終わりの街の喫茶店

白織

文字の大きさ
上 下
10 / 11

第10話 願いを抱いて

しおりを挟む
 そうして、長いようで短い夏休みも、残り数日といったころ。
 その日はやってきた。

「――出来たぁっ!」
「できましたね」

 ようやくロケットが完成した。
 二人で完成したロケットを見つめて、笑みを交わした。

 そのロケットは、つぎはぎだらけで不格好だし、大層な機能を積んでいるわけでもない。しっかりと想定通りに飛んだとしても、高度は視認できるくらいだった。月には、どう足掻こうと、到底届くようなものじゃなかった。

 でも、あの子と二人で、初めて作り上げた〝夢〟の形だった。

「おぉ、ちゃんとロケットだよ、ヨミ」
「あたりまえでしょう。ロケットを作ったんですから」

 感動で震える私に、あの子はそっけないそぶりを見せていたけど、口元が緩んでいた。
 反応はそれぞれだったけど、思いは一つだった。
 私はあの子に渡されたペンを手に取って、つぎはぎの尾翼に文字を書いた。

 ――『Albireo-1』と。

 それはそのロケットの名前だ。

「それじゃ、この子は『アルビレオ一号』で決定!」
「本当に、私が決めてもよかったんですか?」

 尾翼の文字を撫でながら、問うてくるヨミに私は、もちろん、と頷いた。

「ヨミがいなかったら、このロケットは完成しなかったもん」
「まぁ、そうでしょうね」

 苦笑してたけど、あの子はまんざらでもない様子だったなぁ。
 あの子はあれで、わかりやすいからね。

「でも、なんでアルビレオなの?」
「……言わないとダメですか?」

 めずらしく、あの子が言い淀む。
 ひと月ほどの付き合いしかなかったけど、たぶん、本当にめずらしいことだよ。

「ダメってことはないけど、気にはなる」
「私が好きなんですよ。アルビレオ、きれいじゃないですか」
「そうだね。ヨミがめずらしく声を上げて感動してたくらいだもんね」
「……そういうことは言わなくていいんです」

 どこか拗ねたように、ふいと顔を逸らしたヨミ、可愛かったなぁ。



 二人で相談した結果、夏休みの最終日に、ロケットを飛ばすことになった。

 予報では快晴、風もなくて、絶好の打ち上げ日和だったから。夏休みもその日で終わりだったし、ちょうどいい区切りでもあった。もちろん、宿題は終わってないし、やる気もなかった。そんなことよりも、打ち上げるロケットのことで私の頭はいっぱいだったんだ。

 本当に、あの夏はずっとあの子と一緒だったなぁ。特に後半なんて、ほぼ一日中一緒にいたからね。

「ヨミ、発射台の角度はこんな感じでいいの?」
「……そうですね。もうちょっと上向きに。それからしっかりと台が固定できているか確認お願いします」
「了解であります!」

 なんておどけながら、発射台の調節をして。
 あの子が最後の調整のために、砂浜に広げたブルーシートの上で尾翼の角度とかの最終調整をしていた。その青色の目はとても真剣で、失敗などさせてたまるか、という意気込みが見て取れた。

 私は知ってる。

 あの子はさ、口では面倒だとか、突き放すようなことばかり言うけど、最後まで付き合ってくれるんだよ。面倒見がいいの。ううん。よすぎる、んだよ。
生粋のお人好し。お節介なくらい、裏では頑張ってくれてるの。
 
 私はそんなヨミが大好きなんだ。

「確認終了です」
「終わった? 飛ばせる?」
「ええ。その子を発射台にお願いします。あ、慎重に、あまり揺らさないように」
「……もう、わかってる」

 子ども扱いしてくることに拗ねたように頬を膨らませたら、ヨミはしょうがない、みたいに微笑んで。

 言われた通り、慎重に『アルビレオ一号』を発射台へとセットすると、ヨミがいくつかのコードを発射台とつないで離れた位置に座り込んだ。

 私もその隣に座って、二人で顔を合わせて頷いて。

「では、カウントを始めます。――カウント、五」

 あの子の、きれいな声で、カウントダウンが刻まれる。
 その声を聞きながら、一緒になってカウントを刻みながら、期待に、胸の奥が熱くなった。

「――よん!」

 私の声。

 カウントとともに、このひと夏のことが走馬灯のように駆け抜けた。
 出逢ったときは、月の女神のようだと思った。でも、その考えも、一緒に星空を見上げているうちになくなった。

「――三」

 ヨミの声。

 この声にも、すっかり慣れたものである。彼女の声はすっかり私の日常の一部になっていた。たったひと夏で、ひとりぼっちだったところから、変わったものである。

「――にぃ!」

 私の声。

 私の夢を笑わずに応援してくれた。それどころか、ここまで一緒にロケットを作る手伝いをしてくれた。きっと、彼女はそれを特別なことと思っていない。

 でも、私にとっては何よりもうれしいことだった。
 自然と、笑みが込み上げてくる。
 そうして、ゆっくりと息を吸う。

「――一」

 ヨミの声。

 すっかり聞きなれた、親友の声だ。
 この声を聞くだけで、なんでもできるような気がしてくる。すっと短くヨミも息を吸う。

 さぁ、声を合わせて。

「「――ゼロ。ファイア!」」

 二人の声がそろった瞬間。

 ――ボウッ。と『アルビレオ一号』の噴射口から火が吹き上がる。

 一瞬の停滞。そうして、白煙を上げながら青空へと飛び上がった。

 見上げた先、『アルビレオ一号』は青空を裂き、白煙の尾を引きながらどこまでも飛んでいく。青空の中、白く見える機体を追う私の瞳には、どうしてか、涙があふれてきた。次々と溢れてくる涙で滲む視界の中で、機体の輝きだけを追っていた。

 泣いている私の手を、温かい何かが握ってくれた。
 見なくてもわかった。ヨミの手だって。

 ヨミは私が泣き止むまでずっと、手をつないでいてくれていた。空にパラシュートの花が咲いて、ロケットが無事に地上へと帰還しても。
 私が泣き止むまで、ずっと。
 
 泣きながらさ、私は思ったんだ。
 きっと、人生で一番の日になるって。

 確信さえあった。人生を終えた今だからこそ、胸を張って言えるよ。

 ――最高の日だった、ってさ。

 大切な親友が隣にいて、ずっと抱えていた夢が叶うのだと信じることができたんだもん。そして、その瞬間の感動を大切な人と分かち合えた。
 あの日があったから、私は人生を歩んでこられた。

 泣きたいときでも、折れそうになっても、前を向いていられた。夢を、私の〝願い〟を大切にすることができたんだ。


 * * *


「――そうして、私が泣き止んだとき、そこにはもう、あの子はいなかった。手に残った温もりも、水筒から淹れた冷めかけの珈琲も、そこにはあったのに、あの子だけが、最初からいなかったみたいに、ね」

 そっと、手のひらを握りながら、ハルカは苦笑した。
 その横顔には、懐かしさと寂しさが綯い交ぜになったような、複雑な表情が浮かんでいる。

「いくら探しても、あの子の手がかりを見つけることはできなかった。でも、私の手元にはこのノートとアルビレオがちゃんと残っていたからさ、あの夏が夢じゃないんだ、って信じられた」

 ハルカは手にしたノートを思い出を辿るようにと、ぱらぱらとめくると頬を弛める。

「とっても寂しかったしさ、ひとりぼっちになったんだ、って、また泣きたくなった」

 でも、と。
 ハルカは柔らかな笑みを浮かべながら、首に下げたペンダントを握る。

「泣いちゃったらさ、あの子のことだから、心配して戻ってきちゃう気がしたの。だから、頑張って笑うことにしたんだ。あの子に、ヨミにこれ以上は心配をかけちゃダメ、ってね」

 にっと、ハルカは笑って見せる。
 その笑みが、沙夜にはそれまで彼女の見せてきた太陽のような、底抜けに明るいものでなく、明るいけれど、きれいな月のようなものに見えた。

 だからさ、とハルカは栗色の瞳を、言葉を探すようにさまよわせると、

「まぁ、要するに、私が沙夜ちゃんに言いたいのは、簡単に……ううん、つらくても、痛くても〝願い〟を捨てちゃだめだよ、ってことかな。……たはは、わかりにくくってごめんね。こういうのは苦手なんだよ」

 と、ハルカは頬を掻いた。
 ハルカの言葉に、沙夜は微かに目を伏せる。

 ――〝つらくても、痛くても〟
 
 その一言が、胸に刺さった。
 じくじくと、痛くないのだと言い聞かせて、目を逸らし続けていた胸の傷が、痛み始める。震えを隠すようにポケットへと忍ばせた指先が、封筒に触れる。

 その感触に、心の底に沈めたはずの、醜いばかりの感情が、微かにこぼれた。

「その夢は、どうなったの?」

 ――どうせ、叶えられたんでしょう。
 そんなことを考えてしまう自分に、沙夜は唇を噛んだ。
 ハルカはそんな沙夜に優しく目を細めると、

「……この手はさ、月には届かなかったよ」

 こともなげに、そう言った。
 え、と沙夜は弾かれたように俯けていた顔を上げた。すると、ハルカが優しく微笑んでいた。

「事故に遭って大怪我をしたり、病気で倒れちゃったりしてねぇ。指先が触れそうなところまでは行けたんだけど、この手は届かなかったんだ」

 困ったものだよ、とハルカは肩をすくめてみせる。
 その表情は夢を捨ててしまった人の、誤魔化すような笑みも、苦悶の表情もない。あるのはただ、優しい笑みばかりで。

「……なん、で?」

 沙夜には、わけがわからなかった。
 なんで、どうして。そんな言葉が、ぐるぐると頭の中を回るばかりで。ハルカが沙夜を見つめるわかったような表情が、神経を逆撫でる。

 膨れ上がった衝動に、ぎり、と沙夜は奥歯を噛みしめた。

「んー、そりゃ悔しかったし、苦しかった。たくさん泣いたし、死にたくもなったよ?」

 手のひらを青空に向けて、ハルカは指の隙間から覗いた太陽に目を細める。

「……何十回、何百回、それこそ何千何万と失敗してさ、あと少しのところで届きそうだなって思っても、指先にその存在を感じさせるだけで、この手は届かないんだ」

 ハルカは太陽にかざした手のひらを、ぎゅっと握ってみせる。
 けれど、胸の前で開いてみせたその手のひらには、何も掴めてはいなかった。

「つらいしさ、痛いしさ、そんな〝願い〟なんて、捨てたくなるよね」

 そう言いながらも、ハルカの表情は穏やかなままで。
 沙夜の中で膨れていた衝動が、弾けた。

「それならなんで、笑っていられるのよ!? つらいなら、痛いなら、捨ててもいいじゃない! なのに、なんでっ!」

 思わず叫んでしまった沙夜に、簡単なことだよ、とハルカは微笑んでみせる。

「それでもよかった、って思えたからだよ」

 ハルカの返答を沙夜は理解することができなくて、思考が止まる。

 ――つらい思いをして、痛い思いをして、それでも届かない。そんな結末なのに、よかった?
 
「別にさ、届かなくてもよかったんだよ。私はこの〝願い〟があったから、生きることができた。私なりにさ、生きることに意味を見つけられた。この手は月には届かなかったけど、私は生涯、この〝願い〟を諦めなかったんだって、胸を張れる」

 そう言って、ハルカは誇らしげな笑みを浮かべる。

「未練も、悔いも、たくさんあるけどさ、それでも、〝願い〟があったから、胸を張れる生涯を送れた。それって、素敵なことなんじゃないかな? そんな生涯を送った私だからさ、迷子な沙夜ちゃんに伝えられるのは、これだけなんだよ」

 ハルカは指を一本立てて、

「――〝願い〟を捨てちゃダメだよ。それは沙夜ちゃんにとって、大切なものなんだからね」

 人生の先輩との約束だぞ、とおどけたようにハルカは笑った。
 そんな彼女に、沙夜は浮かんだいくつもの言葉を飲み込んで、口をつぐんだ。

「それが大切なことだと、実感するなんてさ、すぐにはできないかもしれないけど、いつか胸を張れる日が来るよ」

 沙夜を見つめてくる、ハルカの栗色の目は、とても優しい色をしていた。
 
「…………怒鳴って、ごめんなさい」
「大丈夫だよ。そういうときもあるって。それにしても、美人さんが怒ると怖いねぇ。お姉さん、弱虫だから内心涙目だったよ」

 そう言って、泣き真似をするハルカに、沙夜は微かに笑みをこぼす。

「あなたは、とても強いよ」
「うれしいことを言ってくれるね。でも、そんなことはないんだよ。私だって、ヨミがいなかったら夢を諦めてさ、つまらない人生を送っていたと思うよ? まぁ、あの子のおかげだね」

 そうそう、とハルカは何かを思い出したように言った。

「沙夜ちゃんは覚えてるかな? どうして、私が欠片にしがみついてまで、この街に残っているのか」
「え、ええ。あなたが〝ハルカ〟としてやり残したことがあるって」

「そう。それはさ、あの子にちゃんとお礼を言うことなんだよ。あの夏、私と一緒に星を見てくれて、夢を応援してくれて、……そして、ロケットを作ってくれて」

 ハルカは胸のペンダントを握りしめて、

「ありがと、ってさ」

 と、はにかんだ。

「ハルカは、ヨミが大好きなのね」
「もちろん! 私の唯一の、大親友だもん!」

 にっと、ハルカは明るい笑みを浮かべながら、迷いなく言い切った。
 その表情は晴れ晴れと、満ち足りたものだった。

 ヨミは無表情だけど可愛いんだよ、とハルカが親友の自慢話を始めたので、頬を弛めながら沙夜が耳を傾けていると、背後から、おや、と意外そうな声がした。

 その声のした方へと沙夜が視線を向けると、ふわりと銀色の髪が揺れる。

「――出掛けているのは知っていましたけど、こんな場所にいらしていたのですか」
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

【完結】仰る通り、貴方の子ではありません

ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは 私に似た待望の男児だった。 なのに認められず、 不貞の濡れ衣を着せられ、 追い出されてしまった。 実家からも勘当され 息子と2人で生きていくことにした。 * 作り話です * 暇つぶしにどうぞ * 4万文字未満 * 完結保証付き * 少し大人表現あり

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

【完結】平民聖女の愛と夢

ここ
ファンタジー
ソフィは小さな村で暮らしていた。特技は治癒魔法。ところが、村人のマークの命を救えなかったことにより、村全体から、無視されるようになった。食料もない、お金もない、ソフィは仕方なく旅立った。冒険の旅に。

白い結婚をめぐる二年の攻防

藍田ひびき
恋愛
「白い結婚で離縁されたなど、貴族夫人にとってはこの上ない恥だろう。だから俺のいう事を聞け」 「分かりました。二年間閨事がなければ離縁ということですね」 「え、いやその」  父が遺した伯爵位を継いだシルヴィア。叔父の勧めで結婚した夫エグモントは彼女を貶めるばかりか、爵位を寄越さなければ閨事を拒否すると言う。  だがそれはシルヴィアにとってむしろ願っても無いことだった。    妻を思い通りにしようとする夫と、それを拒否する妻の攻防戦が幕を開ける。 ※ なろうにも投稿しています。

処理中です...