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第三章
たったひとりを救うために
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〇
ラウラは飛び起きた。
全身が汗で濡れそぼり、激しい動悸に息が詰まった。
たて穴の中は、眩しかった。
天井の穴から差し込む朝日で、底には光の柱が立っていた。
穴の先に広がる空は青く、小鳥が囀っていた。
(うそ、わたし、眠ってた……?)
ラウラははっとして、隣で横たわるカイを見る。
「ああっ!」
カイは、まだ、生きていた。
けれどその姿はもはやカイのものではなかった。
顔も、手足も、大きく腫れあがっている。その色は赤や紫で、もとの面影はみじんも残っていない。
「カイ、さん……」
ラウラはその手にそっと触れる。
血がすべて湯に代わったのではないかと思うほど、カイの身体は熱かった。
脈も、呼吸もかすかで、いつ途切れてもおかしくはなかった。
(なんで)
(なんで、カイさんが、こんな目に合うの?)
(なんにも、悪いことしてないのに)
(ただ、私たちを、助けてくれただけなのに)
(こんな……)
カイの口が、かすかに開く。
「……お……うぁ」
「カイさん!」
ラウラはカイの口もとに耳をよせる。
「ラウラ……」
「はい。私は、ここに、ここにいますよ」
「シェル……アフィ―……レオン……」
「みんないま向かってきてますよ。もうすぐです。すぐにきます」
ラウラの励ましの言葉は、カイの耳には届かなかった。
「……いやだ」
カイは譫妄の中、呟いた。
「死にたくない」
ラウラは凍りつく。
心臓が弾ける。頭の中で火花が散って、激しい眩暈に襲われる。
「死にたくない」
カイは、繰り返す。
震え、かすれた、小さな声で。
「助けて」
「痛い」
「熱い」
「怖い」
「死にたく、ない」
カイは宙に手をのばす。
なにかをつかもうとするように。
縋りつこうとするように。
けれどその手は、虚しく宙をかくだけだった。
「……リュウ」
カイは呼んだ。
もといた世界に残してきた愛犬の名を。
「父さん……」
「母さん……」
カイは呼んだ。
もう二度と会うことのできない父と母を。
「しにたく、ない、よ……」
カイの手がゆっくりと落ちる。
(だめ)
ラウラはそれをつかみとる。
(絶対だめ)
(この人をこのまま死なせちゃいけない)
(私たちは、もうすでに一度、この人から人生を奪ってる)
(家族を、生活を、未来を、全部奪って、ここに連れてきた)
(奪うだけ奪って、世界を救えって、役目をおしつけた)
(……あんまりだ!)
ラウラは唇を噛む。
(カイさんは助けてくれた)
(私を。みんなを)
(全員じゃなかった。でも、たしかに、私はカイさんに、助けられた!)
(それなのに、私は、縮地が失敗したって、そればっかり気にして)
(まだお礼の一言もいえてない……)
ラウラはカイの手を、強く握りしめる。
その手はすでにカイのものではなかった。
腫れた肉の塊でしかなかった。
(私、カイさんに、なにも返せてない)
(このまま……このままお別れなんて、絶対いやだ)
噛み締めた唇から血がにじむのにも気づかず、ラウラは考える。
カイを助ける手立てを。
苦痛を、少しでも和らげる方法を。
(思いつかない)
(本当に、私は、役立たずだ)
(お兄ちゃんみたいに頭がよかったら)
(ノヴァみたいにいつも冷静でいられたら)
(カイさんを、救えたかもしれないのに……)
(まただ)
(私は、また、なにもできないまま、大切な人を……)
「……あっ」
ラウラはふいに、顔をあげた。
(そうだ)
(できる)
(私にもまだ、できること、あった)
ラウラは立ち上がった。
汚れた服のまま泉の中に入り、その身を清めた。
濡れて透けた服が、肌に張り付く。
肌に刻まれた瘢痕分身が、服の模様であるかのように浮かび上がる。
ラウラはそれをひとつひとつなぞりながら、霊摂をはじめる。
泉には霊がふんだんに含まれていた。
ラウラはそれを身体に取り入れ、自らの力とする。
全身の模様が、淡く発光する。
濡れた髪が、日を浴びて、黒曜石のように光り輝く。
ラウラの身体に、霊力が満ち渡る。
霊力を得たところで、身体の痛みは消えない。
傷が癒えるわけでもない。
それでもラウラは、体に力を漲らせた。
濡れた身体のまま、ラウラはカイのもとに戻る。
(……あっ)
カイに触れようと伸ばした左手に、誰かが触れる。
(ああ……)
親指の指輪が熱を持つ。
(ノヴァ……)
それはノヴァの霊力だった。
指輪を頼りに、ノヴァはラウラを探していた。
放っておいても、彼は自分の霊力を手繰ってこの場所にたどり着くだろうが、ラウラが霊力を返せば、正確性が増し、到着する時間も早くなる。
けれどラウラは、指輪に応答しなかった。
それどころか、ラウラは指輪を外してしまう。
愛おしそうに、名残惜しそうに、両手で抱きしめてから、カイの左手の薬指に、指輪の本来あるべき場所に、戻した。
カイの折れ曲がった薬指に、指輪はぴたりとはまった。
ラウラは微笑み、カイの手をそっとおろした。
そしてラウラは、カイの首に手をかけた。
「カイさん」
最後の一雫の涙が、カイの頬に、零れ落ちる。
「いま、楽にしてあげますからね」
ラウラはその手に、ありったけの力をこめた。
ラウラは飛び起きた。
全身が汗で濡れそぼり、激しい動悸に息が詰まった。
たて穴の中は、眩しかった。
天井の穴から差し込む朝日で、底には光の柱が立っていた。
穴の先に広がる空は青く、小鳥が囀っていた。
(うそ、わたし、眠ってた……?)
ラウラははっとして、隣で横たわるカイを見る。
「ああっ!」
カイは、まだ、生きていた。
けれどその姿はもはやカイのものではなかった。
顔も、手足も、大きく腫れあがっている。その色は赤や紫で、もとの面影はみじんも残っていない。
「カイ、さん……」
ラウラはその手にそっと触れる。
血がすべて湯に代わったのではないかと思うほど、カイの身体は熱かった。
脈も、呼吸もかすかで、いつ途切れてもおかしくはなかった。
(なんで)
(なんで、カイさんが、こんな目に合うの?)
(なんにも、悪いことしてないのに)
(ただ、私たちを、助けてくれただけなのに)
(こんな……)
カイの口が、かすかに開く。
「……お……うぁ」
「カイさん!」
ラウラはカイの口もとに耳をよせる。
「ラウラ……」
「はい。私は、ここに、ここにいますよ」
「シェル……アフィ―……レオン……」
「みんないま向かってきてますよ。もうすぐです。すぐにきます」
ラウラの励ましの言葉は、カイの耳には届かなかった。
「……いやだ」
カイは譫妄の中、呟いた。
「死にたくない」
ラウラは凍りつく。
心臓が弾ける。頭の中で火花が散って、激しい眩暈に襲われる。
「死にたくない」
カイは、繰り返す。
震え、かすれた、小さな声で。
「助けて」
「痛い」
「熱い」
「怖い」
「死にたく、ない」
カイは宙に手をのばす。
なにかをつかもうとするように。
縋りつこうとするように。
けれどその手は、虚しく宙をかくだけだった。
「……リュウ」
カイは呼んだ。
もといた世界に残してきた愛犬の名を。
「父さん……」
「母さん……」
カイは呼んだ。
もう二度と会うことのできない父と母を。
「しにたく、ない、よ……」
カイの手がゆっくりと落ちる。
(だめ)
ラウラはそれをつかみとる。
(絶対だめ)
(この人をこのまま死なせちゃいけない)
(私たちは、もうすでに一度、この人から人生を奪ってる)
(家族を、生活を、未来を、全部奪って、ここに連れてきた)
(奪うだけ奪って、世界を救えって、役目をおしつけた)
(……あんまりだ!)
ラウラは唇を噛む。
(カイさんは助けてくれた)
(私を。みんなを)
(全員じゃなかった。でも、たしかに、私はカイさんに、助けられた!)
(それなのに、私は、縮地が失敗したって、そればっかり気にして)
(まだお礼の一言もいえてない……)
ラウラはカイの手を、強く握りしめる。
その手はすでにカイのものではなかった。
腫れた肉の塊でしかなかった。
(私、カイさんに、なにも返せてない)
(このまま……このままお別れなんて、絶対いやだ)
噛み締めた唇から血がにじむのにも気づかず、ラウラは考える。
カイを助ける手立てを。
苦痛を、少しでも和らげる方法を。
(思いつかない)
(本当に、私は、役立たずだ)
(お兄ちゃんみたいに頭がよかったら)
(ノヴァみたいにいつも冷静でいられたら)
(カイさんを、救えたかもしれないのに……)
(まただ)
(私は、また、なにもできないまま、大切な人を……)
「……あっ」
ラウラはふいに、顔をあげた。
(そうだ)
(できる)
(私にもまだ、できること、あった)
ラウラは立ち上がった。
汚れた服のまま泉の中に入り、その身を清めた。
濡れて透けた服が、肌に張り付く。
肌に刻まれた瘢痕分身が、服の模様であるかのように浮かび上がる。
ラウラはそれをひとつひとつなぞりながら、霊摂をはじめる。
泉には霊がふんだんに含まれていた。
ラウラはそれを身体に取り入れ、自らの力とする。
全身の模様が、淡く発光する。
濡れた髪が、日を浴びて、黒曜石のように光り輝く。
ラウラの身体に、霊力が満ち渡る。
霊力を得たところで、身体の痛みは消えない。
傷が癒えるわけでもない。
それでもラウラは、体に力を漲らせた。
濡れた身体のまま、ラウラはカイのもとに戻る。
(……あっ)
カイに触れようと伸ばした左手に、誰かが触れる。
(ああ……)
親指の指輪が熱を持つ。
(ノヴァ……)
それはノヴァの霊力だった。
指輪を頼りに、ノヴァはラウラを探していた。
放っておいても、彼は自分の霊力を手繰ってこの場所にたどり着くだろうが、ラウラが霊力を返せば、正確性が増し、到着する時間も早くなる。
けれどラウラは、指輪に応答しなかった。
それどころか、ラウラは指輪を外してしまう。
愛おしそうに、名残惜しそうに、両手で抱きしめてから、カイの左手の薬指に、指輪の本来あるべき場所に、戻した。
カイの折れ曲がった薬指に、指輪はぴたりとはまった。
ラウラは微笑み、カイの手をそっとおろした。
そしてラウラは、カイの首に手をかけた。
「カイさん」
最後の一雫の涙が、カイの頬に、零れ落ちる。
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ラウラはその手に、ありったけの力をこめた。
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