終わりの街の喫茶店

白織

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第1話 終わりの街

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「――さぁさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい」

 猫の露天商の軽快な呼び声が、賑やかな街路へと響いている。
 そこは西洋の街並みを彷彿とさせる石畳の街路と、石造りの建築群の印象的なメインストリート。そこかしこに露店や店舗が立ち並び、お前は何屋だと問いたくなるほどに、雑多なモノを売っている。

 それは色とりどりの、お菓子や料理。思わず目を奪われるような美術品から、何に使うのかもわからないようなガラクタまで。美しいもの。壊れたもの。不思議なもの。完成されたものや、未完のものも。……それこそ、この世のあらゆるモノが売っている、と言われても信じられるほどに、色々なモノで溢れている。

 そして、道行くモノたちも。
 そこには人がいた。猫の露天商がいた。蛙の合唱団が。ピエロの劇団が。トカゲの画商が。狼の大工が。キリギリスの楽器屋が。ヒトガタの何かが、そこかしこに。

 そんな賑やかな雑踏の中を歩き疲れて、ふらりと、沙夜は道の端へ隠れるように華奢な身体を押し込めると、ここはどこなのだろうかと嘆息した。邪魔にならないようにと沙夜は石壁に背中を預けると、そのままずるずると石畳の上へと座り込む。

 石畳のひんやりとした冷たさが、波立っていた心を落ち着かせてくれる気がした。そうして、少しばかり冷静になった頭で、この街へと来たときのことを思い返した。

 気がつくと、沙夜はこの見知らぬ街にいた。
 最初、沙夜には自分の身に何が起こったのか、何一つとして理解することができなかった。それは本当に唐突のことで、思考が停止したことだけは鮮明に覚えている。

 ただ沙夜は歩きなれた地元を、天気が良いからと散歩していたはずだった。
 そこは小さな港町。祖父母に引き取られてから暮らしているその町は、時代の流れに取り残されたような、穏やかな空気が流れていて、沙夜はとても好きだった。

 そんな町を散策しているときに、ふと、沙夜は誰かに呼ばれたような気がして、振り返ると――沙夜はこの街の雑踏の中に立ち尽くしていた。

 え、とこぼれた呟きとともに、沙夜の思考は停止した。

 そのまま沙夜が立ち尽くしていると、大丈夫か? と心配するように声をかけてくるモノ。沙夜が振り向くと、そこにいたのは岩から削り出したような、ヒトガタの何か。大丈夫、とそっけなく告げてから、沙夜はその場を離れた。

 それから、沙夜はわけもわからず、ぐちゃぐちゃになった感情の赴くままに走り回って、みっともなく逃げ惑って。さすがに泣き喚くようなことはなかったものの、涙目ではあった。

 そうして、ようやく沙夜がこの街について理解したことは二つ。
 この街の異形たちは沙夜にとって無害な存在であること。もう一つは、この街が少なくとも沙夜の住んでいた世界ではないということだ。

 そこで、ああ、と何かを思い出したように呟きながら、沙夜は服のポケットから古びた封筒を取り出した。

 それは封がされたままの古びた封筒で、所々に握りしめたような皺が寄っていたり、折れたりしている。沙夜がこの街に来たときから持っていたのか、走り回っているときに紛れ込んだのかはわからないが、服のポケットに入っていたものだ。

 引き出しの奥にしまっていたはずの封筒が、どうして手元にあるのかはわからないけれど、その封筒が沙夜の唯一の持ち物だった。

「……どうして、こんなところにあるのよ」

 と、沙夜は指先で封筒をいじりながら、困ったように眉を寄せた。
 どうしたものかと、沙夜が考えた矢先のこと。

「おやおや、お嬢さん。こんなところでどうしたのですか?」

 どこか芝居がかったような声。

 びくりと肩を震わせて、沙夜は思わず手にしていた封筒を隠すようにポケットへしまう。そして、おそるおそると沙夜が俯かせていた顔を上げると、にやにやとした笑みを浮かべ、二本足で立つ猫がいた。

「ああ、これは失敬。わたくしは、この街で〝夢の欠片〟を売っている露天商にございます」

 と、どこか芝居がかった口調で言うと、猫の露天商はチェシャ猫のような笑みを浮かべた。
 その笑みに、沙夜は思わず胡乱げな視線を向けてしまった。

 見た目は手足が白く、灰色の地に黒の縞模様のサバ白とか呼ばれるやつ。しかし、その可愛らしい容姿も、にやけた笑みで台無しだ。背が高いことも、小柄なことを気にしている沙夜からすると、減点対象である。

「……何かしら?」

 沙夜が警戒しつつ返答をすると、猫の露天商はうれしそうに笑みを深める。

「何やらお困りの様子でしたので、お声がけさせていただきました」
「……別に、困ってなんかないわよ」
「そうですかな。とても、そうは見えませんけれど。先ほど、何やら慌てたご様子で走っておられましたが」
「……うるさい」

 どうにも困っていると認めることが癪で、沙夜は顔をしかめた。
 しかし、沙夜がどうしていいのかと途方に暮れていたのもまた事実で、少しの葛藤の末に、沙夜は苦虫を噛みつぶしたような顔で、ここはどこ、と問うことにした。

 すると、猫の露天商は待っていましたと言わんばかりに、にやりと笑みを浮かべる。

「まぁ、色々と呼ばれておりますが、もっぱらわたくしどものようなモノには『終わりの街』と呼ばれておりますな」
「……終わりの?」

「ええ。この街はその生涯や、役目を終えたモノたち――わたくしどもは〝終えたモノ〟と呼んでおりますが。彼らが長い旅路の果てにようやく流れ着く、最果ての街なのですよ。そして、彼らはこの街で各々好きなものを手にして、次の生涯を夢見て眠るのです」

 と、滔々と語られる内容に、沙夜は眉を顰める。
 そんな沙夜の反応に、猫の露天商は苦い笑みを浮かべながら、髭を撫でた。

「そんなお顔をされましても、ここはそういう場所なのですよ」
「そんな突拍子もない話を、信じろっていうの?」
「ええ。あなたのような方には突拍子もないお話かもしれませんが、事実ですから」

 困りましたねぇ、と猫の露天商は肩をすくめる。
 その仕草が、にやけた表情が、どうにも沙夜のことをバカにしているように感じて、沙夜は頬を引き攣らせる。殴ってもいいだろうか、この猫と。

「それじゃ、あなたは私がすでに死んでいるって言いたいの? ただ散歩をしていて、振り返っただけなのに? 車に轢かれたことも、刺されるようなことをした覚えもないわよ」
「でしょうなぁ。あなたは〝迷子〟のようですから」
「……迷子って。そんなに子どもじゃないわよ」

「知っておりますとも。ただ、あなたのような存在はこの街ではそう呼ばれているというお話ですよ。――こちらへと、〝迷い込んだ人の子〟のこと、でございます」

 小さくはありますがな、と沙夜を見下ろしながら、猫の露天商のこぼした呟きに、

「――何か言ったかしら?」

 と、沙夜は自分でもびっくりするほど、きれいに笑えたと思う。

「い、いえ、なんでもございませんよ。ええ。何も言っておりません」
「そ、ならいいわ」

 沙夜はすっと笑みを消すと、そっけなく告げた。

「仮に、あなたの話を信じるとして、この街は死後の世界ってこと?」
「厳密には違いますな。ここは終えたモノたちが来世への願いを見繕う場所。あなた方の言う死後の世界ではなく、そこへ行く途中にあるのです」

「さっきから気になっていたけど、なんで一々、終えたモノ、なんて言うの? 死者じゃダメなのかしら?」
「終えたモノは死者だけ指しているわけではないのです。終えたモノは定命のモノがその命を終えたり、存在を忘れられて、役目を終えたモノたちであったりするのです」

 ほら、よく言うではありませんか、と猫の露天商は指を立てる。

「『どんなものにも魂が宿る』とかなんとか。ここでの、役目を終えたモノたちはそう言ったモノの類ですな」

 他にも色々とおりますが、と猫の露天商は付け加える。
 それを聞きながら、沙夜は訊こうかと逡巡する。心臓が、早鐘を打ち始め、胸を押さえるように、そっと手を握った。

「……ここでなら、死んだ人にも会える?」

 縋るような目をした沙夜に、猫の露天商はにやついた笑みを消して。

「……この街を訪れた終えたモノは願いを選んだら去ってゆきます。ですから、この街を出入りするモノは多い。わたくしどものような住民を除けば、同じ顔などそうそう見るものではありませんな」

「……そう」

 沙夜はそれだけ言うと、そっと胸を押さえるように右手を当てて目を閉じる。
 大丈夫、そう言い聞かせるように。
 心臓の音は、静けさを取り戻していた。

「どうしたら、帰れるのかしら?」

 と、沙夜は何事もなかったように話し始める。
 猫の露天商もにやにやと笑みを浮かべると、そうですなぁ、と呟いて。

「さぁ、わたくしは存じませんな。ただの夢の欠片売りにございますし」
「使えないわね」
「そう言われましても、迷子はいないわけではありませんが、めずらしいですからな」

 苦笑を交わす。

「まぁ、迷子なのですから、迷いがなくなれば帰れるのではないですかな?」
「迷いと言われても、ね」

「〝願い〟と言い換えてもいいですな。この街へとやってくるモノは何かしらの〝願い〟を抱えているものです。画家になりたいだとか、歌が上手くなりたいだとか、幸せになりたいだとか。抱えているものはそれぞれですが、何かしらあるのですよ」

 ですから、と。
 にやりとした笑みを張り付けながら、猫の露天商は言う。
 まるで沙夜の心を見透かすように。

「あなたも、何かを抱えているのでしょうな。そちらの現実では叶えられないような、そんな〝願い〟を」
「……ないわ、そんなの」

 沙夜は吐き捨てるように、そう言った。
 すっと、猫の露天商の瞳が細められる。
 にやにやと笑みを浮かべていた気楽さは消え、ただ剣呑な雰囲気が漂う。

「そうですか。では、見つかるといいですな。祈っておりますぞ」
「……本当に、使えないわね」
「はっは、これは手厳しいですなぁ。ではここで一つ、耳寄りな情報をお教え致しましょうか」

 と、指を立てながら笑った。
 どうでもいいことだが、指は五本あるのだなと思った。

「もし困っておられるのでしたら、喫茶店に相談に行くといいですよ」
「そんなものがあるの?」
「ええ。この街の外れにある喫茶店でして、〝願いを叶えてくれる〟喫茶店、と噂の店でございます」

 またしても、沙夜は胡乱げな視線を向ける。
 そうでしょうなぁ、と猫の露天商も苦笑しながら、まぁまぁ、となだめてくる。

「騙されたと思って行ってみてくださいな。きっといいことがありますよ」
「どこにあるの?」
「この街ですな」

 当然のように答える。
 そんなこともわからないのか、とわざとらしく肩をすくめてみせる露天商の態度に若干苛つきつつ、頬を引き攣らせるにとどめて、沙夜は笑顔を浮かべた。

「この街の、どこにあるかって聞いているんだけど?」
「さぁ? こればっかりは自分で探してくださいとしか言えませんな。何しろ、噂ですからなぁ。……ああ、蝶を追いかけると辿り着けるそうですぞ?」

「……急に胡散臭くなったわね」
「噂とは、得てしてそういうモノでございますよ。おや、失敬。お客様がいらしたようなので失礼しますな」

「ちょっと!」
「ではでは、あなたの願いを喫茶店が叶えてくれるといいですな」

 と、猫の露天商は去って行った。
 〝願いを叶えてくれる〟喫茶店、などという、あるかもわからないような、噂を残して。

「……〝願いを叶えてくれる〟喫茶店、ね」

 と、冷めた声音で、沙夜は呟きをこぼした。
 沙夜は〝願いが叶う〟などと、そんなことを信じてはいない。願いなど叶わないモノだ。

 知っている。
 これまでで何度、願おうと叶わなかったのだから。
 叶わない願いなんて、遠い昔に捨ててしまった。そんなものに価値はないのだと見限った。
 だから、

「……もう、こんなもの、どうだっていいのに」

 ポケット中で、指先が封筒に触れた感触に、沙夜は目を逸らすように睫毛を伏せた。
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