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第11章 論告求刑公判
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9月28日、論告求刑公判が開始された。
【検察側 論告】
「検察官は、論告を行ってください」
「裁判員のみなさん、これから論告をいたします。検察官は、ここで弁護側と対立している争点について改めて審理を見直し、被告人が有罪であることを明らかにしていきたいと思います。
被告人 上田健一は、幼少期を養護施設“葵園”で過ごし、7歳で上田家に養子に迎えられました。 迎えた、養父 上田紘一は、郡上大和信金創設者を曽祖父にもち自身も支店長を務めておりました。その養父 上田紘一は、潔癖と言っていいほどの几帳面な性格でありました。その養父の厳しい躾と、養母 上田詢子の、過剰までの世話焼きを受け我が子同然に育てられました。
施設出身であることから、少年期にはいじめを受け、青年期には恋愛にも消極的にならざるをえない、望む職に就くこともできないその自身のままならない状況に長きにわたり不満を募らせておりました。
事件前の7月1日、被告人は、大学時代のサークル仲間であった高橋涼子さんを、タウン誌の取材で郡上八幡の街を案内していました。 7月2日、養父の上田紘一は、信金の行員 和田結衣さんより見合い写真を借り受けておりました。
そして7月3日、被告人は、浴室の洗い場で背中を流してくれていた養母の詢子と、自身の見合い話しで口論となり、激高した被告人は、養母の詢子を鏡に殴打し割れた鏡片を用い左頸動脈を切断し失血死に至らしめました。
養母の詢子と口論になったことは、被告人自身の供述であり、凶器となった割れた鏡片からは被告人の指紋以外は検出されておらず、被告人が養母を殺害したことに疑いの余地はありません。
更に、居間で119番通報を行っていた義父 上田紘一を、押し倒し、テーブルの上にあった包丁を用い腹部を刺し失血死させました。殺害に使用された凶器の包丁は、事件直後に被告人が座っていた足元で発見され、被告人の指紋が検出されています。
弁護人が、主張した『包丁の刃が、上を向いて落ちた』は、その包丁の落下状態を証明できる合理的な裏付けはなく、その根拠とする遺体横の床の凹みは、事件以前の生活で生じたとするのが妥当で弁護人の主張を認めることはできません。 そこへ都合よく『被害者が倒れ、刺さった』など、偶然が重なるなど到底あり得ないのです。
事件発生時の現場には、被告人と被害者以外の存在は確認されておりません。犯行に使用された割れた鏡片・包丁からは、いずれも被告人の指紋が検出されており、被告人が、この2つの凶器を用い養父母を刺したことについては疑いようもない事実であります。
被告人は、長年にわたり厳しい躾を受け、不遇な身の上に不満を募らせ殺意を抱き、我が子同然に育ててくれた養父母を刺殺したのです。養母 上田詢子の左頸動脈を的確に切断し、そして養父の刺し傷は深く、被告人の殺意を否定できるものではありません。
この2件の犯行に計画性は無いにしろ、その行為は非道と言わざるを得ません。被告人の行為は殺人罪に相当し、相当法条を適用の上、被告人を懲役15年の刑に処するのを相当と思料する。
以上」 傍聴席が、ざわめいた。
【弁護側弁論】
「弁護人、弁論をどうぞ」
「最初に、述べておきます。 検察官は、当法廷で状況証拠を並べたにすぎず、被告人の犯行と断定することはできないのです。 弁護人は、どこの家庭にもあるような些細な言い争いがきっかけで、偶発的に起こり偶然が重なり養父母が死亡したもので、被告人にその責はないと確信し無罪を求めます。
ただいまより、その理由を述べます。
被告人の葵一巳は、3歳の頃より浜松の養護施設“葵園”で育ち、上田家に迎えられるまでの4年4か月を過ごしています。そして、7歳の2003年12月25日に、上田家に養子に迎えられ長男として何不自由なく育てられました。
養父の上田紘一さんは、厳格な方で自身にも家族にも厳くされていた。そして養母の詢子さんは、妻として母としての務めを精一杯果たしていたに違いありません。事実、現場となった上田宅は、複数の証人の供述にあるよう室内は綺麗に整えられておりました。 厳しい躾と過剰なまでの世話焼きを受けていたとして、家庭内で争いがあったとはとうてい考えられません。たとえ些細なことで言い争いになったにせよ、ただそれだけで被告人が養父母を殺めるなど考えられません。
上田夫妻には、24年前 1996年12月15日に、第一子となる“健一”が誕生しましたが、その健一は、2歳8か月のときに誘拐され死亡しております。
その、誘拐というのが誠に不可解な事件でありまして、行方不明となった1999年8月3日、その日の捜索で健一君を発見することができませんでした。そして」
「裁判長!」と、検察官の纐纈が発した。
「検察官、なにか意見があるのですか」
「弁護人が、引用しようとしている誘拐事件は死亡した実子に関わる事件であり、本件とは全く関連性がなく不要な混乱を招きます」
「弁護人は、その誘拐事件が本件とどんな関連があると言うのですか」
「被告人が、関わる事件ではありませんが、被告人の、生い立ちを説明するためには必要不可欠な出来事であると考えます」
「裁判長。私は、是非、お聞きしたいと思います」と、40歳代の女性裁判員が発言した。
「では、弁護人は弁論を続けてください」
「続けます。そして翌朝、捜索が再開されようとしたそのとき、身代金1,000万円を要求する電話があり“営利誘拐事件”として発覚しました。 同日の午後、身代金の奪取に成功した犯人は、2輪車で逃走しその逃走途中対向車に衝突し死亡しました。 犯行は、地元少年の単独とされ被疑者死亡のまま書類送検されました。捜索は打ち切られ、幼い健一君は発見されることなく、2006年(平成18年)『失踪の宣言』により死亡とみなされました。
これが、実子 健一君の誘拐事件のあらましですが、犯人とされるその少年が、行方不明となったその直後の捜索に加わっていたこと、身代金を要求する電話があった時刻を鑑み、弁護人は、身代金目的の“営利誘拐”そのものがなかったと考えます」
「裁判長! 」
「弁護人は、弁論とはいえ過去の既決事件について憶測を含めず事実のみを述べるよう努めてください」
「はい。 上田紘一さんは、実の子を亡くしうつになった詢子さんを案じ、少しでも気晴らしになればと夫妻は寺社や温泉地を巡るようになりました。その旅で訪れた舘山寺のホテルで、偶然に見かけた被告人を養子に迎えたのです。
上田夫妻が、被告人を養子に迎えた経緯を、被告人が幼児期の4年4ヶ月を過ごした養護施設“葵園”の豊岡敦子さんから伺ってまいりました。
1999年8月、浜松市内のホテルで幼児を連れた30歳代の女性が病死し、警察の依頼で、その女性が連れていた幼児をお預かりしたとのことでした。母親とみられる女性の身元が不明のまま、身受け人は現れず幼児は葵園で過ごすこととなりました。その幼児を預かった日が、13日であったことから『かずみ』と名付けられたそうです。
そして4年が過ぎた夏、葵園の子供たちは、支援者の招きでホテルのプールに赴きました。 その日、偶然に舘山寺を訪れていた上田夫妻がそのホテルに滞在しており、プールで水遊びをする子供たちのなかに一巳君を見つけ、詢子さんが声を掛けたのです。
その後に、上田夫妻が葵園を訪れ一巳君と対面しております。 その頃の一巳君は、笑うことも泣くことない感情を表に出さない無口な子だったそうです」
被告人席の健一は、背を丸め視線を床に落とし廣田の話を身動きせずに聞いていた。
「上田夫妻と対面した一巳君は、後の養母となる上田詢子さんから『うちの子になってくれないかな』と声を掛けられた。 健一君、覚えていますか」
「裁判長! 意義あり! 証拠調べは終わっています。弁論の域を超えています」
「被告人は、発言しても構いませんよ、答えますか」と、遠山博章 裁判長が言った。
「被告人は、答えてください」と、江田恭子 裁判官が促した。
「覚えていません」と、健一は小さな声で答えた。
「君は、はっきり『いいよ』と笑顔で答えたそうです。そうして被告人は、その年の暮れ7歳のときに上田家に迎えられました。
迎えられた被告人の、戸籍上の名前は一巳でした。のちの被告人が10歳のときに、正式に健一に改名されています。
園部洋子さんが証言したように、上田さんご夫妻は養子に迎えた直後より、被告人を『けんいち、ケンちゃん』と呼んでいた。 実の子を亡くした夫婦が、養子として迎えた子を我が子のように思うのは至極当然のことですが、迎えた直後より実の子と同じ名前で呼び、同じ名前を付けるなど考えられないことです。
現場となった上田邸には、実子 健一の写真が1枚も飾られていなかった。そして、仏壇に位牌が置かれていなかったことを考えれば、上田夫妻は、実子の健一君がどこかで生きていると思いたかった。そう、願っていたに違いありません。
迎えたときより、実の子と同じ名前で呼んでいた。
実子 健一君の写真が、一枚も飾られていなかった。
仏壇に、実子 健一君の位牌が置かれていなかった。
養母の詢子さんは、毎日お弁当を作り、洗濯をし、季節には衣類を買い求め、歯ブラシが傷めば新しいものと交換する。入浴時には、替えの下着・パジャマを用意し背中を流す……献身的なまでの愛情を注いでいた」と、廣田は、矢継ぎ早に語った。
「やめて、ください……」と、健一は、背を丸めた体を震わせていた。
「被告人は、静粛に」
「上田さん夫妻は、被告人を我が子だと信じ育ててきたに違いありません。
養母の詢子さんは、中学のころまで被告人と入浴し、その後も、『お嫁さんが来ても背中だけは私が毎日流してあげる』と、被告人の背中を流すことを日課としていた。 事件当日も、養母の上田詢子さんは、被告人の背中を流し、そして……」
健一は、背を丸めた体を震わせていた。震えを抑えるかのように「やめてください……やめてください……」と繰り返した。
「被告人は、静粛に」
「上田夫妻は、君を、本当の健一君だと思っていた。その養母の詢子さんは、精いっぱいの愛情をあなたに注いでいたのではありませんか」
「私は、葵一巳です! 健一ではありません」
「そうではありません! 生前の養母 詢子さんは、妹の園部洋子さんに『もうすぐはっきりする』と話していました」
「……」
傍聴席がざわついた。
「裁判長! ここに、1通の封書があります。これを、参考資料として提出いたします」
桜井恵美子が、封書を左陪席の守口崇史 裁判官に手渡した。
「裁判長 意義あり! 事前申請されたものではありません!」と、検察官 纐纈が意義を申し立てた。
「弁護人、これはどのようなものですか」
「先日、被害者の妹さんである園部洋子さんから、上田家の郵便受けに書留の“不在連絡票”があったと相談されました。 その書留は、差出人の元に返送され既に破棄されておりましたので改めて送付して頂いたものです。 その封書は、開封はしていませんので、弁護人も、どのようなものか把握はしておりませんが、この法廷で開示していただければ、本事件の真相・真実が明らかになるものと考えます。 是非、この法廷で開封していただき裁判所において然るべきご判断をお願いします」
「裁判長! 弁護人の、その行為は、窃盗罪及び信書隠匿罪に相当します」
「弁護人、この封書は、違法な手段で入手したものではありませんね」
「はい。弁護人は、然るべき手続きを講じており違法性はありません」
「開封して、検討することとしましょうか」と、遠山博章 裁判長が提案した。
法廷内より、ざわめきが起きた。
「裁判長! 証拠調べは終わっています!」
「静粛に!」
守口崇史 裁判官が、封を開け書類を二人の裁判官に見せ協議した。
「これは、鑑定書ですね」
法廷内は、一層ざわめいた。
「裁判長!」
「静粛に!」
「これより、弁護人より提出された参考文を読み上げます」
「『私的 DNA型親子鑑定書』
調査依頼日 令和2年7月3日 依頼受付日 令和2年7月5日
試料A:子供、 試料B:疑父、 試料C:疑母。
検査結果、試料Aと試料Bの肯定確率99.9999パーセント。
試料Aと試料Cの肯定確率99.9999パーセント。
鑑定結果は『子供と疑父、子供と疑母は、生物学的親子関係と判定できる』
それぞれの試料は歯ブラシで、試料Aは上田健一、試料Bは上田紘一、そして試料Cが上田詢子と明記されています」と、守口崇史 裁判官が読み上げ、書面がモニターに映し出された。
法廷内が、ざわついた。
「被告人は、被害者の上田紘一・上田詢子、ご夫妻の実子ということですね」と、遠山博章 裁判長が発し法廷内にどよめきが起きた。
「そんな……嘘だ!」
「静粛に、お願いします!」
「弁護人は、論告を続けてください」
「一巳君、きみが健一君だったんだ」
「そんな……」
「母 詢子さんが『はっきりさせたかった』こと、それは、君が実の子 健一君だということだった。健一君、君の背中首の付け根あたりに、黒子かあざが有るのではありませんか?」
「……黒子が……」
「20年前、自宅の庭で遊んでいた君は、母 詢子さんが目を離したほんの僅かな隙に何者かに連れ去られ浜松のホテルで保護されていた。そしてあの夏の日、ホテルのプールで運命の出逢いがあった。 君の背中の黒子を見つけたお母さんは、君が健一君だと確信したに違いない。 お母さんが、毎日、君の背中を流す、それは君の背中の黒子を確かめるためだった。だから『お嫁さんをもらっても、背中は私が流してやるの』と……」
「……僕は……僕は……あァ……」
「被告人は、供述しますか」と、裁判長が聞いた。
「被告人、何か言いたいことがあるのではありませんか」と、江田恭子 裁判官が尋ねた。
「健一君、本当のことを言う最後のチャンスだ。正直に話してください」
「本当のことを、話したほうがいいですよ」と、江田恭子 裁判官が諭した。
「僕は……私は、父も母も刺してはいません……」
法廷内が、ざわめいた。
「静粛に、お願いします!」
「健一君! 何が、あったのですか」
「母が、『あの派手な女はおやめなさい。お嫁さんは、ちゃんとお父さんがいい人を見つけてくれるから』と……」
「派手な女性とはタウン誌「ナ・がら」の高橋涼子さん。そして、お嫁さんとは居間にあった写真の和田結衣さんことですね」
「そうだと、思いました」
「あなたは、事件前の6月30日と7月1日、高橋涼子さんをタウン誌の取材で八幡の街を案内していた。その様子が『派手な女性と街を歩いていた』と、お母さんの耳に入りそれを咎めた。 7月1日、お父様と和田結衣さんは、顧客である“ホテル千鳥”を訪ねていた。その二人を目撃し“二人が不倫している”と思い込んでしまった」
「……そうです」
「裁判長! 暗示しています」
「弁護人は、続けてください」
「それは、和田結衣さんが証言したように、君の思い過ごし誤解だった」
「……」
「お母さんの『お嫁さんは、ちゃんとお父さんがいい人を見つけてくれる』その後に、何が起こったのか、何があったのか、健一君 本当のことを話して下さい」
「……それで、私が『もういい加減にしてくれ』と大声で言いました。その拍子に……」
「倒れたのですね」
「裁判長! 明らかな誘導です」
「弁護人は、尋問を中止してください」
「以降は、裁判官から質問します。弁護人、よろしいですか」と、遠山博章 裁判長が言った。
「しかるべく」
「被告人は、続けてください」
「驚いた母が、のけぞった拍子に倒れ、鏡に頭をぶつけたのだと思います」
「被告人が、押し倒したのではありませんか」
「押し倒したりはしていません。頭を洗い終わり母が流してくれていましたから、振り向いたときには母は仰向けに倒れていました。割れた鏡が落ちて、それで……」
「それから、どうなりました」
「鏡が、首に突き刺さりました。 鏡の破片を抜いて、タオルで抑えていましたが血はあふれ出て止まりませんでした」
「それから、どうしたのですか」
「大声で父を呼びました。 父が駆け付け、救急車を呼ぶと言って居間に戻っていきました。 喉元の傷口を抑えていましたが血は止まらず、すぐに母の呼吸が止まりました」
「居間へは、いつ行ったのですか」
「父が、居間に戻ったすぐ後です。居間の入り口あたりで足が滑ったのか良くは覚えていませんが、つまずくように倒れ電話していた父を押し倒してしまいました。 父は、うつ伏せに倒れうめき声を出していました」
「つまずいた拍子に、お父様を押し倒したのですね」
「はい。床に血が流れました。私は、何が起こったのか理解できませんでした。 私は、父を、起こしました。……父の脇腹に、包丁が刺さっていました」
「それで、包丁はどうしたのですか」
「抜きました」
「その時の、お父様の様子はどうでしたか」
「父の息は細く、見る見るうちに顔色が悪くなりうめき声は止みました」
「被告人は、両親を、刺してはいないのですね」
「刺してはいません」
「被告人に、殺意はありませんでしたか」
「ありません」
「被告人は、今までどうして、この供述をしなかったのですか」
「あの時は、何が起きたのか何が何だか訳が分からなくてでどうすることもできませんでした。時間がたち、全て自分のせいで起きたことですから、私に責任があると……長い間お世話になっているのに、本当のことを話したら父が結衣さんとホテルから出てきたことも話さなければならなくなる……もう自分はどうなっても良い、黙っていれば私がやったことになるだろうと、それで……」
「よく話してくれました。弁護人は、尋問することがありますか」
「ありません」
「被告人は、席についてください」
「では、一時休廷といたします。再開は、1時間後とします」
公判中は、随時休息時間が設けられるが、この休廷は異例なことであった。検察官と弁護人が別室に呼ばれ、裁判官と検察官・弁護人、3者で協議がなされた。
「先ほど被告人は、自白と受取れる証言をしましたが、弁護人はどのように考えますか」
「被告は、ありのままの真実を述べたと考えます」
「検察官は、どのようにお考えですか」
「被告人の証言について、改めて検証する必要があると考えます」
「弁護人は、検証についてどのように考えますか」
「弁護人は、検証の必要性は無いと考えております。先ほどの被告が証言した行動は、“検証調書”とも一致しており、改めて検証することで新たな事実が得られるとは考えられません。
被告本人が証言したように、殺人ではなく家庭内で起きた殺意の無い不慮の事故を、その一部を黙秘していたといえ殺人の罪で起訴したことが誤りであると考えます」
「検察官は、弁護人の意見についてどのようにお考えですか」
「検察としては、事実2名が死亡しておりますので“訴因変更”の手続きをさせていただき、罪状を“過失致死罪”として引き続き審理していただきたいと考えます」
― “訴因”とは、検察官が起訴した犯罪事実のことで、その“訴因変更”とは、検察官が起訴した公訴事実を変更することで、事実の追加・修正・変更される場合もあれば、罪状が変更される場合もあります。 訴因変更は、検察官が請求し裁判所が許可する場合と、裁判所が職権で訴因変更を命令する場合があります。 訴因変更がされると、裁判をやり直すことなく継続されますが、手続きのため延期や審議のやり直しが行われることになり、裁判が長引くこととなります ―
「裁判所としては、訴因変更の必要はないと考えます。引き続き起訴内容について審理を行っても、被告人に不利益は生じないと思いますが、弁護人、いかがでしょうか」
「お任せいたします」
「では、審理を終え、評議に入り判決とさせていただいても構いませんね。 検察官も、宜しいですね」
「検察として……しかるべく」
検察側は、弁護側が提出した文書は、園部洋子が上田家のポストから許可なく持ち出した“不在連絡票”を使用し不正取得した文書であり証拠能力はないと主張したが、裁判所は、弁護人から提出された文書は上田家宛てに送られた信書ではなく、改めて作成された文書であって不正取得したとは言えないとした。
そのうえで、裁判所は、提出された文書は証拠ではなくあくまでも参考程度の書面で、被告人と被害者の血縁関係を明らかにしたにすぎず、公訴事実を肯定も否定もしない内容であり、原告・被告、双方に不利益は生じないとし検察側の主張を退けた。
また、園部洋子のその行為は窃盗罪に相当し、検察官は、園部洋子のその行為について別事案で必要手続きをするよう意見した。
一時間が過ぎ、法廷が再開された。
「只今より、審議を再開いたします」
「被告人は、前へ」
「被告人に、改めてお聞きします。氏名と生年月日を述べてください」
「上田健一です。平成 8年8月13日生まれです」
「事情があり、8月13日となっているのですね」
「はい、そうです」
「休廷前の、被告人の証言に、嘘偽はありませんか」
「はい、ありません」
「被告人は、この事件以前に母、若しくは父と口論となったことはありましたか」
「いいえ。一度もありません。あの日が初めてのことです」
「両親の、躾や世話焼きを煩わしいと思っていたのではありませんか」
「そう、感じたことは一度もありません。父に、厳しく叱かられたことはありましたが、理由もなく叱られることはありませんでしたし、母がその理由を諭してくれましたから反感を覚えたことはありません」
「母親の詢子さんが、毎日、あなたの背中を流していたことについてはどうでしたか」
「小さい時から、一緒にお風呂に入っていましたから、うっとうしく感じたことはありません」
「被告人に、もう一度、確認します。両親に、殺意を抱いていませんでしたか」
「殺意などありません。上田の家で育てられ、父・母を憎んだり、恨んだりするようなことは一度もありませんでした。とてもありがたいことと感謝しています」
「検察官は、何か尋問することはありますか」
「ありません」
「弁護人は、尋問することがありますか」
「ありません」
「これで審理を終わりますが、被告人は、何か述べておきたいことはありますか」
「はい。 上田の父・母が、実の両親であることを明らかにして頂いたことに感謝しています。 今日まで、上田家の養子に迎えられた私には、上田の、父・母しかいないと思い過ごしてきました。……その両親を、些細なつまらないことで死なせてしまったことをとても後悔しています。その私が、実の子であることが判ったいま、そのことは以前より辛く……心の整理が出来ていません。 どう考えれば良いのか……どうすれば良いのか…… 私は、父が結衣さんとホテルから出てきたことが信じられませんでした。そして、父と母を死に至らしめてしまったことを、どうしても受け入れることができませんでした……私は、沈黙することしか思いつきませんでした。 私は、自身がしたことを認めることができず、上田健一ではない葵一巳だと……取調べやこの裁判で証言・黙秘したことについて反省しております。 大変、申し訳ありませんでした」
健一は、深く頭を下げたまま泣き崩れ、法廷からは嗚咽が漏れた。
「被告人は、席に戻ってください」
「これで審理を終え、閉廷いたします」と裁判長が宣言した。
判決言渡期日は、7日後の、10月7日 午後10時30分より行われることが告げられた。
上田健一の営利誘拐事件は、同じ町内に住む少年 隆が、健一が行方不明になった直後の捜索に加わったことから始まった。
隆は、幼い健一が遠くへ行けるはずはない。いまだ身代金の要求がないことから、うまくすれば大金を手にすることができると考え、翌日の捜索が再開される前に身代金を要求する電話を掛けた。そして、身代金の受け取りに成功した隆は、その逃走中に死亡し被疑者死亡で幕引きがされたのだ。
「健ちゃん、だったの……」園部洋子は、真実を知ってその後の言葉を失ってしまった。
「身代金の要求は、誘拐を装った少年の仕業でしたが、健一君を連れ去ったのは、浜松のホテルで亡くなった30代の女性でしょう」
「驚きましたよね」と、和田結衣が声をかけた。
「はい……廣田先生、ありがとうございました」
「健一さんは、どうなりますか」
「安心してください。健一君が、真実を話しましたから」
「まだ安心はできませんよ。 遠山博章裁判長は、厳しい判決を言い渡したことで有名な判事です。 集団レイプ事件でね、傍観していただけだと主張した被告人に対し、責任は重いと求刑を超えた実刑を言渡していますからね」
「そう、なんですか」
「もう、お父さん! そんなことを言って。 洋子さん結衣さん、大丈夫ですよ、裁判所は『起訴内容について審理する』と、言ってくれましたから実刑になることはありません。必ず無罪になりますから安心してください」
「本当に、大丈夫なんですね」
「はい。それと、あの“不在連絡票”のことは、詢子さんの妹さんですし理由もはっきりしていますから罪に問われることはありません」
「そうですか、安心しました」
「廣田君は、あの“不在連絡票”の書留がDNA鑑定結果を知っていたのですか」
「不在票の差出人が、民間のラボでしたからね」
「えっ! 先生は、親子鑑定と知っていたんですか」
「それで急いでに返送してもらうよう恵美子君に連絡を取っていただきました。幸運なことに返送された書留は破棄されていましたから、親書隠匿罪にならなかったことです。でも鑑定結果は、聞いていませんでしたよ」
「先生は、結果を知らずにあの法廷で開封してほしいと、万が一違っていたら裁判はどうなっていたか……」
「廣田君は、思いきったことをしましたね、賭けとしか言いようがないですよ」
「私は、上田さん親子を信じていました。その詢子さんの、母親の思いに賭けたんですよ」
「詢子さんを、信じてですか?」
「葵園に行ったときです。健一君と再会した詢子さんが、何かを確かめるようにシャツの襟口をめくるような仕草をしたと聞きました。 詢子さんは、あのプールで一巳君の背中の黒子を見つけ、健一君だと思ったのでしょう。一巳君を、健一君だとそう信じ暮らしてきた。 成人するころには、紘一さんにそっくりな体つきになってきて、詢子さんは確信したんだと思います」
「でも、詢子さんは、よくDNA鑑定をしましたよね」
「上田さん夫婦の心配事は、健一君の結婚のことでした。養子、それも施設から迎えているから良い縁談話がない、健一君自身も異性とのお付き合いに消極的になっていた。上田さんご夫妻が、はっきりさせたいことと言えば、健一君の出生でしかありませんからね。健一君が実子であればすべて解消されるわけです」
「そうですよね、『もうすぐはっきりする』と、洋子さんに言っていましたものね。詢子さんは、その自信があったんですね。すごいですよね母親は……でも、DNA鑑定するには、相当の覚悟がいりますよ万が一違っていたら落胆しか残りません。立ち直れないくらいダメージは大きいですよね。私には、出来ないな」
「恵美子。だから歯ブラシだったんだよ。あの鑑定書は、“私的鑑定書”だから法的な証明能力はないんだ」
「そうです。法的に有効な鑑定とする場合、検体の採取には必ずそのラボの指定の器具を用い、第3者の立ち合いの下で行います。当然、検体提供者の同意が必要になります。 健一君は、知らなかったようだからから、詢子さんと紘一さんが相談し鑑定に出したんでしょう」
「歯ブラシなら、健一さんに内緒できますね。そうか、健一君が知らないんだから、万が一結果がそうでなかったとしても、今までと変わらない生活ができますね!」
「それはない。詢子さんはそんなことは考えてもいなかったと思いますよ。自分の子だという自信があったんですよ、そうでなければ鑑定なんか依頼しません!」
「そうだよな、一般にDNA親子鑑定なんて、浮気してできたかじゃないかと旦那が言い出すケースくらいだろう。そう、何とかという芸能人が鑑定して自分の子じゃなかったて騒動になった……誰だったかな……」
「お父さん、もういいって」
「廣田君。ところで、君は、サンプルが歯ブラシだと気づいていたのですか」
「現場検証したとき、歯ブラシが3本とも真新しいもので使われた形跡がありませんでした。 紘一さんは、とても几帳面な方だった、そして詢子さんはそれに応えようと日ごろから努めていたわけですから、歯ブラシが痛めば交換していたでしょう。でも、詢子さんは倹約家だったはずですよね」
「そうです。姉は、上手にやりくりをしていたようで、家族3人分を一度に交換するとすれば、新年を迎えるときくらいとだと思います」
「鑑定書の申し込み日からすると、詢子さんは、事件当日に申し込みを郵送しそのあとに洋子さんに電話をしていたんですね」
「そういうことになるね」
「当日に歯ブラシが交換されていたわけですね。さすが! ヤメケンですね」
「それは、褒めている のですね。これも、洋子さんと恵美子君のおかげですよ」
「悔やまれますよね……もっと早く親子鑑定していれば、こんなことは起こらなかったでしょうね」
「その通りだが、仕方がないよ。10年20年前は、今のように手軽にDNA鑑定なんてできなかったからな」
「そうなんですが、健一君は、誘拐されたときのことを何も覚えていなかったのでしょうかね。覚えていれば、こんなことにならなかったでしょうにねぇ」
「恵美子君は、3歳のころの記憶はありますか」
「ありますよ! お父さんとお母さんに、東山動物園に連れて行ってもらったわ。ゾウさんを観ながらお弁当を食べましたよ。ねーぇお父さん」
「そんなことも、ありましたか」
「私には、3歳のころの記憶はありません」
「忘れちゃったんですか?」
「幼児期の記憶は、とてもおぼろげなもので大抵の記憶は後から作られますからね」
「後から作られる? どういうことですか」
「母親が、アルバムを見せながらそのときのエピソードを繰り返し何度も聞かせる。そのうちに本人の記憶として刷り込まれるんですよ。ビデオを見ながらだと、より鮮明な記憶となるでしょうね。 恵美子君のアルバムに、そのゾウさんの写真があるんじゃないですか」
「確かに! ゾウさん、あるわ」
【検察側 論告】
「検察官は、論告を行ってください」
「裁判員のみなさん、これから論告をいたします。検察官は、ここで弁護側と対立している争点について改めて審理を見直し、被告人が有罪であることを明らかにしていきたいと思います。
被告人 上田健一は、幼少期を養護施設“葵園”で過ごし、7歳で上田家に養子に迎えられました。 迎えた、養父 上田紘一は、郡上大和信金創設者を曽祖父にもち自身も支店長を務めておりました。その養父 上田紘一は、潔癖と言っていいほどの几帳面な性格でありました。その養父の厳しい躾と、養母 上田詢子の、過剰までの世話焼きを受け我が子同然に育てられました。
施設出身であることから、少年期にはいじめを受け、青年期には恋愛にも消極的にならざるをえない、望む職に就くこともできないその自身のままならない状況に長きにわたり不満を募らせておりました。
事件前の7月1日、被告人は、大学時代のサークル仲間であった高橋涼子さんを、タウン誌の取材で郡上八幡の街を案内していました。 7月2日、養父の上田紘一は、信金の行員 和田結衣さんより見合い写真を借り受けておりました。
そして7月3日、被告人は、浴室の洗い場で背中を流してくれていた養母の詢子と、自身の見合い話しで口論となり、激高した被告人は、養母の詢子を鏡に殴打し割れた鏡片を用い左頸動脈を切断し失血死に至らしめました。
養母の詢子と口論になったことは、被告人自身の供述であり、凶器となった割れた鏡片からは被告人の指紋以外は検出されておらず、被告人が養母を殺害したことに疑いの余地はありません。
更に、居間で119番通報を行っていた義父 上田紘一を、押し倒し、テーブルの上にあった包丁を用い腹部を刺し失血死させました。殺害に使用された凶器の包丁は、事件直後に被告人が座っていた足元で発見され、被告人の指紋が検出されています。
弁護人が、主張した『包丁の刃が、上を向いて落ちた』は、その包丁の落下状態を証明できる合理的な裏付けはなく、その根拠とする遺体横の床の凹みは、事件以前の生活で生じたとするのが妥当で弁護人の主張を認めることはできません。 そこへ都合よく『被害者が倒れ、刺さった』など、偶然が重なるなど到底あり得ないのです。
事件発生時の現場には、被告人と被害者以外の存在は確認されておりません。犯行に使用された割れた鏡片・包丁からは、いずれも被告人の指紋が検出されており、被告人が、この2つの凶器を用い養父母を刺したことについては疑いようもない事実であります。
被告人は、長年にわたり厳しい躾を受け、不遇な身の上に不満を募らせ殺意を抱き、我が子同然に育ててくれた養父母を刺殺したのです。養母 上田詢子の左頸動脈を的確に切断し、そして養父の刺し傷は深く、被告人の殺意を否定できるものではありません。
この2件の犯行に計画性は無いにしろ、その行為は非道と言わざるを得ません。被告人の行為は殺人罪に相当し、相当法条を適用の上、被告人を懲役15年の刑に処するのを相当と思料する。
以上」 傍聴席が、ざわめいた。
【弁護側弁論】
「弁護人、弁論をどうぞ」
「最初に、述べておきます。 検察官は、当法廷で状況証拠を並べたにすぎず、被告人の犯行と断定することはできないのです。 弁護人は、どこの家庭にもあるような些細な言い争いがきっかけで、偶発的に起こり偶然が重なり養父母が死亡したもので、被告人にその責はないと確信し無罪を求めます。
ただいまより、その理由を述べます。
被告人の葵一巳は、3歳の頃より浜松の養護施設“葵園”で育ち、上田家に迎えられるまでの4年4か月を過ごしています。そして、7歳の2003年12月25日に、上田家に養子に迎えられ長男として何不自由なく育てられました。
養父の上田紘一さんは、厳格な方で自身にも家族にも厳くされていた。そして養母の詢子さんは、妻として母としての務めを精一杯果たしていたに違いありません。事実、現場となった上田宅は、複数の証人の供述にあるよう室内は綺麗に整えられておりました。 厳しい躾と過剰なまでの世話焼きを受けていたとして、家庭内で争いがあったとはとうてい考えられません。たとえ些細なことで言い争いになったにせよ、ただそれだけで被告人が養父母を殺めるなど考えられません。
上田夫妻には、24年前 1996年12月15日に、第一子となる“健一”が誕生しましたが、その健一は、2歳8か月のときに誘拐され死亡しております。
その、誘拐というのが誠に不可解な事件でありまして、行方不明となった1999年8月3日、その日の捜索で健一君を発見することができませんでした。そして」
「裁判長!」と、検察官の纐纈が発した。
「検察官、なにか意見があるのですか」
「弁護人が、引用しようとしている誘拐事件は死亡した実子に関わる事件であり、本件とは全く関連性がなく不要な混乱を招きます」
「弁護人は、その誘拐事件が本件とどんな関連があると言うのですか」
「被告人が、関わる事件ではありませんが、被告人の、生い立ちを説明するためには必要不可欠な出来事であると考えます」
「裁判長。私は、是非、お聞きしたいと思います」と、40歳代の女性裁判員が発言した。
「では、弁護人は弁論を続けてください」
「続けます。そして翌朝、捜索が再開されようとしたそのとき、身代金1,000万円を要求する電話があり“営利誘拐事件”として発覚しました。 同日の午後、身代金の奪取に成功した犯人は、2輪車で逃走しその逃走途中対向車に衝突し死亡しました。 犯行は、地元少年の単独とされ被疑者死亡のまま書類送検されました。捜索は打ち切られ、幼い健一君は発見されることなく、2006年(平成18年)『失踪の宣言』により死亡とみなされました。
これが、実子 健一君の誘拐事件のあらましですが、犯人とされるその少年が、行方不明となったその直後の捜索に加わっていたこと、身代金を要求する電話があった時刻を鑑み、弁護人は、身代金目的の“営利誘拐”そのものがなかったと考えます」
「裁判長! 」
「弁護人は、弁論とはいえ過去の既決事件について憶測を含めず事実のみを述べるよう努めてください」
「はい。 上田紘一さんは、実の子を亡くしうつになった詢子さんを案じ、少しでも気晴らしになればと夫妻は寺社や温泉地を巡るようになりました。その旅で訪れた舘山寺のホテルで、偶然に見かけた被告人を養子に迎えたのです。
上田夫妻が、被告人を養子に迎えた経緯を、被告人が幼児期の4年4ヶ月を過ごした養護施設“葵園”の豊岡敦子さんから伺ってまいりました。
1999年8月、浜松市内のホテルで幼児を連れた30歳代の女性が病死し、警察の依頼で、その女性が連れていた幼児をお預かりしたとのことでした。母親とみられる女性の身元が不明のまま、身受け人は現れず幼児は葵園で過ごすこととなりました。その幼児を預かった日が、13日であったことから『かずみ』と名付けられたそうです。
そして4年が過ぎた夏、葵園の子供たちは、支援者の招きでホテルのプールに赴きました。 その日、偶然に舘山寺を訪れていた上田夫妻がそのホテルに滞在しており、プールで水遊びをする子供たちのなかに一巳君を見つけ、詢子さんが声を掛けたのです。
その後に、上田夫妻が葵園を訪れ一巳君と対面しております。 その頃の一巳君は、笑うことも泣くことない感情を表に出さない無口な子だったそうです」
被告人席の健一は、背を丸め視線を床に落とし廣田の話を身動きせずに聞いていた。
「上田夫妻と対面した一巳君は、後の養母となる上田詢子さんから『うちの子になってくれないかな』と声を掛けられた。 健一君、覚えていますか」
「裁判長! 意義あり! 証拠調べは終わっています。弁論の域を超えています」
「被告人は、発言しても構いませんよ、答えますか」と、遠山博章 裁判長が言った。
「被告人は、答えてください」と、江田恭子 裁判官が促した。
「覚えていません」と、健一は小さな声で答えた。
「君は、はっきり『いいよ』と笑顔で答えたそうです。そうして被告人は、その年の暮れ7歳のときに上田家に迎えられました。
迎えられた被告人の、戸籍上の名前は一巳でした。のちの被告人が10歳のときに、正式に健一に改名されています。
園部洋子さんが証言したように、上田さんご夫妻は養子に迎えた直後より、被告人を『けんいち、ケンちゃん』と呼んでいた。 実の子を亡くした夫婦が、養子として迎えた子を我が子のように思うのは至極当然のことですが、迎えた直後より実の子と同じ名前で呼び、同じ名前を付けるなど考えられないことです。
現場となった上田邸には、実子 健一の写真が1枚も飾られていなかった。そして、仏壇に位牌が置かれていなかったことを考えれば、上田夫妻は、実子の健一君がどこかで生きていると思いたかった。そう、願っていたに違いありません。
迎えたときより、実の子と同じ名前で呼んでいた。
実子 健一君の写真が、一枚も飾られていなかった。
仏壇に、実子 健一君の位牌が置かれていなかった。
養母の詢子さんは、毎日お弁当を作り、洗濯をし、季節には衣類を買い求め、歯ブラシが傷めば新しいものと交換する。入浴時には、替えの下着・パジャマを用意し背中を流す……献身的なまでの愛情を注いでいた」と、廣田は、矢継ぎ早に語った。
「やめて、ください……」と、健一は、背を丸めた体を震わせていた。
「被告人は、静粛に」
「上田さん夫妻は、被告人を我が子だと信じ育ててきたに違いありません。
養母の詢子さんは、中学のころまで被告人と入浴し、その後も、『お嫁さんが来ても背中だけは私が毎日流してあげる』と、被告人の背中を流すことを日課としていた。 事件当日も、養母の上田詢子さんは、被告人の背中を流し、そして……」
健一は、背を丸めた体を震わせていた。震えを抑えるかのように「やめてください……やめてください……」と繰り返した。
「被告人は、静粛に」
「上田夫妻は、君を、本当の健一君だと思っていた。その養母の詢子さんは、精いっぱいの愛情をあなたに注いでいたのではありませんか」
「私は、葵一巳です! 健一ではありません」
「そうではありません! 生前の養母 詢子さんは、妹の園部洋子さんに『もうすぐはっきりする』と話していました」
「……」
傍聴席がざわついた。
「裁判長! ここに、1通の封書があります。これを、参考資料として提出いたします」
桜井恵美子が、封書を左陪席の守口崇史 裁判官に手渡した。
「裁判長 意義あり! 事前申請されたものではありません!」と、検察官 纐纈が意義を申し立てた。
「弁護人、これはどのようなものですか」
「先日、被害者の妹さんである園部洋子さんから、上田家の郵便受けに書留の“不在連絡票”があったと相談されました。 その書留は、差出人の元に返送され既に破棄されておりましたので改めて送付して頂いたものです。 その封書は、開封はしていませんので、弁護人も、どのようなものか把握はしておりませんが、この法廷で開示していただければ、本事件の真相・真実が明らかになるものと考えます。 是非、この法廷で開封していただき裁判所において然るべきご判断をお願いします」
「裁判長! 弁護人の、その行為は、窃盗罪及び信書隠匿罪に相当します」
「弁護人、この封書は、違法な手段で入手したものではありませんね」
「はい。弁護人は、然るべき手続きを講じており違法性はありません」
「開封して、検討することとしましょうか」と、遠山博章 裁判長が提案した。
法廷内より、ざわめきが起きた。
「裁判長! 証拠調べは終わっています!」
「静粛に!」
守口崇史 裁判官が、封を開け書類を二人の裁判官に見せ協議した。
「これは、鑑定書ですね」
法廷内は、一層ざわめいた。
「裁判長!」
「静粛に!」
「これより、弁護人より提出された参考文を読み上げます」
「『私的 DNA型親子鑑定書』
調査依頼日 令和2年7月3日 依頼受付日 令和2年7月5日
試料A:子供、 試料B:疑父、 試料C:疑母。
検査結果、試料Aと試料Bの肯定確率99.9999パーセント。
試料Aと試料Cの肯定確率99.9999パーセント。
鑑定結果は『子供と疑父、子供と疑母は、生物学的親子関係と判定できる』
それぞれの試料は歯ブラシで、試料Aは上田健一、試料Bは上田紘一、そして試料Cが上田詢子と明記されています」と、守口崇史 裁判官が読み上げ、書面がモニターに映し出された。
法廷内が、ざわついた。
「被告人は、被害者の上田紘一・上田詢子、ご夫妻の実子ということですね」と、遠山博章 裁判長が発し法廷内にどよめきが起きた。
「そんな……嘘だ!」
「静粛に、お願いします!」
「弁護人は、論告を続けてください」
「一巳君、きみが健一君だったんだ」
「そんな……」
「母 詢子さんが『はっきりさせたかった』こと、それは、君が実の子 健一君だということだった。健一君、君の背中首の付け根あたりに、黒子かあざが有るのではありませんか?」
「……黒子が……」
「20年前、自宅の庭で遊んでいた君は、母 詢子さんが目を離したほんの僅かな隙に何者かに連れ去られ浜松のホテルで保護されていた。そしてあの夏の日、ホテルのプールで運命の出逢いがあった。 君の背中の黒子を見つけたお母さんは、君が健一君だと確信したに違いない。 お母さんが、毎日、君の背中を流す、それは君の背中の黒子を確かめるためだった。だから『お嫁さんをもらっても、背中は私が流してやるの』と……」
「……僕は……僕は……あァ……」
「被告人は、供述しますか」と、裁判長が聞いた。
「被告人、何か言いたいことがあるのではありませんか」と、江田恭子 裁判官が尋ねた。
「健一君、本当のことを言う最後のチャンスだ。正直に話してください」
「本当のことを、話したほうがいいですよ」と、江田恭子 裁判官が諭した。
「僕は……私は、父も母も刺してはいません……」
法廷内が、ざわめいた。
「静粛に、お願いします!」
「健一君! 何が、あったのですか」
「母が、『あの派手な女はおやめなさい。お嫁さんは、ちゃんとお父さんがいい人を見つけてくれるから』と……」
「派手な女性とはタウン誌「ナ・がら」の高橋涼子さん。そして、お嫁さんとは居間にあった写真の和田結衣さんことですね」
「そうだと、思いました」
「あなたは、事件前の6月30日と7月1日、高橋涼子さんをタウン誌の取材で八幡の街を案内していた。その様子が『派手な女性と街を歩いていた』と、お母さんの耳に入りそれを咎めた。 7月1日、お父様と和田結衣さんは、顧客である“ホテル千鳥”を訪ねていた。その二人を目撃し“二人が不倫している”と思い込んでしまった」
「……そうです」
「裁判長! 暗示しています」
「弁護人は、続けてください」
「それは、和田結衣さんが証言したように、君の思い過ごし誤解だった」
「……」
「お母さんの『お嫁さんは、ちゃんとお父さんがいい人を見つけてくれる』その後に、何が起こったのか、何があったのか、健一君 本当のことを話して下さい」
「……それで、私が『もういい加減にしてくれ』と大声で言いました。その拍子に……」
「倒れたのですね」
「裁判長! 明らかな誘導です」
「弁護人は、尋問を中止してください」
「以降は、裁判官から質問します。弁護人、よろしいですか」と、遠山博章 裁判長が言った。
「しかるべく」
「被告人は、続けてください」
「驚いた母が、のけぞった拍子に倒れ、鏡に頭をぶつけたのだと思います」
「被告人が、押し倒したのではありませんか」
「押し倒したりはしていません。頭を洗い終わり母が流してくれていましたから、振り向いたときには母は仰向けに倒れていました。割れた鏡が落ちて、それで……」
「それから、どうなりました」
「鏡が、首に突き刺さりました。 鏡の破片を抜いて、タオルで抑えていましたが血はあふれ出て止まりませんでした」
「それから、どうしたのですか」
「大声で父を呼びました。 父が駆け付け、救急車を呼ぶと言って居間に戻っていきました。 喉元の傷口を抑えていましたが血は止まらず、すぐに母の呼吸が止まりました」
「居間へは、いつ行ったのですか」
「父が、居間に戻ったすぐ後です。居間の入り口あたりで足が滑ったのか良くは覚えていませんが、つまずくように倒れ電話していた父を押し倒してしまいました。 父は、うつ伏せに倒れうめき声を出していました」
「つまずいた拍子に、お父様を押し倒したのですね」
「はい。床に血が流れました。私は、何が起こったのか理解できませんでした。 私は、父を、起こしました。……父の脇腹に、包丁が刺さっていました」
「それで、包丁はどうしたのですか」
「抜きました」
「その時の、お父様の様子はどうでしたか」
「父の息は細く、見る見るうちに顔色が悪くなりうめき声は止みました」
「被告人は、両親を、刺してはいないのですね」
「刺してはいません」
「被告人に、殺意はありませんでしたか」
「ありません」
「被告人は、今までどうして、この供述をしなかったのですか」
「あの時は、何が起きたのか何が何だか訳が分からなくてでどうすることもできませんでした。時間がたち、全て自分のせいで起きたことですから、私に責任があると……長い間お世話になっているのに、本当のことを話したら父が結衣さんとホテルから出てきたことも話さなければならなくなる……もう自分はどうなっても良い、黙っていれば私がやったことになるだろうと、それで……」
「よく話してくれました。弁護人は、尋問することがありますか」
「ありません」
「被告人は、席についてください」
「では、一時休廷といたします。再開は、1時間後とします」
公判中は、随時休息時間が設けられるが、この休廷は異例なことであった。検察官と弁護人が別室に呼ばれ、裁判官と検察官・弁護人、3者で協議がなされた。
「先ほど被告人は、自白と受取れる証言をしましたが、弁護人はどのように考えますか」
「被告は、ありのままの真実を述べたと考えます」
「検察官は、どのようにお考えですか」
「被告人の証言について、改めて検証する必要があると考えます」
「弁護人は、検証についてどのように考えますか」
「弁護人は、検証の必要性は無いと考えております。先ほどの被告が証言した行動は、“検証調書”とも一致しており、改めて検証することで新たな事実が得られるとは考えられません。
被告本人が証言したように、殺人ではなく家庭内で起きた殺意の無い不慮の事故を、その一部を黙秘していたといえ殺人の罪で起訴したことが誤りであると考えます」
「検察官は、弁護人の意見についてどのようにお考えですか」
「検察としては、事実2名が死亡しておりますので“訴因変更”の手続きをさせていただき、罪状を“過失致死罪”として引き続き審理していただきたいと考えます」
― “訴因”とは、検察官が起訴した犯罪事実のことで、その“訴因変更”とは、検察官が起訴した公訴事実を変更することで、事実の追加・修正・変更される場合もあれば、罪状が変更される場合もあります。 訴因変更は、検察官が請求し裁判所が許可する場合と、裁判所が職権で訴因変更を命令する場合があります。 訴因変更がされると、裁判をやり直すことなく継続されますが、手続きのため延期や審議のやり直しが行われることになり、裁判が長引くこととなります ―
「裁判所としては、訴因変更の必要はないと考えます。引き続き起訴内容について審理を行っても、被告人に不利益は生じないと思いますが、弁護人、いかがでしょうか」
「お任せいたします」
「では、審理を終え、評議に入り判決とさせていただいても構いませんね。 検察官も、宜しいですね」
「検察として……しかるべく」
検察側は、弁護側が提出した文書は、園部洋子が上田家のポストから許可なく持ち出した“不在連絡票”を使用し不正取得した文書であり証拠能力はないと主張したが、裁判所は、弁護人から提出された文書は上田家宛てに送られた信書ではなく、改めて作成された文書であって不正取得したとは言えないとした。
そのうえで、裁判所は、提出された文書は証拠ではなくあくまでも参考程度の書面で、被告人と被害者の血縁関係を明らかにしたにすぎず、公訴事実を肯定も否定もしない内容であり、原告・被告、双方に不利益は生じないとし検察側の主張を退けた。
また、園部洋子のその行為は窃盗罪に相当し、検察官は、園部洋子のその行為について別事案で必要手続きをするよう意見した。
一時間が過ぎ、法廷が再開された。
「只今より、審議を再開いたします」
「被告人は、前へ」
「被告人に、改めてお聞きします。氏名と生年月日を述べてください」
「上田健一です。平成 8年8月13日生まれです」
「事情があり、8月13日となっているのですね」
「はい、そうです」
「休廷前の、被告人の証言に、嘘偽はありませんか」
「はい、ありません」
「被告人は、この事件以前に母、若しくは父と口論となったことはありましたか」
「いいえ。一度もありません。あの日が初めてのことです」
「両親の、躾や世話焼きを煩わしいと思っていたのではありませんか」
「そう、感じたことは一度もありません。父に、厳しく叱かられたことはありましたが、理由もなく叱られることはありませんでしたし、母がその理由を諭してくれましたから反感を覚えたことはありません」
「母親の詢子さんが、毎日、あなたの背中を流していたことについてはどうでしたか」
「小さい時から、一緒にお風呂に入っていましたから、うっとうしく感じたことはありません」
「被告人に、もう一度、確認します。両親に、殺意を抱いていませんでしたか」
「殺意などありません。上田の家で育てられ、父・母を憎んだり、恨んだりするようなことは一度もありませんでした。とてもありがたいことと感謝しています」
「検察官は、何か尋問することはありますか」
「ありません」
「弁護人は、尋問することがありますか」
「ありません」
「これで審理を終わりますが、被告人は、何か述べておきたいことはありますか」
「はい。 上田の父・母が、実の両親であることを明らかにして頂いたことに感謝しています。 今日まで、上田家の養子に迎えられた私には、上田の、父・母しかいないと思い過ごしてきました。……その両親を、些細なつまらないことで死なせてしまったことをとても後悔しています。その私が、実の子であることが判ったいま、そのことは以前より辛く……心の整理が出来ていません。 どう考えれば良いのか……どうすれば良いのか…… 私は、父が結衣さんとホテルから出てきたことが信じられませんでした。そして、父と母を死に至らしめてしまったことを、どうしても受け入れることができませんでした……私は、沈黙することしか思いつきませんでした。 私は、自身がしたことを認めることができず、上田健一ではない葵一巳だと……取調べやこの裁判で証言・黙秘したことについて反省しております。 大変、申し訳ありませんでした」
健一は、深く頭を下げたまま泣き崩れ、法廷からは嗚咽が漏れた。
「被告人は、席に戻ってください」
「これで審理を終え、閉廷いたします」と裁判長が宣言した。
判決言渡期日は、7日後の、10月7日 午後10時30分より行われることが告げられた。
上田健一の営利誘拐事件は、同じ町内に住む少年 隆が、健一が行方不明になった直後の捜索に加わったことから始まった。
隆は、幼い健一が遠くへ行けるはずはない。いまだ身代金の要求がないことから、うまくすれば大金を手にすることができると考え、翌日の捜索が再開される前に身代金を要求する電話を掛けた。そして、身代金の受け取りに成功した隆は、その逃走中に死亡し被疑者死亡で幕引きがされたのだ。
「健ちゃん、だったの……」園部洋子は、真実を知ってその後の言葉を失ってしまった。
「身代金の要求は、誘拐を装った少年の仕業でしたが、健一君を連れ去ったのは、浜松のホテルで亡くなった30代の女性でしょう」
「驚きましたよね」と、和田結衣が声をかけた。
「はい……廣田先生、ありがとうございました」
「健一さんは、どうなりますか」
「安心してください。健一君が、真実を話しましたから」
「まだ安心はできませんよ。 遠山博章裁判長は、厳しい判決を言い渡したことで有名な判事です。 集団レイプ事件でね、傍観していただけだと主張した被告人に対し、責任は重いと求刑を超えた実刑を言渡していますからね」
「そう、なんですか」
「もう、お父さん! そんなことを言って。 洋子さん結衣さん、大丈夫ですよ、裁判所は『起訴内容について審理する』と、言ってくれましたから実刑になることはありません。必ず無罪になりますから安心してください」
「本当に、大丈夫なんですね」
「はい。それと、あの“不在連絡票”のことは、詢子さんの妹さんですし理由もはっきりしていますから罪に問われることはありません」
「そうですか、安心しました」
「廣田君は、あの“不在連絡票”の書留がDNA鑑定結果を知っていたのですか」
「不在票の差出人が、民間のラボでしたからね」
「えっ! 先生は、親子鑑定と知っていたんですか」
「それで急いでに返送してもらうよう恵美子君に連絡を取っていただきました。幸運なことに返送された書留は破棄されていましたから、親書隠匿罪にならなかったことです。でも鑑定結果は、聞いていませんでしたよ」
「先生は、結果を知らずにあの法廷で開封してほしいと、万が一違っていたら裁判はどうなっていたか……」
「廣田君は、思いきったことをしましたね、賭けとしか言いようがないですよ」
「私は、上田さん親子を信じていました。その詢子さんの、母親の思いに賭けたんですよ」
「詢子さんを、信じてですか?」
「葵園に行ったときです。健一君と再会した詢子さんが、何かを確かめるようにシャツの襟口をめくるような仕草をしたと聞きました。 詢子さんは、あのプールで一巳君の背中の黒子を見つけ、健一君だと思ったのでしょう。一巳君を、健一君だとそう信じ暮らしてきた。 成人するころには、紘一さんにそっくりな体つきになってきて、詢子さんは確信したんだと思います」
「でも、詢子さんは、よくDNA鑑定をしましたよね」
「上田さん夫婦の心配事は、健一君の結婚のことでした。養子、それも施設から迎えているから良い縁談話がない、健一君自身も異性とのお付き合いに消極的になっていた。上田さんご夫妻が、はっきりさせたいことと言えば、健一君の出生でしかありませんからね。健一君が実子であればすべて解消されるわけです」
「そうですよね、『もうすぐはっきりする』と、洋子さんに言っていましたものね。詢子さんは、その自信があったんですね。すごいですよね母親は……でも、DNA鑑定するには、相当の覚悟がいりますよ万が一違っていたら落胆しか残りません。立ち直れないくらいダメージは大きいですよね。私には、出来ないな」
「恵美子。だから歯ブラシだったんだよ。あの鑑定書は、“私的鑑定書”だから法的な証明能力はないんだ」
「そうです。法的に有効な鑑定とする場合、検体の採取には必ずそのラボの指定の器具を用い、第3者の立ち合いの下で行います。当然、検体提供者の同意が必要になります。 健一君は、知らなかったようだからから、詢子さんと紘一さんが相談し鑑定に出したんでしょう」
「歯ブラシなら、健一さんに内緒できますね。そうか、健一君が知らないんだから、万が一結果がそうでなかったとしても、今までと変わらない生活ができますね!」
「それはない。詢子さんはそんなことは考えてもいなかったと思いますよ。自分の子だという自信があったんですよ、そうでなければ鑑定なんか依頼しません!」
「そうだよな、一般にDNA親子鑑定なんて、浮気してできたかじゃないかと旦那が言い出すケースくらいだろう。そう、何とかという芸能人が鑑定して自分の子じゃなかったて騒動になった……誰だったかな……」
「お父さん、もういいって」
「廣田君。ところで、君は、サンプルが歯ブラシだと気づいていたのですか」
「現場検証したとき、歯ブラシが3本とも真新しいもので使われた形跡がありませんでした。 紘一さんは、とても几帳面な方だった、そして詢子さんはそれに応えようと日ごろから努めていたわけですから、歯ブラシが痛めば交換していたでしょう。でも、詢子さんは倹約家だったはずですよね」
「そうです。姉は、上手にやりくりをしていたようで、家族3人分を一度に交換するとすれば、新年を迎えるときくらいとだと思います」
「鑑定書の申し込み日からすると、詢子さんは、事件当日に申し込みを郵送しそのあとに洋子さんに電話をしていたんですね」
「そういうことになるね」
「当日に歯ブラシが交換されていたわけですね。さすが! ヤメケンですね」
「それは、褒めている のですね。これも、洋子さんと恵美子君のおかげですよ」
「悔やまれますよね……もっと早く親子鑑定していれば、こんなことは起こらなかったでしょうね」
「その通りだが、仕方がないよ。10年20年前は、今のように手軽にDNA鑑定なんてできなかったからな」
「そうなんですが、健一君は、誘拐されたときのことを何も覚えていなかったのでしょうかね。覚えていれば、こんなことにならなかったでしょうにねぇ」
「恵美子君は、3歳のころの記憶はありますか」
「ありますよ! お父さんとお母さんに、東山動物園に連れて行ってもらったわ。ゾウさんを観ながらお弁当を食べましたよ。ねーぇお父さん」
「そんなことも、ありましたか」
「私には、3歳のころの記憶はありません」
「忘れちゃったんですか?」
「幼児期の記憶は、とてもおぼろげなもので大抵の記憶は後から作られますからね」
「後から作られる? どういうことですか」
「母親が、アルバムを見せながらそのときのエピソードを繰り返し何度も聞かせる。そのうちに本人の記憶として刷り込まれるんですよ。ビデオを見ながらだと、より鮮明な記憶となるでしょうね。 恵美子君のアルバムに、そのゾウさんの写真があるんじゃないですか」
「確かに! ゾウさん、あるわ」
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だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

ミノタウロスの森とアリアドネの嘘
鬼霧宗作
ミステリー
過去の記録、過去の記憶、過去の事実。
新聞社で働く彼女の元に、ある時8ミリのビデオテープが届いた。再生してみると、それは地元で有名なミノタウロスの森と呼ばれる場所で撮影されたものらしく――それは次第に、スプラッター映画顔負けの惨殺映像へと変貌を遂げる。
現在と過去をつなぐのは8ミリのビデオテープのみ。
過去の謎を、現代でなぞりながらたどり着く答えとは――。
――アリアドネは嘘をつく。
(過去に別サイトにて掲載していた【拝啓、15年前より】という作品を、時代背景や登場人物などを一新してフルリメイクしました)
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