店なんだけれど、そこの芋餅いももちは絶品だよ。『雲風くもかぜ』と言う店だ。」
「雲風か。店名は聞いた事が——」
 青年がそう話している時だった。
「おい!居たぞ!湖の方だ!」
 森の中から男の怒号が響いて来た。
 峰鷹は眉間に皺を寄せる。
「なんだ、今声が‥‥」
 青年の方を向くと、彼は険しい顔で森の方を見ていた。
 峰鷹もつられて黙り、じっと森の方を見る。
 だだっと走る音が聞こえ、ガサっと草を掻き分けて、図体のでかい男が二十メートル程先に飛び出して来た。肩から縄を下げており、手には鋭利な小刀こがたなが太陽を反射して輝いている。
 何も考える間もなく、もう一人の男も現れた。こちらは相方よりは背が低いが、筋肉はこの男の方がありそうだ。右手にはやりを構えている。
「捕えるぞ!」
「おう!」
 男二人は峰鷹たちがいる方へ向かって走る。
「あいつさえ捕まえられりゃいいんだ。そこの男はやっちまってもいいよなぁ。」
「構わない。」
 何やら物騒なやり取りをしている。
 余りにも急な出来事に峰鷹が呆然としていると、槍男がその手に持っている槍を、峰鷹に向かって投げて来た。 
 ヒュッと風を切る音。
 あ、やばい。
 そう思った時にはもう間に合いそうにない。
 だが、突然襟首えりくびを引っ掴まれて峰鷹は地面に引き倒された。
「ぐえっ‥。」
 どっ、と槍は木の幹の、峰鷹の頭があった位置に突き刺さった。
 正に間一髪だ。
 峰鷹を引き倒した青年は、そのまま今度は襟を持ち上げて峰鷹を立たせた。
 襟を離して大声で言う。
「走れ!」
 嘘だろ!
 二人は森の中を走った。時々後ろを振り返りながら何とかいて、茂みに縮まって隠れる。
 峰鷹は最小限の音量で声を張り上げた。
「なんだよあれ!俺、本当に殺されそうだったぞ。」
 青年は渋い顔をしている。
「すまない。あいつらの狙いは多分俺だ。」
「狙いって、お前、盗みでも働いたのか。」
「そんなことしてねえよ。」
 あの変な男たちも見覚えは無かった。青年も最近この村に来たばかりだと言っていた。まさか、
「まさか、あの男たちはお前を追ってこの村まで来たとか言わないよな。」
「状況的に考えると、多分そうだ。」
 この男は何故そう簡単に自分が狙われているこの状況を受け入れられるのだ。結構本気で狙われているじゃ無いか。
 峰鷹は、湖を取り囲む木の根元に弓を置いて来たことを思い出した。
「なあ、俺さ‥」
「くそっあいつら何処に消えやがった!」
 敵の声が聞こえて、峰鷹は慌てて口をつぐむ。
「そう離れてはいない筈だ。手分けして探すぞ。」
 身体がでかい方がそう言って、二人は別れて青年らを探し出した。
 少し離れたところに敵が行ったところで、峰鷹は続きを話し出す。
「俺に考えがある。必要なものをとってくるから、ここで少し待っていてくれ。」
「は、何を‥」
「いいから。」
 峰鷹は止めようと手を伸ばす青年を茂みに押し込み、地面を這って湖に向かった。
 敵に見つからないように最大限気を付けたので、青年のところに戻るまでに思ったより時間が掛かってしまった。
「おい、少しだと言っただろう。」
「悪かったって。これを取りに行ったんだ。」
 峰鷹は青年の前に弓を置いた。
「これは、弓か。」
「ああ。」
 峰鷹はふところから小刀を取り出しながら適当に応える。弓を取りに行った時に拾って来た、手頃な大きさの石と丁度いい太さの枝も懐から出す。
「お前の懐は森への入り口か何かなのか。」
「うるさい。」
 青年は腑に落ちない顔で口を閉じた。
 峰鷹は小刀をさやから抜くと、木の枝の先を削り出した。
 急いではいるが丁寧に先を尖らせていく。一本目が終わったら二本目も削り、合計で四本削った。
 終わる頃には青年もその使い道を察したらしく、興味深く手元を見ていた。
「敵は二手に分かれた。上手くやれば抑えることはできると思う。」
 峰鷹はそう言って、弓を持ち立ち上がった。青年は言う。
「俺は何をすれば良い。」
「少し離れたところで見ていて欲しい。どうしても俺がやられそうだってなったら、石でも投げてくれ。」
「‥分かった。」
 そうして、二人はひっそりと歩き、敵を探した。
「っ‥いたぞ。」
 青年が後ろから声をかけて来た。
 青年が見ている方には、図体のでかい方がいた。
「よし、そこの茂みに隠れててくれ。」
 峰鷹は木の影に立ち、先程削った枝につけた窪みに弓を挟む。敵が後ろを向いている内に狙いを定め、放った。
 どっ。
「ぐあ‥‥!」
 狙い通り、肩に命中した。
「どこだ!」
 敵は当たりを見回す。
 峰鷹はもう一本も同じようにして構え、敵がこちらを向いた瞬間に狙いを定め、放った。
 どっ。
「ぐっ‥!」
 敵は避けるのが間に合わなかった。避けようと動くことをある程度予想して狙ったので、狙い通り太腿に突き刺さっていた。
「お前かあああ!」
 小刀の先をこちらに向けて持ち、男は峰鷹に向かって走り出した。
 茂みに隠れていた青年は思わず飛び出しそうになったが、峰鷹の顔を見て、動きを止める。
 見れば分かった。あいつは少しも動揺していない。
 敵が刀をこちらに向けて走って来ているのに、峰鷹は一歩も後退りなどしない。
 峰鷹は拾ったいい感じに窪みがある石をつるに合わせた。構え、弓を引く。
 敵はどんどん近づいてきて、狙う的は大きくなる。
 峰鷹は放った。
 ゴッ。
 うお、痛い音がしたな、と青年は思った。
 石は敵の頭に命中し、敵は地面に伏している。
「生きているよな。」
 青年が男を見下ろす。
「大丈夫、生きてる筈だ。それにどちらにしても正当防衛だから。」
 青年はじっと峰鷹を見てくる。
 何だよ、正当防衛だろ。俺は殺されかけたんだから。
 峰鷹と青年は急いで、男の肩に掛かっていた縄でその男を縛った。
 それでもまだ縄はもう一人分くらいはあったので切り、男を茂みに転がして隠し、もう一人の敵を探しに二人は歩き出した。
 もう一人の男はすぐに見つかった。
 峰鷹は同じように二本の枝をそれぞれ肩と太腿に当て、最後に石を頭にぶつけた。
 二人はその男も無事に縛り終え、男たちを地面に転がして一息つく。
「こいつら、重すぎる。」
 青年が言う。
 峰鷹は、山籠りの小屋から木製の荷車を持ってくることにした。
「必要なものを持ってくるから、少し待っていてくれ。」
 青年はごろりと地面に寝転がった。
「少し、な。」
 本当に太々ふてぶてしい男だ。その態度のせいで恨みを買ったのではないか。
「はいはい。」
 峰鷹は小走りで小屋へ戻った。ちらりと戸を引いて中を見ると、鷹臣はまだ眠っているらしかった。
 峰鷹は小屋の後ろに回った。木板で屋根だけ作られたところがあり、そこにも色々な道具が置いてある。
 峰鷹は荷車を見つけると、それを押しながら急いで青年のところに戻った。
「おお、立派なもんだな。」
 青年はじっくりと荷車を観察し始めるが、峰鷹にはそんな時間はない。
 忘れていたが、約束の二時間までもう時間がないのだ。
 峰鷹は男たちを荷車に積んでいく。
「俺は山修行中だから、明日まで山を降りられないんだ。悪いけど、一人で村までこいつらを運んでくれ。」
 青年は顔をしかめる。
「明日は筋肉痛が確定だな。」
 峰鷹は改めて目の前の男を見る。均等のとれた体は、見た目よりも筋肉がしっかり付いている。
「筋肉ありそうだし、何とかなるだろ。」
「いやいや、こんな筋肉だるまの男二人は流石にきついぞ。」
 この美形の口から筋肉だるまなんて言葉が出たことの違和感が凄い。
 峰鷹は青年の手に荷車の引き手を片方握らせた。
かく、時間が無いんだ。後は頼むぞ。」
 峰鷹はそう言って青年の背中を軽く叩いた。
「分かった‥。」
 青年が歩き出す。
 ああ言っていたが荷車を引いて歩く姿は安定していて、これなら大丈夫そうだと峰鷹は思った。
 その背中が見えなくなるまで見送って、峰鷹も小屋に向かって歩き出した。

 

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