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二人の関係
9月20日(2)
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先輩のマンションには延田もなぜか付いてきた。
だが、門をくぐってすぐ、箒を持った顔なじみの管理人が僕の顔を見て声をかけてきた。
「ああ、四持さん、比楽坂さんはここ数日ずっとお留守ですよ」
「え?」
「一言もなく何日もお留守されるなんて珍しいもんで、私も少し気になってます」
先輩は人見知りのくせに妙に律儀なところもあり、長期留守にするときには必ず管理人やガードマンに一声かけ、戻ってきたらすぐにお土産を持っていくのだと話していた。
前にそのことで先輩をいじって、「バカ、自宅のセキュリティを委ねてるんだぞ。味方にしておくに限るだろ」と合理的すぎる答を返されて半分納得、半分呆れたことを思い出す。
「どこに行く、とか聞いてませんか?」
「いやあ……」
管理人は僕の背後に立つ延田をちらりと見ると、僕の耳に顔を寄せてささやくように言う。
「女を泣かせるクズ男がなんとか……って、まさか四持さんのことじゃありませんよね?」
「え?」
「いや、最後にお見かけした時、エントランスでイライラしたお顔でそうつぶやかれているのを偶然耳にしまして……」
どうにも誤解されている気がして僕はあわてて言い訳する。
「……違うと思います。思いたいです」
冷や汗を掻きつつ、それでも丁寧に礼を述べてマンションを離れ、僕は考えをまとめるために夕闇の迫るみなとみらいをグルグルと歩き回った。
延田は何も言わずずっと付いてきて、僕が海辺の公園のベンチに腰を下ろしたところで隣に座ってきた。
「……四持」
僕は先輩にLAIMメッセージを送る。
例によって既読すら付かないが、これは無視されているのか、それともスマホを確認できないくらい切迫した状況なのか区別が付かない。
「だから、せめて既読くらいつけてくれってあれほど……」
僕は大きく深呼吸すると、延田に向き直った。
「延田、君の率直な意見を聞きたい」
彼女は無言で頷いた。
「夕方の先輩の謎メール。何の連絡も伝言もなく何日も自宅に戻っていない現実。あと、君の友達もヤバい男とよりを戻して以降ずっと連絡が取れてないと言ってたよね」
「うん」
「仮に、全てが繋がっているとして、そこから導き出される可能性はなんだ?」
延田はゴクリと唾を飲み込んだ。
「四持が聞きたくない、すごーくイヤな想像になるかも知れないけど……」
「構わない、遠慮せずに言ってくれ」
「あーしの友達と比楽坂先輩はどっちもクズ男と面識がある。男はしばらく姿を消していたけど、最近になって舞い戻ってきた。そして、友達も比楽坂先輩も同じ時期に姿を消した」
「……そうだね」
僕は自分の声が震えているのに気付いた。
「あーしなら、二人は男に捕まったと思う」
僕は発作的に生徒会長のスマホに電話をかけていた。
『はい——』
「四持です。会長にお話があります!」
相手の名乗りも待たずに僕はまくし立てた。
「比楽坂先輩が行方不明になりました。犯罪に巻き込まれた可能性があります」
『どういうことです!?』
僕は謎メールを受信したいきさつから先輩のマンションを確認したことまでを息継ぎもなしに一気に話した。
会長はその間ずっと黙って聞いていたが、僕が息を切らした瞬間に言葉を挟み込んできた。
『四持、今すぐ生徒会室に来て下さい』
「え、今からですか?」
『ええ、対策本部を立ち上げます。ところで、その写真、私に送ってもらうことはできますか?』
「あ、はい。でもどうするんですか?」
『ええ、風景写真から場所を特定するスキル持ちに少しばかり心当たりがあります』
◆◆
夜にも関わらず校門は閉じられておらず、昇降口の明かりは煌々と灯されていた。
僕らは一気に階段を駆け上り、ノックもなしに生徒会室の扉を開いた。
「待っていましたよ。準備はできています」
会長の言葉通り、机の上には数台のノートパソコンが稼働状態で置かれてあり、そのうちの一台にはつい最近顔を知った男子生徒が取り付いていた。
「あ!」
「げ、柳原!!」
お互い、ひと目見た瞬間いやーな顔になる。男子生徒は物理科学部の柳原部長だった。ガラス事件の共犯者だ。
「先ほど校長と交渉しました。今回の一件への協力と引き換えに、処分の軽減を検討します。お互い仲良く……は無理でしょうが、事件解決までいがみ合うのは無しでお願いします」
僕が何か言う前にすかさず会長が釘を刺してきた。
「それよりも、写真の場所が特定できそうです」
「え! もうですか?」
驚く僕に、柳原は得意そうにニヤリと笑って立ち上がる。
「君じゃ無理だったかも知れないけど、これくらい僕の手にかかれば——」
「無駄口はいい。さっさと説明を!」
「あ、はい!」
さすが会長に逆らう気力はないらしい。柳原は肩をすぼめてストンと腰を下ろすと、僕らにも見えるよう外部モニターに写真を表示する。
「ええと、この写真、メッセージ添付ではなくわざわざ圧縮してメール添付で送られてきたのには理由がある。最近のスマホにはGPSが付いていて、撮影した写真に自動的に位置情報を付加するんだ」
「位置情報?」
「ああ、具体的には緯度と経度のデータだね」
柳原はそう言いながら写真の付加情報を可視化して見せた。
そこには、撮影日された日時はもちろん、撮影したスマホの機種名、露出や絞り、感度、そして35と139で始まる緯度経度がはっきりと表示されていた。
これによると、撮影したスマホはソニーのフラッグシップ機だった。少なくとも僕の知り合いにこんなマイナーなスマホを持っている人間は先輩以外にいない。
「ただ、これらの情報はLAIMのようなメッセージアプリに添付するとすべて消されてしまい、あて先には位置情報のない写真が送られる。メールアプリで送る場合にも、そのまま添付すると位置情報を消してしまうものがある。君にこれを送ってきた人間は、そのあたりきちんとわかっているようだね」
僕は延田と顔を見合わせた。
だとすれば、先輩は自分が戻れない可能性をあらかじめ想定してメールを送ってきたことになるからだ。
「一つ聞いていいですか?」
僕は画面上の撮影日時を見ながら訊ねる。
「これによると、撮影日時は昨日の昼間ですよね。でも、メールが送られてきたのは今日の午後六時ぴったりです。この時間差をどう考えますか?」
柳原は会長の横顔をチラリと見て、彼女が頷くのを待って言葉を続けた。
「定時ぴったりにメールが送られるのには二つの可能性がある。一つは偶然その時間に送信ボタンが押された場合。もう一つは事前にあらかじめ日時指定送信を設定したケース」
「つまり、どういうことだ?」
「ああ、手に入るデータでは送信者の意図まではわからないが、仮に時刻指定送信だったと仮定しよう」
いつもの調子が出てきたのか、柳原の解説口調は次第に滑らかになる。
「時刻指定の場合、指定の時間までなら送信自体を取り消すことが可能だ。つまり、トラブルの原因が何にせよ、もし自分で対処できたら送信を取り消すつもりだった。だが、タイムリミットまでに対処しきれなかった、あるいは自分で対処が不可能になった場合に備えて、保険の意味合いでこのメールを仕掛けてからことに臨んだ。つまり——」
「このメールが届いたこと自体が先輩のSOSだってことに?」
「だな」
会長が短く同意した。
「わかりました。写真の場所を教えて下さい」
「待て。さっきの緯度経度データは誤差を含む」
「でも、風景とドアの写真で——」
「ああ、そうだ。ピンポイントで特定するためにはもう少し解析が必要なんだ」
「じゃあお願いします。今すぐに」
僕は柳原に詰め寄った。
「もちろん可能だが、その前に僕に謝ってもらおうか。君のせいで僕はひどい屈辱を受けた。せめて土下座くらいはして——」
「馬鹿! そんな必要は——」
会長が止めに入ろうとするより早く、僕はその場に跪いた。
「先輩を早く助けたいんです! 土下座くらいいくらでもします! どうか知恵をお貸し下さい」
「四持!! やめなよ!」
延田が僕の腕をつかんで立ち上がらせようとする。
「四持、君にはプライドがないのか!? こんな——」
「僕のプライドなんか、先輩の無事に比べたら大した価値はありません。先輩のためなら犬の尻だろうが舐めてみせます」
パンッと激しい音がした。
気がつくと、僕は会長に平手打ちされていた。頬がカッと熱を持ち、思わず顔を上げた次の瞬間、会長は返す右手で拳をつくり、柳原の顔に力一杯めり込ませていた。
「馬鹿か君たちは!!」
額に青筋を立てた会長の顔はまるで般若のようだった。
「柳原!! お前の卑劣さには心底呆れたぞ! 人一人の安否を自己満足の道具に使って何が楽しいんだ!?」
椅子をはね飛ばしてその場に倒れ込んだ柳原は、信じられない物でも見るような目つきで会長を見上げていた。
会長は振り返ると、延田に抱え起こされた僕につかつかと歩み寄り、襟首をぐいとねじり上げる。冷静沈着が服を着て歩いているような会長が、こんな激しい行動に出るなんて思いも寄らなかった。
「君も君だ!! 比楽坂を助けたい気持ちはわかるが、そんなに簡単に尊厳を捨てるんじゃない!」
その顔をじっと見つめていた延田が、やがてハッと何かに気づいたようにつぶやいた。
「ユリとケイ……もしかして?」
◆◆
それから三十分ほど後。僕は国道357号線の海側にある、倉庫や工場が建ち並ぶ埋め立て地の一角に立っていた。
近くには水産市場や倉庫、工場が立ち並び、この時間、道を歩く人影はまったくなかった。街灯はところどころ切れており、街並みは全体的に薄汚れ、茶色っぽくさびていた。
道路の端には部品が抜かれた原付バイクの残骸が無造作に放置され、バリバリに割れたカウルには砂が分厚く積もっている。
『四持、ちゃんと聞こえてる?』
「ああ」
僕の左耳にはトランシーバーのイヤホンが差し込まれ、そこから延田の心配そうな声が聞こえている。
彼女は近くにあるコンビニで待機し、タイミングを見計らってパトカーと救急車を呼ぶ係だ。
僕は動画モードにして回しっぱなしのカメラを首から下げ、手には金属バットを持ち、壁のタイルが所々剥がれた古い鉄筋コンクリートの雑居ビルを見上げた。
「今からビルに入る。この先声は出せない」
『……本当に無茶はしないで』
「それは相手次第だよ」
僕は短く答えてギッとビルを睨んだ。
自分でも、全身が熱病のように小刻みに震えているのがわかる。
中学生の頃、ガタガタと震えながら痴漢の腕をつかんだあの時よりも、今の方が遙かにひどい。
だが、会長の強硬な反対を押し切ってこの計画の決行を決めたのは僕だ。今さら怖じ気づく訳にはいかない。
「まったく、進歩してないよな」
自嘲のつぶやきをもらし、僕はヒビ割れた階段を一段、また一段と登った。
(先輩、すぐに行きます)
一階ごとに景色を確かめ、最上階まで登った所でようやく見覚えのある光景が目に飛び込んできた。
(柳原の解析通り。四階だ)
僕はトランシーバーのマイクを指先でコンコンと四回弾き、ゴミの散乱する外廊下を足音を忍ばせて歩く。やがて目の前には、写真で見たスチールドアが現れた。
(さあ、ここから先は出たとこ勝負だ)
この雑居ビルは二階から四階までが賃貸物件になっている。
Webで調べたところ、二階の空き室の間取りや内部の写真が不動産情報サイトの過去履歴に掲載されていた。四階も部屋数は同じ。間取りも同じと考え、頭の中で内部の様子をシミュレートする。
ドアを開けてすぐ左手が小さな台所、先輩が(そしてあるいは延田の友達も)監禁されているとすれば正面奥右側の四畳半。二分の一の確率で、犯人達はいくらかゆったり目の左側の六畳間に陣取っているだろう。
だが、全ては希望的観測に過ぎない。
僕は大きく深呼吸して、色あせたスチールドアを金属バットで思い切り殴りつけた。
ガツンッ!!
静まりかえった深夜の工場街に、その音は思いのほか大きく響いた。
すぐに部屋の中から男の意味不明な怒鳴り声が響く。
ドタドタと廊下を歩いてくる音が近づき、やがてドアチェーンが外される音がガチャガチャと響いた。
僕はドアが開く直前に死角に身を隠し、手に持っていた金属バットを背後に思い切り放り投げる。
ガランガランとバットがコンクリートの階段を転げ落ちる音が響き渡り、ドアが開いてボサボサ頭の男が音の正体を確かめようと身を乗り出した。
その瞬間を狙い、僕はドアを全体重をかけて思い切り蹴りつけた。重たい金属のドアが男の胴体を万力のように挟み、男は痛みに耐えかねてその場に崩れ落ちた。
「おらっ! 退けっ!!」
僕は自らを鼓舞するように怒号を上げ、その場に崩れ落ちた男の腹を踏みつけながら部屋に乱入する。台所には古ぼけた背丈ほどのスリードア冷蔵庫が狭い廊下をふさぐように置かれていた。僕は邪魔な冷蔵庫を明かりの漏れる六畳間の扉に向かって体当たりで突き倒し、そのままの勢いで四畳半の扉に体当たりする。ベニア張りのドアに後付けされていた南京錠が掛け金ごとはじけ飛び、扉が勢いよく内側に開いた。
「先輩!! 優里先輩!!」
扉の脇の照明スイッチを探り、明かりがついた瞬間、僕は自分の配慮のなさを恥じる。
その場には、ほとんど裸同然の少女二人が折り重なるようにしてうずくまっていたからだ。
「ごめんなさいっ! すぐ消します!」
僕はひざまずき、先輩の目隠しと猿ぐつわをむしり取る。
「明かりはそのまま! それよりもすぐにロープをほどいてくれ」
「でも!」
「君には前にも見られてるし今さら恥もない。それよりスピード最優先だ。この子の体が心配なんだ」
言われるままに明かりはそのまま、窓のカーテンをむしり取って二人の身体に巻き付ける。
遠くからパトカーと救急車のサイレンが聞こえてきた。その時になって、僕はようやくトランシーバーの存在を思い出した。
「いました! 先輩ともう一人、とりあえず無事です!」
『四持ぅ~! 全然説明してくれないからどうなったかと思ったしーっ!!』
無線の向こうで延田が号泣している。僕はどう慰めようかと考え、一瞬まわりへの注意がおろそかになった。
「四持! 後ろっ!!」
先輩の叫び声に振り向くと、さっきとは別の男が、包丁を腰だめに構えてこちらに突進して来るところだった。
「四持!!」
次の瞬間、吹っ飛ばされるような衝撃と共に下腹部に鋭い痛みが走った。僕は首にかけていたカメラをとっさにつかみ、倒れ込みながら男の顔を横薙ぎに殴りつけた。
「四持! 四持!」
なぜか目の前が真っ暗だ。暗闇で先輩が叫んでいる。
だが、その声は次第に小さくなり、やがて完全に聞こえなくなった。
だが、門をくぐってすぐ、箒を持った顔なじみの管理人が僕の顔を見て声をかけてきた。
「ああ、四持さん、比楽坂さんはここ数日ずっとお留守ですよ」
「え?」
「一言もなく何日もお留守されるなんて珍しいもんで、私も少し気になってます」
先輩は人見知りのくせに妙に律儀なところもあり、長期留守にするときには必ず管理人やガードマンに一声かけ、戻ってきたらすぐにお土産を持っていくのだと話していた。
前にそのことで先輩をいじって、「バカ、自宅のセキュリティを委ねてるんだぞ。味方にしておくに限るだろ」と合理的すぎる答を返されて半分納得、半分呆れたことを思い出す。
「どこに行く、とか聞いてませんか?」
「いやあ……」
管理人は僕の背後に立つ延田をちらりと見ると、僕の耳に顔を寄せてささやくように言う。
「女を泣かせるクズ男がなんとか……って、まさか四持さんのことじゃありませんよね?」
「え?」
「いや、最後にお見かけした時、エントランスでイライラしたお顔でそうつぶやかれているのを偶然耳にしまして……」
どうにも誤解されている気がして僕はあわてて言い訳する。
「……違うと思います。思いたいです」
冷や汗を掻きつつ、それでも丁寧に礼を述べてマンションを離れ、僕は考えをまとめるために夕闇の迫るみなとみらいをグルグルと歩き回った。
延田は何も言わずずっと付いてきて、僕が海辺の公園のベンチに腰を下ろしたところで隣に座ってきた。
「……四持」
僕は先輩にLAIMメッセージを送る。
例によって既読すら付かないが、これは無視されているのか、それともスマホを確認できないくらい切迫した状況なのか区別が付かない。
「だから、せめて既読くらいつけてくれってあれほど……」
僕は大きく深呼吸すると、延田に向き直った。
「延田、君の率直な意見を聞きたい」
彼女は無言で頷いた。
「夕方の先輩の謎メール。何の連絡も伝言もなく何日も自宅に戻っていない現実。あと、君の友達もヤバい男とよりを戻して以降ずっと連絡が取れてないと言ってたよね」
「うん」
「仮に、全てが繋がっているとして、そこから導き出される可能性はなんだ?」
延田はゴクリと唾を飲み込んだ。
「四持が聞きたくない、すごーくイヤな想像になるかも知れないけど……」
「構わない、遠慮せずに言ってくれ」
「あーしの友達と比楽坂先輩はどっちもクズ男と面識がある。男はしばらく姿を消していたけど、最近になって舞い戻ってきた。そして、友達も比楽坂先輩も同じ時期に姿を消した」
「……そうだね」
僕は自分の声が震えているのに気付いた。
「あーしなら、二人は男に捕まったと思う」
僕は発作的に生徒会長のスマホに電話をかけていた。
『はい——』
「四持です。会長にお話があります!」
相手の名乗りも待たずに僕はまくし立てた。
「比楽坂先輩が行方不明になりました。犯罪に巻き込まれた可能性があります」
『どういうことです!?』
僕は謎メールを受信したいきさつから先輩のマンションを確認したことまでを息継ぎもなしに一気に話した。
会長はその間ずっと黙って聞いていたが、僕が息を切らした瞬間に言葉を挟み込んできた。
『四持、今すぐ生徒会室に来て下さい』
「え、今からですか?」
『ええ、対策本部を立ち上げます。ところで、その写真、私に送ってもらうことはできますか?』
「あ、はい。でもどうするんですか?」
『ええ、風景写真から場所を特定するスキル持ちに少しばかり心当たりがあります』
◆◆
夜にも関わらず校門は閉じられておらず、昇降口の明かりは煌々と灯されていた。
僕らは一気に階段を駆け上り、ノックもなしに生徒会室の扉を開いた。
「待っていましたよ。準備はできています」
会長の言葉通り、机の上には数台のノートパソコンが稼働状態で置かれてあり、そのうちの一台にはつい最近顔を知った男子生徒が取り付いていた。
「あ!」
「げ、柳原!!」
お互い、ひと目見た瞬間いやーな顔になる。男子生徒は物理科学部の柳原部長だった。ガラス事件の共犯者だ。
「先ほど校長と交渉しました。今回の一件への協力と引き換えに、処分の軽減を検討します。お互い仲良く……は無理でしょうが、事件解決までいがみ合うのは無しでお願いします」
僕が何か言う前にすかさず会長が釘を刺してきた。
「それよりも、写真の場所が特定できそうです」
「え! もうですか?」
驚く僕に、柳原は得意そうにニヤリと笑って立ち上がる。
「君じゃ無理だったかも知れないけど、これくらい僕の手にかかれば——」
「無駄口はいい。さっさと説明を!」
「あ、はい!」
さすが会長に逆らう気力はないらしい。柳原は肩をすぼめてストンと腰を下ろすと、僕らにも見えるよう外部モニターに写真を表示する。
「ええと、この写真、メッセージ添付ではなくわざわざ圧縮してメール添付で送られてきたのには理由がある。最近のスマホにはGPSが付いていて、撮影した写真に自動的に位置情報を付加するんだ」
「位置情報?」
「ああ、具体的には緯度と経度のデータだね」
柳原はそう言いながら写真の付加情報を可視化して見せた。
そこには、撮影日された日時はもちろん、撮影したスマホの機種名、露出や絞り、感度、そして35と139で始まる緯度経度がはっきりと表示されていた。
これによると、撮影したスマホはソニーのフラッグシップ機だった。少なくとも僕の知り合いにこんなマイナーなスマホを持っている人間は先輩以外にいない。
「ただ、これらの情報はLAIMのようなメッセージアプリに添付するとすべて消されてしまい、あて先には位置情報のない写真が送られる。メールアプリで送る場合にも、そのまま添付すると位置情報を消してしまうものがある。君にこれを送ってきた人間は、そのあたりきちんとわかっているようだね」
僕は延田と顔を見合わせた。
だとすれば、先輩は自分が戻れない可能性をあらかじめ想定してメールを送ってきたことになるからだ。
「一つ聞いていいですか?」
僕は画面上の撮影日時を見ながら訊ねる。
「これによると、撮影日時は昨日の昼間ですよね。でも、メールが送られてきたのは今日の午後六時ぴったりです。この時間差をどう考えますか?」
柳原は会長の横顔をチラリと見て、彼女が頷くのを待って言葉を続けた。
「定時ぴったりにメールが送られるのには二つの可能性がある。一つは偶然その時間に送信ボタンが押された場合。もう一つは事前にあらかじめ日時指定送信を設定したケース」
「つまり、どういうことだ?」
「ああ、手に入るデータでは送信者の意図まではわからないが、仮に時刻指定送信だったと仮定しよう」
いつもの調子が出てきたのか、柳原の解説口調は次第に滑らかになる。
「時刻指定の場合、指定の時間までなら送信自体を取り消すことが可能だ。つまり、トラブルの原因が何にせよ、もし自分で対処できたら送信を取り消すつもりだった。だが、タイムリミットまでに対処しきれなかった、あるいは自分で対処が不可能になった場合に備えて、保険の意味合いでこのメールを仕掛けてからことに臨んだ。つまり——」
「このメールが届いたこと自体が先輩のSOSだってことに?」
「だな」
会長が短く同意した。
「わかりました。写真の場所を教えて下さい」
「待て。さっきの緯度経度データは誤差を含む」
「でも、風景とドアの写真で——」
「ああ、そうだ。ピンポイントで特定するためにはもう少し解析が必要なんだ」
「じゃあお願いします。今すぐに」
僕は柳原に詰め寄った。
「もちろん可能だが、その前に僕に謝ってもらおうか。君のせいで僕はひどい屈辱を受けた。せめて土下座くらいはして——」
「馬鹿! そんな必要は——」
会長が止めに入ろうとするより早く、僕はその場に跪いた。
「先輩を早く助けたいんです! 土下座くらいいくらでもします! どうか知恵をお貸し下さい」
「四持!! やめなよ!」
延田が僕の腕をつかんで立ち上がらせようとする。
「四持、君にはプライドがないのか!? こんな——」
「僕のプライドなんか、先輩の無事に比べたら大した価値はありません。先輩のためなら犬の尻だろうが舐めてみせます」
パンッと激しい音がした。
気がつくと、僕は会長に平手打ちされていた。頬がカッと熱を持ち、思わず顔を上げた次の瞬間、会長は返す右手で拳をつくり、柳原の顔に力一杯めり込ませていた。
「馬鹿か君たちは!!」
額に青筋を立てた会長の顔はまるで般若のようだった。
「柳原!! お前の卑劣さには心底呆れたぞ! 人一人の安否を自己満足の道具に使って何が楽しいんだ!?」
椅子をはね飛ばしてその場に倒れ込んだ柳原は、信じられない物でも見るような目つきで会長を見上げていた。
会長は振り返ると、延田に抱え起こされた僕につかつかと歩み寄り、襟首をぐいとねじり上げる。冷静沈着が服を着て歩いているような会長が、こんな激しい行動に出るなんて思いも寄らなかった。
「君も君だ!! 比楽坂を助けたい気持ちはわかるが、そんなに簡単に尊厳を捨てるんじゃない!」
その顔をじっと見つめていた延田が、やがてハッと何かに気づいたようにつぶやいた。
「ユリとケイ……もしかして?」
◆◆
それから三十分ほど後。僕は国道357号線の海側にある、倉庫や工場が建ち並ぶ埋め立て地の一角に立っていた。
近くには水産市場や倉庫、工場が立ち並び、この時間、道を歩く人影はまったくなかった。街灯はところどころ切れており、街並みは全体的に薄汚れ、茶色っぽくさびていた。
道路の端には部品が抜かれた原付バイクの残骸が無造作に放置され、バリバリに割れたカウルには砂が分厚く積もっている。
『四持、ちゃんと聞こえてる?』
「ああ」
僕の左耳にはトランシーバーのイヤホンが差し込まれ、そこから延田の心配そうな声が聞こえている。
彼女は近くにあるコンビニで待機し、タイミングを見計らってパトカーと救急車を呼ぶ係だ。
僕は動画モードにして回しっぱなしのカメラを首から下げ、手には金属バットを持ち、壁のタイルが所々剥がれた古い鉄筋コンクリートの雑居ビルを見上げた。
「今からビルに入る。この先声は出せない」
『……本当に無茶はしないで』
「それは相手次第だよ」
僕は短く答えてギッとビルを睨んだ。
自分でも、全身が熱病のように小刻みに震えているのがわかる。
中学生の頃、ガタガタと震えながら痴漢の腕をつかんだあの時よりも、今の方が遙かにひどい。
だが、会長の強硬な反対を押し切ってこの計画の決行を決めたのは僕だ。今さら怖じ気づく訳にはいかない。
「まったく、進歩してないよな」
自嘲のつぶやきをもらし、僕はヒビ割れた階段を一段、また一段と登った。
(先輩、すぐに行きます)
一階ごとに景色を確かめ、最上階まで登った所でようやく見覚えのある光景が目に飛び込んできた。
(柳原の解析通り。四階だ)
僕はトランシーバーのマイクを指先でコンコンと四回弾き、ゴミの散乱する外廊下を足音を忍ばせて歩く。やがて目の前には、写真で見たスチールドアが現れた。
(さあ、ここから先は出たとこ勝負だ)
この雑居ビルは二階から四階までが賃貸物件になっている。
Webで調べたところ、二階の空き室の間取りや内部の写真が不動産情報サイトの過去履歴に掲載されていた。四階も部屋数は同じ。間取りも同じと考え、頭の中で内部の様子をシミュレートする。
ドアを開けてすぐ左手が小さな台所、先輩が(そしてあるいは延田の友達も)監禁されているとすれば正面奥右側の四畳半。二分の一の確率で、犯人達はいくらかゆったり目の左側の六畳間に陣取っているだろう。
だが、全ては希望的観測に過ぎない。
僕は大きく深呼吸して、色あせたスチールドアを金属バットで思い切り殴りつけた。
ガツンッ!!
静まりかえった深夜の工場街に、その音は思いのほか大きく響いた。
すぐに部屋の中から男の意味不明な怒鳴り声が響く。
ドタドタと廊下を歩いてくる音が近づき、やがてドアチェーンが外される音がガチャガチャと響いた。
僕はドアが開く直前に死角に身を隠し、手に持っていた金属バットを背後に思い切り放り投げる。
ガランガランとバットがコンクリートの階段を転げ落ちる音が響き渡り、ドアが開いてボサボサ頭の男が音の正体を確かめようと身を乗り出した。
その瞬間を狙い、僕はドアを全体重をかけて思い切り蹴りつけた。重たい金属のドアが男の胴体を万力のように挟み、男は痛みに耐えかねてその場に崩れ落ちた。
「おらっ! 退けっ!!」
僕は自らを鼓舞するように怒号を上げ、その場に崩れ落ちた男の腹を踏みつけながら部屋に乱入する。台所には古ぼけた背丈ほどのスリードア冷蔵庫が狭い廊下をふさぐように置かれていた。僕は邪魔な冷蔵庫を明かりの漏れる六畳間の扉に向かって体当たりで突き倒し、そのままの勢いで四畳半の扉に体当たりする。ベニア張りのドアに後付けされていた南京錠が掛け金ごとはじけ飛び、扉が勢いよく内側に開いた。
「先輩!! 優里先輩!!」
扉の脇の照明スイッチを探り、明かりがついた瞬間、僕は自分の配慮のなさを恥じる。
その場には、ほとんど裸同然の少女二人が折り重なるようにしてうずくまっていたからだ。
「ごめんなさいっ! すぐ消します!」
僕はひざまずき、先輩の目隠しと猿ぐつわをむしり取る。
「明かりはそのまま! それよりもすぐにロープをほどいてくれ」
「でも!」
「君には前にも見られてるし今さら恥もない。それよりスピード最優先だ。この子の体が心配なんだ」
言われるままに明かりはそのまま、窓のカーテンをむしり取って二人の身体に巻き付ける。
遠くからパトカーと救急車のサイレンが聞こえてきた。その時になって、僕はようやくトランシーバーの存在を思い出した。
「いました! 先輩ともう一人、とりあえず無事です!」
『四持ぅ~! 全然説明してくれないからどうなったかと思ったしーっ!!』
無線の向こうで延田が号泣している。僕はどう慰めようかと考え、一瞬まわりへの注意がおろそかになった。
「四持! 後ろっ!!」
先輩の叫び声に振り向くと、さっきとは別の男が、包丁を腰だめに構えてこちらに突進して来るところだった。
「四持!!」
次の瞬間、吹っ飛ばされるような衝撃と共に下腹部に鋭い痛みが走った。僕は首にかけていたカメラをとっさにつかみ、倒れ込みながら男の顔を横薙ぎに殴りつけた。
「四持! 四持!」
なぜか目の前が真っ暗だ。暗闇で先輩が叫んでいる。
だが、その声は次第に小さくなり、やがて完全に聞こえなくなった。
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キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
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