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第四章

「死んだと思っていたのに」

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カイの意識は現実へ戻る。
長い追憶は終わり、災嵐から五年の月日が流れた現在に戻ってくる。
目の前には怒りの形相を浮かべるノヴァがいる。
彼の熱い手のひらが、カイの額に押しけられている。
それはほんの瞬きの出来事だった。
カイはすべてを見た。すべてを知った。
ラウラの身体に残る記憶のすべてを、受け取った。
その長い追憶は、けれど流れる時間にしてみれば、一秒とかかっていなかった。
「――――ノヴァ」
カイに名を呼ばれたノヴァは、その額から、手を離した。
「思い出したか?」
「お、お、おれ――――っ」
カイは自分が発するラウラの声を聞いて、言葉を詰まらせる。
項垂れると、長く艶やかな、くせのある黒髪が目に入る。
髪がかかる自分の身体は、小さく、華奢だ。
左手の小指と薬指には指が無く、代わりに固い義指がはめられている。
見た目こそ馴染んでいるが、その二本の指は動かすことができなかった。
動かそうとしても、つけ根に痺れを感じるだけだった。
「――――あ」
「思い出したんだな!?」
ノヴァはカイの胸倉をつかみあげる。
「ああ……」
カイは過呼吸に陥る。
激しい耳鳴りに襲われる。
全身が震え、体温は失われる。
「た、たす、けて」
カイは、ノヴァに、縋り付く。
「どうしよう、ラウラが――――ラウラが……!」
「黙れ」
「おれのために――――おれのせいで――――ラウラが……!」
「黙れ!」
ノヴァは拳を振り上げる。
「おまえが……っ!」
しかしカイを殴ることはせず、固い地面に筵を敷いただけの床に、握った拳を叩きつける。
「おまえのせいじゃないか!」
カイはその場に崩れ落ちる。
震える自分の身体を抱きしめる。
細く柔らかい身体だった。
すぐに壊れてしまいそうな、脆い身体だった。
木製の義指を温かく感じるほど、全身が冷え切っていた。
「も、も、もどさなきゃ」
カイは歯をかちかちと鳴りあわせながら呟く。
「死ぬのは、おれ――――死ななきゃいけないのは、おれ、なんだから……」
「そうだ。彼女ではない」
「も、もどしてくれ」
「できるならとっくにやってる」
「う、嘘だ。あるんだろ?なにか、方法が……」
「ない」
「うそだ」
「……ないんだ!」
「頼むよ!」
カイは髪をかきむしる。
「お願いだから、戻してくれ。――――そうだ、ノヴァは、ラウラの兄ちゃんと、仲良かったんだろ?カーリーは天才なんだろ?なにか戻す方法を知ってたんじゃ――――」
「お前がその名を口にするな!」
ノヴァはカイを押し倒し、その口を塞ぐ。
「その身体で、その声で、彼を呼ぶな……!」
ぼたぼたと、大粒の涙が、ノヴァの瞳からあふれる。
「ラウラは死んだ!」
ノヴァの涙は、カイの頬に落ちる。
カイの目から流れる涙と混ざり、ひとつになって、流れ落ちていく。
「カイだって死んだんだ!」
「……!」
「死んだと、思っていたのに――――」
ノヴァは目を細める。
晩秋の麦穂と同じ色合いの金眼が揺らぐ。
彼の表情は、感動に震えているようでも、悲しみに打ちひしがれているようでもあった。
「――――許さないぞ」
そう言って再び見開かれた目には、一切の光なく、ただ怒りと憎悪だけがあった。
カイはその目を知っていた。
ヤクートが、怒れる群衆がカイに向けた目と、同じものだった。
「カイ、僕はお前が他の誰をどれだけ殺そうとも、世界をめちゃくちゃにしようとも構わなかった」
ノヴァはカイの口だけでなく、鼻までも塞いでしまう。
「だがラウラを死なせたことだけは、絶対に、許さない」
酸欠に陥ったカイの顔は真っ赤に染まる。
ノヴァもまた同じように顔を赤く染める。
カイが無抵抗であるにも関わらず、ノヴァはその手にこめる力を強くする。
「償ってもらうぞ」
カイは再び意識を手放しそうになる。

「っ――――」

けれど先に気を失ったのはノヴァだった。
ノヴァはびくりと肩を震わせると、白目を剥き、脱力した。
「――――やはり君は、許さなかったね」
いつの間にか、ノヴァの背後にはシェルティが立っていた。
シェルティは倒れかかったノヴァの身体を支え、せき込むカイの隣にそっと横たえた。
「遅くなってすまない」
「シ、シェル……?おれ……ラ、ラ、ラウラが……」
カイの口から出たラウラの名に、シェルティはぴくりと眉を動かす。
けれどそれ以上の反応は見せず、微笑みながら、静かな声で言った。
「彼になにか吹聴されたようだけど、それは、ぜんぶ、嘘だよ」
「嘘……」
カイはそれを信じたかった。
すべては夢幻であったと。
ノヴァが自分に見せた悪夢だと思いたかった。
「嘘なわけ、ない」
けれど、できるわけがなかった。
カイはラウラの生きたすべてを見た。
自分と過ごした三年間だけではない。
彼女の生きた十五年の生涯、そのすべてを追体験したのだ。
否定などできるはずもなかった。
十五年というあまりにも短い生涯だった。
その死は悲劇としかいいようのないものだった。
それでも、ラウラの一生を、懸命に生きた十五年を、カイは否定することはできなかった。
彼女の生涯に、嘘偽りなど、あるはずもなかった。
「ラウラは……おれのために……」
「信じちゃダメって言ってるのに。わからずやだな」
シェルティは乱れたカイの髪をさっと整え、抱き上げた。
「家出はおしまいだよ。さあ、帰ろう」
「あのぉ――――」
そのとき、外から、幕屋の中に声がかけられた。
「――――陛下?だいじょうぶですか?」
シェルティは笑みを消し、身構える。
「あの、いえ、すごい声がしたので……」
声は、ノヴァの補佐官のものだった。
ノヴァからの返事がないので、補佐官はなだめるように言葉を重ねた。
「すみません、すみません、ご命令を無視しているわけではないんです。何があってもはいるな、邪魔するなとの言いつけ、ちゃんと理解しておりました。けれどあまりにも、その、なんといいますか、尋常ではない様子だったので、つい……」
補佐官の声色は、次第に訝しむようなものに変わっていく。
ノヴァからの返事がないどころか、先ほどまで騒がしかった幕内が、今は物音ひとつしないので、異変を感じ取ったのだろう。
「陛下?ノヴァ様?本当にだいじょうぶですか?……入りますよ?」
補佐官の手が幕屋の中に、おそるおそる差し入れられる。

「んぎゃっ!?」

短い悲鳴とともに、補佐官は幕屋の中に倒れこむ。
「んんんん!!」
倒れた補佐官の頭にはオーガンジーがまきついていた。
「カイ」
続いて、アフィーが幕屋の中に入ってくる。
アフィーはカイの顔に残る涙のあとを、そっと拭った。
「嫌なこと、された?――――もうだいじょうぶ。わたしが、やっつけてあげる」
「んんん!?」
「……静かに、してください」
のたうち回る補佐官を一瞥し、アフィーはシェルティの懐に手をいれ、中から小刀を引き抜いた。
小刀には睡薬が塗られていた。
アフィーは補佐官の皮膚を浅く切りつける。
「んっ……!?」
補佐官はノヴァと同じように脱力し、すぐに寝息をたてはじめる。
アフィーはシェルティに小刀を戻しながらぼやいた。
「大ごとにするなと、自分で、言ったくせに」
「あの状況では仕方ないだろう」
「……どうすればいい?」
「腹をくくろう。――――全員、落とせ」
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