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第8話 星見の会
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「星見の会だなんて言ってるけど、私とヨミの二人だけの天体観測だったんだ。夏にさ、二人で一緒に星空を眺めた。それに、私が勝手に名前を付けたの」
懐かしいなぁ、とハルカは目を細める。
その手もとには一冊のノート。そこに、彼女は何かを書き込んでいた。
そんなハルカの正面に置かれた小さな椅子に座りながら、沙夜はノートを覗き込んでみる。そこにはロケットの絵にグラフや曲線、眩暈がしそうなほど細かな数式が書き込まれている。
「さっきから、何を書いてるの?」
「んー、簡単に言うとね、沙夜ちゃんの抱えてる『クドリャフカ七号』が、どんな軌道で飛んで、予想していた軌道とどのくらいズレてるとか、そういうことを記録してるんだよ」
ほら、とハルカの見せてくれたノートには、緩やかな放物線が二本、描かれている。
「このデータをもとに尾翼の角度を調節したりして、また飛ばすんだ。まぁ、今日は試射で、この後の本命のための予行演習も兼ねてるよ」
「ペットボトルロケットでも本格的にやるのね」
「まぁ、そこは人によるとは思うけどね。これは私がこの街に残ろうとしている理由の一つだから、大変でも何でもないけどね」
楽しいんだよ、と笑顔を浮かべる千代の横顔は無邪気な子どものようで。
その純真さが、沙夜には少しだけ眩しく見えた。
「……ロケットを飛ばすことはさ、私の夢だったんだよ」
ハルカはそっと、ノートを閉じると、その表紙を見せてくる。
そのノートはとても古びたもので、ぼろぼろながら、何度も修復と補強を繰り返した跡があり、大切にされていることが伝わってくる。
――天体観測・ロケット作成記録。
表紙には、どこか見覚えのある几帳面な文字で、そう書かれている。
「このノートが、私の始まりなんだ。ここには大切な思い出も、あのころ描いていた夢も、たくさんのものが詰まってる」
そっと、丁寧な手つきで表紙を撫でて、ハルカは目を細める。
「沙夜ちゃん。キミがここにいるってことは、きっと、何か向こうでは叶わないような〝願い〟を抱えているってことだよね」
沙夜は、微かに目を伏せる。
そんな沙夜を見つめて、しょうがないなぁ、といった様子でハルカは肩をすくめる。
「私はこっちのことには疎いからさ、沙夜ちゃんの願いを手伝ったり、何かアドバイスをしたりはできない。でもさ、人生の先輩として、それじゃあ、あまりにもみっともないからね」
ハルカはそう言って、胸元のペンダントをいじる。
その横顔は、とても優しい。一度、ハルカは目をつぶって、にっと笑った。
「少しだけ、昔話でもしようか。これは、月を目指した女の子のお話だよ」
* * *
むかしむかし、あるところに月に憧れる女の子がいました。
その子には、どこまでも続くような真っ暗な夜空の中で、ひとりぼっちでも、ひときわ美しく輝いている月が、とても眩しく見えました。
これはひとりぼっちの女の子――まぁ、遠い日の、私のお話だよ。
私は、人よりも少しだけ星が好きで、宇宙が好きで、月が大好きだった。
けどさ、その〝好き〟を理解してくれる人は、私の周りにはいなかったんだよ。だから、私は人の輪の中にいても、いつも、ひとりだった。
そのことはわかっていたけど、星が好きなことをやめるなんてできなかった。
星が好きだってことを隠して、周りに合わせようと頑張ったんだよ。
いつも笑顔で、話していたら楽しい女の子。
そうやって、〝みんなに好かれる私〟を演じているうちに、きっと、心が擦り減っていたんだね。表面上では取り繕えても、心の内ではぼろぼろだった。
それが、きっかけなのかな。
きっと、あのときに悩んで、苦しんで、迷っていたから。あの子との出逢いを引き寄せたんじゃないかなって。そう思うんだよ。
その日は、きれいな満月の夜だった。
夏にしては涼しい夜で、空には雲一つなく、絶好の天体観測日和。星を見てくる、って言ったら、おじいちゃんとおばあちゃんに呆れた顔をされたなぁ。まぁ、そのくらい頻繁に、星を見るために出かけていたんだよ。
中古で買った型落ちの天体望遠鏡を原付に乗せて……え? どうやって?
ああ、バイクにサーフボードを引っ掛けるフックってわかるかな? サーフボードキャリア、だったかな? それに引っ掛けると、荷物にならないんだよ。望遠鏡には優しくはないんだけど、あのころはそんな知識もなくってね。
交通法違反? あはは、田舎だったからねぇ。怒る人なんていなかったんだよ。あ、だからって、真似しちゃだめだよ? 大人になってからやったら、しょっ引かれたからね。
こほん。とまぁ、その話は置いといて。
あの日の目的は満月で、どうせなら広々としたところで見たくなってね。あまりに月がきれいなものだから、海岸まで思わず原付で飛ばしたなぁ。
「今日は絶好の観測日和じゃん! ひゃっほう!」
なんて叫びながらね。
そんなこんなで、海岸に到着して、望遠鏡とかごちゃごちゃと抱えて堤防の上を歩いていたら、そこに、めずらしく先客がいたの。
夜の堤防なんて、いたとしても夜釣りのおっちゃんくらいしかいないんだけどさ、その日の先客は遠めに見ても華奢な子だった。
挨拶ぐらいはしとくかな、って声を掛けようとして、息を呑んだよ。
すごく。
すごく、きれいだったんだ。
堤防に腰かけてさ、月を見上げていた。ただ、それだけなんだよ。なのにさ、銀色の髪が満月の光を浴びてきらきら輝いて、そこだけ時間が止まったみたいだった。月の女神様かと思ったもん。
見惚れてたら、硝子玉みたいなきれいな青い瞳がさ、こっちを見たの。
そして、言うんだよ。
「ああ、どうも、こんばんは。今宵は月が美しいですね」
なんてさ。
まぁ、お察しの通り、彼女がヨミだよ。
初めて会ったとき、絵本の中から飛び出してきたみたいで、現実味はなかったなぁ。まぁ、話したらそんな印象は、いい意味でも、悪い意味でも、吹き飛んじゃうんだけどね。
ともあれ、そんなことは露ほども知らなかった私は、
「え、あ、どうも……です」
と、縮こまるしかないわけですよ。
そんな私にさ、ヨミは微笑んで……いや、違うな。あれは笑うの必死にこらえてる顔だ。くそぅ。騙されたなぁ。
あの子が初対面で相手に微笑むなんてありえないし。あの子は人付き合いが下手だからねぇ。愛想笑いすらしないんだもん。
「あなたは、ああ、天体観測ですか。今夜ですと、月でしょうか?」
「う、うん。綺麗な満月だったから」
「そうですね。とても、きれいです。……もし、よろしかったら、ご一緒させていただいてもよろしいですか?」
ヨミの提案に、目を丸くしたっけな。
あのころは、誰も星を見たいだなんて言ってくれる人はいなかったから、そんなことを言ってくれるなんて思ってもみなかったんだよ。
「私は構わないけど、安物の望遠鏡だよ?」
「気にしませんよ。……ただ、こうして見上げるよりも、近くで見てみたくなったものですから」
その青色の瞳に、私は自分と同じものを見た。
星を、空を見上げることが好きなんだって。
だから、
「なら、ちょっと待っててね! すぐに準備するから!」
彼女の気が変わらないうちにって、慌てて望遠鏡を準備した。
私の望遠鏡は屈折式、まぁ、皆が想像するような望遠鏡だよ。細長い筒で、その頭とお尻にレンズがついてる。だから、そんなに難しい構造もしてないし、反射式の望遠鏡と比べたら準備なんてすぐに終わっちゃう。
初めて誰かと一緒に見れることが楽しみで、手が震えて戸惑ったな。まぁ、それでも、毎日のように繰り返していたから、ヨミには早く見えたのかな。
「手慣れていますね」
なんて、目を丸くしてた。
「毎日のようにいじってるからね」
その驚いた顔が、すごいって言われてるような気がして、照れくさかったのを覚えてる。
そんなこんなで望遠鏡を組み立て終えて、ファインダーを……ファインダーっていうのは、望遠鏡の本体の筒にくっついてる、銃の照準器みたいなやつね? あれを覗きながら、鏡筒を月に向けて、焦点を合わせた。
「わぁ」
思わず感嘆の声がこぼれるたな。
あのときの、月の輝きは今でもちゃんと覚えてる。
まん丸のお月様がさ、視界いっぱいに見えるんだ。それまでに何度も天体望遠鏡越しの月を見てきたけどさ、あの夜の月は一段とはっきりと、とてもきれいに見えたんだ。それこそ、そのまま一晩中でも見ていたいくらいだった。
でも、その感動を噛みしめるのもよかったけど、その夜は共有する相手がいたから。
「さぁ、どうぞ」
「では、失礼して」
そう言って、あの子は望遠鏡をのぞき込んだ。
そして微かに驚いたように紺碧の瞳を見開くと、ほう、と感嘆の息をこぼしてくれたんだ。
「…………」
ああ、この子は私と同じだと、私は思った。
星を、月を美しいと思ってくれる人なんだって。
うれしかったなぁ。たとえ、それが一夜限りの出逢いでも、ひとりじゃないんだって思えたから。
「どうだった?」
望遠鏡のレンズから目を離したヨミに、耐えきれなくて、そう訊いたんだ。
「ええ。こうして見ると美しいですね」
「でしょっ? きれいだよね。月のあの凹凸は海とも呼ばれたりして、氷の海とか静香の海とか、幻想的な名前も多いの。それでね、他にも月には色々とあってね、昔はアメリカとかロシアが競って月面探査に乗り出していたの。有名なのはアポロ計画で、初めて月面に足跡を残したのが――って、ごめんね」
あのころからの、ずっと悪い癖でね。
あのときは、これだから、ひとりぼっちになるんだよ、って本気で信じてた。
でも、でもね。
あの子は、「どうして謝るのですか?」と不思議そうに首をかしげるだけだったんだ。私はその言葉に、俯きそうになってた顔を上げた。
「確か……人類で初めて月面に降り立ったのは、ニール・オールデン・アームストロング船長でしたよね?」
「……っ、そ、そうっ。その人の残した『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類には偉大な飛躍である』っていう言葉が本当に好きなの!」
「ああ。あれはいい言葉ですね。ヒトがそれまで成しえなかったことを成したからこその、一言です。月が欲しいと泣く子どもは、その月に手を届かせたのですから」
あの子は嫌な顔一つせず、それどころか、どこか楽しげに話をしてくれた。
それが無性にうれしくて、泣きそうになった。
鼻の奥につんとしたものを感じながらさ、私はこれまでにため込んできた感動や想いを、すべて吐き出すように話したんだ。それこそ、一晩中ね。
まぁ、振り返ると、やりすぎだったかなって思うんだけどね。
それでも、ヨミは私の話に真摯に向き合ってくれたんだ。日が昇るまで、ずっと。
「え? 明け方?」
「ええ。あなたは本当に宙が好きなのですね」
「うん! って、じゃない! ごめんね、こんなに長く話し込んじゃって」
「いえ。私も楽しかったですから。よかったら、またご一緒しても?」
その一言は、あのときの私には、あまりにも予想外だった。
でも、とても魅力的なお誘いでもあった。
「いいの?」
「ええ。しばらくはこの街に滞在していますので」
そう言って微笑むと、ああ、何かを思い出したように声をこぼした。
「自己紹介がまだでしたね」
「あ、そうだね」
「私はヨミと言います。よろしくお願いいたします」
「うん、私はハルカ。よろしくね」
そうして、二人の天体観測会――『星見の会』が始まったんだよ。
懐かしいなぁ、とハルカは目を細める。
その手もとには一冊のノート。そこに、彼女は何かを書き込んでいた。
そんなハルカの正面に置かれた小さな椅子に座りながら、沙夜はノートを覗き込んでみる。そこにはロケットの絵にグラフや曲線、眩暈がしそうなほど細かな数式が書き込まれている。
「さっきから、何を書いてるの?」
「んー、簡単に言うとね、沙夜ちゃんの抱えてる『クドリャフカ七号』が、どんな軌道で飛んで、予想していた軌道とどのくらいズレてるとか、そういうことを記録してるんだよ」
ほら、とハルカの見せてくれたノートには、緩やかな放物線が二本、描かれている。
「このデータをもとに尾翼の角度を調節したりして、また飛ばすんだ。まぁ、今日は試射で、この後の本命のための予行演習も兼ねてるよ」
「ペットボトルロケットでも本格的にやるのね」
「まぁ、そこは人によるとは思うけどね。これは私がこの街に残ろうとしている理由の一つだから、大変でも何でもないけどね」
楽しいんだよ、と笑顔を浮かべる千代の横顔は無邪気な子どものようで。
その純真さが、沙夜には少しだけ眩しく見えた。
「……ロケットを飛ばすことはさ、私の夢だったんだよ」
ハルカはそっと、ノートを閉じると、その表紙を見せてくる。
そのノートはとても古びたもので、ぼろぼろながら、何度も修復と補強を繰り返した跡があり、大切にされていることが伝わってくる。
――天体観測・ロケット作成記録。
表紙には、どこか見覚えのある几帳面な文字で、そう書かれている。
「このノートが、私の始まりなんだ。ここには大切な思い出も、あのころ描いていた夢も、たくさんのものが詰まってる」
そっと、丁寧な手つきで表紙を撫でて、ハルカは目を細める。
「沙夜ちゃん。キミがここにいるってことは、きっと、何か向こうでは叶わないような〝願い〟を抱えているってことだよね」
沙夜は、微かに目を伏せる。
そんな沙夜を見つめて、しょうがないなぁ、といった様子でハルカは肩をすくめる。
「私はこっちのことには疎いからさ、沙夜ちゃんの願いを手伝ったり、何かアドバイスをしたりはできない。でもさ、人生の先輩として、それじゃあ、あまりにもみっともないからね」
ハルカはそう言って、胸元のペンダントをいじる。
その横顔は、とても優しい。一度、ハルカは目をつぶって、にっと笑った。
「少しだけ、昔話でもしようか。これは、月を目指した女の子のお話だよ」
* * *
むかしむかし、あるところに月に憧れる女の子がいました。
その子には、どこまでも続くような真っ暗な夜空の中で、ひとりぼっちでも、ひときわ美しく輝いている月が、とても眩しく見えました。
これはひとりぼっちの女の子――まぁ、遠い日の、私のお話だよ。
私は、人よりも少しだけ星が好きで、宇宙が好きで、月が大好きだった。
けどさ、その〝好き〟を理解してくれる人は、私の周りにはいなかったんだよ。だから、私は人の輪の中にいても、いつも、ひとりだった。
そのことはわかっていたけど、星が好きなことをやめるなんてできなかった。
星が好きだってことを隠して、周りに合わせようと頑張ったんだよ。
いつも笑顔で、話していたら楽しい女の子。
そうやって、〝みんなに好かれる私〟を演じているうちに、きっと、心が擦り減っていたんだね。表面上では取り繕えても、心の内ではぼろぼろだった。
それが、きっかけなのかな。
きっと、あのときに悩んで、苦しんで、迷っていたから。あの子との出逢いを引き寄せたんじゃないかなって。そう思うんだよ。
その日は、きれいな満月の夜だった。
夏にしては涼しい夜で、空には雲一つなく、絶好の天体観測日和。星を見てくる、って言ったら、おじいちゃんとおばあちゃんに呆れた顔をされたなぁ。まぁ、そのくらい頻繁に、星を見るために出かけていたんだよ。
中古で買った型落ちの天体望遠鏡を原付に乗せて……え? どうやって?
ああ、バイクにサーフボードを引っ掛けるフックってわかるかな? サーフボードキャリア、だったかな? それに引っ掛けると、荷物にならないんだよ。望遠鏡には優しくはないんだけど、あのころはそんな知識もなくってね。
交通法違反? あはは、田舎だったからねぇ。怒る人なんていなかったんだよ。あ、だからって、真似しちゃだめだよ? 大人になってからやったら、しょっ引かれたからね。
こほん。とまぁ、その話は置いといて。
あの日の目的は満月で、どうせなら広々としたところで見たくなってね。あまりに月がきれいなものだから、海岸まで思わず原付で飛ばしたなぁ。
「今日は絶好の観測日和じゃん! ひゃっほう!」
なんて叫びながらね。
そんなこんなで、海岸に到着して、望遠鏡とかごちゃごちゃと抱えて堤防の上を歩いていたら、そこに、めずらしく先客がいたの。
夜の堤防なんて、いたとしても夜釣りのおっちゃんくらいしかいないんだけどさ、その日の先客は遠めに見ても華奢な子だった。
挨拶ぐらいはしとくかな、って声を掛けようとして、息を呑んだよ。
すごく。
すごく、きれいだったんだ。
堤防に腰かけてさ、月を見上げていた。ただ、それだけなんだよ。なのにさ、銀色の髪が満月の光を浴びてきらきら輝いて、そこだけ時間が止まったみたいだった。月の女神様かと思ったもん。
見惚れてたら、硝子玉みたいなきれいな青い瞳がさ、こっちを見たの。
そして、言うんだよ。
「ああ、どうも、こんばんは。今宵は月が美しいですね」
なんてさ。
まぁ、お察しの通り、彼女がヨミだよ。
初めて会ったとき、絵本の中から飛び出してきたみたいで、現実味はなかったなぁ。まぁ、話したらそんな印象は、いい意味でも、悪い意味でも、吹き飛んじゃうんだけどね。
ともあれ、そんなことは露ほども知らなかった私は、
「え、あ、どうも……です」
と、縮こまるしかないわけですよ。
そんな私にさ、ヨミは微笑んで……いや、違うな。あれは笑うの必死にこらえてる顔だ。くそぅ。騙されたなぁ。
あの子が初対面で相手に微笑むなんてありえないし。あの子は人付き合いが下手だからねぇ。愛想笑いすらしないんだもん。
「あなたは、ああ、天体観測ですか。今夜ですと、月でしょうか?」
「う、うん。綺麗な満月だったから」
「そうですね。とても、きれいです。……もし、よろしかったら、ご一緒させていただいてもよろしいですか?」
ヨミの提案に、目を丸くしたっけな。
あのころは、誰も星を見たいだなんて言ってくれる人はいなかったから、そんなことを言ってくれるなんて思ってもみなかったんだよ。
「私は構わないけど、安物の望遠鏡だよ?」
「気にしませんよ。……ただ、こうして見上げるよりも、近くで見てみたくなったものですから」
その青色の瞳に、私は自分と同じものを見た。
星を、空を見上げることが好きなんだって。
だから、
「なら、ちょっと待っててね! すぐに準備するから!」
彼女の気が変わらないうちにって、慌てて望遠鏡を準備した。
私の望遠鏡は屈折式、まぁ、皆が想像するような望遠鏡だよ。細長い筒で、その頭とお尻にレンズがついてる。だから、そんなに難しい構造もしてないし、反射式の望遠鏡と比べたら準備なんてすぐに終わっちゃう。
初めて誰かと一緒に見れることが楽しみで、手が震えて戸惑ったな。まぁ、それでも、毎日のように繰り返していたから、ヨミには早く見えたのかな。
「手慣れていますね」
なんて、目を丸くしてた。
「毎日のようにいじってるからね」
その驚いた顔が、すごいって言われてるような気がして、照れくさかったのを覚えてる。
そんなこんなで望遠鏡を組み立て終えて、ファインダーを……ファインダーっていうのは、望遠鏡の本体の筒にくっついてる、銃の照準器みたいなやつね? あれを覗きながら、鏡筒を月に向けて、焦点を合わせた。
「わぁ」
思わず感嘆の声がこぼれるたな。
あのときの、月の輝きは今でもちゃんと覚えてる。
まん丸のお月様がさ、視界いっぱいに見えるんだ。それまでに何度も天体望遠鏡越しの月を見てきたけどさ、あの夜の月は一段とはっきりと、とてもきれいに見えたんだ。それこそ、そのまま一晩中でも見ていたいくらいだった。
でも、その感動を噛みしめるのもよかったけど、その夜は共有する相手がいたから。
「さぁ、どうぞ」
「では、失礼して」
そう言って、あの子は望遠鏡をのぞき込んだ。
そして微かに驚いたように紺碧の瞳を見開くと、ほう、と感嘆の息をこぼしてくれたんだ。
「…………」
ああ、この子は私と同じだと、私は思った。
星を、月を美しいと思ってくれる人なんだって。
うれしかったなぁ。たとえ、それが一夜限りの出逢いでも、ひとりじゃないんだって思えたから。
「どうだった?」
望遠鏡のレンズから目を離したヨミに、耐えきれなくて、そう訊いたんだ。
「ええ。こうして見ると美しいですね」
「でしょっ? きれいだよね。月のあの凹凸は海とも呼ばれたりして、氷の海とか静香の海とか、幻想的な名前も多いの。それでね、他にも月には色々とあってね、昔はアメリカとかロシアが競って月面探査に乗り出していたの。有名なのはアポロ計画で、初めて月面に足跡を残したのが――って、ごめんね」
あのころからの、ずっと悪い癖でね。
あのときは、これだから、ひとりぼっちになるんだよ、って本気で信じてた。
でも、でもね。
あの子は、「どうして謝るのですか?」と不思議そうに首をかしげるだけだったんだ。私はその言葉に、俯きそうになってた顔を上げた。
「確か……人類で初めて月面に降り立ったのは、ニール・オールデン・アームストロング船長でしたよね?」
「……っ、そ、そうっ。その人の残した『これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類には偉大な飛躍である』っていう言葉が本当に好きなの!」
「ああ。あれはいい言葉ですね。ヒトがそれまで成しえなかったことを成したからこその、一言です。月が欲しいと泣く子どもは、その月に手を届かせたのですから」
あの子は嫌な顔一つせず、それどころか、どこか楽しげに話をしてくれた。
それが無性にうれしくて、泣きそうになった。
鼻の奥につんとしたものを感じながらさ、私はこれまでにため込んできた感動や想いを、すべて吐き出すように話したんだ。それこそ、一晩中ね。
まぁ、振り返ると、やりすぎだったかなって思うんだけどね。
それでも、ヨミは私の話に真摯に向き合ってくれたんだ。日が昇るまで、ずっと。
「え? 明け方?」
「ええ。あなたは本当に宙が好きなのですね」
「うん! って、じゃない! ごめんね、こんなに長く話し込んじゃって」
「いえ。私も楽しかったですから。よかったら、またご一緒しても?」
その一言は、あのときの私には、あまりにも予想外だった。
でも、とても魅力的なお誘いでもあった。
「いいの?」
「ええ。しばらくはこの街に滞在していますので」
そう言って微笑むと、ああ、何かを思い出したように声をこぼした。
「自己紹介がまだでしたね」
「あ、そうだね」
「私はヨミと言います。よろしくお願いいたします」
「うん、私はハルカ。よろしくね」
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