異世界を制御魔法で切り開け!

佐竹アキノリ

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3巻

3-2

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 偉大なる制御魔法使いカール・リンド。
 瞳の一方は灼熱しゃくねつ業火ごうかの如き赤、一方は豊穣ほうじょうの大地の如き茶。背では大陸を滅ぼした竜王から奪いし翼がはためき、ひたいには神に逆らいし大鬼を一太刀の元に切り捨て手に入れし角がそびえ、そして闇夜の支配者である大悪魔の残しし腕が揺れる。
 数万の鉄人形を引き連れ、その行く手を阻む者は神であれ悪魔であれ、蹂躙じゅうりんし尽くす。人を近づけず、しかしそのかたわらには常に二人の女性の姿あり。両の瞳にはただの一度もうれいも喜びも浮かぶことはなく、唯一それがきらめくときは、神を滅ぼしたときと言われている。


 エヴァンはつまんで情報を得ていたが、カール・リンドという人物はかなり過激な性格をしていたようだ。
 記述によれば入り口にあった銅像は彼のものだったらしい。数多の生き物をくっつけたようなさまはさながらキメラであるが、それが事実であったのか、あるいは過激さを誇張する後世の創作であったのかは判然としない。
 そんな人物がなぜドワーフたちに受け入れられているかといえば、カールが残したゴーレムの存在が大きいだろう。機械仕掛けの人形であるそれは、工業やからくりを好むドワーフたちにとって、大いなる興味の対象であったのだ。
 ゴーレムについて後世の者が詳しく調べた結果を記したものも多くある。むしろ、カールよりそちらの方がドワーフたちの主な信仰対象と言い換えてもいい。
 一般的に、ゴーレムは埋め込んだ魔石をエネルギー源として動いているらしく、「殴る」「物を運ぶ」など、大まかな命令ごとに動かすことができるようである。「手を上げる」といったレベルまで細かく設定されておらず、プログラムの中身もブラックボックスのままなので調整することもできないそうだ。
 カールはゴーレムを引き連れて戦ったというから、あえて内部状態を観測できないようにしたのだろう。容易く外部から測定されるシステムなど何の役にも立たないはず。
 エヴァンは周囲に誰もいないことを確認してから、その場に土人形を生成し、これまで明らかにしてきた運動モーションのモデルの通りにおどらせたり歩かせたりした。セラフィナは楽しげに、そんなエヴァンとゴーレムを眺めている。
 複雑な処理をさせるモデルほど時間がかかり、一方簡単にするほど実際の挙動と理想との誤差が大きくなる。あちらを立てればこちらが立たぬ関係にあるため、そうそう都合のいいものは作れない。しかしとりあえず形にする上でさほど重要ではあるまい。
 ならば問題は、いかにして自身とゴーレム間で通信を行うかだ。無線のように行うのであれば情報理論など既存の知識でもできるだろうが、それには電流を発生させる必要がある。
 一方、この世界で電気がほとんど使われていないせいか、生成魔法に電力を生み出すものは知られていない。
 制御魔法による状態の観測は、どうやら外界の情報を魔力に変換して感知しているようなので、その逆変換ができれば電流を発生させることもできるかもしれない。

「エヴァン様、そろそろ……」

 セラフィナの視線の先には、こちらにやってくる人の姿がある。エヴァンが魔法の行使を止めると、ゴーレムは、次第に崩れていく。
 魔法を使ったことによる消耗はさほど感じられない。随分と魔力が増えたものだ。
 やがてひまになると、エヴァンは空いた時間を訓練に使うことにした。
 街を出て近くの森を行く。依頼を受けてくればよかったのかもしれないが、そこまで時間を使う予定もなく、すぐ近くで大それた依頼もないだろう。
 暫く行ったところで、エヴァンは片手を挙げてセラフィナに敵発見の意を伝える。そこにいたのはオオカミの魔物。通常のオオカミとさほど性質が変わるものではないが、そもそもオオカミは強靭きょうじんな肉体を持ち、十頭前後の群れで動くという性質がある。
 エヴァンは周囲をざっと見回して敵の数を確認、龍の牙を抜いた。彼の背丈よりも長いせいで、木々が入り組んだ状況下では取り扱いにくく、どちらかといえば槍として扱う方がましなのかもしれない。
 侵食領域を展開するなり手のひらサイズの石を生成し、いくつかセラフィナに渡しておく。それから自身も生み出した石を手にすると、セラフィナのモーションを利用しつつ、微調整を加えながら敵目がけて振り抜いた。
 投擲とうてきされると同時に侵食領域内でさらに加速した岩石は、狙いをあやまたず敵の頭部に命中。そのまま昏倒こんとうさせる。
 オオカミどもが物音に気がつくよりも早く、セラフィナはエヴァンに続く。彼女は機械的に制御していないにもかかわらず、正確な動作で全身の体重を乗せて腕を振る。
 素早く放たれた石は、オオカミが自らの死を悟るよりも早く命を奪う。そして残りが一斉に向かってくると、もう一発をくれてやり、迫る一匹を仕留める。
 やがて彼我ひがの距離が一太刀の間合いに近づくと、エヴァンは龍の牙の中程を腰のあたりで握り、右半身を前に出して槍のように中段に構える。
 向かってくる一体をねめつけ、間合いに入るなり素早く重心を前に移動、穂先ほさきにて打ち落とす。と同時、側面から襲ってくる敵に対して素早く半身を引き、重心を後方に移しながら、手にした牙をくるりと回し、石突きで打ち上げる。
 セラフィナも近づいた一体を槍の中程で打つと、遥か遠方まで突き飛ばした。それにより周囲の空間に空きができる。
 エヴァンは手にした龍の牙をぶん回し、引き気味だった敵の群れをさらに威圧し、一気に退しりぞける。彼を中心に、誰もが近寄らぬ空間が出来上がった。


 死んだものを置き去りに、オオカミの群れは息も絶え絶えに逃げていく。エヴァンは追撃しようとも思わず、牙を軽く振って敵の体液を払う。しかし切れ味などないに等しいので、血はついていなかった。
 エヴァンはふとセラフィナの視線に気がつくと、わざとらしく牙をくるくると回す。

「俺の槍捌やりさばきもそこそこだろう?」
「まだまだです。エヴァン様には、剣の方が合っていますよ」
「だろう、そうだろう。やはりそれはセラ、君でなければ」

 そういうエヴァンは、知らず知らずのうちに笑みを浮かべている。悔しさなどない。セラフィナの槍の技術が彼よりもはるか上をいくことは、誇りであり喜びでもある。
 剣としては武骨すぎるこの代物をどう扱うべきかと悩みながら、龍の牙を再び背に戻し、エヴァンは敵の残した魔石を拾い上げる。

「さて、とりあえず剣がなくとも問題はないようだ。帰ろうか」
「はい。帰りましょう」

 そしてエヴァンは来た道を引き返す。多少力をつけようと、何らかの記憶を得ようと、行いも考えも変わりはしない。これからも彼女とこの旅を続けるだけだから。
 エヴァンがセラフィナの手を取ると、彼女もはにかみつつ握り返した。



 3


 エヴシェン・ホラークは日頃、穏やかな笑みを欠かさない人物であったが、今日はいささか事情が異なるようで、慌てふためきおどおどしているようにも見える。
 彼の自宅、玄関前にいるのは青年と少女。自慢の息子と娘である。

「トマーシュ、気をつけていくのだぞ。決して油断してはならんが、常に笑みを浮かべていなければならん」
「はい。承知しております。民のため、ひいてはこの国のため。出来得ることを成し遂げましょう」
「おお、その覚悟やよし。だが、無理はするな。お前に何かあっては困るのだからな」
「大丈夫です、ただの視察ですから。大それたことなど起こらないでしょう」
「そうは言うが……」

 今日のエヴシェンの姿は議会での優雅な立ち居振る舞いとは違って、息子の出立を前にしておろおろする父でしかなかった。
 それから物静かな少女、カリナの頭を撫でてやる。彼女は外で目立った自己主張をすることがなかったが、家族だけのときには愛情を求めて甘えることがたびたびある。
 エヴシェンからしてみれば、まだ幼子のようなものだった。とはいえ彼女も十六歳である。そろそろ貴族の娘としては、独り立ちして社交界に出ていてもおかしくはなく、優雅なドレスを身に纏い、言い寄ってくる男性たちを軽くあしらっていてもいい頃だ。
 エヴシェンの過剰な愛情の庇護下ひごかで育ったせいか、カリナは胸を張って人と相対することができずにいた。そのため、いつもトマーシュの後ろに隠れている。
 そんな彼女も今は満面の笑みを浮かべている。父の期待に応えられるのが嬉しいらしい。

「カリナ。何かあったときはトマーシュを頼るといい。嫌になったら、いつでも帰ってきてもいいのだからな」
「ふふ、お父様。それではお兄様が困ってしまいますよ」
「そのときは私が代わりに謝罪しよう。この身など、お前たちのためなら軽いものよ」

 事実、エヴシェンはこの国でも一、二を争うほど重要な位置を占めていたが、その全てと我が子を天秤てんびんにかければ、あっさりと二人の方へと傾いてしまうだろう。
 国に仕える者としては不十分な覚悟かもしれない。しかし、エルフたちほぼ全員が、国の存続にはその象徴たる王族が必要と考えていた。すなわち、エヴシェンとその子たちである。そのため民の彼に対する認識は、国を軽視する者ではなく、次代の希望のためならば我が身とていとわない慈愛に満ちた英雄なのだった。
 やがて親子の別れの挨拶もそこそこに、出発の時間がやってくる。

「では父上、行ってまいります」
「ああ。気をつけていくがいい」

 近衛兵たちを左右に控え、トマーシュは優雅に頭を下げる。そしてきびすを返すと、振り返ることなく堂々と歩き出した。カリナは一歩下がって彼の後を追い続ける。それは相手を立てる淑女のようにも見えた。
 エヴシェンがしきりに心配していたのは、彼らが向かう先がドワーフたちの住まう地域だということが理由だった。エルフたちの領内ならば、多少の不都合があろうが、民があれやこれやと世話を焼いて何とかしてくれるだろう。しかしドワーフたちには、エルフの王族に対する特別な思い入れなどない。
 馬車に乗った二人が見えなくなるまで、エヴシェンはその姿を追い続けた。


 エヴァンはその日、ギルドの依頼のために、街はずれの鉱山にやってきていた。周囲には十名ほどのドワーフが集まっており、他国から来た年若い二人は少々目立つ存在だ。
 彼らは同じ依頼を受けた者たちで、多数が古びて廃棄はいきされたとおぼしき軽鎧に身を包んでいる。予算の少ない冒険者としては一般的な装備だろう。
 ドワーフたちは立ち居振る舞いこそ他国の冒険者と変わるものではないが、瞳にはぎらぎらした意欲のようなものが見え隠れしている。ドワーフの気性の荒さが理由かもしれない。
 それから依頼の説明があって、ようやく坑内に足を踏み入れることになった。坑口は木枠で囲まれており、崩落を防いでいる。それが丁寧に積み上げられたものであったため、中も安全だろうとエヴァンは安堵あんどするが、進むにつれて支保工しほこうは朽ちてしまいそうなほどに古びてくる。
 ところどころに備えつけられているランタンの炎が辺りを照らす。露出した岩肌はやけに寒々しく、よどんだ空気の臭いが鼻を突いた。
 奥から運搬夫がトロッコを押してきて、エヴァンの横を通り過ぎていく。やがて見慣れた光景も少しずつ変わってきて、排水作業に従事している鉱夫の姿も見られるようになってくる。まだそこまで深く掘り進められているわけではないらしい。
 ようやく掘削作業に従事している男たちのところに辿り着くと、エヴァンはいよいよ仕事だと緊張を隠しきれなくなった。
 鉱山では崩落やガスの危険性など、いつ死が降りかかってくるかわからない。この苛酷かこくな環境は、魔物なんかより余程恐ろしいものであろう。
 依頼内容は、出没する魔物を駆除するというものだ。それゆえにこういった掘削には関わらなくてもいいのだが、いつになく体が強張こわばる。

「どうした坊主、びびってんのか?」
「……何分、坑道は初めてなものでして」
「だろうな。が、俺たちにとっちゃ、こんなのは家みてえなもんよ!」

 豪快に笑うドワーフの男に、周囲の冒険者たちはたしなめるような視線を向ける。今つるはしを振るっている男たちはいい気がしないだろうから、当然の反応だったとも言えよう。
 それから各々、周囲の警戒に当たる。偶然、魔物の巣を掘り当ててしまうこともあるそうで、油断はできない。
 が、それよりも早く、別の危機が襲ってきた。岩肌からゆらりと姿を現したのは、長い胴体を持ち、舌を出し入れするマムシ。街は遠く、毒が回ってしまえば処置が遅れることになる。
 エヴァンは飛び退くと、背にした龍の牙を抜く。そして間髪かんはつれずに一撃を叩き込んだ。
 一瞬、弾力があったものの、すぐにそれはなくなる。胴体を押し潰され真っ二つになったマムシが地に落ちる。たかが爬虫類はちゅうるいを相手に過剰な反応だったかもしれない。
 そんなエヴァンの姿は、マムシ程度なら手掴てづかみにしてしまう鉱夫たちからは、もやしっ子に見えることだろう。が、魔物の脅威きょういとなれば、また別である。
 エヴァンは牙についた血を拭い去り、気を引き締めていく。
 それから暫くは何事もなく時間が過ぎていった。これほど楽な仕事があっていいものだろうかと思い直し始めるほどである。
 しかし、そうした油断が胸中を掠めたとき、坑道を揺るがす衝撃が起きた。鉱夫たちは一斉にその場を立ち退き、魔物の危機を叫ぶ。
 エヴァンはセラフィナと現場に向かって駆け出す。そして次の瞬間、岩壁が開かれ、肌色に近い鼻先が突き出した。その根元には毛に覆われた小さな瞳。
 ガラガラと音を立てて岩が崩れ、土を掻き分けるのに適した大きな手が現れた。頭部の左右に現れたそれには鋭い爪が生えており、強い力で掘り進んでくる。
 数名の冒険者たちが集まってくる中、エヴァンは龍の牙を正眼せいがんに構えた。周囲には十分な空間があり、振り回すのに何の障害もない。
 人の背丈ほどもあろう茶褐色の頭がようやく出て、それからずんぐりとした胴体が一気に飛び込んでくる。その動きは丸々とした図体からは到底考えられないほどに素早い。
 鉱山モグラ、と呼ばれる魔物だった。
 先手必勝とばかりに、冒険者たちが飛び込んだ。剣をかかげ、思い切り振り抜く。が、敵の方が一枚上手であった。
 頭部を素早く動かし、大きな手をばたつかせて襲い来る者たちを振り払う。爪は鉄を切り裂くほどに鋭く、その力は巨岩を払うほどに強い。
 一撃を食らった冒険者はひるみ後退するも、すぐさま体勢を立て直して剣を掲げる。が、そのときには既にモグラの方も移動を終えている。
 どこかに頭を突っ込んでいないと気が済まないのか、あちこちをほじくり回し、岩石を辺りに撒き散らす。胴体が半ばまで埋まるとようやく安堵して、地面を這いずるように辺りの探索に乗り出す。
 しかしそれは身動きを取りづらくしたに過ぎない。背後に回り込んでいた冒険者が、鋭い一撃を放った。ジタバタともがくモグラの短い毛の内側の、肉の深くまで刃が突き刺さる。
 いよいよ、鉱山モグラは自身の作った穴から飛び出し、近くにいた冒険者どもを叩きのめし、周囲を駆け巡った。
 そしてエヴァンのところに真っすぐ向かってくる。彼は牙を構えたまま、微動びどうだにせず敵を見据えた。
 短い手足を頻りに動かし、土を巻き上げ小石をはじき飛ばすさまは、竜巻をも連想させる。
 抵抗しようもないと思われるほどの圧倒的な勢いを前にして、しかしエヴァンは
 直進してくる敵には迷いも躊躇ためらいもない。一瞬のミスが命取りになる。だが、エヴァンはその位置こそが適切だと思った。
 真正面。
 モグラの手足は外側に向かってついており、非常に短い。土を掻き分けるのに適している反面、眼前にある獲物を両側から捕まえる動きを取ることができない。それゆえに隙ができる。だが、それも体を一ひねりされるまでの一瞬だ。
 エヴァンに気負いはなかった。ゆっくりと、龍の牙を上段に構える。そして背後にセラフィナを控えたまま、強く地を蹴り一気に跳躍した。
 彼我の距離が一瞬にして縮まる。エヴァンは強い風を感じていた。
 それは正面から吹きつけてくる、敵が生み出す乱気流。そして自身を駆り立てる後押しの風。
 眼前を敵の爪が横にいでいくのを合図に、エヴァンは手にした牙を振り下ろした。
 刃筋も刀線も刃波も、もはや関係ない。武骨な龍の牙がもたらすのは純粋なる衝撃。真っ向から当てればよい、ただそれだけのことだ。
 それゆえにエヴァンは真正面から振り下ろした牙を、力の限りに打ちつける。その軌跡は見事な弧を描いた。
 鉱山モグラの顔に一撃。敵の突進を止めるのには十分であったのだろう、ぴたりと両者の動きが止まった。が、力が拮抗していたわけではないことがすぐ明らかになる。
 急に互いが動き出す。エヴァンは渾身の一撃を叩き込んだ後でバランスを崩し、鉱山モグラは痛みに頭を引っ込める。
 そこに誰よりも早く切り込む影がある。槍が炎に照らされて、にぶく輝いた。銀の穂先は敵の片手の付け根をえぐり取り、互いに次の手を出しかねていた拮抗状態を破る。
 エヴァンは好機と見て、鼻先に一撃を加えると、その反動を利用して素早く後退する。鉱山モグラの無事な方の手が未練がましく追ってくるが、可動範囲の外であり、届きはしない。
 一度動きを止めた敵には、冒険者たちが群がるようにして、四方から飛びかかっていた。鉱山モグラは胴体を切られ、後ろ足をねられ、そして心の臓に刃が突き刺された。
 悲鳴が上がる間もなかった。硬直したようにると、もはや最後の足掻あがきさえできずに、地に横たわる。
 冒険者の一人が勝鬨かちどきを上げた。それにつられて、他の者たちも声を上げる。
 珍しい、とエヴァンは彼らを見遣る。冒険者たちにとって、勝利を共有しようなどという考えはほとんどない。エヴァンもすっかりその考えに慣れており、頭の中にあるのは、この鉱山モグラが魔力に戻った際に生じる魔石をいかに多く手にするか、あるいは何か残った素材――たとえば宝石などを誰よりも先に得るか、といったことである。
 このモグラは一体だけなので、戦利品があちこちに分散することはない。そのため、魔石が生じるときを今か今かと、エヴァンは周囲の警戒もそこそこに待っていたのだ。
 やがてモグラは腹の中に蓄えていたのか、いくつかの鉱石とそれなりに大きい魔石を落とす。
 エヴァンとセラフィナは先陣を切って、それらに飛びかかった。外聞などはもはや気にしてはいない。そもそも、金のために働いているのだから。
 一方、冒険者たちは行動を起こさなかった。エヴァンはその隙に手当たり次第に戦利品をかき集めていく。それからようやく他の者たちもエヴァンの方を見て、慌てたように火事場泥棒かじばどろぼうに参加するのだった。
 ここの冒険者にそういった習慣はないのだろうかと思ったが、基本的に無主物先占の原理はどこの国でも同じだ。
 冒険者たちは先走ったエヴァンに文句を言うこともなく、小言を呟きながら守備に戻っていった。やがて連絡が行き届くと鉱員たちが戻ってきて、何事もなかったかのように掘削を再開する。
 どうやら、鉱山モグラの作った穴を利用するようだ。その巣穴を辿っていけば、いくつか宝石などもあるかもしれないが、魔物が落としたものと元々存在していたものの区別がつかないため、冒険者が権利を主張することはできない。
 エヴァンは鉱員たちの護衛も兼ねて、穴の奥を覗きに行く。支保工のない穴はいつ崩落してもおかしくない状態で、この穴から別の魔物がひょいと顔を覗かせても何の不思議もない。
 深く無秩序に掘られ、入り組んだ道を進む。鉱員たちはときおり、坑内図に何かを書き込みながら穴を調べている。
 結局、その日は他に何事もなく、エヴァンの仕事は終わった。坑道から出てきたときには既に日も暮れつつあり、これから男たちは街に戻って一杯引っかけるに違いない。
 地下から出るなり、エヴァンは大きく深呼吸する。空気がおいしいと感じるのは、こういう体験でもしなければ経験できないことだ。
 夕暮れ時、街へと歩いていく男たちの姿は、くたびれているようにも活力に溢れているようにも見える。

「セラ、帰ろうか」
「はい。夕飯は何にしましょう?」
「今日は遅いし、どこかで食べていこうか。臨時収入もあることだし」
「ではそうしましょう」

 エヴァンは薄汚れていたが、手をズボンで拭いてから、そっとセラフィナの手を取った。彼女もまた頬に煤がついている。エヴァンが拭うと、セラフィナは小さくはにかんだ。
 それから汚れた互いを見て、笑い合った。


 その晩、エヴァンは宿の酒場で夕食を取ることにした。既に夜も遅いので大抵の店は閉まっている一方、ドワーフたちは酒豪が多く、酒場はどこも賑わっている。とはいえ、エヴァンは酒を飲む気などなく、セラフィナは未成年。店からすれば、奇異きいな客だろう。
 今日泊まる宿で食事を取ってもよかったのだが、そこは大多数の宿がそうであるように、メニューが酒とちょっとしたさかな程度しかなかった。たっぷり働いた後の晩餐ばんさんには物足りないので、食事だけは別のところで取ることにしたのである。
 次の日はこの宿に泊まってもいいかもしれないなどと思ったが、安宿なので個室はなく、相部屋で雑魚寝ざこねしなければならないのだ。
 ハンフリー王国で一度だけ依頼の最中に雑魚寝をしたことはあったが、あれは敵襲に備えたものであって、それぞれ武装したままであり、仮眠に近いものだった。
 しかしここではそうではない。庶民の大半は貞操観念ていそうかんねんとぼしく素っ裸で寝るだろうし、隣に病気持ちがいた場合は最悪だ。それに人が増えてくれば床で寝る者も増えてくるし、物を盗まれたり寝首をかかれたりもする。
 何より、そんな状況下にセラフィナを放り込むことなど考えられなかった。万が一襲われたところで容易く返り討ちにできるだろうが、そうはいってもまだ十四歳なのだ。精神的な傷は残したくない。それゆえに、宿は少々値が張るものの、個室で風呂つきのものを選ぶようにしている。
 エヴァンはテーブルを挟んでセラフィナと向かい合い、料理が運ばれてくるのを待つ。高い宿ではなく飯も安いので、味はほとんど期待できないだろう。しかし腹はぐうと鳴り、周囲の料理の香りが流れてくるだけで、よだれが出そうになる。

「それにしても、坑道というところは、すごい場所でしたね」
「そうだね。あんなところに一年中通い詰めるのは俺には考えられないや」
「私もです。空が見える場所がいいですね」
「死ぬにしても、埋まって死ぬよりは、死んでから埋められたいよ」

 そんなシャレにもならないことを言っていると、前菜の野菜の盛り合わせと、煮豆のスープが運ばれてきた。
「いただきます」と、声を揃えてから、それぞれ料理に手をつける。野菜には粉チーズがまぶしてあり、簡素な味付けではあるものの、口中に広がる香りが食欲をそそる。
 それから煮豆のスープをすする。大して具も入っておらず薄味なのだが、すっと熱さが喉元を過ぎると、腹の底に心地好ここちよい温もりが広がっていく。
 ふう、と一息つくと、ようやく今日の依頼をこなしたのだという実感が湧いてきた。

「鉱石、いくらくらいになるだろう?」
「どうでしょう。私には見当がつきません」
「高く売れるといいね」

 鉱石の中に綺麗なものがあればセラフィナにプレゼントしようと思っていたが、さほど価値のありそうなものはなく、中にはただの石ころではないかと疑われるようなものも多い。
 そうしてのんびり過ごしていると、周りの噂話も耳に入ってくる。エヴァンは酒場には滅多に来ないが、最近の話題を追うにはいい場所なのかもしれない。

「なあ、お前聞いたか? エルフの王子様が来るんだってよ」
「はー、なんだってこんなとこに来るんだ。あのいかにも綺麗な空気以外耐えられねえって顔したやつらじゃ、ここの煙を吸ったら卒倒しちまうんでねえの」
「滅多なこと言うもんじゃねえぞ。聞かれたら打ち首にされかねない。俺らの王様と違って、冗談も通じねえからな」
「全くだ……にしても、リボル様も大変だ。最近じゃあエルフどもも調子づいてきてやがる」

 それを聞いてとがめようとする者などここにはいない。多数はむしろ同調するように、日頃の鬱憤うっぷん相伴しょうばんしている者にぶつける始末だ。
 どちらにもさほど関与しようと思わないエヴァンには、あまり居心地がいい環境ではない。
 が、メインであるパンと肉――酒飲みたちにとっては酒肴しゅこうだが――が運ばれてくるとそんなことも忘れ、エヴァンはその香りについ頬を緩める。
 そして手掴みでパンを頬張ほおばり、肉にかじりつく。どちらも上等とは言いがたいものだが、空腹にまさる調味料はない。

「エヴァン様、ついてますよ」

 セラフィナはエヴァンの口元を指ですっと拭う。彼女のたおやかな指が油に濡れてあやしく光る。

「ありがとうセラ」
「いえ。エヴァン様はそそっかしいところがありますから」

 彼女はそう言って笑う。エヴァンもその傾向があることは自覚している。一度何かをやろうと思えばとことん、どこまでも手や頭を動かすのが彼だ。
 とはいえ、食事の最中。さして気にすることもなく、その味を堪能たんのうする。セラフィナも満足げなので、何も言うことなどない。
 そうして食事を終えたとき、既に夜はけていた。酒場は相変わらず活気で溢れていたが、酔い潰れる者も多く、二階へ運ばれていく者もいる。そんな姿を見てエヴァンは、やはりこんなところに泊まるのはよそう、と思うのだった。
 酒場を出ると、夜だというのにあまりんだ空気は感じられない。塵埃じんあいが混じっているのだろう。星明かりはあまり見られず、月には雲がかかっている。
 それにしても、二度も国境を越えたのだと思うと、随分と遠くに来てしまったと感じられる。これからは、さらに遠くに行くのだろう。

「あのさ、セラ」
「はい、なんでしょう?」
「旅が終わったら、どこかいい土地に家を買って、のんびり過ごしたいものだと思ったんだけど」
「いずれはそうなるといいですね……ですが、まずはお金をめねばなりません」
「今は全然、足りないね」
「はい。全然、です」

 セラフィナは割と現実的なことを言いつつも、批判を口にしなかった。この世界で生きていくにしても、エヴァンは知らないことの方が多い。だが、知識も経験も大人になれば自然と増えていくものでもない。一生を同じ土地、同じ門の中、同じ家の中で過ごす者たちにとって、変化とは自身の老化以外の何でもないだろう。
 変わらねば、と思う反面、変わらないままであってほしいと願うこともある。エヴァンは相反する思いにふたをする。もう宿に着いてしまったのだ。後は微睡まどろみ、夢の世界をたゆたうだけ。
 宿の台所で歯をみがき、寝る準備を済ませて床に入る。大して寝心地のよくないベッドも、隣にセラフィナがいてくれるだけで、不思議と居心地のいい空間に早変わりする。眠たげな彼女は小さく欠伸あくびをした。

「エヴァン様、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ、また明日」

 彼女の姿をいつまでも見ていたいような気もしたが、明日がある。今日やり残したこと、溜め込んだ思いを全て明日に丸投げして、まぶたを閉じる。
 彼女の寝顔がいつまでも、瞼の裏に焼きついていた。

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