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4巻

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 4


 ダグラス家の屋敷の前に、家族全員がそろっていた。エヴァンが将と話をつけた翌日のことで、かなり急な出立である。

「おいエヴァン。しっかり役目を果たしてくるのだぞ。無礼があれば、ダグラス領全体の問題となるのだから」
「分かってるさ」

 レスターが最近、やけに兄貴面してくるのがうっとうしい。エヴァンは兄弟との距離感をはかりかねていたが、それは奴の方も同じことだったのかもしれない。
 一方で、次兄のウォーレンは居心地が悪そうに見えた。彼と会ったのはずいぶん前で、別れ方もあまり良くなかった。それゆえに、こちらはより一層、名状めいじょうしがたい関係性となっている。
 父バリーと母コリーンの関係はこの半年間でずいぶんとよくなったようで、うまくやっているようだ。この調子だと、弟ができる日が来るかもしれない。そうなったとき、自分はどのように振る舞えばいいのだろうか。立派な兄として、あるいは旅に出たっきり帰ってこない、放蕩者ほうとうものとして。そんなせんきことをエヴァンは思った。

「いつでも帰ってくるといい、離れはいつでも使えるようにしておく」
「ありがとうございます。では父上、母上、行って参ります」

 エヴァンは頭を下げると、すぐに馬に騎乗した。父と母に見送られながら、屋敷を後にする。再びセラフィナとの旅が、今ここから始まろうとしていた。
 途中までは、ハンフリーの将と行くことになる。連絡も兼ねてのことなので、のんびり馬車で行く選択はない。だが、そちらの方がエヴァンとしても都合がいい。生き急ぐ必要はないが、冬になると雪が降って、短距離の移動でさえも大変になってしまうから。長距離の移動は早いうちにすませておきたかった。
 ひとたび馬が動き出すと、もうエヴァンは振り返りはしなかった。後は進んでいくだけだ。
 町にたどり着くと将と合流し、東へ向かう。
 かつてはやけに長く感じられたダグラス領を出る旅路も、すぐに終わりを告げた。ダグラス領の東よりのところに隣のアーベライン領の町がある。以前は、さほど大きくはないこの町で冒険者として稼ぎを得ていたことを思い出しながら、東へ東へと進んでいく。とうげを行き、かつては二日かけて行った道を半日足らずで踏破とうはする。
 そうして見えてきたアーベライン領主都は、久しいというよりは、ようやく帰ってきたという気持ちの方が近かった。すでに日が落ちかかっており、王都まで強行する必要もないため、ここで一晩を明かすことになる。
 門の中に入ると、家々は夕飯の準備に取りかかっているところらしく、にぎやかな声が聞こえてくる。将の中にはアーベライン領領主のところから来た者もおり、ことの顛末てんまつを説明すべく領主の館にも行っておくのがよいということになった。
 そして城に着くと、エヴァンたち一行は領主と謁見し、それぞれ部屋を割り当てられ、ようやく休息を取ったのだった。
 柔らかなベッドに倒れ込みながら、エヴァンは思わずつぶやいた。

「それにしても、あの頃の俺は世界を知らなかったし、今でも全く知らないのだと実感するよ。ダグラス領はやはり小さいし、田舎なのだろう。このようなベッド一つとってもそうだ。チェペク共和国ではやけに機能にこだわったものが多かったし、マハヴィルでは岩の上に布をいて寝たものだ……マティアス公国やバルトロ王国、はたまた西の大陸ではどうなのだろうか。各地の様式を皆知っている者はいるのだろうか。商人ならばそうした者もいるかもしれないが、しかし各地を自由に闊歩かっぽする古強者ふるつわものとて、その最期さいごは誰にも知られず魔物に食われることがある。この世界は広い、あまりにも。俺に想像の余地を与えるどころか、逆に全く想像が付かぬほどに」

 エヴァンはやけに饒舌じょうぜつだった。彼がそうなるときは、相手をだまくらかす必要があるときや、相手に話す隙を与えたくないとき、時間稼ぎが必要なとき、そしてセラフィナと他愛もないことを話しているときだった。
 セラフィナはエヴァンの隣に腰掛ける。

「らしくありませんね。エヴァン様でしたら、馬車なら何日かかる、商船を強奪ごうだつすれば数割の労力がはぶける、などとおっしゃるかと思っていました」
「俺はそこまで過激ではないよ」

 そんな会話をしているうちに夜はけていった。


 みょうちょう早くから、ハンフリーの王都に向かって出立する。以前はワッカ共和国を経由したため、北に向かって進んでいくのは初めてのことだった。
 ダグラス領に帰ってきたときと同様の道だが、進行方向が異なれば見えてくる景色は異なる。紅葉が美しく、枯れつつある草木が秋の終わりが近づいていることを感じさせる。
 のんびり進んでいく馬車を追い越し、徒歩の旅人の横を通り過ぎ、王都にはすぐにたどり着いた。エヴァンの知る中で最大の町は、やはり活気でちていた。エヴァンとしては先に昼飯でも食べに行きたかったのだが、他の将たちがすぐにでも城に行かんとするため、それに同行する。
 大通りを行き、門をくぐり城内に足を踏み入れる。エヴァンは心持ち、場違いであると感じなくなっていることに気が付いた。それは彼が経験を積んだことだけが理由でなく、今回は正当な役割があってのことだからだろう。
 すぐにお目通りかなうことになって、謁見の間に招かれた。こうべを垂れ、慣習的な口上こうじょうを述べる。それからいよいよ本題となった。
 エヴァンはこれまでの経緯を述べ、銀狼の毛皮を取り出す。彼が自分用にしてしまおうと思っていたものだが、王族の者が持つにも申し分ない。まして盟主の物となれば、世に一つだけの希少価値がある。

「なるほど、では盟主の討伐はすでに終わっていた、と」

 王太子が将たちを一瞥いちべつすると、彼らは身をこわばらせる。だが、王太子は比較的穏やかだった。

「我が民に犠牲ぎせいがでなかったことを喜ぶべきであろう。そして王室への忠誠を示すべく、全力で当たった彼の勇気はほこるべきこと。エヴァン、これからもハンフリーのために尽くしてくれよ」

 話はだいたいそんなところで終わった。
 エヴァンは、王太子は真にハンフリーを思う為政者いせいしゃなのではないかという気がしてきた。だが、それこそが彼の思惑であるのかもしれないし、いまだマハヴィル内で相応の力を持っていることを考慮すると、他国から見てもいい人物であるかどうかは不明である。エヴァンがもしハンフリーの貴族でなくなったとき、彼は大きな敵対者となるかもしれない。
 ともあれ、今のところはエヴァンにとって、いい後ろ盾として機能していることは間違いない。
 それから数日、民への説明などを、エヴァンが王太子と共に行うことになった。あくまでも、「王太子の良き臣下である英雄」が盟主を打ち倒したという形式だ。こうした積み重ねこそが統治を盤石ばんじゃくなものにしてきたのだろう。
 やがて盟主の噂も収まってくると、エヴァンは用済みとなった。ダグラス領には同行していた者から連絡させ、彼自身はそのまま東に向かうことにする。
 明日からは見知らぬ地で過ごすことになる。エヴァンはいつしか、興奮を覚えていた。



 5


 マハヴィル国内の北を、二頭の馬が進んでいく。すでに足下にはうっすら雪が積もっている。その下には色あせた草。北方民族の住まうこの高原は、岩肌が広がる南側より遥かに進むのが楽であり、先を急ぐにはもってこいだ。
 マハヴィルと北方民族の間で戦いがあったばかりで、これ以上北に行く者はほとんどいないが、北方民族たちは新しい王の座を巡って争い、マハヴィルへの関心は失っているとも言われている。
 エヴァンとセラフィナは、念のため北から適度な距離を取りつつ、高原のふもとを進んでいく。気温はずいぶんと下がっており、野宿になるのだけはごめんだった。
 日が暮れてくるにつれて、風が強くなってくる。そこには雪が含まれていた。

「セラ、もうそろそろマティアス公国にたどり着くはずなんだけど……」
「おそらく、方向がずれていたのでしょう。いずれにしても、森林が見えてきてもいい頃です」

 マハヴィルの北東に位置するマティアス公国は、冬になるとすっかり雪に包まれるという。国内は青々とした針葉樹がすっぽり白く染まって、南方の住人からは大層美しいと評判だ。
 国土の大半はさほど肥沃ひよくでもない土地で、北の方は永久凍土によって耕作すらできない。そこでは海獣などをることで生計を立てているという。
 そんな土地にもかかわらず、世界で五本の指に入るほどの繁栄を誇っているのは、ひとえに国の性質が理由だ。政治、軍事、あらゆることにおいて魔術師が権力を持っており、その技術により生活が成り立っている。それゆえに魔術大国などと呼ばれている。
 日没の間際、エヴァンはようやく林と、その端の方から続いている道を見つけることができた。
 国境には柵が巡らされており、防寒着をまとった兵が見える。エヴァンが馬で近づいていくと、兵たちは警戒気味に眺めてくる。すっかり暗いこの時間に国境を通らんとする者もそう多くない。
 越境の手続きを行おうとするのだが、マティアス公国において冒険者ギルドなるものは存在しないため、身分証明になるものがない。というよりギルド自体がハンフリー周辺だけのもので、これから先の旅ではそれぞれ面倒な入国審査を受けなければならない。
 その業務も本日の分は終わっているということで、国境付近の宿を紹介された。主に軍の関係者などが使っているところらしく、華々しさのかけらもない建物だったが、寒空の下で寝なくてよくなったエヴァンはほっとひと息ついた。
 馬を預け、宿の中に入ると非番の兵たちが酒を飲んでいる。顔を赤らめているが、ひどく酔っ払っていることもない。寒さが厳しいため、こうして酒を飲むのも日常的なのだろう。
 元々客が多くないのか部屋は余っており、個室を取ることができた。
 夕食の席に着きながら、エヴァンはすっかり冷えた指先をこすり合わせる。

「何とか今日中に着いてよかった。いくら火をつけたって、雪に埋もれてしまうからね」
「はい。二人抱き合いながら凍死したのでは洒落しゃれになりません」

 エヴァンは他の兵士たちの格好を見て、もう少し厚着をしてくればよかったかな、などと思った。そうなると、つい先日王太子に渡した毛皮が恋しくなる。
 温かな料理が運ばれてくると、二人はすぐにそれを口に運んだ。野菜の煮込み料理だが、味付けは比較的濃い。兵は体を動かし汗をかくからだろうか。
 腹ごしらえを終えると二人は部屋に戻って寝る準備を済ませる。窓から外を眺めると、雪が雨のように降り注いでいた。
 ごうごうとうなる風の音を聞きながら、エヴァンはセラフィナと一つのベッドに入る。それから彼女の手足が冷えていることに気が付いて、そっと抱き寄せた。

「あの、エヴァン様……?」
「こうしてる方が、寒くないだろ」
「……はい」

 セラフィナはエヴァンの背に手を回す。
 それからは言葉もなく、伝わる互いの体温だけを感じていた。


 入国許可証を得て、エヴァンは国境から続く道を北東に進んでいく。マティアス公国首都は、国内の中心よりやや南寄りにある。馬を飛ばしていけば、一日でも何とかたどり着ける距離だ。
 昨晩の間に雪がすっかり積もっており、一歩一歩蹄鉄ていてつの跡ができていく。まだ日が昇って間もないので気温は低く、ぶるると鳴く馬の吐く息も白い。
 それでも、雪景色は悪くない。陽光にきらめく銀色が一面に広がっており、まぶしいほどだ。
 だが、首都に着いたときにはすっかり暗くなっており、エヴァンもへこたれていたものの、首都の様子を見た瞬間に疲れは吹き飛んだ。
 都市をぐるりと取り囲んでいる市壁の向こうには、いくつかの近代的な建物があったのだ。高層建造物などは高い建築技術をうかがわせる一方、中央には古風な城がそびえ立っており、雪化粧をした姿は非常に美しい。どちらかと言えば平坦なもので大した高さはないが、土地自体が高くなっていることから、籠城なども当然可能なのだろう。魔法を使える者が多いならば、それはますます効果を発揮するに違いない。
 エヴァンは暫し見とれていると、セラフィナがのぞき込んでくる。

「こりゃあすごい。ずいぶんと先進的だ」
「どのような技術か分かるのですか?」
「いいや、全く。けれど、ある程度の想像は付くよ。それに、無駄のないデザインは好きだ」

 セラフィナはよく分からない、というように眉を曲げた。
 暫くはここに滞在する予定だったため、時間はある。一緒に町の中を見て回れればいい、とエヴァンは頬をゆるめた。
 手綱たづなを引き、首都に近づいていく。門番が誰何すいかの声を上げると、エヴァンは返答しつつ入国許可証を示す。すんなりと通され、白く染まった家々が目に飛び込んできた。
 ダグラス領でも雪は降るが、ここまで大きな都市がすっぽりと雪に覆われているのは別格である。
 道行く人々の格好も、これまでとは異なる。毛皮や綿の入った厚手の衣服を何枚か重ね着しているらしく、寒気にもへこたれやしない。
 そこでエヴァンは町に二種類の人々がいることに気が付いた。頭を下げる人と、下げられる人だ。それは至極しごく当たり前の光景らしく、誰もがそうしている。そしてその区別はすぐについた。ローブをまとっているかどうかである。国民は、魔術師に対して敬意をいだくように教えられているのだろう。魔術師も、国民がそうと知らずに無礼な態度を取ってしまわないようにか、あからさまな格好をしている。
 エヴァンは魔法が使えるものの、彼らに対して頭を垂れる必要があるのだろう。面倒に思いつつも、それで厄介やっかい事になるのを防げるのなら安いものである。
 これだけ魔術師が優遇されているのなら、魔法に関した何かが分かるかもしれない。エヴァンは意気揚々と、雪を踏んだ。


 マティアス公国首都に到着して二日。エヴァンは早朝から大通りにいた。
 目的はカール・リンドおよび第三盟主リンドブルムに関する情報を得ること、それから様々な魔法の知識を確認することだ。とはいえ、急ぎの用ではないので、慌てて聞き込みをする必要もない。また、早朝から酒場をやっている宿もないため、噂話を聞くのも難しい。
 そんなわけで、エヴァンはセラフィナと共にのんびり歩いている。早朝の寒気は厳しいものがあるが、朝日を浴びていると気分も晴れ晴れとして、そんなことも気にならなくなってくる。
 人々は軒下のきしたのつららを取ったり玄関口の雪をどかしたりしており、まだ開店時間には少々早い。
 これまでの町でそうしてきたように、まずは本から情報を集めようとしているのだが、なかなか教会は見つからない。マハヴィル王国では一つも見かけることがなかったことから、それ以東では存在していないのかもしれない。
 そんなことを思いながら進んでいくと、広場が見えてくる。その頃には結構な時間がたっていて、いろいろな店が開いていた。賑やかなそこの中央には、目を見張るような氷像がある。その高さは大人の三倍はあろう。

(……これは、リンドブルムだ)

 ひと目で分かるほど、それは記憶の中のものと類似していた。全体的にごつごつと角張かくばっているようでいて、関節部分はのっぺりしているようでもある。デザインは基本的にシンプルで、モチーフとしては作りがいがないだろう。しかし広場を占有していることから、この国において相応の意味を持っているのは間違いがない。

「おや、旅人さんかね?」

 あまりに長く見つめていたのだろう、声をかけてきた方を見れば、人の好さそうな老人がいた。比較的裕福そうな格好で、年の割にしゃんとしており、少しばかりのしわには人生が濃縮されているかに思われる。

「ええ。それにしても、大きな像ですね」

 エヴァンはできるだけ具体的な内容を避けた。相手がどのような認識を持っているのか情報を引き出した上で、話を進めていくべきだと判断したのだ。何しろ、いきなり地雷を踏んでしまう可能性もあるのだから。
 老人はよく手入れされたあごひげを撫でながら、視線をその像に向ける。

「この国の守り神様だからなあ。第三盟主、リンドブルム様と言えば分かるかね?」
「はい。ですが、詳しい話は聞いたことがありませんので、お聞かせいただけるとありがたいです」

 エヴァンが頭を下げると、老人は「長くなるが」と前置きしてから語り出す。

「かつて大災厄と呼ばれる、魔物の反乱があったそうな。君らにとっては、救世の日、あるいは生誕の日と言った方がわかりやすいかね」

 前者に関しては初めて聞いたことだが、後者に関してはそれぞれ、異界魔神教いかいまじんきょう自然精霊教しぜんせいれいきょうに共通したある日を指しているはずだ。もっとも、その中身は両者で大きく異なっている。
 異界魔神教ではカール・リンドが制御魔法により世界を覆い尽くす闇を支配して、この世を救った日としており、自然精霊教では生成魔法によりこの世界が今の形に作り上げられた日としていた。それらと比べると、大災厄の日というのは、異界魔神教に伝わっている方が近しいと言えよう。そしてこの世界を覆い尽くした闇というのが魔物であったというのも、可能性としてあり得る。
 と、そこでエヴァンは魔物の記述についても思い出した。異界魔神教では魔物は信仰の対象であり、亜人は魔物が変化したものであるとしている。その一方で、自然精霊教では魔物は異端者によって生み出された存在で、亜人はその影響を受けて人から外れたものであるとしていた。
 ならば、今の亜人への差別的な見方も、その魔物の反乱に起因するのかもしれない。
 エヴァンは頭を働かせつつ、話に耳をかたむける。

「それを救ったのが、カール・リンド様とリンドブルム様であったそうな。けれど、カール様は旅の中でお亡くなりになられた。それでもリンドブルム様はカール様のゴーレムであられた、そして最後までそうであろうとなさった。故国に戻り、今も彼の帰る場所を守っておられるのだ」

 それは異界魔神教の話とよく似ている。だが、そうなると、カール・リンドが倒さんとした相手である魔物を信仰しているというのは、いささか疑問が生じる。

「今も、ですか?」
「ああ、そうさ。かれこれ数千年、気の遠くなるような年月、この地を守ってこられた。それゆえに、今のマティアス公国があるのさ」

 老人は目を細め、リンドブルムの氷像を眺めた。そこには漠然ばくぜんとした羨望せんぼうや感謝ではなく、体験なしでは推し量れない感情があるように思われる。幼子おさなごが英雄に出会ったとき、言葉では言い表せぬ確かな実感がいてきたときのように。

「私も若い頃はリンドブルム様のお姿をひと目でも見たいとはげんだものだが、結局成果の出ぬままこの年になってしまってね」

 エヴァンはその言い回しに違和感を覚える。どうにも、伝説上の話ではないような気がしたのだ。

「成果、ですか?」
「そうか、これはこの国だけの風習だったね……この国が魔術師によって成り立っているのは知っているだろう? 他国の貴族に相当すると言ってもいいだろうね。この国には貴族というものはなく、すべて魔術の巧拙こうせつによって階級が決まっているんだ」

 魔術師の国だというのはともかく、貴族がいない、というのは初耳であった。

「魔術師は、最高の技術を求める。魔法の追求、そして戦闘における魔法の運用。それは生活、あるいは名のため、はたまた知的好奇心を満たすためかもしれない。けれど、必ず第一に魔術師の頭の中にあるのは、優れた魔術師のみがリンドブルム様にお会いすることを許されているということさ。人は誰しも、何かを求めるために生きているのだろう」

 老人はつい昔を思い出してしまった、と柔和にゅうわな笑みを浮かべた。それから、「この町には見るところがたくさんあるから、ゆっくりしていくといい」と伝える。
 エヴァンは去っていく老人に頭を深々と下げる。話を聞かせてもらったということだけではなく、かの老人の夢を追い求め続けてきた人生に敬意を抱かずにはいられなかったからだ。老人は魔術師の証左しょうさであるローブをまとってはいなかったが、確かな誇りをまとっていた。
 それから暫くの間、エヴァンはそこから動けずにいた。どうしようもなく荒唐無稽こうとうむけいなようでいて、しかし確かに存在している一つの可能性が、頭に浮かんで離れない。
 この国の魔術師として上り詰め、リンドブルムに会う。国に対する忠誠などあったものではないが、目的のためならば些細ささいなことであろう。不可能だとは思わなかった。自分ならできるのだと、そんな気がした。自身の戦闘能力、そして知識を考慮すると、自然と湧いてきた考えだ。
 老人は、人が何かを求めるために生きているのだと言った。ならば自分はこの記憶を知り、その上で未来を見定めたいのだろうと、エヴァンの気持ちは半ば固まりつつある。
 記憶の残滓ざんしが胸を打って、あたかも今がその当時であるかのように感じられる。空気が生々しく、感情が揺さぶられる。

(……彼は何を願ったのだろうか)

 今となっては直接聞くことのかなわぬそれを、知りたいと思った。


 時間がたつにつれ、賑やかな声が聞こえるようになってくる。エヴァンがようやく思考の束縛から解放されると、ずっと黙っていたセラフィナが彼の手を取った。エヴァンが考え事をしているとき、セラフィナは滅多に口を挟まない。その間はじっと待っていて、それが終わるとすぐに今度は自分の番だとばかりに、彼女のペースに持っていくのだ。
 そうした対照的な彼女の態度のどちらも、エヴァンは好ましく思っていた。これほど配慮のできる女性はそうそういないだろうし、積極的なアプローチはまだまだ少女らしい。

「これからどこに行きましょうか? きっと、教会はありませんよ」

 この町の住人が信じているのは魔術師たちであり、その魔術師たちが崇敬すうけいしているのはリンドブルム、そしてカール・リンドだけなのだ。そこに他のものが入り込む余地などみじんも存在してはいないだろう。
 そうなると、魔法の知識を得るためには教育機関、あるいは研究機関に行かねばならないだろう。それは、魔術師となることとそう変わらない。

「魔術師たちの研究所、あるいはあるのか分からないけれど学校に行ってみようかと思う。とはいえ、門前払いされる可能性の方が高いけれどね」
「ではそうしましょう。まずは探すところから、ですね」

 セラフィナはエヴァンを引っ張っていく。けれど何か明確な目的地があるわけでもなく、あたりをぶらついて、そのうち屋台の匂いにつられて昼食代わりにと買い食いをしたり、店を覗いたりと、自由に振る舞っていた。彼女は散財する方ではないから、こうした行動は珍しい。気を遣わせてしまったのだろうかと、エヴァンは彼女の方を見るが、純粋じゅんすいに楽しげな様子だった。

「エヴァン様! ここの衣服はどれも暖かそうですね!」

 セラフィナはいろいろ手にとって眺めている。これより北では畑作より狩猟しゅりょうが主になってくるからか、動物の皮を使ったものが多い。そして厚手の防寒着、とりわけ着ればふくれあがってしまうようなデザインが多い。
 エヴァンは近くにあった長方形に近い布を取る。頭巾のように使用するものだろう。それをセラフィナの首元にくるくると巻き付けてみる。そのような使い方をしている人は見たことがないが、彼女が身に着けていれば文句なしに可愛いと太鼓判たいこばんを押すことができる。
 セラフィナは暫しそれをちょこんとつまんだりしていたが、どうやらお気に召したようである。やや上機嫌になって、今度は彼女がエヴァンにいくつか衣服を合わせていく。

「これはどうですか! おそろいですよ!」

 と、彼女が差し出してきたのは毛皮製品、それも狐の尻尾である。機能性などないに等しいそれを、エヴァンの剣帯に挟み込んでくる。

「……俺が着けても、可愛くないよ」

 自身の腰からだらりと垂れ下がった尻尾をちらりと見つつ、エヴァンはつぶやいた。
 暫くそうして遊んだ後、上着を購入して羽織はおった。温かな外衣がいいに包まれると、まるで心までもが守られているかのように心強い。それからようやく目的を果たさんとする。目的地が何であれ、重要な施設ほど中心地にあるものだから、とりあえず町の中心に向かっていく。
 やがて高層建造物が見えてきた。入り口が見えてくると、それが何なのかおおよその推測が付くようになってくる。中に入っていくのは、ローブをまとった者たち。若者から老人まで、その年齢はばらばらである。
 どうやら魔法に関連する施設を一カ所にまとめている、ということらしい。中を見てみると、受け付け――あるいは警備員なのかもしれないが、男性がなにやら手続きを行っていたので、エヴァンはそちらに聞いてみることにした。
 中に入り一礼すると、男性がこちらに気が付く。

「こんにちは。魔法について学びたく、やってきたのですが、お教え願えないでしょうか?」

 男は心得たようで、慣れたようにすらすらと案内を始める。

「ああ、入学試験を受けに来たのかな? それなら通りを行ったところに立て札があるよ」

 エヴァンが何も知らぬ田舎から出てきた少年を装いながら聞いてみると、どうやら学校があると分かった。丁度、今週に試験があるため、その予備審査が行われているということだった。魔法が使えれば、費用や年齢、あらゆることにかかわらず試験を受けることができるとのことで、大抵の魔術師はそこから始めることが多いそうだ。
 いろいろ教えてもらった男に頭を下げると、エヴァンはそちらに向かって進み出す。

「エヴァン様、学校に通われるのですか?」
「そうと決まったわけじゃないし、まだ試験を受けてすらいないよ。それに、仮に入ったとしても、あまりに時間がかかるようならほかの手段を探すだろう。そこが目的地ではないのだからさ」
「はい。それにしても……ダグラス家で一番乗りですね」
「それもハンフリーじゃない、ってところがミソかな」

 試験の内容について詳しいことを知っているわけではないが、これまでの世界中の知識をかんがみるに、実技、知識共にそこらの魔術師に劣ることはなかろう。ダグラス家でも一番扱いの悪かった末っ子だけが入学するとは、何とも皮肉な話だ。そして自分の国以外で、というのは何とも自分らしい、という気がした。
 ガラスの向こうにいくつもの魔石や、ローブなど魔術師の装備品らしきものが並べられている建物を過ぎていく。
 ようやくたどり着いた会場は、多くの青少年で溢れかえっていた。エヴァンとセラフィナも中に入って手続きなどを済ませる。それからいくつかの簡単な魔法の運用ができるかの確認が取られ、ある程度の技術があると認められると、試験の許可証を得て、その日は終わった。
 同年代の者と過ごすことがなかったエヴァンは、あまり知り得なかったことだが、どうやら幼少時から魔法の運用を行える者はほとんどいないようだ。それを考えると、記憶による補助があるにしても、エヴァンは多少の才能があったのだと言えるのかもしれない。まして、かねてから魔法を存分に発揮できたセラフィナは異常なまでの才だろう。
 それから数日は町中を見て歩いて、何事もなく過ごした。
 そして、いよいよ試験の日がやってくる。
 町の構造もずいぶんと頭に入ってきて、迷うことなく会場に行き着くことができた。会場は二階だそうで、階段を探すも見当たらないことに気が付く。そしてその代わりにエレベータを発見した。
 他の受験生同様にそれに乗り込むと、中には運転員が一人。非常時のためにいるらしい。コストを考えれば、様々な安全装置を導入するよりは安上がりなのだろう。
 全員が乗ると、扉が自動で閉まり、上昇を始める。少年少女たちは思わず感嘆の声を漏らした。
 魔力が感じられることから、魔石を仕込んでそれによる魔法によって上昇させているらしい。しかし急に持ち上がるように上昇することから、精密な制御までは行われていないようだ。到着して扉が開いたときにも、フロアとエレベータ内の床の高さが異なっており、誤差が残っていることが窺える。
 先進的な技術を詰め込んだのかもしれないが、つたないなあ、というのがエヴァンの感想であった。
 それから部屋に入れられて、筆記試験が始まる。
 用紙が配られると、エヴァンはざっと上から下まで確認する。簡単な算術や力学の問題、魔法の基礎、そして応用。どれも見た瞬間に答えを叩き出せるようなもので、すらすらと筆を走らせていく。
 が、最後のあたりで急に手を止めた。歴史や思想の問題があるのだ。おそらくは、危険な思想を持っている者を排除するためだろう。エヴァンは慎重に一つずつ埋めていく。大災厄の日やカール・リンドに関するもの。それからこの国の情勢など。
 ひと通り無難な答えを書き込むと、エヴァンは筆を置いた。
 暫くして試験が終わると、その日のうちに採点が終わるとのことで、別室にて待つ。緊張から解放された少年たちはだらけて、少女たちはおしゃべりに興じている。
 それから合格者の番号が発表され、その中にはエヴァンとセラフィナのものもあった。そして個別に呼び出されていく。やがて二人も別室に連れられていくと、そこには数名の魔術師と剣をいた男たちがいた。扉が重い音を立てて閉まっていく。

「エヴァン・ダグラスと言ったな……貴様、どこの間諜かんちょうだ?」

 放たれた第一声は、それだった。

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