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第三章

瞬きの先の晴天

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それは美しい、純白のケタリングだった。
ラウラはもがくように繰り返していた呼吸をすることさえ忘れて、その姿に見入った。
ケタリングはどの個体も短い白銀の体毛に身体を覆われている。
しかし目の前のケタリングは、一点の混じりけもない白色だった。
夏の巨大な入道雲、あるいは山が頂にかぶる氷雪。
それらを思わせる壮大で美しい白色を前に、ラウラは茫然と気を奪われ、その後ケタリングが起こした行動に、すぐ反応することができなかった。
ケタリングは冬営地の南の岩壁の前、レオンとカイが天葬を行った場所に立っていた。
瓦礫が積もるその場所には、飛車が立てられている。
ケタリングは飛車をじっと凝視していた。
そしておもむろに口に銜え込むと、地面から引き抜き、真っ二つにかみ砕いた。
パキッ。
小枝を踏んだかのような、軽い音だった。
ケタリングは飛車を吐き出した。
飛車は緩やかな傾斜のある冬営地を転がり、ラウラの眼前で止まった。
ラウラは茫然としながらも、大破した飛車に手をのばした。
芯が折れた飛車を、ラウラは無意識に抱きかかえる。
ケタリングはラウラをじっと見つめる。
その瞳は以前この地で暴走し、天葬に伏せられたケタリングと同じように、黒一色に染まっていた。
本来ある、猛禽の眼ではない。不気味な黒色のレンズに、ラウラは捉えられていた。
二者はしばらく見つめ合った。
先に目を逸らしたのはケタリングだった。
ケタリングは威嚇するように長い尾を地面に一度叩きつけた。しかしラウラは動かなかった。
するとケタリングはラウラから興味を失ったかのように、岩壁をひと蹴りすると、瓦礫をまき散らしながら飛び上がった。
そして振り返ることもなく、北へと飛び去って行った。

「――――ああ……」
あっという間の出来事だった。
ラウラは動くことができなかった。
なにも考えることができなかった。
萎れた向日葵のような飛車を抱きかかえたまま、吹雪の中で、白くなっていくばかりだった。
「ラウラ!」
そんなラウラのもとに、レオンが足を引きずりながら近づいてきた。
「無事か!?返事をしろ!」
ラウラは声をだすことができなかった。
「そこにいる!」
「ラウラ……!」
互いを支え合うようにして歩くシェルティとアフィーの姿を目にして、ラウラは震える唇を開いた。
「飛車が――――」
「――――!?」
三人は驚愕して目を見開いた。
彼らはまだ気が付いていなかったのだ。
ラウラがなにを抱えているのか。
ケタリングが、なにを壊していったのか。
「どうしよう」
ラウラはまるで迷子になった幼子にように呟いた。
「どうしよう、飛車、壊れちゃった……」
けれど三人の誰も、それに答えることはできない。
「とにかくこのままじゃ凍えちまう」
レオンはすこし離れたところにある、崩れかかっているものの、まだ形を残す幕屋を指して言った。
「一度ババアのところに行くぞ」
シェルティとアフィーは頷き、ラウラの両脇を支え、立ち上がらせる。
「あっ」
そのときだった。
飛車に、霊力が灯された。
ほんの微弱な霊力だった。
飛車を撫でた霊力は、波が引くようにすぐ去って行ってしまった。
(カイさんだ)
ラウラははっとして我を取り戻し、自身の霊力を飛車に注ぎ込んだ。
飛車は、霊力に反応した。
ラウラが手を離すと、自立し、その場で回転して独楽となった。
完全ではない。回転は不安定で、軸もぶれている。
(――――いける)
けれどラウラは確信する。
(まだ、使える――――壊れていない!)
ラウラは息を吹き返したかのように、全身に力を漲らせた。
「折れた軸を探してください!」
ラウラは飛車の回転を止める。
力を失い、倒れかかった飛車をしっかりと抱き留め、言った。
「もっと安定させないと」
「つまり、それはまだ使えるのかい?」
シェルティの問いに、ラウラは大きく頷く。
「でも、このままじゃカイさんの霊力を全部受け止めきれるかわかりません。折れた軸を探して、固定しなければ」
「どのあたりだ」
レオンはラウラの手から飛車を取り上げ、肩にかついだ。
「たぶん、崖の下です」
「行くぞ」
レオンとアフィーは一目散に駆け出す。
ラウラとシェルティが一足遅れて、そのあとを追う。
「またケタリングか。なぜ……」
「わかりません。とにかく今は、飛車を直さないと」
飛車の折れた半身はすぐに見つかった。
それはケタリングによって嚙み砕かれ、折れ曲がっていた。
ラウラはオーガンジーで二つを無理やりつなぎ合わせる。
「それで持つのか?」
「重要なのは物体としての強度ではありません。触媒としての面積です」
ラウラはそう言って、飛車を足元の土石に埋め立てた。
シェルティとレオンもそれを手伝い、飛車は完全に固定される。
ラウラはもう一度、飛車に霊力を注いだ。
飛車はさきほどよりずっと安定した状態で回転する。
「これなら――――」

「――――逃げろ!」

突然、レオンが叫んだ。
「戻ってきやがった……!」
ラウラが振り返ると、こちらに向かって滑空してくるケタリングの姿が目に入った。
レオンはラウラを担ぎあげ、土石の山を転がるように駆け下りる。
ラウラは瞠目する。
北風に乗って飛ぶケタリングは、その口に、飛車を咥えていた。
(ここにあったやつじゃない)
(どこか別の場所のを壊してきたの!?)
ラウラはもがき、飛車のもとへ戻ろうとする。
「だめ、壊されちゃう!」
「死ぬ気か!?」
しかしラウラがいくら暴れても、レオンの腕から逃れることはできなかった。
みるみるうちに飛車は遠ざかる。
(――――こい)
ラウラは暴れるのをやめ、飛車を睨みつける。
(届いて)
ラウラは腕をのばすように、自身の霊力を飛車へ向けて伸ばしていく。
(届いて……!)
しかしあと一歩のところで、ケタリングに遮られてしまう。
「伏せろ!」
レオンが叫び、アフィーとシェルティは転がるように地面に倒れこむ。
直後に、ケタリングが爪先を立てて土石の山に着地する。

ドォオオ!!

轟音が響き、地面が揺れる。
薄く積もる雪が舞い上がり、視界が失われる。
(……!)
ケタリングは着地したが、まだ飛車をつかんではいなかった。
土石の山は崩れ落ち、そこに立てられていた飛車も、ラウラのいる方向に向かって転がり落ちる。
ラウラは咄嗟に霊力をのばす。
二つに折れた芯を繋ぐオーガンジーにラウラは触れる。
(つかんだ!)
ラウラはオーガンジーを、飛車ごと手元に引き寄せる。
自分の上に覆いかぶさるレオンを押しのけ、飛車を胸に抱きとめる。

ガァアアアア!!

ケタリングが咆哮する。
視界を覆っていた雪煙が晴れ、ケタリングとラウラの間を遮るものはなにもなくなる。
ケタリングは大きく口を開き、ラウラに向かって飛び掛かる。
「ラウラ!」
シェルティとレオンが同時に叫ぶ。
ラウラは咄嗟に飛車を捨てて逃げようとした。
けれど踏みとどまった。
ラウラは飛車を捨てることができなかった。
それどころか飛車を守るように抱きかかえ、ケタリングに背を向ける。
「――――っ!」
アフィ―は自身の手元に残るもう一枚のオーガンジーでラウラの前に盾をつくる。
パンッ。
紙風船が割れたような音ともに、ラウラの身体は、宙を舞った。
間一髪のところで、ラウラはオーガンジーに守られた。
ケタリングはオーガンジーに阻まれ、ラウラに噛みつくことができなかった。
代わりに、ラウラの身体は、衝撃で高く飛ばされた。
ラウラは歯を食いしばり、自分とともに飛ばされたオーガンジーに、空中で霊力をこめる。
そして自らの両脇に巻き付かせると、落下傘をつくり、勢いを殺した。
ゆっくりと地に降りてゆくラウラを見て、シェルティとアフィーは肩をなでおろした。
標的を逃したことに気付いたケタリングは、すぐにまたラウラへと狙いを定める。
「行かせるか」
レオンは肩にかけた網袋ごと、ありったけの硝子玉をケタリングに向かって投擲する。
ガシャンッ!
硝子玉は空中で弾け、閃光が走る。
太陽が落ちたのではないかと錯覚してしまうほどの、強烈な光だった。
冬営地の中央、吹き飛ばされた天幕の残骸の上に降り立ったラウラは、直視することもままならない。
(……ケタリングは、飛車を狙っている)
ラウラは飛車を抱えたまま、その場に膝をついた。
戻ってきたケタリングが咥えていたのは、間違いなく飛車だった。
どこか別の場所の飛車を引き抜いてきたのだろう。
(でも、戻ってきた。ここに)
ラウラの心臓が早鐘を打つ。
しかし顔や四肢は薄氷に覆われているように、冷たく、痛む。
(どうして?)
(なんで?)
砂糖を焦がしたようなにおいが、ラウラの鼻をつく。
見ると、風になびく天幕の一部が焦げ付いていた。
ラウラは天幕をめくる。天幕によって抑えられていた煙が、ラウラの顔を巻く。
「げほっ」
ラウラは激しく咽る。
天幕の下には割れた火鉢と炭火、そしてレオンが吸っていた芙蓉が散乱し、燃えていた。
それに気づいていたラウラは、強烈な刺激臭も、肌を縮れさせる熱波にも構わず、顔を近づけて、大きく煙を吸い込んだ。
続けざまに、何度も。
「……げほっ」
はじめこそ脳が揺すぶられるような酩酊感と激しい動悸を覚えたが、次第に収まり、気づけばラウラはすっかり研ぎ澄まされていた。
寒さが和らぎ、四肢の感覚が鮮明になる。
(理由はわからない)
冴えわたった頭で、ラウラは結論付ける。
(でも、狙いは確かに、飛車だ)
(ここにあったのは、かろうじて守れてる)
(けど、どこか別の場所は、もう壊されてしまった)
つまりそれは、確実に縮地の範囲から外れてしまった場所がある、ということだった。
(これ以上、被害を増やすわけにはいかない)
ラウラは最後にもう一度、深く芙蓉を吸い込んだ。
霊具も人手もない現状では、ケタリングを捕縛することはできない。
(でも、縮地まで、あと一時間もないはずだ)
例えケタリングであろうとも、縮地によって飛ばされた場に干渉することはできない。
ラウラは決断した。
(ケタリングの狙いが飛車なら、縮地の発動時間まで、この飛車を守り通せばいい)
ラウラは立ち上がり、飛車を抱えたまま、森に向かって駆け出した。
(できるだけ長く引き付けるんだ)
(ケタリングの視界に入る範囲で、なるべく障害物の多いところで……)
「ラウラ!」
閃光から抜け出してきた三人が、ラウラを呼び止める。
「あいつの眼が眩んでるうちに逃げるぞ」
レオンはラウラの手から飛車を奪おうとする。
「これはおいてけ」
「おいてけって――――これがなければ、縮地は届かないんですよ」
「あいつの狙いは飛車だ。持ってたら縮地の前に死んじまう」
レオンは断言した。
「ケタリングをなめるなよ。備えなしに敵う相手じゃねえ」
「だめです」
ラウラはレオンの手を振り払い、森へ駆けこんでいく。
「ラウラ!」
三人は慌ててラウラのあとを追う。
「待て!」
「私は囮になります」
「必要ねえよ、あいつの狙いはそれだって言ってんだろ!」
「だから囮になるんです」
レオンは舌を打ち、怒鳴る。
「そんなボロキレの身体でなにができる!?囮どころか餌をやるようなもんだってわかんねんのか!」
ラウラはレオンの剣幕に一歩も引かず言い返す。
「だからってみすみすと飛車を手放すことはできません!それこそ自ら災嵐に躍り出るようなものじゃないですか!」
「お前が――――」
「言い争ってる暇はない」
シェルティはレオンの肩を小突き、黙れ、と睨みつける。
それから足を止めないラウラに並び、言い聞かせる。
「こいつの言う通り、飛車は捨てるべきだ。僕らは別の飛車のところまで避難すればいい。もし縮地までそれを守り通せたとして、あのケタリングを引き離すことができていなければ、あれも縮地に巻き込まれる。――――災嵐を越えてもあれに殺されるんじゃ、本末転倒だろう」
「この飛車は使いません」
シェルティは表情を強張らせる。
「これを放ってよそへ逃げたとして、そこにまたケタリングがついてきたら、同じことです。むしろ被害は拡大します。――――だったら」
森の中に入ったラウラは、小川を飛び越え、ケタリングを食い止める閃光をじっと見つめる。
「――――ケタリングは、ここで食い止めなければ」
シェルティは愕然とする。
「君、囮って、そういう……」
「だめ、絶対……だめ!」
アフィーが悲鳴をあげるように叫んだ。
「行っちゃダメ、ラウラ、戻ってきて、一緒に、逃げよう」
「このままエレヴァンが災嵐に晒されるのを、黙って見過ごせと!?」
ラウラは吠えた。
乱れた三つ編みが強風の中で激しく暴れまわる。
「南都はすでに守護霊術を発動させています。他の都市でもどうなっているかわかりません。縮地がなければ、一体どれだけの犠牲がでるか……!」
ラウラは空を仰ぐ。
空はぼんやりとした白に覆いつくされている。
吹雪との境もわからない。空は地上と同じように、凍え切ってしまっていた。
ラウラは目を閉じる。瞼の裏には、つい昨日、ノヴァと見上げた透き通る青空が広がっていた。

『僕はこの世界が好きなんだ』

カーリーの声が、耳に響く。
(約束は果たすよ、お兄ちゃん)
ラウラは目を開けた。
そこには自分を囲う、三人の姿があった。
いつの間にか小川を越えていた三人は、口々に言った。
「一人では行かせない」
「ラウラが逃げないなら、わたしも、逃げない」
「犠牲にはさせねえ。おれ自身も、犠牲になるつもりはねえ」
レオンはラウラの手から飛車を取り上げた。
「生き残るぞ」
ラウラの胸は張り裂ける。
自身の選択に、彼らを巻き込んでしまったことを。
「みんな――――」
「走れ!」
ラウラが彼らを押し戻す間もなく、レオンは駆け出す。
閃光が弱まり、ケタリングが視界を取り戻す。
ケタリングはすぐさま飛び上がり、上空から一帯を見渡す。
ラウラたちはその目を逃れるため、枝葉が空を隠す、樹木の鬱蒼と生い茂る場所を選んで逃げる。
ガァアアアア!
ケタリングは四方に向けて咆哮を放つ。
森は震え、樹木は大きく揺れる。
四人は大木の根元に屈みこみ。それをやり過ごす。
ガァアアアア!
ケタリングはもう一度咆哮を浴びせ、森の中に飛びこんだ。
ラウラたちから十数メートル離れた位置に着地したケタリングは、両翼と尾を振り回し、樹木を、森を、掘り上げる。
木と土が紙切れのように宙を舞い、ラウラたちの上にも降り注ぐ。
アフィーは咄嗟にオーガンジーを広げ、土木の雨を防ぐ。
「だ、だめ……」
しかし折れた巨大な幹が落ちてくると、支えきることができず、オーガンジーを緩めてしまう。
「ぐっ……!」
四人は幹の下敷きになる。
潰されることこそなかったが、それぞれ身体の一部を挟まれ、身動きが取れなくなってしまう。
「くそっ」
レオンとシェルティは幹をどかそうともがくが、幹はびくともしない。
「アフィー!まだオーガンジーを動かせますか!?」
「う、うん」
「木をどかします、手を貸して!」
ラウラはそう言って、自身の肩にかけていたオーガンジーに霊力をこめる。
オーガンジーはラウラの肩から幹に絡みつく。
アフィーもラウラを真似て、同じように幹にオーガンジーを巻き付かせる。
「あげます!」
四人はそれぞれ力を振り絞り、木の幹を持ち上げる。
「――――っ!」
次の瞬間、ケタリングの長い尾の先が、幹を打ち飛ばした。
「見つかった……!」
ケタリングは、四人の姿を、飛車を、その目にとめる。
ラウラは咄嗟に、飛車に結んだオーガンジーを操作する。
オーガンジーごと、飛車は上空高くに飛び上がる。
ケタリングは飛車を目で追う。
「あっちだよ!」
ラウラは叫び、飛車を自分たちから離れた場所へ飛ばす。
ケタリングは飛び上がり、飛車を追う。
四人もそれを追って駆け出す。
「枯れ沢に出ろ!」
レオンの指示に従って、ラウラは飛車を枯れ沢のある方向に向かわせる。
以前カイを含めた五人で集った、睡花の群生地である開けた場所だ。

飛車とケタリングのあとを追って、四人は枯れ沢に出る。
枯れ沢は以前と同じように、白色の絨毯が敷かれていた。
しかしその白色は睡花のものではなく、降りしきる細かな氷雪によるものだった。
吹雪の中で、砂塵のように細かな雪は、絶えず動き続けている。
ラウラの目にはそれが、花に揺れる一面の睡花として映った。
ケタリングは枯れ沢の上空で、飛車を捕えようと旋回を繰り返している。
ラウラは捕えさせるものかと、懸命に飛車を操作する。
(集中しろ)
ラウラは自分に言い聞かせる。
「あと少しだ」
シェルティはラウラの肩を支える。
その手は温かかった。シェルティは自身の霊力を熱に変え、ラウラの身体を温めた。
「カイは必ず縮地を成功させる。君と、カイとで、この救世は成し遂げられるんだ」
アフィーはオーガンジーを、レオンは懐に残っていたわずかな硝子球を、それぞれ空中に飛ばす。
二人はケタリングの視界を遮り、妨害を試みる。
その効果はわずかなものだった。
アフィーの霊操能力では、強風の中オーガンジーを正確に操ることはできなかった。
レオンもまた、手元に残った小さな硝子玉では、目を眩ませるどころか、注意を引くこともできなかった。
それでも二人は霊操をやめなかった。
四人は、必死だった。
それぞれが今発揮できる、最大限の力を振り絞っていた。
「あとすこしだ」
シェルティは再び鼓舞する。
「カイが縮地を発動させるまでの辛抱だ」
「はい。縮地さえ発動すれば、もうなんの心配もありません」
「カイの、力に、なる」
「ああ、そうだな。他のやつらのことは、カイがなんとかするだろ」
レオンは不敵に笑った。
「縮地が発動すりゃ、あとはなにも気にかける必要がねえ。楽勝だ。おれら四人でこいつをやり過ごして、災嵐を越えればいいだけだからな」
ラウラもつられて笑顔になる。
(そうだ、私たち四人なら、きっと災嵐も越えられる)
(大丈夫だ)
(絶対!)

バキンッ

ラウラが思いを新たにした、その瞬間だった。
飛車が、空中で二つに分かれた。
ほんのすこしの力みだった。
ラウラが力ませたオーガンジーは、飛車をまたふたつに折ってしまった。
ラウラは悲鳴をあげた。
飛車の片割れはオーガンジーがつかんでいる。
しかしもうひとつは落下していた。
そしてケタリングは、落下をはじめたもうひとつに狙いを定めていた。
飛車が落下する先には、ラウラたち四人がいた。
ケタリングは四人に向かって、翼を大きく広げ、突進してくる。
逃げ場も、抵抗する術も、なかった。

(――――おにいちゃん)

走馬灯が、ラウラの頭をよぎる。
ノヴァと見た鍾塔からの景色が。
カイと、アフィーと、シェルティと、レオンと、四人で笑い合ったあの夜が。
兄と約束を交わしたあの朝が。

ラウラは目閉じた。
目前に迫る死を前に、それが彼女にできたたったひとつの抵抗だった。

「ラウラ!」

視界を閉じた直後、声が響く。
それは聞こえるはずのない声だった。

――――パチンッ

続いて、指を鳴らす音がした。
静電気を浴びたような痺れが、ラウラの全身に走った。
その音も、感覚も、ラウラはよく知っていた。





〇〇〇





ドォオオンッ!

ケタリングが着地し、ラウラの身体は吹き飛ばされる。
直撃は免れた。
自分にまっすぐ向かっていたはずのケタリングは、なぜか直前で軌道をずらし、なにもない場所にその牙を突き立てていた。
ラウラは数メートル吹き飛ばされたが、覆いかぶさっていたカイに庇われ、ほとんど衝撃を受けなかった。
「カイさん……?」
ラウラは全身を強打し、呻くカイを見て、唖然とした。
「え?な、なんで……?」
ラウラの頬を暖かい風が、撫でる。

「――――え?」

ラウラは目を疑った。
空気も、においも、音も、景色も、ラウラの周りにあるなにもかもが、一変していたのだ。
吹雪がやんでいた。
枯れ沢には、周囲の樹木は、まだ少しも解けていない、さらさらとした雪で覆われている。
しかし空は青さを取り戻していた。
薄い雲がまばらに散る、秋晴れの空だった。
そこには太陽はもちろん、消えていたはずの二重の黒円、天回もあった。
ラウラはカイを見た。
カイはラウラ以上に茫然として、天回を見つめている。
ラウラはもう一度天回を見た。
世界のすべてが、瞬きの間に一変していた。
こんなことが起こる理由は、ただひとつしかない。

縮地が、行われたのだ。
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