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5巻

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 西へと向かう船があった。
 はところどころ破れ、船体には補修ほしゅうした跡がいくつもあり、いかにもおんぼろに見える。だが、ハンフリー王国の国籍を示す旗だけは汚れもなく、ほこらしげにひるがえっていた。
 その船が港に着くなり、すぐさま飛び出した少年少女の姿がある。彼ら――エヴァンとセラフィナはあたりを見回して、ひと息いた。

「これが西の大陸か。ようやく辿たどり着いたね」
「海のど真ん中に投げ出されたらどうしようと思いましたが、無事に到着してなによりです」

 セラフィナがそう言って笑うのには理由があった。
 南の方では魔物が流れてきて混乱におちいっているという話があったが、彼らの船旅ふなたびにおいても、その被害は付き物だったのだ。もちろん、どこも船を出さない状況で無理に頼み込んで出してもらったのだから文句の一つも言いようがない。
 船員たちと別れると、エヴァンは早速さっそく街中へと足をれた。
 この大陸最北の国、ヤンセン公国はハンフリー王国と緯度がほとんど変わらないため、気温はそこまで変化はない。一方、陸部と沿岸部を区切る国境にもなっている南北に走る山脈が、上昇気流と共に雨をもたらしており、温暖湿潤おんだんしつじゅんな気候であった。
 湿度の高さや吹き付ける潮風しおかぜ、そして腐食ふしょくに強い石造りの家々など、ハンフリーとの違いを実感しながら、エヴァンは今後の予定を立てていく。
 帰りはこちらにいるハンフリー大使のところに行けば、船を出してもらえることになっているため、まずはそちらに挨拶あいさつうかがうことにした。西大陸の現状をたずねるのにも都合つごうがいい。
 街中は所狭ところせましと店が並んでおり、東の大陸とは果物などもずいぶん違っている。しかし、大々的に売り出されているのは、ハンフリーから輸入されたものが多い。もう少し南に行けば、メランデル王国から輸入されたものが多くなるのかもしれない。
 水産資源が豊富らしく、川魚と海魚、どちらもあちこちで売られていた。水揚みずあげされたばかりらしい魚を焼くこうばしいにおいが出店からただよってくると、エヴァンはいつものように買い食いを始めるのだった。
 焼きたての魚の表面は程よく焼き色が付き、パリパリとしている。一本の串に、セラフィナと二人でかじり付くと、中から旨味うまみのぎゅっと濃縮のうしゅくされた天然の脂があふれ出す。熱さと旨さで、口の中にある魚の身がおどる。
 機嫌よく動くセラフィナの尻尾を見ているうちに、大使館の場所が見えてくる。エヴァンの来訪らいほうは予告されてはいなかったが、応接担当の男性にすぐ出迎でむかえられた。
 客室はハンフリーの装飾品そうしょくひんなどが置かれているため、あまり異国に来たという実感はない。もっとも、ダグラスの屋敷にはそんな高級調度品は存在していなかったため、やはり違和感がないわけではないのだが。
 二人がやってきた目的は、過去の真実を知るべく、セラフィナの故国である亜人の国を訪れることだ。この国における滞在日数など予定を告げた後、本題である西大陸の情報について尋ねる。
 男性は観光客の相手をすることも多いのか、慣れた口調で説明をしてくれた。

「まず沿岸諸国に共通しているのは、貿易によってさかえたということでございまして、そのうち沿岸諸国連盟に加盟している五か国は、西大陸の流通を牛耳ぎゅうじっております。ですが、沿岸の国であるとはいえ、南の大国ガビノ帝国だけはその連盟に所属しておりません」

 ガビノ帝国は西の大陸では他国をはるかにしのぐ力を持っており、連盟に加入する必要もないということなのだろう。
 その強大さゆえに、帝国が大陸の東に存在していなかったことは、この世界の運命を大きく変えたと言われているらしい。もし、東の海岸線に面する領土をゆうしていれば、間違いなくバルトロ王国を攻めていただろう。そして世界はかつてないほどの大乱たいらんを迎えることになったはずだ。

(……第二盟主の住まう地か)

 エヴァンは布で隠されている右手に視線を落とした。制御魔法の使い手カール・リンドの死地で与えられた悪魔の腕と、第二盟主は無関係ではない。カールに作られたゴーレムであり今はマティアス公国の守護者であるリンドブルムは、その腕を第二盟主のものだと言っていた。
 そしてエヴァンは、その腕をりゅうの剣で切断できなかったことを思い出す。それほど強靭きょうじんな肉体ならば、いかにすれば打ち倒せるというのか。
 考えていると、男性が続きを話してもよいものか思案しあんしているようだったので、エヴァンは続きをうながした。

「北西部分には亜人たちが住まう国々がございます。大国ではありませんが、迫害はくがいされてきた歴史から、どれほど内部で争っていようと、外敵が現れたときには協力して追い払うと言われております。その力はガビノ帝国にも匹敵ひってきするそうです」

 そこがエヴァンの目的の地ということになるだろう。しかし、話を聞いている限りでは、亜人たちが尻尾もないエヴァンを受け入れてくれるかどうかは分からなかった。
 それから南西部においては、ガビノ帝国と亜人たちの国の間に連邦れんぽう国家がある。強大な両国に対抗たいこうすべく結成されたもので、西大陸では第三位の国力を誇っているそうだ。
 そうした情報を一気に提示ていじされて、エヴァンはゆっくりと吟味ぎんみを始める。
 地理に関して要約ようやくすれば、南に強大なガビノ帝国があり、北西に亜人の国がある。そして東側に沿岸諸国があり、それぞれの間を埋めるように内陸国が存在している。
 亜人たちの国に行くとなると、内陸国を通っていくことになるが、できるだけ面倒事のないルートがいい。

「戦争や種族間における対立などはどのようになっていますか? けておいた方がいい地域などはありますか?」
「そうですね……大陸中で対立が強まっている感じはあります。沿岸諸国と内陸国においては利益のうばい合いが起きていますし、内陸国と亜人の国では十数年前の事件からますます関係は悪化していると言えるでしょう。また、あまり大きな声では言えませんが、ガビノ帝国が周辺諸国の制圧せいあつに乗り出す可能性が高まっていると見られています」
「十数年前の事件とは……?」

 さも当然のように語られたそれについて、エヴァンが尋ねる。男性は「おや、ご存じないですか。失礼しました」と頭を下げた。

「亜人との関係が悪化した原因となった事件です。それまでは比較的良好な関係をたもっていたのに、以降彼らは一部の国としか交流を持たなくなってしまいました。私はあまりくわしくはないのですが、亜人たちの国の奥地にある聖域に踏み入った者がいたそうです。それだけならばまだしも、その際に虐殺ぎゃくさつが行われ、多くの子供がらえられて奴隷どれいとして市場に出されました。各政府がその行為を取りまらず、事実上許可したことに対して、亜人たちが強い反感をいだいたのでしょう」

 十数年前といえば、セラフィナがダグラス家にやってきた時期と一致いっちする。エヴァンはかつてセラフィナがちを話してくれた夜を思い出していた。

「なぜ、彼らの侵入を止められなかったのでしょうか? それに明らかに反感を持たれるような行為を黙認もくにんしたというのも、不自然な気がします」

 そうエヴァンが問うも、男性は首を横に振った。

「そこまでは、私も存じ上げませんね。こちらにはあまり情報が入ってきませんし、直接的な関係は全くない土地ですから。詳しく知りたければ、亜人の国と国境を有するネーフェ共和国に行くのがいいでしょう」

 ここからいくつかの国を経由けいゆしながら南西に進んでいけば、辿り着けるそうだ。
 それから少しばかり話をして、エヴァンはひとまずセラフィナと相談してから決めることにした。時間はまだまだある。急ぎの旅ではない。
 土地を見て回ればセラフィナも何か思い出すことがあるかもしれない。
 そんなことを思いながら、エヴァンは大使館を後にした。


 外に出ると、すでに昼下がりになっていた。街はますます活気かっきを見せており、う人々は楽しげである。
 これからどうしようかとエヴァンがセラフィナの方を見ると、話があるようだったので、手近てぢかな店に入って昼食を取ることにする。
 店内は適当な椅子いすとテーブルが大雑把おおざっぱに配置されていて、店主の性格をよく反映はんえいしているようだった。そしてメニューも同様、お洒落しゃれとは程遠く、質より量といった具合ぐあいである。
 適当に注文を済ませると、エヴァンはセラフィナと対面になって座る。

「それにしても、こちらは大らかな人が多いね。悪く言えば大雑把というか。からりとした気候に合っているのだろうか」
「エヴァン様が特別、心配症なのですよ」

 セラフィナはそう茶化ちゃかす。エヴァンは普段いい加減なものの、気掛かりなことがあれば、あれやこれやと思い悩まずにはいられないたちだ。
 しば他愛たあいもない話が続くと、セラフィナが改まって話を始めた。

「以前に一度お話をしたかと思いますが……私がエヴァン様のところに来る前、何者かにおそわれる出来事がありました。その前のことは――隠していたわけではないのですが、よく覚えていないこともあって、言えないままでしたね」

 おさないセラフィナは月明かりのまぶしい晩になると襲われたことを思い出し、ふるえて寝られなかった。
 エヴァンはうつむきがちなセラフィナの手を取り、他の誰にも見せることのない笑みを浮かべる。

「大丈夫、心配しなくていい。俺だって、この旅の原因となった記憶に、俺は誰なのだろうか、本当にエヴァン・ダグラスその人なのかと悩んだ。けれど、君は何も言わず受け入れてくれた。俺も同じだよ。君にどんな過去があろうと、俺にとっての君は変わりやしないから」

 触れている手に力が込められるのを、エヴァンは感じた。それからセラフィナはかつてのことを口にする。

「よく覚えてはいないのですが、私が自分の姿に違和感いわかんを覚えることがなかったことから、そこは亜人の国だったと思います。敗戦国となった日は、おそらくは私がそう思い込んでいただけで、実際には虐殺が行われた日だったのでしょう。それから亜人ではない人に預けられたのですが、それが奴隷として売られたということなのか、あるいはその人が金欲しさに売り払ったのか、結果としてダグラス領に来ることになりました。そこからはエヴァン様が知ってのとおりです」

 もしかすると、亜人たちの聖域に近いところに住んでいたのではないかということらしい。推測すいそくの域を出ないが、そうした記憶を辿っていけば彼女の故郷にも行き着くかもしれない。

「リンドブルムは、君がフィオナという人の血族だと言ったね。彼女が時空魔法に特化していたことから、そうした性質を持つ一族を探していけばいいかもしれない」
「手がかりはほかにありませんし、それしかないでしょうね。ところでフィオナさんは、どのような方だったのですか。エヴァン様は御存ごぞんじなのでしょう?」

 実際に見たわけではないが、エヴァンは記憶の中でその姿を確認している。しかしよくよく思い返してみれば、二度目に見た、平穏へいおんな村でのひとときを過ごしている狐耳の女性は、フィオナではなかったのかもしれない。少しばかり容貌ようぼうことなっていたような気がする。ならば、血族とかその辺りだろうか。

「外見的には君に似ているところはあるかもしれないけれど、内面に関しては全く知りはしないよ」

 セラフィナはとりあえず納得なっとくしたようだった。もしくは、それ以上のことは聞けないと判断したのか。

「先ほど言われたように、ネーフェ共和国に行こうと思うんだけど、どうだろう?」

 エヴァンが告げると、セラフィナも異論はないようだった。彼女もまた、真実へと近づく道を選んだのだ。
 遅れてやってきた大味おおあじの料理をさっとたいらげると、いよいよ出発となる。
 店を出て通りを南に向かって進んでいく。そのまま街を出ると、まだ見ぬ大地の果てへと到達する勢いでけ出した。


 数日ののち、ネーフェ共和国の国境に辿り着いた。入国には非常に煩雑はんざつな手続きが必要で、エヴァンが書類に書く字は次第にきたなくなっていく。その隣でセラフィナは必要事項を記入しながらも、やけに多い亜人たちの姿に気を取られていた。
 これまでの道中どうちゅうに亜人たちの姿はほとんどなく、たまに出会った者はみすぼらしい格好で、多くが奴隷のようだった。対立が深まっているというのも本当なのだろう。
 エヴァンはセラフィナよりも先に書き終わると、近くの出店でみせで買い物を始める。ネーフェ共和国の食物は乾燥かんそうした土地で取れるものが多い。こんな場所だからどれも割高わりだかではあるが、エヴァンは金に困ってはいないので、二人分の軽食を購入して戻る。
 セラフィナの姿を探すと、何やら獣人の母子おやこと話しているところだった。セラフィナの皮袋かわぶくろを、犬耳と尻尾の生えた少女が持っていることから、ぐずっていた少女にセラフィナが水をあげたらしい。
 ネーフェ共和国では降水量が少なく、水分は果実から摂取せっしゅしているほど水が貴重だそうだから、のどかわいていたのかもしれない。
 エヴァンがそちらに近づいていくと、少女はおびえたように身を強張こわばらせた。

「あ、エヴァン様。戻っていらしたのですね」
「ちょっと見てきただけなんだけど、こちらの食べ物はよく分からないね……食べる?」

 エヴァンが食事を差し出すと、少女はおっかなびっくり手を伸ばした。うれしそうに尻尾をらしながら頬張ほおばる姿から、どうやらしばらく食事を口にしていなかったことがうかがえる。

「セラにも、あんな小さいころがあったよね」
「エヴァン様にだってありましたよ。なつかしいですね」

 二人の関係はめずらしいものなのか、少女の母がおずおずと礼を言ってくる。
 それからセラフィナが、先ほど彼女たちと話したことを少しばかり紹介しょうかいしてくれる。何でも、獣人たちの住んでいる国に盟主が出現したとのことだった。そしてその盟主は非常に凶暴きょうぼうで、あちこちの村を襲って回っているらしい。
 その国はここネーフェ共和国に隣接りんせつしており、亜人の国々の中から見れば辺境へんきょうに位置しているそうだ。だから助けなど暫く来ないのだろう。まして相手は盟主。迂闊うかつに手を出せば返りちにいかねない。
 彼女たちは避難ひなんのために渋々しぶしぶネーフェ共和国に来たものの、職が見つからず、盟主関連の事件が落ち着くまで他国で糊口ここうをしのごうとしているところだという。
 けもの特徴とくちょうが強い者はどれほど貧しくともネーフェ共和国より遠くに行こうとしなかったそうだが、彼女たちは帽子ぼうしをかぶって衣服の中に尻尾をめ込んでしまえば目立つこともない。
 それから暫し話をしているうちに、やがて彼女たちも出国の時間になる。

「お姉ちゃん、お兄ちゃん、ありがとう!」

 手を振って去っていく少女を見ながら、エヴァンはゆっくりと腰を上げた。
 セラフィナは何か言いたげであったが、遠慮えんりょしているようだった。そんな様子に、エヴァンはすぐにさっしがついて、ゆっくりと切り出す。

「盟主、ね。並の兵じゃ太刀打たちうちできないだろう」
「はい。そして多くの国はするのを恐れ、関与かんよしないことを決め込んでいるようです」
「けれど俺と君ならば、そこらの盟主くらいどうということはない」

 セラフィナは驚いたようで、エヴァンを見て固まっていた。さもありなん、エヴァンは巻き込まれることは多かったが、彼自身の運命やハンフリーとしての身分に関係しない争いに関して、自分から進んで戦いに行くことはなかった。

「なに、道中の障害物しょうがいぶつ蹴飛けとばすだけだ。英雄エヴァン・ダグラスの名を西の大陸にも広めてやるのさ」

 彼の物言ものいいに、セラフィナはこれまた違和感を覚えたらしい。そもそも、エヴァンは名誉めいよなどというものに興味がないし、英雄という呼称こしょうに関しては似合わないと笑ってすらいたのだから。
 まして、自分の力を過信していたことは一度たりともない。いまだ、借り物の力ではないかと疑心暗鬼ぎしんあんきなくらいである。そして正面からいどんでいくより、敵が気付いていないうちに不意打ふいうちするのを好んでいるような、卑怯ひきょうな手さえいとわない性格だ。
 エヴァンは困惑気味な彼女に、ずいとった。

「まあ、取って付けた理由にすぎないよ。俺にとっては、君が笑顔でなければ、金銀財宝、名声、この世のあらゆるものの価値は失われてしまうのさ」

 エヴァンの言い方に人情味にんじょうみと照れ隠しが見えて、セラフィナは改めてエヴァンと向き合った。

「やはりエヴァン様は、不平不満をこぼしつつも、何でもげてしまうのでしょうね。頼りにしておりますよ、英雄エヴァン・ダグラス様!」

 セラフィナの表情が少しばかり明るくなったのを見ながら、エヴァンは安堵あんどしつつも早速頭を悩ませた。
 動き回る盟主を追い続けるのは効率がいいとは言いがたい。ならば、上空から見つけるのが早かろう。しかし、森林などで隠れている場合はそれだけでは済みはしない。
 どうしたものかと思いながら、やがて国境を越えると、ネーフェ共和国のからりとした空気が、二人を出迎えた。


 通りを行くのは、亜人と人が半々といったところである。獣人は頭が全部獣の者もいたり、下半身が毛でおおわれていたり、様々だ。靴などをいていないことから、獣としての強靭さをそなえていることが窺える。
 そうした様子を見ていると、セラフィナや国境で会った母子などは、あまり獣らしいところがないといえる。それゆえに、他国まで行く決意を固めたに違いない。
 この国では獣人なども政治に参加していることから、亜人と人の関わりについて完全な中立を保っているらしい。それゆえに、彼らも平気で街中を闊歩かっぽできるのだろう。しかし、街の様子はどうにもおだやかではない。
 増えすぎた獣人難民に対して、雇用こよう問題や権利要求の高まり、そして治安悪化などを懸念けねんした国民たちが不安を抱えているようだ。
 難民とて、皆が皆善人というわけではない。仕事にあぶれた難民が犯罪行為を働くことは珍しくもなく、既に一部の宿では獣人お断りの張り紙が出されている。更にもともと住んでいる獣人と、新しく来た獣人との間でも軋轢あつれきしょうじているようだ。

「誰かが悪いわけではないのだろうけれど……この状況はよくないな。とりあえず、盟主のことを知っている人を探そう」
「はい。表通りは衛兵えいへいが多いようですから、裏路地にでも行った方がよいかもしれません」

 治安のよくない地域に難民が多い可能性は高い。衛兵がいれば、路上生活者などはすぐに退去させられるだろうから、セラフィナの言うとおりにすることにした。
 エヴァンは手土産みやげに酒や食料を買ってから、裏路地に入っていく。
 暫くは普通の街と変わらなかったのだが、奥に進むにつれて路上生活者の姿が目に入ってくる。エヴァンは彼らに声をけるも、直接盟主に遭遇そうぐうした者は一人もいなかった。被害を受けた村は壊滅かいめつしているそうだから、仕方がないかもしれない。
 そうして裏路地をふらふらしていると、あまりがらのよろしくない数人の獣人がぞろぞろとやってきて、エヴァンとセラフィナはいつしか囲まれていた。ほとんどが獣の特徴を強く持っている者たちで、中には全身毛むくじゃら、二足歩行にそくほこうの羊らしきものもいる。彼らはおそらく、その外見から仕事にあぶれたのだろう。

「……何かご用ですか?」

 セラフィナが呑気のんきに首を傾げる。エヴァンより彼女の方がよほどきもわっていた。

「おう、裕福ゆうふくそうだから、俺たちにもちょっくら分けてくれないかと思ってな」

 おおかみの獣人がセラフィナの方に近づいてくる。それはただの威圧いあつ行為のつもりだったのかもしれない。
 だが、エヴァンの受け取り方は異なっていた。二人の間に一瞬で割り込み、頭二つ分は大きい獣人を下からにらみ付ける。

「彼女に触れるな」

 獣人たちが狼狽うろたえ後ずさりするのを見て、エヴァンは少しばかり冷静さを取り戻して続ける。

「金ならいくらかやる。盟主を見た者はいないか。あるいは知り合いでもいい」

 エヴァンがぐるりと見渡すと、一瞬びくついて、おずおずと虎の獣人が申し出てくる。どうやら見かけに反して、ずいぶんと気が小さいらしい。

「壊滅した村の知り合いがいるところなら知っている」

 エヴァンは早速そちらに案内してもらう。彼らが妙な気を起こせば、すぐにでも切り伏せる用意はできていた。
 着いたところは、物置ものおきのような建物だった。狭い中、十数人の獣人たちが身を寄せ合うようにして、暮らしているらしい。エヴァンたちが戸をたたくと、怯えたように一人の男性が出てきた。

「何か、ご用でしょうか……」

 覇気はきのない問い掛けに、エヴァンは暫し言葉を選ぶかどうか悩んだ。しかし聞きたい内容が内容なのだ。隠しても仕方あるまい、と直接的な言葉を口にした。

「これから盟主を倒しに行く。場所や特徴、何でもいい。情報があれば教えてほしい」

 住人は盟主という言葉に身を震わせた。思い出したくないことなのだろう。だからエヴァンは、金は払うと付け足した。それは彼らにとって現実的に必要なものであり、尽きてしまえば、また危険な地に戻るか野垂のたれ死にするしかないのだ。
 先ほどの男たちにいくらか払って追い返すと、家の中で詳しい話を聞き始める。
 まず、盟主としては珍しく、鳥形の魔物であるらしい。子供とおぼしき同様の魔物が数羽すうわ、同行しているとのことだ。形はワシに似ていて、人を襲って食らうそうだ。臓物ぞうもつを食い散らかしていくことが多いが、生きたまま持っていかれる者もいたという。つまり、十分な大きさと重さがあるということだろう。

「その魔物は、羽ばたきを見せていたか?」

 エヴァンの問いに、これといった反応はない。おそらく、そうした素振そぶりは見せていなかったということだ。さっと現れて幾人いくにんもの被害者を出しつつ、去っていくことが多かったらしい。
 ならば羽ばたきにより揚力ようりょくを得ているのではなく、滑空かっくうする鳥に近いと考えられる。
 当然重量があれば支えるだけの揚力を生み出すことは難しくなる。力場魔法の補助によりその力をおぎなっているに違いない。聞いた限りでは、体高たいこうが人の三倍はあるようだったので、長時間の滑空には向かないはずだ。長くとも数時間といったところだろう。
 それから、侵食領域は広くないとのことだった。それゆえにどの辺りにいるのかがほとんど分からず、急な進攻しんこうを許してしまい、対処できていないらしい。
 盟主についておおよその目途めどを立てると、それ以上役に立ちそうなことも聞けなかったので、早々に切り上げることにした。
 セラフィナと共に家を出ると、エヴァンは今後の展望てんぼうを語り始める。

「まず、こちらで魔石を買っていこう。代金は後で、統治とうちしている者に経費けいひとして押し付けてやればいいさ。あるいは、どこか別のところに盟主の死骸しがいでも持っていけば、利用価値を見出みいだした者が買い取ってくれるだろう……と、こんなところで考えているんだけれど」
「お金の話は結構ですよ。それより、何か策はあるのですか?」
「あまりかしこい策じゃないけれどね。逃げられるのも嫌だから、確実に仕留しとめようと思って。それとも翼を付けて追いかけてみる? ここなら獣人も多いから目立たないだろう」

 エヴァンの冗談じょうだんに、セラフィナはあきれたようにひと息吐く。しかし、安堵したのもつかだった。
 魔石を販売している店に行くと、エヴァンは手ごろなものを根こそぎ購入してしまったのである。

「エヴァン様、これほどまでに使うと……」
「だから金の問題なんだ。食費と旅費は残しておくから大丈夫だよ」

 伴侶はんりょ浪費癖ろうひへきとがめるべきかいなか、セラフィナは悩んだに違いない。けれど結局何も言わず、エヴァンと二人で、魔石が詰まって自身の倍以上の体積にまでふくらんだ布袋ぬのぶくろを背負いながら、店を後にするのだった。
 それから衣服と外套がいとう仮面かめんなどを購入して、ようやく準備が整う。
 街を発って西に進むにつれて、兵が多くなってくる。国境付近にもなると、戦争をひかえているのかと思われるほどにぴりぴりと緊張きんちょうした空気が漂ってきた。

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