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幼くあどけない少年が一人、危険な森を裸で彷徨っていた。
ふくふくとした丸い頬は血色が悪く、何も身に着けてない少年の薄い皮膚に包まれた柔らかな白い手足は、所々擦り切れて血がにじんでしまっている。
保護者はどこにいるのか。
何か事件に巻き込まれたのではないか。
まともな人間がその異様な様子を目にすれば、眉を顰めてそう思っただろう。
ピチチチッと甲高い声で鳴く鳥の姿を悲しげに見上げた少年――ハァルは、ゼェゼェと乱れた呼吸を整えるべく立ち止まった。
飛べる鳥が羨ましいな……。
靴さえも履いていないハァルの足裏は細かい傷がたくさんついていて、ズキズキと鈍い痛みをうったえている。慣れない野外生活は生白く軟弱な身体を容赦なく痛めつけていた。
ヨロヨロと頼りなく歩く姿は今にも死んでしまいそうに弱々しく、憐れを誘う。
あとちょっとだ。よし、頑張るぞ。
ハァルは不自由な身体に鞭打つように必死に足を動かしていた。
彼は現在ねぐらにしている洞窟から水場に向かっている最中である。
いつでも最適解を出してくれる自分の直感――彼自身はそれを本能と呼んでいる――に従い見つけた洞窟は、最近までそこを縄張りとしていた強い獣の気配が色濃く残っていて、少し獣臭がするけれどハァルにとってこの上なく安全な場所であった。
その洞窟と近くで見つけた水場を往復することは、彼にとって大事な生命線と言える。
もともと普通に歩くことさえほとんどしていなかったハァルにとって、十分キツイ道のりだが、洞窟でジッと死ぬのを待つことなど出来ない。
飲み水の確保は朝一でやっておかないと雑菌が怖いし……。
雑菌とは何か、知らない者がほとんどの世の中で、ハァルのその知識は、物心ついた時から勝手にわき出て来るものだった。
ハァルの言葉が聞き取りづらいと、話すことさえも制限していた周囲の者達には聞く機会などなかったが、その知識は多岐に渡る。
野外活動をよくする冒険者などはよく知っているのだろうが、肩から斜めがけしている水筒は、水源の近くに生えている水を良く吸う植物の茎の大きな空洞部分を利用して作ったものだ。
それ以外にも自分の生活圏から十分離れた場所で糞尿の処理を適切にするのも、毎日身体を清潔に保つのも、疫病を寄せ付けない為の知恵であるが、村人の中でそんなことを知る者は一人もいない。
王都で学校に通う一部の者たちしか知らないような知識も、古くからの経験に基づいた細かな工夫や知恵も、ハァルは誰に教わることなく最初から知っていたが、異質なその知識は幸か不幸か誰にも気づかれることはなかったのだ。
ああ、やっと辿り着いた。
そこは周りを青々とした苔に囲まれた水場で、今日も綺麗な水がこんこんと湧いている。
苔が生えているのは毒性が無い証拠。うん、素晴らしい。
脳内で塩素濃度がどうこうとか、この水は硬水だとか、いつもの知識がわいて来るが今はそれを無視してしまう。
今最優先ですることは、この美しい水の音に耳を傾け、その煌めきに見惚れながらありがたく水を汲み上げ、身体を清めることなのだ。
冷たい水に体は震えるが、生きている実感を一番強く得られるこの瞬間は嫌いではない。
そろそろ、移動しなきゃ……何かがここに向かっているみたい。
いつも通り近づいてくる危険を察知したハァルは静かに水辺を離れ、そのまま本能の指し示す方向にゆっくりと足を進める。甘い水分を含んだ野草が群生しているのをみつけて笑みを零すと、嬉しそうにそれを折り取り口に含んだ。
この甘みの中にはビタミンやミネラルなどの栄養素が豊富に含まれていて、その成分は――。
脳内で知識を垂れ流しながら、手と口は止まらず自然な甘みを摂取するのを繰り返す。これは栄養素がうんぬんというよりも甘いもの好きなハァルの数少ない楽しみの一つであった。
はぁ、おいしかった。今日はここまでかな……。
採りすぎることのないよう、もっと口に入れたいのを我慢して途中で引き上げることにする。
時間の猶予がそれほどないことをピリピリとした空気から察しているハァルは、熱を加えなくても食べられる木の実やキノコを黙々と採取しながら、ねぐらである洞窟を出来る限り足早に目指す。
ようやく辿り着いた安全な洞窟にホッと安堵の息を吐き出したハァルは、本能に追い立てられるまま洞窟の奥深くに潜り込んだ。
おいしい……けど、温かいスープが飲みたいな……。
安全だが薄暗く少し寒いねぐらで、採れたての食料を口にしながら温かな食事を思い出してしまう。
心が弱ると、それと共にジクジクと痛む足の傷や肌寒さが辛くて辛くて、どうしようもなくなってくる。
そうすると思い出さないようにしていた記憶が蘇って来て、ハァルは目を潤ませた。
数日前、この森に捨てられた時のことを思うと、心までもがギリギリと痛みを訴えはじめる。
「……っ」
もう声を出すなと言う人たちはいないのに、それでも声が出ない自分が惨めで、そんな人たちと暮らしていた時の記憶にさえ縋ってしまいそうな自分が憐れでしょうがない。
このままでは、きっと寂しさが原因で僕は死んでしまう……。
薄暗い洞窟の中一人悲しみを噛み締めながら、ハァルは胸を押さえてうずくまった。
ふくふくとした丸い頬は血色が悪く、何も身に着けてない少年の薄い皮膚に包まれた柔らかな白い手足は、所々擦り切れて血がにじんでしまっている。
保護者はどこにいるのか。
何か事件に巻き込まれたのではないか。
まともな人間がその異様な様子を目にすれば、眉を顰めてそう思っただろう。
ピチチチッと甲高い声で鳴く鳥の姿を悲しげに見上げた少年――ハァルは、ゼェゼェと乱れた呼吸を整えるべく立ち止まった。
飛べる鳥が羨ましいな……。
靴さえも履いていないハァルの足裏は細かい傷がたくさんついていて、ズキズキと鈍い痛みをうったえている。慣れない野外生活は生白く軟弱な身体を容赦なく痛めつけていた。
ヨロヨロと頼りなく歩く姿は今にも死んでしまいそうに弱々しく、憐れを誘う。
あとちょっとだ。よし、頑張るぞ。
ハァルは不自由な身体に鞭打つように必死に足を動かしていた。
彼は現在ねぐらにしている洞窟から水場に向かっている最中である。
いつでも最適解を出してくれる自分の直感――彼自身はそれを本能と呼んでいる――に従い見つけた洞窟は、最近までそこを縄張りとしていた強い獣の気配が色濃く残っていて、少し獣臭がするけれどハァルにとってこの上なく安全な場所であった。
その洞窟と近くで見つけた水場を往復することは、彼にとって大事な生命線と言える。
もともと普通に歩くことさえほとんどしていなかったハァルにとって、十分キツイ道のりだが、洞窟でジッと死ぬのを待つことなど出来ない。
飲み水の確保は朝一でやっておかないと雑菌が怖いし……。
雑菌とは何か、知らない者がほとんどの世の中で、ハァルのその知識は、物心ついた時から勝手にわき出て来るものだった。
ハァルの言葉が聞き取りづらいと、話すことさえも制限していた周囲の者達には聞く機会などなかったが、その知識は多岐に渡る。
野外活動をよくする冒険者などはよく知っているのだろうが、肩から斜めがけしている水筒は、水源の近くに生えている水を良く吸う植物の茎の大きな空洞部分を利用して作ったものだ。
それ以外にも自分の生活圏から十分離れた場所で糞尿の処理を適切にするのも、毎日身体を清潔に保つのも、疫病を寄せ付けない為の知恵であるが、村人の中でそんなことを知る者は一人もいない。
王都で学校に通う一部の者たちしか知らないような知識も、古くからの経験に基づいた細かな工夫や知恵も、ハァルは誰に教わることなく最初から知っていたが、異質なその知識は幸か不幸か誰にも気づかれることはなかったのだ。
ああ、やっと辿り着いた。
そこは周りを青々とした苔に囲まれた水場で、今日も綺麗な水がこんこんと湧いている。
苔が生えているのは毒性が無い証拠。うん、素晴らしい。
脳内で塩素濃度がどうこうとか、この水は硬水だとか、いつもの知識がわいて来るが今はそれを無視してしまう。
今最優先ですることは、この美しい水の音に耳を傾け、その煌めきに見惚れながらありがたく水を汲み上げ、身体を清めることなのだ。
冷たい水に体は震えるが、生きている実感を一番強く得られるこの瞬間は嫌いではない。
そろそろ、移動しなきゃ……何かがここに向かっているみたい。
いつも通り近づいてくる危険を察知したハァルは静かに水辺を離れ、そのまま本能の指し示す方向にゆっくりと足を進める。甘い水分を含んだ野草が群生しているのをみつけて笑みを零すと、嬉しそうにそれを折り取り口に含んだ。
この甘みの中にはビタミンやミネラルなどの栄養素が豊富に含まれていて、その成分は――。
脳内で知識を垂れ流しながら、手と口は止まらず自然な甘みを摂取するのを繰り返す。これは栄養素がうんぬんというよりも甘いもの好きなハァルの数少ない楽しみの一つであった。
はぁ、おいしかった。今日はここまでかな……。
採りすぎることのないよう、もっと口に入れたいのを我慢して途中で引き上げることにする。
時間の猶予がそれほどないことをピリピリとした空気から察しているハァルは、熱を加えなくても食べられる木の実やキノコを黙々と採取しながら、ねぐらである洞窟を出来る限り足早に目指す。
ようやく辿り着いた安全な洞窟にホッと安堵の息を吐き出したハァルは、本能に追い立てられるまま洞窟の奥深くに潜り込んだ。
おいしい……けど、温かいスープが飲みたいな……。
安全だが薄暗く少し寒いねぐらで、採れたての食料を口にしながら温かな食事を思い出してしまう。
心が弱ると、それと共にジクジクと痛む足の傷や肌寒さが辛くて辛くて、どうしようもなくなってくる。
そうすると思い出さないようにしていた記憶が蘇って来て、ハァルは目を潤ませた。
数日前、この森に捨てられた時のことを思うと、心までもがギリギリと痛みを訴えはじめる。
「……っ」
もう声を出すなと言う人たちはいないのに、それでも声が出ない自分が惨めで、そんな人たちと暮らしていた時の記憶にさえ縋ってしまいそうな自分が憐れでしょうがない。
このままでは、きっと寂しさが原因で僕は死んでしまう……。
薄暗い洞窟の中一人悲しみを噛み締めながら、ハァルは胸を押さえてうずくまった。
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