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第三章
夢(二)
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◎
深い井戸の底に、カイとラウラは落ちていた。
井戸は枯れていた。
四方の壁は瓦礫を積み上げて作られたもので、鋭利な突起が無数に飛び出し、触れると肌に深いかき傷が刻まれた。
ラウラとカイは壁に触れないよう、ぴたりと寄り添いあっていた。
井戸の中は暗かった。
井戸の外も夜のようで、見上げた先にある小さな口からは、藍色の空が覗いていた。
井戸の中はあまりにも暗かったので、切り取られたその小さな夜空でさえ、ラウラには月ほど明るく感じられた。
おーい
井戸の上から、二人を探す声が響く。
ラウラー。カイ―。
ラウラはカイを抱きしめる。
「よかった。これで助かりますよ!」
けれど抱きしめたカイはぐったりと力をなくしてしまう。
「カイさん!?しっかりしてください!」
呼びかけても、カイは反応しない。
ラウラはカイを必死に支えながら、叫ぶ。
「ここです!」
おーい
「助けてください!私たち、ここにいます!」
ラウラー。
二人を探すのは、シェルティと、アフィ―と、レオンの声だった。
カイー。
けれどラウラがどれだけ叫んでも、三人には届かない。
三人の声は、次第に遠ざかっていく。
それとともに、足元から水が染みだす。
「ひっ」
血と重油を混ぜ合わせたような、赤黒い液体だった。
みるみるうちにかさは増え、膿んだ血肉の悪臭が漂いはじめる。
「た、助けて!」
ラウラは叫ぶ。
あっという間に足がつかなくなる。
「レオンさん!殿下!アフィ―!」
ラウラはカイを支えながら、懸命に足を漕ぎ、叫び続ける。
「ノヴァ!お兄ちゃん!誰か助けて!」
水位の上昇とともに、壁が二人に迫ってくる。
ラウラは壁に手をつく。
無数の鋭利な突起で構成される壁は、少し触れただけで、おろし金ですり下ろされるような激痛をもたらす。
「ひっ!」
井戸の壁には瓦礫だけでなく、潰れた人の死体も含まれていた。
水位が上昇したことで、外の明かりが近づき、ラウラは自分を見つめる顔と目があってしまった。
それは学舎の子どもたちであり、丙級の青年たちだった。
彼らは壁の一部となり、虚ろな瞳でラウラを凝視していた。
「あっ」
動揺と混乱に陥ったラウラは、カイを手放してしまう。
「ああっ!」
カイは抵抗なく落ちていく。
誰かに足を引かれているかのように、まっすぐ水底へ死んでいく。
「カイさん!」
ラウラはあとを追おうとして潜りこむ。
けれどすぐ、腕をつかまれ、上に引きあげられる。
それは兄の手だった。
ラウラにはわかった。
同じ身体だが、カイではない。
その手は間違いなく、カーリーのものだった。
ラウラは井戸の上に引き上げられた。
井戸の中から見る外はたしかに夜だったが、引き上げられた先は昼間だった。
どこか精彩をかいた空には、太陽も天回もない。
一面に麦畑が広がっており、井戸は麦の穂に紛れるように、ぽつんとそこにあった。
ラウラ。
「……ノヴァ?」
自分を引き上げたのは、たしかにカーリーだった。
けれどラウラの前にいたのは、穏やかに微笑むノヴァだった。
悪臭も、手の痛みもなかった。
身体はどこも濡れていなかった。
ラウラは井戸の中をのぞきこむ。
深いが、何の変哲もない、ふつうの井戸だった。
「カイさん!」
ラウラは井戸の底に呼びかける。
パシャンと、小さな飛沫があがる。
カイはまだそこにいる。
見えないけれど、たしかにいる。
それを知ったラウラは、井戸に足をかける。
ラウラ。
ノヴァは悲しそうに首を振る。
いくな。
「でも、助けないと」
彼は自分で沈むことを選んだんだ。
「ちがうよ。カイさんは、私を助けてくれたんだよ」
ラウラは井戸の中に飛び込む。
井戸は再び悪臭を放つ、赤黒い汚水へと変貌する。
ラウラが潜り込むと、さらに汚水は熱湯へ変わる。
沸騰しているのではないかと思うほど、井戸の水は煮えたぎる。
皮膚も肉も骨も、すべて溶けてしまいそうだった。
それでもラウラは潜り続けた。
「いつも守ってくれてた」
「私の代わりに傷ついてくれた」
「だから今度は、私が助けるんだ」
ラウラは、燃えたぎる暗闇の中で、カイの手をつかんだ。
「約束を果たさなくちゃ」
深い井戸の底に、カイとラウラは落ちていた。
井戸は枯れていた。
四方の壁は瓦礫を積み上げて作られたもので、鋭利な突起が無数に飛び出し、触れると肌に深いかき傷が刻まれた。
ラウラとカイは壁に触れないよう、ぴたりと寄り添いあっていた。
井戸の中は暗かった。
井戸の外も夜のようで、見上げた先にある小さな口からは、藍色の空が覗いていた。
井戸の中はあまりにも暗かったので、切り取られたその小さな夜空でさえ、ラウラには月ほど明るく感じられた。
おーい
井戸の上から、二人を探す声が響く。
ラウラー。カイ―。
ラウラはカイを抱きしめる。
「よかった。これで助かりますよ!」
けれど抱きしめたカイはぐったりと力をなくしてしまう。
「カイさん!?しっかりしてください!」
呼びかけても、カイは反応しない。
ラウラはカイを必死に支えながら、叫ぶ。
「ここです!」
おーい
「助けてください!私たち、ここにいます!」
ラウラー。
二人を探すのは、シェルティと、アフィ―と、レオンの声だった。
カイー。
けれどラウラがどれだけ叫んでも、三人には届かない。
三人の声は、次第に遠ざかっていく。
それとともに、足元から水が染みだす。
「ひっ」
血と重油を混ぜ合わせたような、赤黒い液体だった。
みるみるうちにかさは増え、膿んだ血肉の悪臭が漂いはじめる。
「た、助けて!」
ラウラは叫ぶ。
あっという間に足がつかなくなる。
「レオンさん!殿下!アフィ―!」
ラウラはカイを支えながら、懸命に足を漕ぎ、叫び続ける。
「ノヴァ!お兄ちゃん!誰か助けて!」
水位の上昇とともに、壁が二人に迫ってくる。
ラウラは壁に手をつく。
無数の鋭利な突起で構成される壁は、少し触れただけで、おろし金ですり下ろされるような激痛をもたらす。
「ひっ!」
井戸の壁には瓦礫だけでなく、潰れた人の死体も含まれていた。
水位が上昇したことで、外の明かりが近づき、ラウラは自分を見つめる顔と目があってしまった。
それは学舎の子どもたちであり、丙級の青年たちだった。
彼らは壁の一部となり、虚ろな瞳でラウラを凝視していた。
「あっ」
動揺と混乱に陥ったラウラは、カイを手放してしまう。
「ああっ!」
カイは抵抗なく落ちていく。
誰かに足を引かれているかのように、まっすぐ水底へ死んでいく。
「カイさん!」
ラウラはあとを追おうとして潜りこむ。
けれどすぐ、腕をつかまれ、上に引きあげられる。
それは兄の手だった。
ラウラにはわかった。
同じ身体だが、カイではない。
その手は間違いなく、カーリーのものだった。
ラウラは井戸の上に引き上げられた。
井戸の中から見る外はたしかに夜だったが、引き上げられた先は昼間だった。
どこか精彩をかいた空には、太陽も天回もない。
一面に麦畑が広がっており、井戸は麦の穂に紛れるように、ぽつんとそこにあった。
ラウラ。
「……ノヴァ?」
自分を引き上げたのは、たしかにカーリーだった。
けれどラウラの前にいたのは、穏やかに微笑むノヴァだった。
悪臭も、手の痛みもなかった。
身体はどこも濡れていなかった。
ラウラは井戸の中をのぞきこむ。
深いが、何の変哲もない、ふつうの井戸だった。
「カイさん!」
ラウラは井戸の底に呼びかける。
パシャンと、小さな飛沫があがる。
カイはまだそこにいる。
見えないけれど、たしかにいる。
それを知ったラウラは、井戸に足をかける。
ラウラ。
ノヴァは悲しそうに首を振る。
いくな。
「でも、助けないと」
彼は自分で沈むことを選んだんだ。
「ちがうよ。カイさんは、私を助けてくれたんだよ」
ラウラは井戸の中に飛び込む。
井戸は再び悪臭を放つ、赤黒い汚水へと変貌する。
ラウラが潜り込むと、さらに汚水は熱湯へ変わる。
沸騰しているのではないかと思うほど、井戸の水は煮えたぎる。
皮膚も肉も骨も、すべて溶けてしまいそうだった。
それでもラウラは潜り続けた。
「いつも守ってくれてた」
「私の代わりに傷ついてくれた」
「だから今度は、私が助けるんだ」
ラウラは、燃えたぎる暗闇の中で、カイの手をつかんだ。
「約束を果たさなくちゃ」
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