災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

文字の大きさ
上 下
158 / 268
第三章

夢(二)

しおりを挟む


深い井戸の底に、カイとラウラは落ちていた。
井戸は枯れていた。
四方の壁は瓦礫を積み上げて作られたもので、鋭利な突起が無数に飛び出し、触れると肌に深いかき傷が刻まれた。
ラウラとカイは壁に触れないよう、ぴたりと寄り添いあっていた。
井戸の中は暗かった。
井戸の外も夜のようで、見上げた先にある小さな口からは、藍色の空が覗いていた。
井戸の中はあまりにも暗かったので、切り取られたその小さな夜空でさえ、ラウラには月ほど明るく感じられた。

おーい

井戸の上から、二人を探す声が響く。

ラウラー。カイ―。

ラウラはカイを抱きしめる。
「よかった。これで助かりますよ!」
けれど抱きしめたカイはぐったりと力をなくしてしまう。
「カイさん!?しっかりしてください!」
呼びかけても、カイは反応しない。
ラウラはカイを必死に支えながら、叫ぶ。
「ここです!」

おーい

「助けてください!私たち、ここにいます!」

ラウラー。

二人を探すのは、シェルティと、アフィ―と、レオンの声だった。

カイー。

けれどラウラがどれだけ叫んでも、三人には届かない。
三人の声は、次第に遠ざかっていく。
それとともに、足元から水が染みだす。
「ひっ」
血と重油を混ぜ合わせたような、赤黒い液体だった。
みるみるうちにかさは増え、膿んだ血肉の悪臭が漂いはじめる。
「た、助けて!」
ラウラは叫ぶ。
あっという間に足がつかなくなる。
「レオンさん!殿下!アフィ―!」
ラウラはカイを支えながら、懸命に足を漕ぎ、叫び続ける。
「ノヴァ!お兄ちゃん!誰か助けて!」
水位の上昇とともに、壁が二人に迫ってくる。
ラウラは壁に手をつく。
無数の鋭利な突起で構成される壁は、少し触れただけで、おろし金ですり下ろされるような激痛をもたらす。
「ひっ!」
井戸の壁には瓦礫だけでなく、潰れた人の死体も含まれていた。
水位が上昇したことで、外の明かりが近づき、ラウラは自分を見つめる顔と目があってしまった。
それは学舎の子どもたちであり、丙級の青年たちだった。
彼らは壁の一部となり、虚ろな瞳でラウラを凝視していた。
「あっ」
動揺と混乱に陥ったラウラは、カイを手放してしまう。
「ああっ!」
カイは抵抗なく落ちていく。
誰かに足を引かれているかのように、まっすぐ水底へ死んでいく。
「カイさん!」
ラウラはあとを追おうとして潜りこむ。
けれどすぐ、腕をつかまれ、上に引きあげられる。

それは兄の手だった。

ラウラにはわかった。
同じ身体だが、カイではない。
その手は間違いなく、カーリーのものだった。

ラウラは井戸の上に引き上げられた。
井戸の中から見る外はたしかに夜だったが、引き上げられた先は昼間だった。
どこか精彩をかいた空には、太陽も天回もない。
一面に麦畑が広がっており、井戸は麦の穂に紛れるように、ぽつんとそこにあった。

ラウラ。

「……ノヴァ?」

自分を引き上げたのは、たしかにカーリーだった。
けれどラウラの前にいたのは、穏やかに微笑むノヴァだった。
悪臭も、手の痛みもなかった。
身体はどこも濡れていなかった。
ラウラは井戸の中をのぞきこむ。
深いが、何の変哲もない、ふつうの井戸だった。

「カイさん!」

ラウラは井戸の底に呼びかける。
パシャンと、小さな飛沫があがる。
カイはまだそこにいる。
見えないけれど、たしかにいる。
それを知ったラウラは、井戸に足をかける。

ラウラ。

ノヴァは悲しそうに首を振る。

いくな。

「でも、助けないと」

彼は自分で沈むことを選んだんだ。

「ちがうよ。カイさんは、私を助けてくれたんだよ」

ラウラは井戸の中に飛び込む。
井戸は再び悪臭を放つ、赤黒い汚水へと変貌する。
ラウラが潜り込むと、さらに汚水は熱湯へ変わる。
沸騰しているのではないかと思うほど、井戸の水は煮えたぎる。
皮膚も肉も骨も、すべて溶けてしまいそうだった。
それでもラウラは潜り続けた。

「いつも守ってくれてた」

「私の代わりに傷ついてくれた」

「だから今度は、私が助けるんだ」

ラウラは、燃えたぎる暗闇の中で、カイの手をつかんだ。

「約束を果たさなくちゃ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】初級魔法しか使えない低ランク冒険者の少年は、今日も依頼を達成して家に帰る。

アノマロカリス
ファンタジー
少年テッドには、両親がいない。 両親は低ランク冒険者で、依頼の途中で魔物に殺されたのだ。 両親の少ない保険でやり繰りしていたが、もう金が尽きかけようとしていた。 テッドには、妹が3人いる。 両親から「妹達を頼む!」…と出掛ける前からいつも約束していた。 このままでは家族が離れ離れになると思ったテッドは、冒険者になって金を稼ぐ道を選んだ。 そんな少年テッドだが、パーティーには加入せずにソロ活動していた。 その理由は、パーティーに参加するとその日に家に帰れなくなるからだ。 両親は、小さいながらも持ち家を持っていてそこに住んでいる。 両親が生きている頃は、父親の部屋と母親の部屋、子供部屋には兄妹4人で暮らしていたが…   両親が死んでからは、父親の部屋はテッドが… 母親の部屋は、長女のリットが、子供部屋には、次女のルットと三女のロットになっている。 今日も依頼をこなして、家に帰るんだ! この少年テッドは…いや、この先は本編で語ろう。 お楽しみくださいね! HOTランキング20位になりました。 皆さん、有り難う御座います。

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~

いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。 他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。 「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。 しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。 1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化! 自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働! 「転移者が世界を良くする?」 「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」 追放された少年の第2の人生が、始まる――! ※本作品は他サイト様でも掲載中です。

せっかくのクラス転移だけども、俺はポテトチップスでも食べながらクラスメイトの冒険を見守りたいと思います

霖空
ファンタジー
クラス転移に巻き込まれてしまった主人公。 得た能力は悪くない……いや、むしろ、チートじみたものだった。 しかしながら、それ以上のデメリットもあり……。 傍観者にならざるをえない彼が傍観者するお話です。 基本的に、勇者や、影井くんを見守りつつ、ほのぼの?生活していきます。 が、そのうち、彼自身の物語も始まる予定です。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

処理中です...