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2巻
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朝、どうにもまだ寝足りない感じが抜けきらなかった二人だが、それでも出発の時間はやってくる。手早く準備を済ませ、朝食を取ると、いよいよ隊商はアーベライン領の主都に向けて出発する。見送ってくれる町民たちと再び会うのは、いつの日になることだろうか。
エヴァンは腰に佩いた二本の剣に鎧と、傭兵稼業としてもそれなりに見える格好にて、馬車の隣を行く。侵食領域を生成して、流れ込んでくる魔力による強化を得ても、鎧の重さにはやはり疲労感を覚える。
そうして行く中、ふと腰の剣に視線を落とす。もし、魔力がもう少し増えたならば、剣を純粋な肉体の力のみならず、力場魔法を使って操ることもできるため、二刀流も悪くないかもしれない。
そう考えると、色々と今後の方針も立ってくる。まずは、壊れた連弩を買い直す。そしてこれからまだ体が成長するだろうことも考慮して、安めの鎧を買うことにする。セラフィナの鎧はどのようなものがいいだろうか。
そう思案していると、一人の冒険者が近くにやってくる。コボルトキングの討伐のときにもいた男だった。
「エヴァンさん……ですよね? 確かブルーノさんの知り合いの」
どうやら、向こうもブルーノの知り合いらしい。人の好さそうな四十代ほどの男性で、禿げつつある頭には哀愁が漂っている。
「ええ。ブルーノさんとは一度依頼でお会いしました」
「そうですか。いやあ、私もいつも彼にお世話になっていましてね……あ、申し遅れました、私はガストンと申します」
そう言ってガストンが頭を下げると、毛のない頂点がきらりと輝いた。
好き勝手している冒険者にも社交的な人がいるものだ、とエヴァンは感嘆する。
「ところでエヴァンさんの魔法は、一体どこで習ったものですか?」
魔法は誰かに従事して学ぶのが一般的であり、エヴァンの兄であるレスターたちも家庭教師に教えられていた。しかし、才能がなかったエヴァンは、すぐに諦められてしまったため、一般的な例に当てはまらない。
「ほとんど独学だったので、これから体系だったものを学ぼうかと思っています」
「そうなんですか! それはすごい! あ、すみません、あのような魔法は初めて見たもので。アーベライン領の主都には図書館がありますから、調べ物にはちょうどいいでしょう」
そういってガストンは主都の話をする。彼もブルーノもそうなのだが、どうやら冒険者稼業に慣れてくると主都を中心に活動する者が多くなるようだ。そのため、お薦めの観光スポットまで教えてくれる。
「エヴァンさんもセラフィナさんも、若くていいですな! うちの娘もこれくらいのときは、可愛げがあったもんですが、最近では手紙の一つも寄越しませんよ」
そう笑うガストンは、やはり父親なのだなあと感じられた。エヴァンはふと、ダグラス領にいる父のことを思い出す。父がいずれ年老いたなら、何の確執もなく、普通に話すことができるのだろうか、と。
けれどすぐに、そのことを頭の隅に押しやった。これから待っている冒険を前に、後ろを見ている暇などないのだから。
馬車は山道を下っていく。ゆっくりと、少しだけ軽くなった積荷を載せて。
主都に近づくにつれて、見かける魔物の数は増えたものの、これといった出来事もなく、ようやく町が遠くに見え始めた。
先日までいたアーベライン領の町も大きかったが、やはり主都というだけあって、規模が違う。十世帯以上を収容できるような集合住宅も見えることから、ざっと目算しても人口一万人を超えるのではないだろうかと思われる。
町全体を取り囲むようにして作られた堀と防壁は非常に堅固で、そこらの魔物が来たくらいではびくともしそうにない。そして町の中心に見える、ひと際大きな城は、おそらくアーベライン領領主の居城だろう。
門に辿り着くと、商人たちはギルドの依頼で来た証を門番に見せる。冒険者たちは各々、冒険者証を見せるとすんなり中に通された。
それから一団は町中を行く。町に入ったばかりだというのに、あちこちに出店が開かれており、行き交う人の数はこれまでとは比べ物にならない。そして木造の集合住宅では、多くの窓が開かれ、洗濯ものがぶら下げられている。生活感溢れる町並みが、そこにはあった。
道が整備されており、建物は敷き詰められるように建てられているため、そこには草木はあまり見られない。
門から続く道を行くと、冒険者ギルドはすぐに見えてきた。掲げられた看板はエヴァンの常識を覆すほどに大きく、建物は四階建てにもなっている。
中は大ホールといっても差し支えないほどに広く、依頼の張り紙が新旧、内容で分けられて一面に張り出されている。
エヴァンは辺りを見回すも、田舎者に見えないように、あまりうろちょろしないでおくことにした。商人たちは受付に行き、依頼達成の事務処理を行う。そして三階の一室に通され、そこで個別に支払いが済まされた。
無事何事もなく数万ゴールドを手に入れたことで、これから数日間は何とかなりそうである。加えて、道中手に入れた魔石を売ればそこそこの額になるだろう。しかし現状、魔石は魔力源として使っており、買うのは中々金がかかるため、ある程度のストックがないときはそうはいかない。
依頼を終えると、冒険者たちは各々の心の赴くままに散り散りになる。連帯感を覚えていたわけではないが、集まったり別れたりを繰り返すのには、エヴァンは中々慣れそうになかった。
だから、エヴァンはいつでも隣にいるセラフィナに笑い掛ける。
「セラ、とりあえず宿を取ろうか。昨日風呂に入っていないし、着替えたいよ」
「そうですね。エヴァン様の傷も気になります」
そうして二人はギルドを後にする。
暫くのんびりしようとさえ思っていたくらいであり、昨晩の事態は想定していなかったものの、終わってみると、ひと仕事やり遂げた達成感があった。
主都の町並みは美しく、建物はどれを見ても、目新しく感じられる。しかしだからといって、物価は変わらず、二人の生活の質が向上することはほとんどない。エヴァンはセラフィナと、少し古びた宿を取ることにした。
数千ゴールドで朝食付きなら好条件かとも思われたが、客室の扉を開けたとき、立て付けが悪いのかぎしぎしと軋んで、思わずなるほどと納得してしまった。
二人は荷物を置くと、宿の土間に赴く。そして主人にひと言断ってから、ある小さな一室に入る。そこには木の板による足場があり、ポンプで水が汲めるようになっていた。
一応、巨大桶が置かれているため、風呂のようにして入ろうと思えば入れるのだが、いかんせんお湯がない。ダグラス領の離れにいるときと比べて一番の不便は、こうして風呂に入れないことかもしれない。
エヴァンがさっと衣服を脱ぐと、よく引き締まった筋肉が露わになった。大柄な方ではないものの、最近の戦闘経験もあってか、鍛え抜かれた筋肉は無駄に膨れ上がらず、見事な付き方をしている。それから肩の包帯を取ると、化膿していることもなく、無事傷口が塞がっていた。身に纏っていたものを取り去ると、布と石鹸を手に、ポンプのところへ行く。
途中、セラフィナを横目に見る。見慣れた彼女の衣服は取り払われ、ゆったりとしたシュミーズを脱いでいるところだった。
彼女の柔肌を隠すのは、華奢な腰から下を覆うドロワーズだけとなり、滑らかな鎖骨からお腹にかけてのラインが露わになる。どこか恥ずかしげに手で覆い隠されている小さな胸は、確かに女性らしさを感じさせるようになってきていた。
それでも、こうして一緒に入浴する習慣がまだ続いているのは、やめると言い出すのは意識しているようでかえって気恥ずかしいということや、一人で入るのは距離が遠くなったようで互いに少し寂しいということが理由だろう。
セラフィナがドロワーズを下げると、腸骨の小さな膨らみと、そこから恥骨へと続く窪みが露わになっていく。
エヴァンは雑念を払うように、桶に水を汲み、頭からぶっかける。ひんやりとした水は、まだ心地好いと言うよりは寒々しい。
それから無心で石鹸を泡立て、頭や顔回りを洗っていく。やがて、目を閉じているから見えはしないものの、ゆっくりと動く空気や、柔らかい彼女の雰囲気から、隣にセラフィナがやってくるのが感じられた。
再び水を頭からかぶって泡を流すと、エヴァンは目を開けてセラフィナを見た。すらりと伸びた肢体は美しく、女神もかくやとさえ思われる。彼女は水を浴びると、小さく震えた。
前は布で隠されているが、背は剥き出しになっている。そのきめ細かな肌は水を弾き、ふさふさの尻尾は水にぬれてしっとりとしていた。
エヴァンは平静を装いながらまた石鹸を泡立てて、ふわふわの狐耳の中に泡を入れないように注意しつつ、彼女の髪を洗っていく。昔よりも少し長くなったものの、まだ肩にかかるくらいの長さである。髪を縛らなくても不便がないように、と考えてのことなのかもしれない。
それを水で洗い流すと、それぞれの体を洗い始める。このときが、一番互いを意識してしまう。極力見ないようにはしているものの、体を隠す布はなくなり、相手に目を向ければ、その裸体は否が応でも目に入るのだから。
やがて悩ましい時間が終わると、エヴァンは体を拭き、持ってきた替えの衣服に着替える。汚れが落ちてすっきりしたはずなのに、気持ちはそうではなかった。水浴びを終えて土間を出ても、まだ顔を合わせづらいまま、二人揃って無言で客室に戻っていく。
部屋に着くとやることはなくなり、セラフィナはベッドに腰掛けて、どこか暇そうに窓の外に視線を向けた。一方でエヴァンは侵食領域を展開すると、ぎこちなく部屋の中を歩き回り、やがて倒れ込んだ。
「……エヴァン様、何をしているのですか?」
珍妙な行動に、セラフィナは首を傾げ、エヴァンの様子を覗き込む。彼はそのままゆっくりと体を起こすと、彼女の方に向き直った。
けれど、すぐに言葉は出てこない。セラフィナの橙色の瞳が、じっと答えを待っている。エヴァンは暫く思案したものの、時間はあることだから、と彼女にゆっくり説明することにした。
「歩行モーションを作っていたんだよ」
「ええと……それはエヴァン様の前世の知識を使って、ですか?」
「そういうことになるかな。あらかじめ用意しておけば、怪我か何かで体が動かなくなったときに、力場魔法と制御魔法を使うことで代替できるからさ」
「なるほど、上手くいくといいですね!」
肩に傷を負ったために、そういう事態を想定してみただけのことなのだが、セラフィナに応援されると、何が何でも達成しなければならない気になってくる。彼女は失敗するなどとは、微塵も思ってはいないはず。だからその全幅の信頼に応えなければならない、と。
そもそも、力場魔法を用いれば体とて浮かせることができるため、わざわざ歩行のモーションにする必要性はあまり高くない。しかし、魔力量が圧倒的に少ないエヴァンにとっては、体を浮かせるために必要となる、重力に相当する力を生み出す程度の魔力の節約であっても、重要な意味を持つ。
坂道を下っていくときに使える、下りの勢いを生かした受動歩行と呼ばれる歩行形式のモーションも作っておきたいところだが、いかんせん、客室では傾きもなければ、距離も足りない。そこで、すべて脚力により動く能動歩行について考えることにする。
まずは、人間の歩行形式とは異なるものの、簡単にできる静歩行から作成する。これは重心を常に片足の上に置いておくものであり、一見、歩いているようには見えない。
エヴァンは力場魔法により片足を上げ、それからゆっくりと前に出す。しかと地面を踏み、前の足に重心を移動させる。そして今度は後ろの足を前に出す。
途端、ぐらりと体が揺らいだ。慌てて片足で踏ん張り、姿勢を維持する。どうやら、移動速度が速すぎたため、その勢いで体が回転してしまったらしい。
気を取り直し、暫く続けて、ぎこちないモーションを何とか作成する。エヴァンとしては達成感があったものの、セラフィナはどう反応していいかわからないといったところだった。眉は困惑ぎみに曲げられている。
エヴァンは少し躍起になって、次は動歩行のモーションを作り始める。それは人の歩行に近いもので、常に倒れ続けながらも、完全に転倒する前に次の足が前に出ているため姿勢の維持が可能となり、素早く動くことができるというものだ。
あらかじめ用意しておいた一連の動作を行う、シーケンス制御により、それらの達成を試みる。しかしシミュレーションなどが行えるわけでもないため、いきなりそれを自らの体に試すことになってしまう。
早速、試作したモーションを開始。素早く足が前に出る。出だしは順調。しかしやけにドタバタとした歩調になってしまい、そのうち真っ直ぐ移動すらせず、ふらふらした挙句、そのまま転倒してしまった。
中々上手くいかないものだなあと思っていると、セラフィナはその様子を見て、くすくすと笑う。その反応は腑に落ちないものがあって、エヴァンはつい口を尖らせた。
「これだって、結構難しいんだよ」
「あ、ごめんなさい……エヴァン様はいつも何でも上手くやってしまうので、そういうお姿を見られるのが嬉しくて」
失敗する姿を見られるのはエヴァンとしてはあまり気分のいいものではなかったが、楽しそうな彼女の姿を見ると、悪くないと思われてくるのだから、不思議なものだ。
けれどやはり、いいところを見せたいことには変わらない。エヴァンはふと思案し、それからすぐに、応用できるものが浮かんでくる。明日出かけたときにでも試してみよう、と思うのだった。
4
アーベライン領の主都は早朝から賑わいを見せていた。離れた町から買い出しに来ている者たちや、今日の朝食を買いに来た婦人、そして何をするでもなくぶらついている若者など、そこにいる人々の様相は様々である。
エヴァンはセラフィナと共に、町中を歩いていた。今日の予定は、町の中を見た後、食事を取り、話に聞いていた図書館を訪れるという流れである。戦闘から離れた骨休めの一日であり、これといった予定もないので、ゆっくりと過ごせるはずだ。
街路にはみ出した木箱の上に立ち並んでいる野菜類は、どれもすぐ近くの畑で取れた物だろう。農民たちを除き、住民はあまり町の外にはでないようだ。そもそも、町中だけで生活は完結しており、その必要がないのかもしれない。
暫く食品関係の店が続いた後、少し変わって、今度は生活雑貨が増えてくる。洋服店のガラスの向こうにある綺麗なドレスなど、中には少しお高いお店もある。
エヴァンはセラフィナの方を見た。戦闘にも参加する彼女は、ダグラス領を出てから、貴人たちが纏うような華美でフリルのついたスカートなどは一度も穿いてはいない。動きやすい服ばかりである。
もしかすると、少しはお洒落をしたいと思っているかもしれない。そう感じるのが、年相応だと言えよう。
「ねえセラ。こういうドレスとかって、着たいとか思わないの?」
エヴァンは、店主自慢の一品らしきドレスへと目を向ける。
もし、彼女がそう思うのであれば、一着くらい買うのはやぶさかではない。もっとも、それを着てギルドの依頼をこなすわけにはいかないため、日常着というわけにはいかない。だが彼女が願うのならば、エヴァンが一人で依頼に出かけ、彼女はいつも着飾っている、というのでも構わないとさえ思う。
しかし、セラフィナはドレスにはあまり興味を示さなかった。代わりに、エヴァンの方を窺うように、遠慮がちに覗き込む。
「エヴァン様は、その……そういう衣服が好きですか?」
そう問われるも、エヴァンはそもそも社交界に出ていなかったため、コルセットで締め付ける必要があるようなドレスは内臓が圧迫されて不健康そうだなとしか思えず、特にそういった格好への憧れはなかった。
どちらかといえば、スカートの下に穿くドロワーズの方が興味を引かれる。フリルのついた純白のドロワーズは彼女に似合っていると思うが、それは幼少時から彼女がいつも穿いている姿を見てきたからかもしれない。もっとも、エヴァンは前世の下着のイメージを引きずってきているため、ズボンのように思っていたのだが、本来は下着に分類されるものであり、質問の答えとしては不適当である。
「うーん……あまり上流階級を意識させるような衣服は好きじゃないかなあ。俺は貴族の生まれといったところで、実際は庶民と変わらないから」
スカートの下にクリノリンを入れて釣鐘状に膨らませたようなものなどは、どうにも彼にとってはあまりスタイリッシュではなかった。まず、第一に必要以上に幅を取り、機能的に不便である。機能美を追求する彼の考え方は、もしかすると、優雅さとは反対方向にあるのかもしれない。
そんなエヴァンを見て、セラフィナは少し安心したように、微笑んだ。
「私も、華美なのはあまり好きではないです。それに……似合わないですし」
「そうかな? セラは綺麗だから、おしとやかな服でもよく似合うと思うよ」
それを聞き、セラフィナは顔を赤く染め上げた。そして何度も何かを言おうとしてはやめ、やがて俯いてエヴァンの手をぎゅっと握った。狐色の尻尾はこの上なく勢いよくぶんぶんと左右に揺られている。
セラフィナは気まずさを押し隠すように、ドレスの話題から離れようとして、そそくさと歩き出す。エヴァンは彼女に引き摺られるようにして、その場を後にした。
暫くして彼女が落ち着いてくると、そのときには既に町の広場にまで来ていた。中央には涼しげな噴水があり、周りには憩う人々がいる。
エヴァンはすぐ近くの出店で、飲み物を買ってくる。ミードのような蜂蜜で作ったものであるが、アルコール分はゼロなので、セラフィナが飲むのにも問題はない。エヴァンはすでに飲酒できる年齢だが、飲む習慣はない。何より筋力の低下が懸念されるため、極力避けるようにしていた。
「セラ、どうぞ。落ち着くよ」
「……ありがとうございます」
噴水の傍のベンチに腰掛けながら、彼女に蜂蜜入りの甘い飲み物を渡す。多産の象徴でもある蜂の蜜は、栄養が豊富と聞く。疲労も取れることだろう。セラフィナはコップを受け取って、口を付ける。
ざあざあと、流れ出る水の音が心地好く、少し水気を含んだ空気が流れていった。そうして少しの間、周りから隔絶されたような、二人の時間が訪れる。
「あ……蜂蜜」
セラフィナは聞き取れないほどの小声で呟いた。そして、その頬が赤くなってくる。彼女は、ベンチの上にあるエヴァンの手に、小さく華奢な手を重ねた。
エヴァンは彼女の急な反応に戸惑いながらも、柔らかなその温もりを、ただ享受した。
休憩を経て、エヴァンはセラフィナと歩き出す。心なしか、二人の距離は近い。図書館は城に近いところにあるそうなので、そちらへと向かっていく。
店は次第に上流階級に向けたものが多くなってきて、玩具や子供向けの教育資料などを売る店も増えてくる。それらは、一般庶民の子にはあまり与えられないものなのかもしれない。
エヴァンは人形などを売っている店を覗く。一応貴族ではあったものの、おもちゃなどはレスターが独占していたため、物珍しく思われる。
「エヴァン様、親しい幼子がおられたのですか?」
「え……? いや、ダグラス領ではあまり見かけなかったなーと思ってさ」
「そ、そうですよね」
セラフィナは、はっとしたように慌てて視線を逸らした。
店内を見ていく中、一見、岩で作られたように見える人形があった。しかし手で持ってみると、思いのほか軽く、木で出来ていることが窺える。
「ゴーレムの人形とは、珍しいですね」
セラフィナが人形を見ながら興味を示す。ゴーレムは一部の国では軍事利用されているが、その元は魔物であり、忌避感を示す者も少なくない。全容が明らかになっていないまま使っているということも理由かもしれない。
エヴァンはその人形が何となく気に入って、少し高いものの、数千ゴールドを払って購入することにした。この人形は各関節が動くものであり、様々なポーズが取れるなど、値段相当に質が高い。
店から出ると、エヴァンはすぐに例の思いつきを実行してみたくなった。
「セラ、昨日の成果を試そうと思う」
「昨日の、ですか?」
地面に置いたゴーレム人形の頭上に手を翳す。そして侵食領域を展開して、すっぽりと呑み込んでいく。
続けて、昨日作成したばかりの歩行モーションを使用。人型であるため、おそらく転用できると踏んでのことである。
ゴーレム人形は太い足を一歩ずつ前に出し、てくてくと歩く。ずんぐりむっくりした体形であり重心が低いため、比較的安定した歩行が可能になっていた。
「エヴァン様、すごいです!」
褒められて少しだけいい気分になると、歩行から走行へと変化させる。ゴーレム人形は店の前を縦横無尽に駆け回った。
これができたからといって、何かの実践に役立つ、というわけではない。しかしともかく、ロボット制御などの経験は、こういった動作にすぐ当てはめることが可能だった。
「おお! これは……!」
通行人の中から、ひと際大きな声が上がった。エヴァンは何かやらかしてしまったのかと、慌てる。そして一人の男が姿を現した。
全身を黒衣で纏ったその者は、陽気に走り回るゴーレム人形を食い入るように見つめた。どれほどの年齢なのかはわからないが、フードから覗く口元は皺が入っており、少なくとも老人であることはわかる。
「なんと見事な制御魔法! 救い手様の再誕じゃ!」
大仰に騒ぎ始める老人を見て、町の人々は顔を顰めた。そして痛々しい視線が男に突き刺さる。
「ぜひ、我らの教会に来てくださいませ!」
エヴァンはゴーレム人形を握ったまま暫し呆気に取られていたが、セラフィナの行動は早かった。さっとエヴァンを抱きかかえ、視線から逃れるように、その場から飛び出した。背後からは、男の声がいつまでも聞こえていた。
騒ぎが聞こえなくなるほど離れると、セラフィナは大通りから外れた路地で下ろしてくれた。ついこの前も似たようなことがあったなあ、とエヴァンは思い出す。
そのときは、自然精霊教の教会の前のことだった。今回も教会に招かれたことから、宗教関係であったのは間違いないだろう。しかし、どうにもあの男が自然精霊教の関係者とは思えなかった。
「あの人っていったい何だったんだろうな」
「……もしかすると、異界魔神教の方かもしれません?」
エヴァンが聞いたこともない宗教だった。もっとも、本当は人気がないわけではなく、彼がそういったことに疎いだけなのかもしれないが。
「それって?」
「魔物を信仰の対象としている、ということくらいしか……そのため、あまり評判もよくはありませんね」
「うーん。救い手様って、何かの勘違いだと思うんだけどなあ」
「そうですよね……ですが、エヴァン様は目立ってましたから」
「これからは必要以上には外で使わないようにするよ。セラ、いつもありがとうね」
「お役に立てて、何よりです!」
これから図書館に行くのだから、何のことか調べてみるのも悪くない。エヴァンはセラフィナの手を取ろうと思い、握ったままになっていたゴーレム人形を袋にしまった。
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