災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第五章

空上の戦い(二)

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「アンタがウルフを皆殺しに知ったあと、オレは芸座を出て行ったんだ」
「怒り狂ってたけど、どこかまだ信じられない気持ちがあったんだよ」
「それで、とりあえず山に入った。もしかしたらまだ一族はいるのかもって」
「でもウルフがどこに住んでたかわからなくて、しばらくさ迷った」
「あのときは死ぬかと思ったな。もともと隠れるように暮らしてたウルフの住処をあてもなく見つけるなんて、無謀だろ?熊とか虎には遭うし、そのうち腹減って動けなくなって、いよいよってときにようやく見つけたんだ」
「ウルフの墓場を」
「アンタも丁寧だよな。すぐわかったぜ。墓標こそなかったけど、埋めたもんを暴かれないように、獣除けの罠で囲ってただろ?アンタの狗鷲の羽が使われてたから、オレは確信したよ」
「それで決心したよ」
「絶対にアンタを殺してやろうってな」

「憎しみってのはすげえもんでさ。死にかけてたはずのオレは山を下りて、その足で方々に散った仲間の所に行ったんだ」
「アンタが殺さなかった、オレ以外のガキのとこにさ」
「やめときゃよかったよ」
「まさか全員、幸せに暮らしてるとはね」
「まあオレやアンタみたいにはっきりウルフって見た目をしてねえからな。だから排斥されることもなく、みんなそれぞれの場所で、ちょっと見た目の変わったガキとして、ふつうに暮らしてた」
「ふざけんなって思ったよ」
「なんでオレはこうで、お前たちはそうなんだって」
「同じ境遇のはずなのにって」
「火に油さ」
「怒りで気が狂いそうだった」
「テメエらのその幸せは、実親の仇に与えられた仮初のもんなんだぞって怒鳴り散らしてやったよ」
「でも聞く耳を持ちやしねえ」
「アイツらウルフのくせに、他の連中と同じような目でオレを見やがった」
「……」
「まあそうだろうよ」
「アイツら満ちたりてるもんな」
「オレの気持なんかわかるわけねえ。ぶっ殺してやろうかとも思ったけど、それじゃアンタと同じになっちまう気がして、やめたよ」
「オレは、憎しみはぜんぶ、アンタに向けることにしたんだ」

「それからアンタを探し回った」
「金も宿もなかったから、適当に盗んで、脅して、暴れまわりながらな」
「オレは喧嘩じゃ誰にも負けなかった」
「十三歳のガキ相手に、誰も力じゃ敵わなかった」
「最初は舐めてたヤツらが、びびって怖気ずいて、最後はすり寄ってきたよ」
「男も女もな。オレに媚売って、恩恵にあやかろうとするヤツさえいた」
「煩わしかったけどよ、オレは調子に乗ってたし、アンタの居所を突き止めるためにも、そいつらを受け入れようとしたこともあった」
「でもよ、そいつらも、オレの面見たら、すぐに離れていきやがるんだ」
「化け物だっていってな」
「ははは!笑えるよな!オレに近づいたら、病気が移って、オレみたいな見た目になっちまうと思い込んでるヤツまでいたんだぜ!」
「なれるもんならなってみろよなあ?そしたらオレにすり寄らなくても、テメエの力で周囲をねじ伏せられるようになるんだからな」
「くそだぜほんと」
「くそばっかだ」
「……」
「むかついて仕方なかったよ」
「だからさらにオレは暴れ回った」
「アンタを探すって目的も忘れてさ、とにかくいろんなものぶっ壊しまくった」
「で、さすがにやりすぎて、警吏につかまっちまった」
「二十人くらいいたか?捕縛霊術まで使われちまって、あえなくお縄だよ」
「オレは座れないくらいボコボコにされて、皇帝の前に引きずり出された」
「皇帝と、お偉方が何人かいたか。連中はオレの見た目で、オレがウルフだって判断したんだろ」
「洗いざらい話してやったぜ」
「死にたくなかったし、もう殴られるのは御免だったし、なにより話せば、アンタも同じように捕まるだろうと思ったからな」
「アンタもオレみたいに、ボロ雑巾にされちまえばいいと思ったんだ」
「アンタの大嫌いな朝廷に、アンタは縛り首にされる。これ以上ない報いだと思ったよ」
「……まあそう思い通りになるわけはなかったんだけどな」
「連中は腹に二物も三物も抱えていやがった」
「あとから聞いた話だと、オレの情報からアンタのことを見つけ出したが、黙認したんだってな」
「アンタが無害だったから」
「はは。たしかにそうだ」
「アンタ、ケタリングを手懐けちゃいたが、でもただそれだけだった」
「息を殺して、隠れるように生きてたもんな」
「それにアンタを捕まえるのはオレを捕まえるのとはわけが違うからな。どれだけ犠牲がでるかわかんねえ。放っておくしかなかったんだよな、結局」
「で、さんざん暴れ回ったオレの方は、しっかり鎖を繋がれちまった」
「利用価値があったし、アンタに対する抑止力にもなるからな」

「オレは北方霊堂で飼われることになった」
「捕まってから、災嵐までの二年間」
「間違いなく人生最悪の二年間だったな」
「あそこにいる間、オレは一度として人間扱いされなかった」
「知ってたか?ケタリングの研究と調査は、北方霊堂が担ってるんだぜ」
「オレはうってつけの実験体だったってわけよ」
「身体さんざん弄りまわされてよ、血やらなんやら、身体中から搾り取られてよ、どっかでケタリングが出たとあっちゃ、鉄の箱に押し込められて現地まで連れてかれた」
「ケタリングを手懐けさせようとしてたんだ。オレに」
「本当にケタリングを手懐けられたら、オレはその場で、拘束具ごと手足引きちぎってでも、ヤツら血祭りにあげてやったけどな」
「ヤツら運がよかったよ。オレがあそこにいる間は、情報が間違ってたか逃げられたかで、全部空振りだったからな」
「二年間、オレは肥溜めよりもひどい場所で生かされたよ」
「汚ねえ檻の中で、残飯だけ食わされてた」
「外に出されるときは豚みてえに追い立てられてよ、反抗すればまた立てないくらいボコボコにされる」
「テメエの気分がわりいからって手を出してくるクソもいたな」
「大半のヤツはモノとして扱ってきたけどな」
「オレがなにを言っても、動物の鳴き声にしか聞こえなかったらしいぜ」
「すげえよなあ」
「肌と髪の色が違うだけで、人間を人間じゃないモノとして見れるんだぜ、ヤツら」
「イカれてるよなあ」
「オレからすればヤツらのがよっぽど獣だったよ」
「いつか絶対ぶっ殺してやろうと思ってた」
「あそこにいた二年間で、アンタへの怒りは収まっていったよ」
「座の奴らもさ、オレを同類とは思ってなかったけどさあ、あそこまでじゃあなかったよ」
「座長が睨みきかせてたからかなあ。あの人、酒癖わりいし博打狂いだし、客入りよくねえとすぐ座員に当たり散らすどうしようもねえ人だったけど、俺も他のやつも、殴るときは一緒だったからなあ」
「はは。クソッタレだったけど、誰よりも平等だったよ」
「つってその座長は、アンタに言われてたからそうしてたのかもしれねえけどな」
「オレはずっとアンタに守られてたんだって痛感したよ」
「同時に、なんでウルフが蜂起を企ててたのかもな」

「この世界はクソだよ」
「オレたちは誰よりも優れてるのに、なんで差別されなきゃなんねえんだ?」
「数だけはいる虫ケラどもが幅を利かせて、なあ、ここは本来オレたちの生きる場所のはずなのに」
「おかしいよな」
「いかれてるよな」
「くそがよ」
「ぶち壊れちまえと思ってたよ」
「ぶち壊してやるって……」
「……」
「……」
「……はは」
「そう思ってたからさ、災嵐がきたとき、オレは歓喜したよ」
「アイツらの前じゃ口が裂けても言えねえけどさ」
「最高の気分だったよ」
「北方霊堂は跡形もなく消し飛んだぜ」
「ケタリングもあそこがどういう場所かわかってたんだろうなあ」
「オレは爆発に巻き込まれたけど、軽傷だったぜ」
「檻も、枷もぶっ壊れて、自由の身だ」
「オレのほかにも生き残ってるやつはいたけど、ケタリングはそいつら一人一人、丁寧に殺していったよ」
「それこそ蟻を踏み潰すみてえにさ」
「最高だったなあ」
「ケタリングは絶対オレには手を出さなかった」
「むしろオレを庇ってたよ」
「災嵐中、何度か光球を飛ばしてみたけど、それにはなんでか反応しなかったけどな」
「災嵐中は従わせらんねえのか?」
「なにかコイツらにはコイツらの縛りがあるみたいだったぜ」
「例えばすでに契りを結んだケタリングがあの場にいたらどう動いただろうな?」
「アンタも災嵐に遭えてたらなあ」
「……」
「……オレが生きてる間に災嵐が来ることはもうねえから、いいけどな」

「誰もいなくなった、まっさらになった北方霊堂で、オレは災嵐過ごしたよ」
「食い物は瓦礫から漁り出してさ、火を確保すんのは苦労したけど、楽勝だったぜ」
「コイツがずっと側にいてくれたからな」
「災嵐が明けたら、絶対オレのもんにしようと思ってた」
「ずっと酔っ払ってるみてえな気分だったよ」
「どれだけ死んだかなあってさ」
「どこもかしこもめちゃくちゃになってんだろうなあってさ」
「異界人には感謝してるよ」
「アイツがぶち壊してくれたようなもんだからな」
「言っといてくれよ」
「気に病んでるみてえだけどさ、少なくともここに一人、感謝してるヤツがいるって」
「ははは!」
「災嵐が去ったあと、オレはコイツの名を呼んで、それではじめて飛んだんだ」
「吹雪は止んでたし、天回も戻ってたけど、まだ雲は厚かったな」
「それでもかまわず飛んだよ」
「まっさらになった世界を、眺めてやろうと思ったんだ」
「そんで一人でも生き残りがいたら、まだ建ってるもんがあったら、潰して回ろうと思った」
「そう本気で思ってたよ」
「けど……」
「けど空は……」
「……」
「……」
「……いまだに震えるよ」
「思い出すと」
「……」

「高く昇ったんだ」
「雲につっこんで限界まで」
「しばらくは雲の中で何も見えなかった」
「無我夢中だった」
「風を切ってる感覚だけがあった」
「全身はち切れそうだった」
「雲を抜けると、まっさらな青空が広がってた」
「青かった」
「足元の雲は真っ白で、オレが乗るケタリングの影だけが、ゆらゆら動いてた」
「どこを見ても、空と、雲しかなかった」
「なんていえばいいか……」
「心臓が、ぶち破れそうだったよ」
「……」
「しばらくそこを飛び回った」
「縦横無尽に」
「自由に」
「……」
「気持ちが良かった」
「息ってこんなに深く吸えるもんなのかと思った」
「雲を抜けて、一度空を見たら、すぐ下に戻ろうと思ってたんだ」
「ぶっ壊れた世界を見下ろすのは、快感だろうって。絶景だろうって思ってたんだ」
「……」
「……思ってたんだけどなあ」
「どうでもよくなっちまったよ」
「全部が」
「なにもかもがさ」
「……」
「アンタもそうだったろ?」

「空を駆ける自由を知った後じゃ、憎しみだなんだの、全部瑣末なことに思えたんだ」

「ほかには何も要らなかった」
「誰が死のうは生きようが、世界がどうなろうが」
「オレはここで全てを許した」
「オレはここで、自分がなんのために生きてるのか知ったんだ」

ディンゴはレオンにゆっくりと近づいていき、隣に並び立った。
「やっとわかったよ」
「アンタが正しかった」
「ウルフは滅んで正解だ」
「こいつらを復讐に利用?冗談じゃねえ」
「これはオレたちの翼だ。オレたちが自由に空を駆けるためだけのものだ」
「そんなこともわからなくなっちまったなら、ウルフは滅んだほうがいい」
「そうだろ?レオン」

ディンゴはレオンの肩に腕を回そうとする。
しかしレオンは、その手をつかみ、静かな声で言った。
「――――それで、お前が連中に加担してる理由はなんだ・」
ディンゴは肩をすくめ、そうするしかなかったんだ、と答えた。
「オレはもう復讐とかどうでも良かったしさ、ましてやエレヴァンを牛耳ってやるつもりもなかった。災嵐直後は世界中えらい有様だったからな、やろうと思えばできたかもしれねえけど、オレはもう空を知ったからな。下の世界が滅ぼうが興ろうが、どうでもよかったからなあ」
ディンゴはレオンの手を振り払おうとしたが、叶わなかった。
レオンはディンゴの手首を固く握りしめたまま、双眸を細める。
「それならただ飛んでいればよかったじゃねえか」
「……そうもいかねえだろ。飛んでるためには生きなきゃなんねえし、生きるためには社会に関わんなきゃいけねえ。最初は一人でも生きていけると思ったけどさあ、ありゃすげえ疲れるな?それに檻から出たばっかだったし、いいもん食って、いい床で寝たかったんだよ。硝子玉がなきゃケタリング操れねえしな。いちいち盗むのは手間だ。だからオレは、ノヴァに手を貸してやることにしたんだ。異界人を憎んでるふりしてさ。――――思ったよりこき使われて参ったけどな。都市の再興だってオレがいなきゃこんなに早くいってないぜ」
レオンは鼻を鳴らし、ディンゴの手首を離した。
「支離滅裂だな。てめえそれは、ケタリングを差し出すも同然じゃねえか。自由はどうした?利用されたくなかったんじゃねえのか?目先の欲負けてんじゃねえよ」
「意地の悪い言い方すんなよ。狗鷲だって、人の仕掛けた罠にかかったもんを横どっていくこともあるだろ?腹を満たす、天敵を避ける、繁殖する――――そのための行為なら、どんなことでも許容されるのが自然だろ」
「で、お前は飼われることを選んだわけか」
「飼われてるつもりはねえよ」
「オレには自分でまた檻の中に入ったようにしか見えねえよ」
「……まあたしかに、枷はつけられたけどさ」
ディンゴは首をすっかり隠す襟を開いて見せた。
彼の首には、冠がはめられていた。
枷のように食い込むそれは、ラサのレガリアのひとつ、皇帝の冠だった。
ディンゴは茨のように鋭利な刺を生やすそれを、平然と身に着けていた。
「でもオレらを入れられる檻なんてあるわけないだろ?ケタリングを縛れるものなんてありはしねえんだ。この枷だって、外そうと思えば、いつでも外せるんだから」
陶酔したようなディンゴのものいいに、レオンは眉をひそめる。
「おれたちは無敵じゃねえ」
「そりゃあな。オレとアンタがやり合えば、どっちかは負けるからな。でも互い以外には無敵だよ」
ケタリングを従えたウルフは生態系の頂点だと、ディンゴは言い放った。
「驕るな」
「わかってるよ。一番強いのはアンタだ」
「そういうことじゃねえよ」
「安心しろって。アンタは最強だ。でももう孤独じゃない」
レオンがわずかに頬を歪めたのを、ディンゴは見逃さなかった。
「そうだろ?オレたちはもう孤独じゃない。わかりあえる。――――わかりあえたんだ!」
ディンゴはレオンの両肩をつかんだ。
「アンタは孤高だ。けどそれじゃつまんねえだろ?」
ディンゴに押されて、レオンは半歩あとずさる。
「空を飛ぶのはなにより楽しい。でもそれを誰かと分かち合えたらもっと楽しい。アンタといま飛んで確信したよ。オレはアンタと飛んでいたい、この空を!」
強い風が吹き付ける。
凍ったように冷たい風だ。
ディンゴは耳も頬も真っ赤にしていたが、それは寒さのためなのか、興奮のためなのかわからなかった。
「こっちにこいよ、レオン!」
ディンゴは子どものように無邪気な笑顔で、レオンの肩を揺すった。
「異界人への義理立てはもういいだろ?こっちにくればもう逃げ隠れする必要はない。寝床や食いもんにも苦労しねえ。黒曜石なんて勝手の悪いもんじゃなくて、ちゃんとした硝子球もたんまり手に入る。酒だって女だって選べる。なにより好きに空を飛べるんだ!――――オレと一緒に!」
ディンゴの瞳は無垢な希望に輝いていた。
「最高だろ?」
彼はレオンが提案を受け入れることに、一切の疑いを持っていなかった。
しかしレオンはディンゴの肩に手を置いた。
「悪いな」
レオンはそう言って、ディンゴを自分から引き離すように、強く押しやった。
「おれはもう決めてんだ。あいつらと生きるってな」 
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