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第五章

遂げられた復讐

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今回の災嵐は、前例のないことばかりが起こった。
天回の消失という、天変地異に等しい異常からはじまり、予定日より二日も早く災嵐はやってきた。
縮地は行われず、頼みの綱であった都市の防壁もなぜか機能しなかった。
そして極めつけに、数多のケタリングの飛来があった。
エレヴァンの上空を横切ることはあれど、降り立つことは滅多にない、ましてや人を襲うことなど皆無に等しいはずのケタリングが、吹雪とともに襲来した。
そして破壊と殺戮の限りを尽くした。
災嵐は到来から九日後に、ぴたりと収まった。
ケタリングは去り、天回が姿を見せた。
何事もなかったかのように、穏やかな、住みよい世界が戻ってきた。
しかし光雨は降らなかった。
災嵐の終わりに必ず降るといわれる、癒しと恵みをもたらす奇跡の雨。
災嵐で負った傷は、その雨によって塞がれる。
完治するわけではないが、血は止められる。再生を助けてくれる。
記録に残る限り、どの年も災嵐が終わると必ずこの奇跡の雨が降ったという。
しかし今回はそれがなかった。
エレヴァンはただ蹂躙されただけだった。
理不尽な暴力を浴びせられ、転がされ、そしてただ捨て置かれただけだった。
理由を知るものは、誰もいない。
全てに因果関係があったのか。それとも偶然の積み重ねが生んだ惨劇だったのか。
人は真実を知りえない。必要ともしていない。
生き残った二千人の人びとにとって重要なのは、災嵐はすでに去った、という事実だけだった。

もちろん彼らは傷ついていた。
身体以上に、心に深い傷を負っていた。
大切なものを、愛する人を、これまでの生活のすべてを失ったのだ。
その悲しみは一様に深い。
しかし、それでも、腹は減る。
夜には眠くなり、また新しい朝に目が覚める。
眩い日差しが、穏やかな風が、暖かく湿った大地が、冷え切った身体を、溶かしていく。
エレヴァンの豊かな自然の中で、心よりも先に、身体が動くようになる。
身体に引きずられて、やがて心も変わってく。
悲しみとともに、希望が、抱かれる。

災嵐は終わった。
もう自分たちを脅かすものはなにもない。
その事実が、人びとを前向きにさせた。

生き残った人びとは、朝廷のある中央都市に集まっていった。
そこで新たな暮らしをはじめた。
中央も、他の四都市と同じように瓦礫の荒野と化していたが、朝廷だけはまだかろうじて形を残していた。中央の鐘塔は崩れていたが、それを囲む回廊はかろうじて土台を残していた。
食糧庫や備蓄庫も大半が無事であった。
ノヴァが指揮をとり、人びとはそれを公平に分け合った。
瓦礫を撤去し、空いた場所に幕屋を建て、再び朝廷を中心とした社会を再建しようとした。
生存者のほとんどが、働き盛りの若い衆、それも心身が頑強で霊操にも優れた者が多かったため、復興は驚くほどの速度で進んでいった。
傷病者の手当て。各地の被害状況の確認。耕作。まだ使える物品の回収と修理。瓦礫の処理。
不思議なことに、災嵐で全滅してもおかしくなかった馬や家畜は、割合でいえば人以上に生存率が高かった。
これは人びとにとって天恵だった。
最も懸念されていた食料不足は杞憂となり、それどころか運搬や移動のための馬も十分に確保できた。

しかし早期復興に最も貢献したのは、生き残った人びと自身だ。
誰もが朝から晩まで、汗水たらして働いた。
奮起し、目の前の仕事に没頭した。
夜には明日の仕事のことか、ずっとさきの将来の展望を語り合って眠った。
災嵐のことは、そこで失われたもののことは、あまり話題にあがらなかった。
考えないようにしていた。
触れないようにしていた。
災嵐が、過去になるのを、待っていた。

心の傷跡が消えることはない。
けれどどれだけ大きな傷痕が残ろうとも、塞がっていれば、それを自らの一部として、生きていくことができる。
人びとには時間が必要だった。
血が乾き、痛みがなくなったとき、人ははじめて、傷痕に触れることができる。
傷に触れれば、当時の苦しみが、痛みが、思い出されるだろう。
これまで培ってきたものがすべて壊された虚しさ。
隣人を、仲間を、友を、家族を、愛する人を失った悲しみ。
生き残ったことを後悔するかもしれない。
しかし傷はもうふさがっている。
その傷のために、死ぬことはない。
過去はその人を殺すことはできない。
故に人は、苦しみながらも、生きていくことができるのだ。



だが、全員が全員、同じように立ち直ることができるわけではない。
マヨルカがそうであったように、現実を受け入れきれず、身体より先に心が死んでしまう者がいた。
心が死ねば、生きる気力は失われ、やがて身体も死んでしまう。
ブリアードはそんな人を見つけては、憎悪の火をくべてやった。

「諸悪の根源を滅ぼすことが、貴方が生き残った意味です」

「すべては異界人の謀略によって起こりました。貴方のなにもかもは、彼がその手で、奪っていったんです」
「カイ・ミワタリを殺すまで、死者の魂が安らぐことはありません」
「仇を討ちましょう」
「復讐しましょう」
「それが貴方が、今日まで生き残った意味です」
「それが貴方が、明日も生きなければならない理由です」

どんな励ましの言葉も届かなかった彼らの耳に、この呪いは、深く染み渡った。
災嵐を過去にすることができず、未だ風雪の中で立ち竦んでいる者たち。
ブリアードは彼らを生かすために、彼らに火を押し当てた。
黒く燃える憎悪の炎を。

凍えていた彼らの身体は熱を得た。
出血の続いていた彼らの傷は焼灼止血される。
醜く爛れた火傷痕と、気の狂うような激痛と引き換えに、彼らは生気を得る。
怒りと憎しみによって、彼らは生かされる。
カイ・ミワタリの死が公然の事実となっても、それは変わらなかった。
「当人が死んでも、共謀者は生きているでしょう」
「貴方たちの大切な人は彼に殺されたのだから、貴方たちも彼の大切な人を殺すべきです」
ブリアードはカイの死を知ったことで、彼らが怒りのやり場を失うようなことには、させなかった。
きちんと別の矛先を与えてやった。
それがラウラであり、アフィーであり、レオンとシェルティだった。

「彼らは強い」
「無策では、返り討ちに合うでしょう」
「それではいけません」
「我々は、確実に、彼らを殺さなければなりません」
「そのためにも、今は怒りをこらえなければいけません」
「力をつけて、確実に殺すんです」
「彼らを殺せなければ、我われは、死んでいった者たちに詫びることさえ許されない」
「必ず成し遂げるんです。この復讐を」
ブリアードはそう説いたが、先走って、西方霊堂で療養する四人を襲いにいった者もあった。
しかしブリアードの言った通りあっけなく返り討ちにあってしまう。
そこで復讐者たちは、大人しく、ブリアードに従うようになる。
力をつける。機会を待つ。
そうして復讐者たちは、腸を煮えたぎらせたまま、憎悪に身を焦がしたまま、生きながらえた。

ブリアードは彼らひとりひとりによく目をかけてやった。彼らのほとんどが躁鬱に陥っていたが、ブリアードが時に叱咤し、ときに煽り、ときに慰めてやることで、どうにか生活を続けていった。
ブリアードは時間を稼ごうとしていた。
時間の経過だけが、彼らを救う唯一の術であると、信じていた。
どんな怒りも、憎しみも、悲しみも、時間が経てば必ず薄れる。
生きていれば、いつか乗りこえることができる。
ブリアードは彼らにその猶予を与えるために、カイを貶め、西方霊堂にいる四人を悪人だと吹聴した。
皮肉にも、息子を殺した暴徒たちと同じ大義名分を掲げ、彼は復讐者たちを率いるようになっていった。

罪悪感はあった。
ブリアードは災嵐から自力で立ち直れなかった人びとのために、アフィーたち四人を犠牲にしたのだ。
もちろん彼には、実際に復讐をする気はなかった。
そもそもできるはずがないと思っていた。
ケタリングを率いる彼らに自分たちが勝てる可能性はまずないだろうと、思っていた。
いくら矛先を向けても、それが彼らに届くことはない。
彼の予想通り、誰も四人を傷つけることはできないまま、時間だけが過ぎていった。
矛先は錆びつき、怒りは冷め、憎しみの炎は弱まっていった。
彼らの心の傷は、醜い痕となったものの、確実に癒えていった。
復讐者たちの数は減った。
一人また一人と、ブリアードのものと離れ、新しい居場所を見つけた。
そこで死者を弔い、自身を許し、また新たに人を愛した。
ブリアードがなにより気にかけていたマヨルカでさえ、復讐に意味がないことに、気づきはじめていた。
暗く落ちていた瞳に、光が差すようになった。
俯けていた顔をあげ、空に目を向けるようになった。

救うことができた。
ブリアードは、そう思った。
正しい方法ではなかった。人に誇れるものでもなかった。
それでも自分は、彼らを救うことができた。
家族のひとり、弟子のひとり救えなかったこんな自分の命にも、意味はあった。
ブリアードは自らを赦免した。
もうなにも心配することはない。
すべては名実ともに過去となった。
これからは誰もに、輝ける未来が待っている。
誰もが、幸せになる世界がやってくる。

――――そう願った、矢先のことだった。
カイの生存が明らかになったのは。







「もう少しだったんです」
ブリアードは空をじっと見つめながら言った。
「もう少しで彼らは、過去から解放されるはずでした」
抉られた彼らの右目は、瞼が固く閉ざされ、落ち窪んでいる。
降り注いだ光雨によって、その中には小さな溜まりができていた。
彼の瞳と同じ桑色の溜まりだ。
それはつい先ほどまで溢れていた。頬を伝い、まるで涙のように。
けれど今は凪の水面の様に、ぴたりと縁で留まっている。
光雨は、すでにほとんど消えかけていた。
まばらに落ちる光粒は、新たに溜まりの上には落ちなかった。
「でも君は生きていた」
ブリアードが言葉を発すると、溜まりはかすかに揺らいだが、溢れることはなかった。
「カイ君、君が生きていたことを、私は、申し訳ないが、歓迎できませんでした。なぜ、と思ってしまいました。なぜ、死んでいてくれなかったのか、と」
「身勝手で、すみません」
「けれど本当に、君が死んでいてくれれば――――いえ、せめて、君がラウラ君のままでいてくれれば、こんなことにはなりませんでした」
「……なんて、我ながらひどく勝手な言い分ですが」
「私は君だけじゃなくノヴァ様も恨みました。なぜ黙っていなかったのか、と」
「ノヴァ様が君を憎むのは、仕方のないことです。彼は誰よりもラウラ君の身を案じていましたから。二人の関係を考えれば……カイ君、君がその身体であることを許せないと、彼が思うのは、当然でしょう」
「ですがノヴァ様は、いくら憎かろうとも、復讐はひとりで果たすべきでした」
「責務を放り出そうが、かまいませんでした。その結果カイ君を殺そうとも、あるいはご自身が死のうとも、よかったんです」
「ですが彼は、他者を巻き込んだ」
「それが私には、許せません」
「……」
「ノヴァ様は私が彼らになにをしたのか知っていました」
「そしてそれを認めていました」
「ラウラ君に実害がなければいい、と。彼らが、特にマヨルカがあのまま死ぬことを、なによりもラウラは悲しむだろうから、と」
「そして彼らが前向きになったことを、私以上に喜んでいました」
「なのに」
「それなのに、ノヴァ様はカイ君が生きていることを……ラウラ君の身体にいることを、彼らに知らせてしまった」
「……」
「今更言っても、詮のないことですけどね」
「どうして黙っていてくれなかったのか、と、思わずにはいられませんでした」
「それを聞いたマヨルカたちの豹変ぶりを見てね」
「彼らは思い出してしまいました」
「忘れかけていた復讐を」
「薄れていた悔恨を」
「……」
「そうなってはもう、私には、止められませんでした」
「そうなってはもう、私にできることは、ひとつだけでした」
「彼らの遺恨を、晴らしてやることです」
「カイ君を殺すことで、すべてを、本当にすべてをおしまいにするしかないと、思いました」
「だから私は、彼らとともに、ここまでやってきました」
「……」
「……お分かりいただけましたか?」
「すべての元凶は、私なんです」
「悲劇を招いたのは私でした」
「どうか彼らを、許してやってください」
「彼らはなにも悪くないんです」
「彼らは、他の全ての人びとと同じように、ただの哀れな被害者です。災嵐にすべてを奪われた、傷ついた、か弱い人たちだったんです」
「加害者は私ただ一人です」
「私だけが無傷でした。ずっと。誰を守ることも、救うこともできず、それどころか多くを死なせてしまった」
「貴方たちを世界の敵にしてしまった」
「許されることではありません」
「だから、アフィ―」
「私の死に、責任を感じる必要はありませんよ」
「私は当然の報いを受けたまでです」

光雨の最期の一粒を、ブリアードの目が捉える。
けれどそれが彼の上に落ちることはなかった。
光粒は夜風に吹かれ、どこへ落ちることもなく、消えてしまった。
「それは違う」
カイは瞳一杯に涙をためながら言った。
「貴方のしたことは――――」
カイは言葉を続けられなかった。
声が喉の奥でつまった。

(……?)

カイはそこでようやく、自身の身体の異変に気付く。
声が出ないだけではない。
身体が動かない。硬直し、感覚も遠い。

(……っ!)

カイははっとしてノヴァを見る。
握りしめたノヴァの手だけが、燃えるように熱い。

(……あっ)

ノヴァはじっと、カイを見つめ返す。
カイの瞳から、涙がこぼれ落ちる。

(……ああ)

カイは目だけを動かして、アフィーとシェルティ、レオンの顔を順番に眺めた。
そして視線をノヴァに戻すと、小さく口を動かした。

「――――」
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