災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

文字の大きさ
上 下
207 / 268
第五章

ブリアードとアフィー

しおりを挟む
割って入ったその声に、カイとアフィーは身を固くする。
レオンとシェルティは身構え、息を飲む。
「彼らがああなったのはすべて私のせいなんです。私に唆されて、彼らはカイ君への復讐に囚われてしまったんです。ですから、アフィー、その誹りは私が受けましょう。――――ああ、そう、警戒なさらずに聞いてください」
仰向けに倒れたまま、ブリアードは、ひどく落ち着いた声で言った。
「私にはもう君たちをどうこうする気はありません。……と言っても、信じるのは難しいでしょうが。大丈夫ですよ。私はもう指先ひとつ、動かすことができませんから。万に一つも、貴方たちをこれ以上傷つけることはない」
光雨を受けるブリアードの身体に、大きな外傷は見られない。
しかしブリアードの四肢は、冷たく硬直し、わずかにも動くことはなかった。
「私はもうすぐ死にます。もはや何をすることもできませんし、何する気もありません。ですから安心してください」
光雨を全身に浴びる彼の言葉を、四人は間に受けない。
カイとアフィーは嘘であってほしいと願うように瞼を伏せる。
レオンとシェルティは神経を尖らせたまま目配せをする。
油断させようとしているのか。隙をうかがっているのか。
それとも止めを刺されないよう牽制しているのか。
二人はあらゆる可能性を考慮した上で、ブリアードを牽制する。
「それだけ平静な声で言われて、ぼくらが安堵するとでも?」
「少しでもおかしな動きを見せたら容赦しねえぞ」
「ええっと……」
ブリアードは弱々しく釈明する。
「本当に死ぬんですけどねえ……。ラプソの毒を受けて、目玉を抉り取って、いくら光雨といえども、これだけの傷は癒せませんよ。意識と口調はっきりしてるのは、ほら、これでも私、操身霊術の師範代ですから、身体に多少の無茶が効くんで、そのためですね」
ブリアードは操身霊術で身体機能を麻痺させ、アフィーから受けた毒が体内に巡る速度を遅らせていた。
同じ要領で眼球摘出という自傷行為にも耐えていた。
しかしどちらも致命傷であることに変わりはない。
霊力が切れ、操身霊術効果が失われつつあるいま、ブリアードの身体は衰弱の一途辿っていた。
術の反動で、彼の身体は一切の抵抗力を失っている。
迫り来る死を、ブリアードはただ粛々と受け入れていた。
「しかしまあ、六十も半ばになってはじめてここまで術を使いましたが、我ながらよくやったものです。災嵐後は肉体労働ばかりしていましたし、霊術を実践で使う機会も多かったので、自然と磨かれていたのかもしれませんね」
死の淵にあって、変わらず多弁な男だった。
つい先ほどまで殺し合っていた相手に対しても減らない口数に、シェルティは呆れを隠せなかった。
「貴方のおしゃべりは知っていましたが、この期に及んでとは、御見それしますよ」
「そういうシェルティ様も、相変わらず皮肉がお上手ですね。口がうまい、といえば聞こえは悪いですが、しかしシェルティ様と話していると、まるで遊戯に興じているような気分にさせられます。楽しいですよ。シェルティ様と話していると、自分まで弁舌が巧みになったように感じられます。おまけに、ただまくしたてるだけの私と違って、シェルティ様は話し上手の聞き上手です。口はチャーリー様に、耳はマルキーシェ様に似たのでしょうね。そういえばお二人は――――」
「おしゃべりに付き合うつもりはありません」
シェルティはブリアードの言葉を断ち切り、質問に答えろ、と命じた。
「お前以外に、あと何人残っている?」
「さあ、どうでしょう」
「しらを切るな」
「本当にわからないんですよ。むしろ聞きたいくらいです」
ブリアードはカイが崩した崖を指して問う
「あそこには、何人埋まっているんですか?」
「……十人だ」
「そうですか。では残りは私だけですね」
「正直に答えた方がいい。ノヴァがこちらの手中にあることを忘れるな」
なおもブリアードの嫌疑は晴れない。
シェルティは自身も手負いで、ほとんど動けない状態でありながら、脅しをかける。
「伏兵の数と、その居場所を言え」
「いないものは答えようがありませんよ。考えてもみてください。この状況になって誰もでてこないんですから、本当にいないんですよ」
「……増援予定は?」
「それもありません。――――これはいわば、私闘ですから。私たちは民の総意でやってきたのではないんです。すべてノヴァ様の独断です。同じ憎しみを持つ我々を引き連れて、彼は誰の許可も賛同も得ずに、ここまでやってきました。ですから我われは、はじめから孤立無援なんですよ。増援どころか、朝廷は今頃大混乱のはずです。陛下と腕利きの技師たちが貴重な霊具や火薬とともに消えたんですから。極めつけにこの光雨です。朝廷はいま、間違いなく、大騒ぎになっているでしょうね」
サミーにはかわいそうなことをした、とブリアードは朝廷に残る末娘の苦労を嘆いた。
「私闘?ノヴァが……?」
シェルティはブリアードが明かした彼らの状況について、口を閉ざし、考え込む。
代わってレオンが詰問を引き継ぐ。
「じゃあなんだ、お前らはたった十人そこらでおれたちをやるきでいたのか」
十五人です、とブリアードは正確な人数を言った。
「ノヴァ様にマヨルカ、ディンゴ君、崖の下敷きになって死んだ十人と、ラリュエさん。それから狼狗が五頭。――――これだけいてやれないと思うほうが難しいですよ。腕利き揃いでしたし、なにより覚悟があった。必ず仇を討つと、復讐を果たすという気勢がね。――――彼らのためにも言わせてもらいましょう。貴方たちが勝ったのは、実力はもちろん、運も大きかったと思いますよ。彼らは貴方たちに劣っていたのではない。ただ運をつかみ損ねただけだったんです。この決着は、紙一重の運のためについたものなんです」
「言うじゃねえか。だがこれは当然の結果だ。憎しみで目も耳も塞がれたてめえらの手が、おれらに届くわけねえんだからな」
「そういわれると、ぐうの音もでませんが……」
ブリアードはそこで声色を一層穏やかなものに変える。
「アフィー」
呼びかけられたアフィーは、びくりと肩を震わせる。
「アフィー、君はなぜそこにいるんだ?」
「え……?」
戸惑うアフィーに、ブリアードは優しく質問を重ねる。
「君は、なぜ彼らを殺すことができたんだ?」
「それは――――」
アフィーは戸惑ったまま、けれどはっきりと答えた。
「――――殺させない、ため」
「カイ君を?それとも、自分を?」
アフィーは頷く。
「どっちも。カイも、レオンもシェルティも、殺させない。死なせない。誰も。わたしたちは、生きる。四人で生きるって、決めた。――――だから殺した。師匠のことも」
声を震わせる愛弟子に、ブリアードは微笑みを返す。
「まだ私を師匠と呼んでくれるのか。君は」
「師匠は、師匠。変わらない」
「私にとっても、君は、ずっと、かわいい弟子ですよ」
「っ……!」
アフィーの頭に、ブリアードの下で、ダルマチア家で過ごした日々が蘇る。



霊堂でカイたちと別れてから、おおよそ一年半。アフィーはダルマチア家の門下生として日々を過ごした。
カイとラウラに追いつくため、アフィーはそこで、休みなく修練に励んだ。
そんなアフィーに、ブリアードは師範として熱意をもって応えた。
官吏としての仕事もある中で、時間をつくってはアフィーの修練に付き合い、稽古をつけた。
家伝である操身霊術も、副作用の大きさと扱いの難しさからはじめはアフィーに教えることを渋っていたが、本人の強い要望に最後は応えた。
不器用で、能力は高いが決して呑み込みがいいとはいえないアフィーに、ブリアードは根気強く付き合った。
ブリアードだけではない。
ダルマチアは門下生も含め、屋敷に三十人近くが住まう大所帯だった。
当主のブリアードと、実際に家を指揮っていた彼の伴侶、マリー・ハスキーは、二人とも大らかで、面倒見がよかった。
そんな二人の影響だろう。
ダルマチアは由緒ある霊家の一門でありながら、仲の良い大家族といった気風があった。
常識に乏しく、口下手で、人に誤解されやすい性質のアフィーは、すぐに馴染むことはできなかった。
けれど彼らはアフィーを阻害しなかった。
時間をかけて、アフィーを受け入れようと努力した。
アフィーは気づくと、すっかりダルマチアに馴染んでいた。

家族を知らないアフィーにとって、彼らとの日々はすべてが新鮮だった。
落ち着かないが、不安になることも決してなかった。
大皿に並ぶ料理を、奪い合うようにとる食事。
広い屋敷の廊下を、肩を並べて行う雑巾がけ。
重なり合う寝息が子守歌となる就寝。
修練の終わりの、互いを労う声掛け。
手入れに向かうと嬉しそうに鼻をすり寄せてくる馬たち。
こっそり口に飴玉を含ませてくれる、マリーの温かい指先。
よくやった、と頭を撫でる、ブリアードの大きな掌。
アフィーにとって、ダルマチアで過ごした時間は、かけがえのないものだった。
アフィーにとって、ダルマチアははじめてできた家族だった。

けれどアフィーは、ブリアードを手にかけた。
アフィーにとってそれは、家族を裏切る行為だった。
それでも彼女は選んだ。
五年前、ヤクートを殺せず、カイを失いかけた。
あの後悔を二度としないために、彼女は躊躇わず、迷わず、ブリアードを殺したのだ。
カイと共に、生きていくために。



「師匠」
アフィーは一筋だけ涙を流し、頭を下げた。
「今まで、ありがとう、ございました」
ブリアードは深く息を吐いた。
その顔は晴れやかで、満ちたりているように見える。
「嬉しいね。何度立ち会っても、弟子の門出と言うのは、胸がいっぱいになるものだ。――――けれど君の成長は、私の功績ではない。君がそこまで成長できたのは、カイ君たちのおかげだろう。……私は君に、それほど多くのことを教えられなかったから」
「そんなこと、ない」
「いいや。私は指導者として、結局最後まで、未熟なままだったよ」
ブリアードの顔から、それまでの笑みが消える。
代わって浮かんだのは、暗く打ち沈んだ、自虐的な笑みだった。
「私に人を導く力はなかった。だからこんな凄惨な結末になってしまったんだ」
「師匠……?」
首を傾げるアフィーから目を逸らし、ブリアードはこの場にいる全員に告白する。
自身が犯した、許されざる罪を。
「みなさんは今日ここにきた彼らのことを、きっと愚かだとお思いでしょう。今更カイ君を殺したところで、なにも得るものはありません。彼らの心のわだかまりは、いくらか晴れたかもしれませんが、それ以上に虚しさが勝っていたはずだ。彼らだって本当は、心の奥底では、わかっていたはずなんです。意味なんてないと。それでも彼らが動いたのは、すべて、私のせいです。彼らが本当に憎むべきは、きっと私でした」
「なに……?」
ブリアードの懺悔に、アフィーは困惑する。
アフィーだけではない。カイも、レオンも、シェルティも、ブリアードの告白の意味がわからず、戸惑いを露わにする。
「ブリアード先生」
カイは訊いた。
なぜ自分を責めるのか、と。
あなたはなにをしたんですか、と。
ブリアードは答える。
私は君を悪者にしたんです、と。
「おれを……?」
「ええ。彼らが今日までカイ君を憎み続けたのは、私がそう誘導したからなんですよ」
「誘導って――――でも、だって、おれが縮地を失敗したのは事実じゃないですか。あの人たちの大切な人がおれの過失で死んだのは事実だ。ヤクートだって――――ブリアード先生も、おれを憎んでいたから、ここにきたんでしょ?」
「いえ、違います」
「え?」
「カイ君。私はね、全部、仕方のないことだったと思ってるんですよ」
「……!」
「縮地が失敗したことも、ヤクートがああやって死んだことも、貴方のせいだとは、すこしも思っていません。なるべくしてなったこと。すべては起こるべくして起こったことだと思っています」
カイはますます困惑する。
「そんな――――でも、それじゃあ、そう思ってるなら、どうして……?」
ブリアードは目を伏せる。
「彼らを、死なせたくなかったからです」
老いた男は、痛切な声を絞り出す。

「私は彼らを、助けてあげたかったんです」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。

アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。 両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。 両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。 テッドには、妹が3人いる。 両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。 このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。 そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。 その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。 両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。 両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…   両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが… 母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。 今日も依頼をこなして、家に帰るんだ! この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。 お楽しみくださいね! HOTランキング20位になりました。 皆さん、有り難う御座います。

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います

霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。 得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。 しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。 傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。 基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。 が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

スキルが【アイテムボックス】だけってどうなのよ?

山ノ内虎之助
ファンタジー
高校生宮原幸也は転生者である。 2度目の人生を目立たぬよう生きてきた幸也だが、ある日クラスメイト15人と一緒に異世界に転移されてしまう。 異世界で与えられたスキルは【アイテムボックス】のみ。 唯一のスキルを創意工夫しながら異世界を生き抜いていく。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

転生しても山あり谷あり!

tukisirokou
ファンタジー
「転生前も山あり谷ありの人生だったのに転生しても山あり谷ありの人生なんて!!」 兎にも角にも今世は “おばあちゃんになったら縁側で日向ぼっこしながら猫とたわむる!” を最終目標に主人公が行く先々の困難を負けずに頑張る物語・・・?

凡人がおまけ召喚されてしまった件

根鳥 泰造
ファンタジー
 勇者召喚に巻き込まれて、異世界にきてしまった祐介。最初は勇者の様に大切に扱われていたが、ごく普通の才能しかないので、冷遇されるようになり、ついには王宮から追い出される。  仕方なく冒険者登録することにしたが、この世界では希少なヒーラー適正を持っていた。一年掛けて治癒魔法を習得し、治癒剣士となると、引く手あまたに。しかも、彼は『強欲』という大罪スキルを持っていて、倒した敵のスキルを自分のものにできるのだ。  それらのお蔭で、才能は凡人でも、数多のスキルで能力を補い、熟練度は飛びぬけ、高難度クエストも熟せる有名冒険者となる。そして、裏では気配消去や不可視化スキルを活かして、暗殺という裏の仕事も始めた。  異世界に来て八年後、その暗殺依頼で、召喚勇者の暗殺を受けたのだが、それは祐介を捕まえるための罠だった。祐介が暗殺者になっていると知った勇者が、改心させよう企てたもので、その後は勇者一行に加わり、魔王討伐の旅に同行することに。  最初は脅され渋々同行していた祐介も、勇者や仲間の思いをしり、どんどん勇者が好きになり、勇者から告白までされる。  だが、魔王を討伐を成し遂げるも、魔王戦で勇者は祐介を庇い、障害者になる。  祐介は、勇者の嘘で、病院を作り、医師の道を歩みだすのだった。

処理中です...