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第五章
川岸の戦い(二)
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「姉ちゃん……」
マヨルカは長杖にますます力を込めながら言った。
「ラウラ姉ちゃんまで、お前は、奪った」
長杖に入ったひびは、次第に広がっていく。
しかし押し負けているのはカイの方だ。
黒衣の男の正体に気づいたカイは、動揺で霊操を乱していた。
「う、奪ったんじゃない。ラウラは、おれを――――」
「その身体、いますぐ姉ちゃんに、返せ」
「――――できない」
カイは胸の張り裂けるような思いで、しかしはっきりと、告げた。
「ラウラは、もう、死んだ」
マヨルカの顔から、表情が消える。
五年前と同じ絶望に、彼は叩き落とされる。
それでも、カイは続けた。
「おれの代りに、死んだんだ」
カイはただひとつの現実を、少年に突きつけた。
「おれはラウラに、救われたんだ。――――君がテネリファに救われたように」
がしゃんと、音を立てて、長杖が砕け散る。
カイは王杓でマヨルカを薙ぎ倒す。
服が裂け、鑢で削り取られたような傷が、マヨルカの胸から腹にかけて刻まれる。
傷は一見すると浅く、血もほとんど出ていなかったが、内臓の損傷は重篤だった。
マヨルカは激しく吐血し、呼吸もままならなくなってしまう。
カイは長仗が折れた瞬間、自身の霊力を抑え込んだ。
それでも立った一撃で、マヨルカは瀕死の重傷を負ってしまった。
カイは泣きながら、倒れたマヨルカの首元に王杓を突きつける。
「おれは死ぬわけにはいかない。お前らの復讐のためには死んでやれない。ラウラがくれた命を、大切にしたいから。――――生きていたいから」
マヨルカは表情の失われた顔を、澱んだ灰色の瞳を、カイに向ける。
「殺してやる」
マヨルカは血と共に、かすれた声を吐き出した。
「テネリファの――――姉ちゃんの――――みんなの、仇だ――――」
カイはたまらず目を背ける。
「なんでだよ……!」
下を向き、涙を雨のように降らせながら、叫ぶ。
「おれを殺したって、誰も戻ってこないのに。君がそんなふうになることを、ラウラは絶対に望んでないのに、どうして、君は……!」
「――――おれが生き残った意味だ」
マヨルカは静かに霊操をはじめる。
自身の内の霊力を、額に集中させる。
「おれが生き残ったのは、お前を殺すためなんだ」
「そんなわけない!」
「じゃあなんでおれは生き残ったんだ?」
マヨルカは問う。
「なんでおれは今、生きてるんだ?」
たった一人、自分だけが生き残った理由を。
「それは――――」
十歳で災嵐に遭い、五年たった今でも、その絶望から抜け出せずにいる少年に、カイがかけてやれる言葉などなにもない。
マヨルカは咳き込み、また血を吐き出す。
カイの流した涙の痕を、その血の濁流は飲み込んでいく。
「みんな、なにも悪くないのに、死んだ。おれたちが、都市に張った結界は、完ぺきだった。でも、だめだった。ぜんぶ、壊れた。――――お前が壊したんだ」
マヨルカの目は真っ赤に充血する。
鼻からも血があふれ、手足がガタガタと震えだす。
カイはそれが王杓による傷のためだと思い、もう喋らないでくれ、と懇願する。
けれどマヨルカは口を閉じない。
「お前を、お前を、殺すんだ。おれは。そうしないと、テネリファが、みんなが、ゆっくり眠れない」
マヨルカは頭部に集めた霊力で、脳のある一点を麻痺させていく。
カイはそれに気づいていない。
マヨルカと同じくらい身体を震えさせながら、泣きじゃくるばかりだった。
「みんなは、災嵐で、死んだんじゃ、ない。お前に、殺されたんだ。だから、魂も、ちゃんと、エレヴァンに、残ってるんだ。おれには聞こえる。みんな望んでる。お前が死ぬことを。おれに、お前を殺してくれって言ってる。おれは、みんなの願いを叶える。おれは、おれは、そのために、今日まで、一人で―――」
「ちがう!」
カイは耐えきれず、叫んだ。
「ちがう!そんなことない!そんなことは無いんだ!」
マヨルカはカイを見る。
目の前にいるのは、姉の姿をした別人のはずだった。
なによりも憎い相手のはずだった。
けれど泣きじゃくるカイの姿を見て、マヨルカの心はかすかに揺らぐ。
マヨルカはラウラの泣き顔など、見たことがなかった。
ボロボロになって、取り乱した姿であれば、なおさらだ。
「そんなこと、絶対に、誰も望んでない……!」
カイはマヨルカに向けていた王杓を降ろし、その目をまっすぐ見つめ返す。
「誰も悪くない。誰のせいでもない。おれも――――おれは、自分が悪かったとは、もう思ってない。でも、おれは弱かった。バカだった。だから守れなかった。ラウラのこと、君たちのこと、守らなきゃいけなかったのに。それは――――それは本当に、ごめん。でも、それでも、みんながおれを憎んでるなんて、それは嘘だ。少なくともラウラは、おれを憎んだりしていなかった」
「嘘だ」
「本当だ」
カイは力強く断言した。
「ラウラは最後、おれに幸せになってほしいって言ったんだ。だからおれは幸せになる。笑って生きる。そう決めたんだ。――――自分のしたこと、忘れたりはしない。死んだ人たちのことも。でもそれを抱えながら、生きていくって決めたんだ」
「そんなの……許されるわけないだろ……」
「許してくれ」
カイは頭を下げた。
「おれは君を傷つけたくない。どうかもう全部終わりにしてほしい。おれたちは二度と君たちの前に姿を現さない。君たちとは関わらずに生きていく。だからもう、こんなことはやめてくれ」
カイは顔をあげる。
悲痛に歪んだその顔は、マヨルカが最後に目にしたラウラの顔と同じだった。
「ラウラは君がこんなふうになることを絶対に望んでない。テネリファだって、他の子たちだってそうだ。君に幸せになってほしいって、自分の分まで笑って生きてほしいって思ってるはずだ」
「姉ちゃん……」
マヨルカは一瞬、目の前にいるのがカイだということを忘れてしまう。
カイの言葉を、願いを、ラウラのからのものだと錯覚してしまう。
「復讐のために生きるなんて、悲しいことは、もうやめてくれよ……」
マヨルカの顔に、大粒の涙が降り注ぐ。
涙はマヨルカの顔についた血を濯ぐ。
けれど血の量はあまりにも多く、また次から次へと流れ出るため、涙だけでは到底、こびりついた赤を消すことはできなかった。
「――――テネリファはおれを庇ったんだ」
マヨルカは虚ろな眼差しで呟く。
「おれたちはちゃんと結界を張ったんだ」
「でも、吹雪は、収まらなくて、水壁は凍りついて――――」
「おれたちは、ちゃんとやった。確かに、成功させたんだ」
「なにも失敗なんかしてなかったんだ」
「それなのに――――あの日南都の中にいたやつらは、おれたちのせいだって」
「全部おれたちが悪いって、おれたちの結界が不出来なせいだって言って――――」
「殴られた」
「蹴られた」
「たくさん」
「いろんな人に」
「テネリファはちびたちを庇って、誰よりも殴られたんだ」
「それなのにずっと謝ってた」
「ごめんなさいって」
「なにも悪くないのに」
「おれたちのせいじゃないのに」
「……」
「……おれは、納得できなかった」
「だからやり返してやったんだ」
「おれたちを殴る奴らを、ぶちのめしてやったんだ」
「そしたら、誰かが、剣を抜いて――――」
「……」
「……」
「……死ぬのはおれのはずだった」
「だって剣は、おれに向けられてたから」
「テネリファが死ぬことはなかったんだ」
「なのに……」
「……」
「……気づいたら、テネリファがおれに、覆いかぶさってた」
「熱かった」
「おれは自分が刺されたんだと思った」
「身体が、血で、濡れたから」
「でもそれはおれの血じゃなかった」
「テネリファの……」
「テネリファの血は熱かった」
「でもすぐ冷たくなった」
「すぐに凍った」
「……」
「血が止まったから、テネリファは死なないと思ったんだ、おれ」
「……」
「そのあとすぐにケタリングがきて、おれたちを殴ったやつらは、テネリファを刺した奴は、みんな紙切れみたいに死んだ」
「おれはちびたちと瓦礫の隙間に隠れてた」
「ケタリングはおれたちを狙わなかった」
「そうだよな」
「だっておれたちは、正しかったんだから」
「災嵐から人を救うために、おれたちはずっとがんばってきたんだ。そんなおれたちが災嵐で死ぬわけないんだ」
「……死ぬわけない、はずだったのに」
「ケタリングはおれたちを殺さなかった。でも、吹雪は、防げなかった」
「小さいやつから死んでった」
「みんな、動かなくなった」
「寒いっていいながら」
「熱いっていいながら」
「おなか減ったいいながら」
「泣きながら、苦しみながら、凍え死んでいった」
「おれはなにもできなかった」
「誰も助けられなかった」
「……」
「テネリファは、刺された時、おれに言ったんだ」
「みんなを、守ってって」
「すごく苦しそうな顔で」
「いつもの泣き顔なんか目じゃないくらい、辛そうな顔で、言ったんだ」
「でもおれは、誰も守れなかった」
「なにもできないまま、一人で、生き残った」
「……」
「……幸せ?」
「笑って、明日を、生きる?」
「できるわけない」
「できるわけ、ないだろ」
「みんな死んだのに」
「おれひとりで、幸せになんて、なれるわけないだろ!」
マヨルカは慟哭し、カイの顔を殴りつけた。
「お前があの日、縮地を成功させていれば!」
マヨルカはカイの髪をつかみ、二度、三度と、殴打を繰り返す。
「おれたちはちゃんとやったのに!お前のせいで!お前が!お前がちゃんとやらなかったせいで!」
瀕死の重傷を負っているとは思えないほど、重い打撃だった。
カイはたまらず王杓でマヨルカを払おうとする。
マヨルカはそれを読み、カイが王杓を振るより先に、カイの身を突き飛ばした。
「裏切り者め!」
カイは後ろ倒しになるが、すぐさま起き上がり、王杓を胸の前で構えた。
その頬は赤く腫れあがり、口の端には血が滲んでいる。
しかしカイが痛みを感じるのは胸だけだった。
マヨルカの言葉ひとつひとつが、カイの胸を締め上げ、苦しみを与えていた。
「おれを篭絡しようとしても無駄だ。おれは、知っているぞ。わかっているぞ。お前はそうやって甘言をばらまいて、人を囲って、自分に都合のいい世界を作ろうとしていたんだ」
「そんなこと――――」
「とぼけるな。お前は縮地をわざと失敗させたんだ。自分と仲間だけで飛んで、エレヴァンをわざと災嵐に遭わせたんだろ?世界を自分のものにするために、一度全部を、壊そうとしたんだろ!」
カイは唇を噛み、首を振った。
「ありえない。そんなこと――――おれは、おれは、だめだったけど、おれなりに世界を救おうと、必死だったよ。みんなだって、ラウラだってそうだ。縮地を成功させるために、ラウラは最後まであがいてた。命がけで。それを君は、否定するのか」
マヨルカは視線を落とす。
足元には血だまりができている。
それは自らの口と鼻からあふれ出る血でできたものだ。
マヨルカは血だまりを見つめながら、そうだ、と呟いた。
「姉ちゃんは――――騙されたんだ。お前に。お前にいいように使われたんだ」
まるで自身に言い聞かせているように。
自身を呪うように、マヨルカは言葉を連ねる。
「だってそうじゃなきゃ――――お前はあのとき死んだのに、姉ちゃんはお前を生き返らせた――――テネリファは、テネリファは、助けてくれなかったのに――――お前のことは――――」
血だまりに、小さな轍が広がる。
「姉ちゃんはお前に騙されたんだ。だからテネリファじゃなくてお前に身体をあげたんだ」
「マヨルカ!」
カイは怒鳴り、王杓で空を切った。
鋭いかまいたちが起こり、マヨルカの足元の血だまりが、消し飛ぶ。
「おれはいい!おれはいいけど……ラウラまで貶めるなよ……!」
カイは涙をぬぐい、マヨルカを睨み付ける。
「ラウラがおれなんかに騙されるわけないだろ。ラウラがどれだけ人のために、世界のために尽くしてきたか、君だってよく知ってるはずだ。真面目で、誠実で、頑固なラウラが、おれに言われたからって信念をかえるはずがない。それにもしあのときテネリファが、あの子たちの誰か一人でも生きてたら、ラウラはなにに変えても救おうとした。絶対に救った。――――でもあのときにはもう、みんな死んでた。だから助けられなかった。ラウラがおれの救ったのは、おれがまだ救えたから。それだけだ」
マヨルカは目を見開く。
灰色の虹彩は、いまではどす黒く変色している。
結膜下出血により、その周囲は一部の隙も無く赤い。
鼻口からの出血も相まって、もはや死者としか見えない風貌だった。
「じゃあ、それじゃあ、全部、おれのせいか?」
マヨルカは痛ましい姿で、痛ましい言葉を吐き出した。
「テネリファが死んだのは、みんなが死んだのは、おれの――――」
「そんなわけないだろ!」
カイは力強く否定する。
そして弱弱しく付け足す。
誰のせいでもないのだ、と。
「おれのせいでも、もちろん君のせいでもない」
「じゃあ、なんでみんなは死んだんだ?おれは生きてるんだ?」
「……」
「……ないのか?」
「……うん」
少年の疑問に、カイは取り繕わない本音を返す。
「縮地の失敗は、誰かが画策したものだと思う。災嵐がいつもと違ったのにも、なにか理由があったはずだ。でも、生死が分かれたことに、意味はない。――――ないんだ。おれがどれだけ強くても、賢くても、きっと救えない人はいた。君だって同じだ。生き残ったことに、意味はないんだ」
少年は静かに項垂れる。
カイは彼を傷つけるとわかっていながら、それでも、続けた。
「だからなにを背負う必要もない。おれたちは生かしてもらった。なにかをするために、じゃない。ラウラが、テネリファが、おれたちに生きてほしいって思ってくれたから、おれたちはいま生きてるんだ。おれたちは、それを無下にしちゃいけないんだ」
カイはマヨルカに手を差し伸べようと腕をあげたが、思いとどまって、そっと下ろした。
「生きてくれ、マヨルカ」
カイは拳を握りしめて言った。
「憎しみを晴らすためじゃなくて、幸せになるために。――――明日の自分を笑わせるために、いまを生きてくれ」
「……できない」
「できる。絶対」
「……」
マヨルカはゆっくりとカイに近づいていった。
カイは逃げなかった。
王杓を降ろして、マヨルカをただ見据えていた。
「……わかった」
マヨルカは一歩一歩確実に踏みしめながら、呟いた。
「おれ、生きるよ」
「マヨルカ……!」
「おれは、おれのために、生きる」
そう言った次の瞬間、カイの視界からマヨルカの姿は消えた。
マヨルカは長杖にますます力を込めながら言った。
「ラウラ姉ちゃんまで、お前は、奪った」
長杖に入ったひびは、次第に広がっていく。
しかし押し負けているのはカイの方だ。
黒衣の男の正体に気づいたカイは、動揺で霊操を乱していた。
「う、奪ったんじゃない。ラウラは、おれを――――」
「その身体、いますぐ姉ちゃんに、返せ」
「――――できない」
カイは胸の張り裂けるような思いで、しかしはっきりと、告げた。
「ラウラは、もう、死んだ」
マヨルカの顔から、表情が消える。
五年前と同じ絶望に、彼は叩き落とされる。
それでも、カイは続けた。
「おれの代りに、死んだんだ」
カイはただひとつの現実を、少年に突きつけた。
「おれはラウラに、救われたんだ。――――君がテネリファに救われたように」
がしゃんと、音を立てて、長杖が砕け散る。
カイは王杓でマヨルカを薙ぎ倒す。
服が裂け、鑢で削り取られたような傷が、マヨルカの胸から腹にかけて刻まれる。
傷は一見すると浅く、血もほとんど出ていなかったが、内臓の損傷は重篤だった。
マヨルカは激しく吐血し、呼吸もままならなくなってしまう。
カイは長仗が折れた瞬間、自身の霊力を抑え込んだ。
それでも立った一撃で、マヨルカは瀕死の重傷を負ってしまった。
カイは泣きながら、倒れたマヨルカの首元に王杓を突きつける。
「おれは死ぬわけにはいかない。お前らの復讐のためには死んでやれない。ラウラがくれた命を、大切にしたいから。――――生きていたいから」
マヨルカは表情の失われた顔を、澱んだ灰色の瞳を、カイに向ける。
「殺してやる」
マヨルカは血と共に、かすれた声を吐き出した。
「テネリファの――――姉ちゃんの――――みんなの、仇だ――――」
カイはたまらず目を背ける。
「なんでだよ……!」
下を向き、涙を雨のように降らせながら、叫ぶ。
「おれを殺したって、誰も戻ってこないのに。君がそんなふうになることを、ラウラは絶対に望んでないのに、どうして、君は……!」
「――――おれが生き残った意味だ」
マヨルカは静かに霊操をはじめる。
自身の内の霊力を、額に集中させる。
「おれが生き残ったのは、お前を殺すためなんだ」
「そんなわけない!」
「じゃあなんでおれは生き残ったんだ?」
マヨルカは問う。
「なんでおれは今、生きてるんだ?」
たった一人、自分だけが生き残った理由を。
「それは――――」
十歳で災嵐に遭い、五年たった今でも、その絶望から抜け出せずにいる少年に、カイがかけてやれる言葉などなにもない。
マヨルカは咳き込み、また血を吐き出す。
カイの流した涙の痕を、その血の濁流は飲み込んでいく。
「みんな、なにも悪くないのに、死んだ。おれたちが、都市に張った結界は、完ぺきだった。でも、だめだった。ぜんぶ、壊れた。――――お前が壊したんだ」
マヨルカの目は真っ赤に充血する。
鼻からも血があふれ、手足がガタガタと震えだす。
カイはそれが王杓による傷のためだと思い、もう喋らないでくれ、と懇願する。
けれどマヨルカは口を閉じない。
「お前を、お前を、殺すんだ。おれは。そうしないと、テネリファが、みんなが、ゆっくり眠れない」
マヨルカは頭部に集めた霊力で、脳のある一点を麻痺させていく。
カイはそれに気づいていない。
マヨルカと同じくらい身体を震えさせながら、泣きじゃくるばかりだった。
「みんなは、災嵐で、死んだんじゃ、ない。お前に、殺されたんだ。だから、魂も、ちゃんと、エレヴァンに、残ってるんだ。おれには聞こえる。みんな望んでる。お前が死ぬことを。おれに、お前を殺してくれって言ってる。おれは、みんなの願いを叶える。おれは、おれは、そのために、今日まで、一人で―――」
「ちがう!」
カイは耐えきれず、叫んだ。
「ちがう!そんなことない!そんなことは無いんだ!」
マヨルカはカイを見る。
目の前にいるのは、姉の姿をした別人のはずだった。
なによりも憎い相手のはずだった。
けれど泣きじゃくるカイの姿を見て、マヨルカの心はかすかに揺らぐ。
マヨルカはラウラの泣き顔など、見たことがなかった。
ボロボロになって、取り乱した姿であれば、なおさらだ。
「そんなこと、絶対に、誰も望んでない……!」
カイはマヨルカに向けていた王杓を降ろし、その目をまっすぐ見つめ返す。
「誰も悪くない。誰のせいでもない。おれも――――おれは、自分が悪かったとは、もう思ってない。でも、おれは弱かった。バカだった。だから守れなかった。ラウラのこと、君たちのこと、守らなきゃいけなかったのに。それは――――それは本当に、ごめん。でも、それでも、みんながおれを憎んでるなんて、それは嘘だ。少なくともラウラは、おれを憎んだりしていなかった」
「嘘だ」
「本当だ」
カイは力強く断言した。
「ラウラは最後、おれに幸せになってほしいって言ったんだ。だからおれは幸せになる。笑って生きる。そう決めたんだ。――――自分のしたこと、忘れたりはしない。死んだ人たちのことも。でもそれを抱えながら、生きていくって決めたんだ」
「そんなの……許されるわけないだろ……」
「許してくれ」
カイは頭を下げた。
「おれは君を傷つけたくない。どうかもう全部終わりにしてほしい。おれたちは二度と君たちの前に姿を現さない。君たちとは関わらずに生きていく。だからもう、こんなことはやめてくれ」
カイは顔をあげる。
悲痛に歪んだその顔は、マヨルカが最後に目にしたラウラの顔と同じだった。
「ラウラは君がこんなふうになることを絶対に望んでない。テネリファだって、他の子たちだってそうだ。君に幸せになってほしいって、自分の分まで笑って生きてほしいって思ってるはずだ」
「姉ちゃん……」
マヨルカは一瞬、目の前にいるのがカイだということを忘れてしまう。
カイの言葉を、願いを、ラウラのからのものだと錯覚してしまう。
「復讐のために生きるなんて、悲しいことは、もうやめてくれよ……」
マヨルカの顔に、大粒の涙が降り注ぐ。
涙はマヨルカの顔についた血を濯ぐ。
けれど血の量はあまりにも多く、また次から次へと流れ出るため、涙だけでは到底、こびりついた赤を消すことはできなかった。
「――――テネリファはおれを庇ったんだ」
マヨルカは虚ろな眼差しで呟く。
「おれたちはちゃんと結界を張ったんだ」
「でも、吹雪は、収まらなくて、水壁は凍りついて――――」
「おれたちは、ちゃんとやった。確かに、成功させたんだ」
「なにも失敗なんかしてなかったんだ」
「それなのに――――あの日南都の中にいたやつらは、おれたちのせいだって」
「全部おれたちが悪いって、おれたちの結界が不出来なせいだって言って――――」
「殴られた」
「蹴られた」
「たくさん」
「いろんな人に」
「テネリファはちびたちを庇って、誰よりも殴られたんだ」
「それなのにずっと謝ってた」
「ごめんなさいって」
「なにも悪くないのに」
「おれたちのせいじゃないのに」
「……」
「……おれは、納得できなかった」
「だからやり返してやったんだ」
「おれたちを殴る奴らを、ぶちのめしてやったんだ」
「そしたら、誰かが、剣を抜いて――――」
「……」
「……」
「……死ぬのはおれのはずだった」
「だって剣は、おれに向けられてたから」
「テネリファが死ぬことはなかったんだ」
「なのに……」
「……」
「……気づいたら、テネリファがおれに、覆いかぶさってた」
「熱かった」
「おれは自分が刺されたんだと思った」
「身体が、血で、濡れたから」
「でもそれはおれの血じゃなかった」
「テネリファの……」
「テネリファの血は熱かった」
「でもすぐ冷たくなった」
「すぐに凍った」
「……」
「血が止まったから、テネリファは死なないと思ったんだ、おれ」
「……」
「そのあとすぐにケタリングがきて、おれたちを殴ったやつらは、テネリファを刺した奴は、みんな紙切れみたいに死んだ」
「おれはちびたちと瓦礫の隙間に隠れてた」
「ケタリングはおれたちを狙わなかった」
「そうだよな」
「だっておれたちは、正しかったんだから」
「災嵐から人を救うために、おれたちはずっとがんばってきたんだ。そんなおれたちが災嵐で死ぬわけないんだ」
「……死ぬわけない、はずだったのに」
「ケタリングはおれたちを殺さなかった。でも、吹雪は、防げなかった」
「小さいやつから死んでった」
「みんな、動かなくなった」
「寒いっていいながら」
「熱いっていいながら」
「おなか減ったいいながら」
「泣きながら、苦しみながら、凍え死んでいった」
「おれはなにもできなかった」
「誰も助けられなかった」
「……」
「テネリファは、刺された時、おれに言ったんだ」
「みんなを、守ってって」
「すごく苦しそうな顔で」
「いつもの泣き顔なんか目じゃないくらい、辛そうな顔で、言ったんだ」
「でもおれは、誰も守れなかった」
「なにもできないまま、一人で、生き残った」
「……」
「……幸せ?」
「笑って、明日を、生きる?」
「できるわけない」
「できるわけ、ないだろ」
「みんな死んだのに」
「おれひとりで、幸せになんて、なれるわけないだろ!」
マヨルカは慟哭し、カイの顔を殴りつけた。
「お前があの日、縮地を成功させていれば!」
マヨルカはカイの髪をつかみ、二度、三度と、殴打を繰り返す。
「おれたちはちゃんとやったのに!お前のせいで!お前が!お前がちゃんとやらなかったせいで!」
瀕死の重傷を負っているとは思えないほど、重い打撃だった。
カイはたまらず王杓でマヨルカを払おうとする。
マヨルカはそれを読み、カイが王杓を振るより先に、カイの身を突き飛ばした。
「裏切り者め!」
カイは後ろ倒しになるが、すぐさま起き上がり、王杓を胸の前で構えた。
その頬は赤く腫れあがり、口の端には血が滲んでいる。
しかしカイが痛みを感じるのは胸だけだった。
マヨルカの言葉ひとつひとつが、カイの胸を締め上げ、苦しみを与えていた。
「おれを篭絡しようとしても無駄だ。おれは、知っているぞ。わかっているぞ。お前はそうやって甘言をばらまいて、人を囲って、自分に都合のいい世界を作ろうとしていたんだ」
「そんなこと――――」
「とぼけるな。お前は縮地をわざと失敗させたんだ。自分と仲間だけで飛んで、エレヴァンをわざと災嵐に遭わせたんだろ?世界を自分のものにするために、一度全部を、壊そうとしたんだろ!」
カイは唇を噛み、首を振った。
「ありえない。そんなこと――――おれは、おれは、だめだったけど、おれなりに世界を救おうと、必死だったよ。みんなだって、ラウラだってそうだ。縮地を成功させるために、ラウラは最後まであがいてた。命がけで。それを君は、否定するのか」
マヨルカは視線を落とす。
足元には血だまりができている。
それは自らの口と鼻からあふれ出る血でできたものだ。
マヨルカは血だまりを見つめながら、そうだ、と呟いた。
「姉ちゃんは――――騙されたんだ。お前に。お前にいいように使われたんだ」
まるで自身に言い聞かせているように。
自身を呪うように、マヨルカは言葉を連ねる。
「だってそうじゃなきゃ――――お前はあのとき死んだのに、姉ちゃんはお前を生き返らせた――――テネリファは、テネリファは、助けてくれなかったのに――――お前のことは――――」
血だまりに、小さな轍が広がる。
「姉ちゃんはお前に騙されたんだ。だからテネリファじゃなくてお前に身体をあげたんだ」
「マヨルカ!」
カイは怒鳴り、王杓で空を切った。
鋭いかまいたちが起こり、マヨルカの足元の血だまりが、消し飛ぶ。
「おれはいい!おれはいいけど……ラウラまで貶めるなよ……!」
カイは涙をぬぐい、マヨルカを睨み付ける。
「ラウラがおれなんかに騙されるわけないだろ。ラウラがどれだけ人のために、世界のために尽くしてきたか、君だってよく知ってるはずだ。真面目で、誠実で、頑固なラウラが、おれに言われたからって信念をかえるはずがない。それにもしあのときテネリファが、あの子たちの誰か一人でも生きてたら、ラウラはなにに変えても救おうとした。絶対に救った。――――でもあのときにはもう、みんな死んでた。だから助けられなかった。ラウラがおれの救ったのは、おれがまだ救えたから。それだけだ」
マヨルカは目を見開く。
灰色の虹彩は、いまではどす黒く変色している。
結膜下出血により、その周囲は一部の隙も無く赤い。
鼻口からの出血も相まって、もはや死者としか見えない風貌だった。
「じゃあ、それじゃあ、全部、おれのせいか?」
マヨルカは痛ましい姿で、痛ましい言葉を吐き出した。
「テネリファが死んだのは、みんなが死んだのは、おれの――――」
「そんなわけないだろ!」
カイは力強く否定する。
そして弱弱しく付け足す。
誰のせいでもないのだ、と。
「おれのせいでも、もちろん君のせいでもない」
「じゃあ、なんでみんなは死んだんだ?おれは生きてるんだ?」
「……」
「……ないのか?」
「……うん」
少年の疑問に、カイは取り繕わない本音を返す。
「縮地の失敗は、誰かが画策したものだと思う。災嵐がいつもと違ったのにも、なにか理由があったはずだ。でも、生死が分かれたことに、意味はない。――――ないんだ。おれがどれだけ強くても、賢くても、きっと救えない人はいた。君だって同じだ。生き残ったことに、意味はないんだ」
少年は静かに項垂れる。
カイは彼を傷つけるとわかっていながら、それでも、続けた。
「だからなにを背負う必要もない。おれたちは生かしてもらった。なにかをするために、じゃない。ラウラが、テネリファが、おれたちに生きてほしいって思ってくれたから、おれたちはいま生きてるんだ。おれたちは、それを無下にしちゃいけないんだ」
カイはマヨルカに手を差し伸べようと腕をあげたが、思いとどまって、そっと下ろした。
「生きてくれ、マヨルカ」
カイは拳を握りしめて言った。
「憎しみを晴らすためじゃなくて、幸せになるために。――――明日の自分を笑わせるために、いまを生きてくれ」
「……できない」
「できる。絶対」
「……」
マヨルカはゆっくりとカイに近づいていった。
カイは逃げなかった。
王杓を降ろして、マヨルカをただ見据えていた。
「……わかった」
マヨルカは一歩一歩確実に踏みしめながら、呟いた。
「おれ、生きるよ」
「マヨルカ……!」
「おれは、おれのために、生きる」
そう言った次の瞬間、カイの視界からマヨルカの姿は消えた。
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