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第三章
渡来大使は誓ったという
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〇
曇天の下で、夜は、気づかぬ間に明けていた。
夜通し走り続けた二人は、朝廷を出発してから丸一日たってようやく、南都の郊外にたどり着いた。
そこには尋常ではない混乱が広がっていた。
ある程度予想できていたことだが、それでもラウラは息を飲んだ。
南部中の人びとが集い、都市どころか郊外まで、身動きができないほど人であふれ返っている。
阿鼻叫喚だった。
寒さをしのぐため焚いた火が燃え移ったのか、いたるところで小火の煙が上がっている。
怒号と悲鳴が飛び交い、死人が道の真ん中に捨て置かれていた。
郊外でさえこの騒ぎでは、都市の中にはいったいどれだけ凄惨な光景が広がっているのか。
しかしそれを、郊外にいる人間は知ることができない。
なぜならば、都市は水の壁に囲われてしまっているからだ。
(どうして防壁が!?)
ラウラは群衆の先にある、守護霊術によって作られた水の壁を、信じられない思いで眺めた。
(……この寒さを、災嵐だと決めつけたんだ)
南都を治める、あの疑い深い老人たちならやりかねない。
ラウラは唇を噛んだ。
(なんてことを……)
ラウラは深く息を吐いた。
郊外についたところで、馬とブリアードは力尽きてしまった。
馬は死に、ブリアードは霊切れのため当面動けない。
ラウラはひとりで現状を打開しなければならなかった。
(とにかく誰かに状況を伝えて、この騒ぎを少しでも落ち着けないと)
ラウラは近くの建物の屋根に登り、屋根伝いに、人が最も密集する水壁を目指して行った。
群衆相手では、ラウラの声は小さすぎる。
直接呼びかけたところで、それは荒れ狂う湖に砂粒を放り込むようなものだ。
ラウラは人びとの注意を引かなければならなかった。
そのためには水壁を背に、人びとの視線の先に立つ必要があったが、水壁に近い屋根の上は、すでに人であふれ、ラウラが乗る隙間はなかった。
(……ごめんなさい)
ラウラは心の中で詫び、懐から小さな砂嚢を取り出した。
中には採掘場で手に入れた珪砂が入っている。
ラウラは珪砂に霊力をこめ、宙にばらまいた。
珪砂は激しく発光し、空中で、巨大な翼に形を変える。
周囲の人びとは宙を見上げ、あんぐりと口をあけた。
それはひどく不格好な光る鳥だった。
(やっぱりうまく制御できない)
珪砂は霊力を通しやすい性質であるとはいえ、霊具として加工された硝子玉とは比較にならないほど制御が難しかった。
それでもラウラはどうにか成型した状態で珪砂を宙に留め、さらにはそれを、人びとの集う屋根へ向けて飛ばしてみせた。
屋根の上にいた人々は、突然現れた怪鳥に悲鳴をあげ、屋根から転がり落ちて行った。
ラウラは空いた屋根に移動する。
人びとの注目が、鳥と、その鳥の下に向かっていくラウラに集まる。
「ラウラ!?」
ラウラが屋根にたどり着くと同時に、隣の屋根か声がかかる。
「殿下!」
シェルティはラウラのいる屋根へ飛び移り、その両肩をつかむ。
「カイは!?」
「ご無事です。いまは朝廷で縮地の準備を進めているはずです」
「そうか……」
シェルティは安堵の息をもらし、ラウラの肩から手を離す。
「君はなぜここに?いったいなにが起こっている?朝廷は天回の消失とこの寒波についてどこまで把握している?」
再会を喜ぶ暇もなかった。
ラウラからここまでの経緯を聞いたシェルティは、しばらく考え込んだあと、わかった、と言って群衆に目を向けた。
「まずはこの場を治めなければ」
シェルティは拡声機能のある筒状の霊具を口にあて、群衆に言った。
「――――この鳥を見よ!」
雷のように響き渡るその声に、群衆は静まり返る。
「これはみなの不安を拭うために、渡来大使がもたらしたものだ!」
人びとはどよめく。
たしかに、光る鳥など見たこともない。
けれど本当に渡来大使がよこしたものなのか、鳥がどのように自分たちを守るというのか。人びとの不安は簡単には拭えない。
シェルティは群衆の反応を注意深く観察しながら、演説を続ける。
「なにも案ずることはない。渡来大使はみなにそれを伝えるため、この鳥をよこしたのだ!」
シェルティの言葉を受けて、何軒か離れた建物の屋根に集う、屈強な身体つきの男たちが、口々に叫んだ。
「おれはあれを見たことがあるぞ!」
「そうだ!山の中で、おれたちはあれを見た!」
「あの鳥こそ災嵐の前兆じゃねのか?!」
群衆から悲鳴があがる。
シェルティは男たちを黙らせるように叫ぶ。
「ちがう!あれは光雨を降らすという渡来大使からの知らせだったのだ!」
男たちは顔を見合わせる。
「たしかに、あれからすぐ、光雨が降った」
「じゃあなんでおれらは襲われたんだ?」
「……家畜を盗もうとしてると思われたんじゃねえのか」
ラウラは男たちに向けて鳥を飛ばす。
男たちはその輝きに圧倒され、口を噤む。
シェルティはすかさず叫ぶ。
「我々の安全はたった今保証された!」
シェルティは大げさな身振りで両手を広げる。
芝居じみた、美しく人目を引く所作だった。
「渡来大使は、我々を必ずや救うだろう!」
シェルティはラウラに目配せをする。
ラウラは意図を汲み、光る鳥をシェルティのもとへ飛ばす。
鳥はシェルティの背後で、大きく翼を広げる。
まるでシェルティに翼が生えたかのようだ。
光る翼の後光を得たシェルティは、まるで天上の人のようであった。
群衆は彼に、自分たちが崇めた渡来大使の姿を見た。
想像の中のカイと、目の前のシェルティを重ね合わせた。
「我々は必ず救われる!」
人びとはシェルティの言葉を信じた。
彼を渡来大使の代弁者であると認めた。
「天回は、渡来大使がより確実な縮地のために、一時的に隠したのだ。この寒気は災嵐の前兆だ」
群衆を掌握したと感じたシェルティは、出まかせを口にする。
人びとはさざめくように歓声をあげる。
「すべては予定通りに進んでいる。都市の防壁は、恐怖に取りつかれた背信者によって発動されてしまったが、我々の身が災嵐に晒されることは、決して、ない!むしろ都市に逃げ込んだ人でなしの臆病者のもとにこそ、災嵐は訪れるだろう!」
地を割るような大歓声が、群衆から上がる。
シェルティは再びラウラに視線で合図を送る。
ラウラは頷き、鳥を上空高く、限界まで上昇させる。
珪砂の鳥は一際強い光を放ち、弾けた。
珪砂は光の残滓をまとったまま、群衆の上に降り注ぐ。
いつかの光雨のように。
再び、大歓声が上がる。
ラウラが降らせたのは、チリのように細かくなった珪砂に過ぎず、もちろん以前の光雨のような、癒しの効果はない。
しかし熱狂する群衆にとって、それは疑いようもなく光雨だった。
不安と恐怖が消え、寒さが和らいだ。
思い込みの力を、光雨の力だとして、人びとは沸き立っていた。
「我々は必ず救われる!」
シェルティは繰り返した。
「縮地はもう間もなく行われる!――――我々はこれ以上渡来大使の手を煩わせてはならない。みな、粛然と、その時を待て!」
〇
郊外の熱狂はなかなか冷めることはなかった。
混雑も完全に解消されたわけではない。しかし少なくとも、ラウラが到着した直後よりは確実に緩和された。
なにより人びとの顔つきが違う。
誰の瞳にも希望が灯っている。
互いに励ましあい、小火の消化を行う者、傷病人に手を貸す者、道端の死体を安置しようとする者まで現れた。
もとより南部では、カイへの信仰が厚かった。
なぜならばカイが降らせたことになっている光雨の恩恵を、南部の民は最も受けていたからだ。
ケタリングは南部の山内、ラプソの冬営地で天葬された。
塵と砕けた身はエレヴァン全土に降り注いだが、直下の南部はその量が最も多かった。
他の地域の雨量を知った南部の民は、自分たちは渡来大使から特別な庇護を与えられた、と解釈し、都市にカイの塑像を建てるまでに至るまでの、熱狂的な信仰をもったのだ。
それにつけて、今回のシェルティの演説があった。
やはり自分たちは特別なのだ。渡来大使に、特別な信徒として認められ、守られているのだ。
人びとはそう思い込み、いよいよ信仰は揺るぎのないものとなった。
「ここまでうまく治めることができるなんてね」
馬を走らせながら、シェルティは言った。
「助かったよ。ぼく一人じゃどうにもならなかったんだ。いやぼく自身も、なにが起きているのかわからなくて、どう治めるべきか迷っていた、と言った方が正しいんだけど……」
シェルティは相乗りするラウラに微笑みかけた。
「よくここまできてくれた。本当にありがとう。君の行動力と、素晴らしい機転のおかげで、暴動を解消することができたよ」
ラウラは強張った顔で首をふった。
「殿下の演説あってこそです――――それで、守護霊術の発動は、本当に長官たちの独断で行われたんですか?」
「ああ」
二人の正面から、寒風が吹きつけてくる。
シェルティは片手を手綱から離し、ラウラの顔を胸に抱く。そして自分自身は、顔を背けることもなく、風を受け止めた。
「あえて止めなかったんだ」
シェルティは速度を緩めた馬の腹を蹴った。
馬はしぶしぶ、といった様子でまた駆け出す。
馬にとってもこの寒さは未知のもので、人と同じように怯えていた。
しかし二人には、馬を気遣う余裕はなかった。
二人は一刻も早く、最も遠方にある飛車の設置場所、ラプソの冬営地へ行かなければならなかった。
「老人どもは完全に気が動転していたし、人はどんどん押し寄せてくるし、放っておけば鐘塔そのものが危ないと思ってね。手遅れになる前に、跳ね橋を上げさせたんだ。――――大丈夫、子どもたちは無事だよ。守護霊術の発動には彼らが不可欠だから、彼らのことは首長も必死に守るだろうし、ぼくの護衛も彼らのもとに残してきたから。滅多なことはないはずだ」
シェルティの言葉に、ラウラはほっと胸をなでおろした。
「でも、殿下は外に残ったんですね」
「カイや君の安否もわからない状態で閉じこもることなんてできないよ」
君だって同じ立場ならそうしたはずだと、シェルティは言った。
「現にこんな状況下で安全な都市を飛び出してきたんだから」
「命令されたからですよ」
「それがなくても来ただろう?」
ラウラは謙遜するようにかぶりをふった。
「でも、よかったんですか?都市を離れてしまって……」
都市郊外の混乱は一応収まったとはいえ、まだ予断を許さない状況ではある。
しかしシェルティは、ラウラと共に行くといって聞かなかった。
「馬にも乗れないような状態の君を、一人で行かせるわけにはいかないよ」
ラウラは三百キロ近い距離をたった一日で駆け抜けたうえ、ありったけの霊力を使って巨大な光鳥を作り出した。
当然、疲労は大きく、強風のなか一人で馬を操る力は残されていなかった。
「ぼくとしては、君にこそ、あっちに残っていてほしかったけどね」
「足手まといであれば、捨て置いてください。でも、あの飛車だけは、この目で確かめたいんです」
「わかってるよ。だから一緒にきたんだ」
最南端に位置する飛車は、ラプソの女たちを、ヤクートを、そしてアフィーとレオンを守るものだ。
彼らラウラにとっても、カイにとっても大事な人たちだ。
その安全が確保されるまで、ラウラは休むことなどできなかった。
「カイはあの飛車に霊力を届けられるまでは、縮地を発動させないだろう」
「はい。だから必ず、間に合わせなければ」
縮地の発動は、明日の明朝に予定されていた。
けれどいつ発動されてもおかしくない状況だった。
(いまこの瞬間にも、発動が命じられているかもしれない)
ラウラの脳裏には、それに反対するカイの姿が容易に想像できた。
(急がないと)
ラウラは深く息を吐いて、両手を前に突き出した。
両手を広げたが、指は折れ曲がったままで、完全に伸ばすことはできなかった。
痺れた痛みの走る第二関節から先は、白く色を失っていた。
ラウラはかまわず、風に凍える手をかざして、霊摂をはじめた。
「君、その手……」
「十分な霊力があれば、体力の回復も早くなりますから」
シェルティは表情を曇らせたが、何も言わず、手綱を握ったままラウラの両手首をそっと握った。
シェルティの手はラウラの手と同じく、冷たく冷え切っていた。
しかしそれは次第に、熱を帯びていく。
シェルティはさらに、ラウラを抱きしめるように身体を密着させる。
ラウラの背中に、じわりと熱が広がる。
手だけでなく、シェルティは全身が暖かかった。
ラウラ以上の薄着であるにも関わらず、シェルティの体温は、跨る馬よりもはるかに温かかった。
それはシェルティの得意とする、霊操による体温操作だった。
ラウラは与えられるぬくもりに目を細めながらも、いけません、と言った。
「それでは、シェルティさんの霊力がなくなってしまいます」
「いいんだ。どうせほかで使うことなんてないし。それより君は集中して。せめて山を登れるくらいには回復してもらわないと。ぼくは君を温めることはできても、おぶってやることはできないから」
ラウラは頷き、目を閉じて霊摂をはじめた。
そして次に目を開いた時、風には雪が混ざりはじめていた。
曇天の下で、夜は、気づかぬ間に明けていた。
夜通し走り続けた二人は、朝廷を出発してから丸一日たってようやく、南都の郊外にたどり着いた。
そこには尋常ではない混乱が広がっていた。
ある程度予想できていたことだが、それでもラウラは息を飲んだ。
南部中の人びとが集い、都市どころか郊外まで、身動きができないほど人であふれ返っている。
阿鼻叫喚だった。
寒さをしのぐため焚いた火が燃え移ったのか、いたるところで小火の煙が上がっている。
怒号と悲鳴が飛び交い、死人が道の真ん中に捨て置かれていた。
郊外でさえこの騒ぎでは、都市の中にはいったいどれだけ凄惨な光景が広がっているのか。
しかしそれを、郊外にいる人間は知ることができない。
なぜならば、都市は水の壁に囲われてしまっているからだ。
(どうして防壁が!?)
ラウラは群衆の先にある、守護霊術によって作られた水の壁を、信じられない思いで眺めた。
(……この寒さを、災嵐だと決めつけたんだ)
南都を治める、あの疑い深い老人たちならやりかねない。
ラウラは唇を噛んだ。
(なんてことを……)
ラウラは深く息を吐いた。
郊外についたところで、馬とブリアードは力尽きてしまった。
馬は死に、ブリアードは霊切れのため当面動けない。
ラウラはひとりで現状を打開しなければならなかった。
(とにかく誰かに状況を伝えて、この騒ぎを少しでも落ち着けないと)
ラウラは近くの建物の屋根に登り、屋根伝いに、人が最も密集する水壁を目指して行った。
群衆相手では、ラウラの声は小さすぎる。
直接呼びかけたところで、それは荒れ狂う湖に砂粒を放り込むようなものだ。
ラウラは人びとの注意を引かなければならなかった。
そのためには水壁を背に、人びとの視線の先に立つ必要があったが、水壁に近い屋根の上は、すでに人であふれ、ラウラが乗る隙間はなかった。
(……ごめんなさい)
ラウラは心の中で詫び、懐から小さな砂嚢を取り出した。
中には採掘場で手に入れた珪砂が入っている。
ラウラは珪砂に霊力をこめ、宙にばらまいた。
珪砂は激しく発光し、空中で、巨大な翼に形を変える。
周囲の人びとは宙を見上げ、あんぐりと口をあけた。
それはひどく不格好な光る鳥だった。
(やっぱりうまく制御できない)
珪砂は霊力を通しやすい性質であるとはいえ、霊具として加工された硝子玉とは比較にならないほど制御が難しかった。
それでもラウラはどうにか成型した状態で珪砂を宙に留め、さらにはそれを、人びとの集う屋根へ向けて飛ばしてみせた。
屋根の上にいた人々は、突然現れた怪鳥に悲鳴をあげ、屋根から転がり落ちて行った。
ラウラは空いた屋根に移動する。
人びとの注目が、鳥と、その鳥の下に向かっていくラウラに集まる。
「ラウラ!?」
ラウラが屋根にたどり着くと同時に、隣の屋根か声がかかる。
「殿下!」
シェルティはラウラのいる屋根へ飛び移り、その両肩をつかむ。
「カイは!?」
「ご無事です。いまは朝廷で縮地の準備を進めているはずです」
「そうか……」
シェルティは安堵の息をもらし、ラウラの肩から手を離す。
「君はなぜここに?いったいなにが起こっている?朝廷は天回の消失とこの寒波についてどこまで把握している?」
再会を喜ぶ暇もなかった。
ラウラからここまでの経緯を聞いたシェルティは、しばらく考え込んだあと、わかった、と言って群衆に目を向けた。
「まずはこの場を治めなければ」
シェルティは拡声機能のある筒状の霊具を口にあて、群衆に言った。
「――――この鳥を見よ!」
雷のように響き渡るその声に、群衆は静まり返る。
「これはみなの不安を拭うために、渡来大使がもたらしたものだ!」
人びとはどよめく。
たしかに、光る鳥など見たこともない。
けれど本当に渡来大使がよこしたものなのか、鳥がどのように自分たちを守るというのか。人びとの不安は簡単には拭えない。
シェルティは群衆の反応を注意深く観察しながら、演説を続ける。
「なにも案ずることはない。渡来大使はみなにそれを伝えるため、この鳥をよこしたのだ!」
シェルティの言葉を受けて、何軒か離れた建物の屋根に集う、屈強な身体つきの男たちが、口々に叫んだ。
「おれはあれを見たことがあるぞ!」
「そうだ!山の中で、おれたちはあれを見た!」
「あの鳥こそ災嵐の前兆じゃねのか?!」
群衆から悲鳴があがる。
シェルティは男たちを黙らせるように叫ぶ。
「ちがう!あれは光雨を降らすという渡来大使からの知らせだったのだ!」
男たちは顔を見合わせる。
「たしかに、あれからすぐ、光雨が降った」
「じゃあなんでおれらは襲われたんだ?」
「……家畜を盗もうとしてると思われたんじゃねえのか」
ラウラは男たちに向けて鳥を飛ばす。
男たちはその輝きに圧倒され、口を噤む。
シェルティはすかさず叫ぶ。
「我々の安全はたった今保証された!」
シェルティは大げさな身振りで両手を広げる。
芝居じみた、美しく人目を引く所作だった。
「渡来大使は、我々を必ずや救うだろう!」
シェルティはラウラに目配せをする。
ラウラは意図を汲み、光る鳥をシェルティのもとへ飛ばす。
鳥はシェルティの背後で、大きく翼を広げる。
まるでシェルティに翼が生えたかのようだ。
光る翼の後光を得たシェルティは、まるで天上の人のようであった。
群衆は彼に、自分たちが崇めた渡来大使の姿を見た。
想像の中のカイと、目の前のシェルティを重ね合わせた。
「我々は必ず救われる!」
人びとはシェルティの言葉を信じた。
彼を渡来大使の代弁者であると認めた。
「天回は、渡来大使がより確実な縮地のために、一時的に隠したのだ。この寒気は災嵐の前兆だ」
群衆を掌握したと感じたシェルティは、出まかせを口にする。
人びとはさざめくように歓声をあげる。
「すべては予定通りに進んでいる。都市の防壁は、恐怖に取りつかれた背信者によって発動されてしまったが、我々の身が災嵐に晒されることは、決して、ない!むしろ都市に逃げ込んだ人でなしの臆病者のもとにこそ、災嵐は訪れるだろう!」
地を割るような大歓声が、群衆から上がる。
シェルティは再びラウラに視線で合図を送る。
ラウラは頷き、鳥を上空高く、限界まで上昇させる。
珪砂の鳥は一際強い光を放ち、弾けた。
珪砂は光の残滓をまとったまま、群衆の上に降り注ぐ。
いつかの光雨のように。
再び、大歓声が上がる。
ラウラが降らせたのは、チリのように細かくなった珪砂に過ぎず、もちろん以前の光雨のような、癒しの効果はない。
しかし熱狂する群衆にとって、それは疑いようもなく光雨だった。
不安と恐怖が消え、寒さが和らいだ。
思い込みの力を、光雨の力だとして、人びとは沸き立っていた。
「我々は必ず救われる!」
シェルティは繰り返した。
「縮地はもう間もなく行われる!――――我々はこれ以上渡来大使の手を煩わせてはならない。みな、粛然と、その時を待て!」
〇
郊外の熱狂はなかなか冷めることはなかった。
混雑も完全に解消されたわけではない。しかし少なくとも、ラウラが到着した直後よりは確実に緩和された。
なにより人びとの顔つきが違う。
誰の瞳にも希望が灯っている。
互いに励ましあい、小火の消化を行う者、傷病人に手を貸す者、道端の死体を安置しようとする者まで現れた。
もとより南部では、カイへの信仰が厚かった。
なぜならばカイが降らせたことになっている光雨の恩恵を、南部の民は最も受けていたからだ。
ケタリングは南部の山内、ラプソの冬営地で天葬された。
塵と砕けた身はエレヴァン全土に降り注いだが、直下の南部はその量が最も多かった。
他の地域の雨量を知った南部の民は、自分たちは渡来大使から特別な庇護を与えられた、と解釈し、都市にカイの塑像を建てるまでに至るまでの、熱狂的な信仰をもったのだ。
それにつけて、今回のシェルティの演説があった。
やはり自分たちは特別なのだ。渡来大使に、特別な信徒として認められ、守られているのだ。
人びとはそう思い込み、いよいよ信仰は揺るぎのないものとなった。
「ここまでうまく治めることができるなんてね」
馬を走らせながら、シェルティは言った。
「助かったよ。ぼく一人じゃどうにもならなかったんだ。いやぼく自身も、なにが起きているのかわからなくて、どう治めるべきか迷っていた、と言った方が正しいんだけど……」
シェルティは相乗りするラウラに微笑みかけた。
「よくここまできてくれた。本当にありがとう。君の行動力と、素晴らしい機転のおかげで、暴動を解消することができたよ」
ラウラは強張った顔で首をふった。
「殿下の演説あってこそです――――それで、守護霊術の発動は、本当に長官たちの独断で行われたんですか?」
「ああ」
二人の正面から、寒風が吹きつけてくる。
シェルティは片手を手綱から離し、ラウラの顔を胸に抱く。そして自分自身は、顔を背けることもなく、風を受け止めた。
「あえて止めなかったんだ」
シェルティは速度を緩めた馬の腹を蹴った。
馬はしぶしぶ、といった様子でまた駆け出す。
馬にとってもこの寒さは未知のもので、人と同じように怯えていた。
しかし二人には、馬を気遣う余裕はなかった。
二人は一刻も早く、最も遠方にある飛車の設置場所、ラプソの冬営地へ行かなければならなかった。
「老人どもは完全に気が動転していたし、人はどんどん押し寄せてくるし、放っておけば鐘塔そのものが危ないと思ってね。手遅れになる前に、跳ね橋を上げさせたんだ。――――大丈夫、子どもたちは無事だよ。守護霊術の発動には彼らが不可欠だから、彼らのことは首長も必死に守るだろうし、ぼくの護衛も彼らのもとに残してきたから。滅多なことはないはずだ」
シェルティの言葉に、ラウラはほっと胸をなでおろした。
「でも、殿下は外に残ったんですね」
「カイや君の安否もわからない状態で閉じこもることなんてできないよ」
君だって同じ立場ならそうしたはずだと、シェルティは言った。
「現にこんな状況下で安全な都市を飛び出してきたんだから」
「命令されたからですよ」
「それがなくても来ただろう?」
ラウラは謙遜するようにかぶりをふった。
「でも、よかったんですか?都市を離れてしまって……」
都市郊外の混乱は一応収まったとはいえ、まだ予断を許さない状況ではある。
しかしシェルティは、ラウラと共に行くといって聞かなかった。
「馬にも乗れないような状態の君を、一人で行かせるわけにはいかないよ」
ラウラは三百キロ近い距離をたった一日で駆け抜けたうえ、ありったけの霊力を使って巨大な光鳥を作り出した。
当然、疲労は大きく、強風のなか一人で馬を操る力は残されていなかった。
「ぼくとしては、君にこそ、あっちに残っていてほしかったけどね」
「足手まといであれば、捨て置いてください。でも、あの飛車だけは、この目で確かめたいんです」
「わかってるよ。だから一緒にきたんだ」
最南端に位置する飛車は、ラプソの女たちを、ヤクートを、そしてアフィーとレオンを守るものだ。
彼らラウラにとっても、カイにとっても大事な人たちだ。
その安全が確保されるまで、ラウラは休むことなどできなかった。
「カイはあの飛車に霊力を届けられるまでは、縮地を発動させないだろう」
「はい。だから必ず、間に合わせなければ」
縮地の発動は、明日の明朝に予定されていた。
けれどいつ発動されてもおかしくない状況だった。
(いまこの瞬間にも、発動が命じられているかもしれない)
ラウラの脳裏には、それに反対するカイの姿が容易に想像できた。
(急がないと)
ラウラは深く息を吐いて、両手を前に突き出した。
両手を広げたが、指は折れ曲がったままで、完全に伸ばすことはできなかった。
痺れた痛みの走る第二関節から先は、白く色を失っていた。
ラウラはかまわず、風に凍える手をかざして、霊摂をはじめた。
「君、その手……」
「十分な霊力があれば、体力の回復も早くなりますから」
シェルティは表情を曇らせたが、何も言わず、手綱を握ったままラウラの両手首をそっと握った。
シェルティの手はラウラの手と同じく、冷たく冷え切っていた。
しかしそれは次第に、熱を帯びていく。
シェルティはさらに、ラウラを抱きしめるように身体を密着させる。
ラウラの背中に、じわりと熱が広がる。
手だけでなく、シェルティは全身が暖かかった。
ラウラ以上の薄着であるにも関わらず、シェルティの体温は、跨る馬よりもはるかに温かかった。
それはシェルティの得意とする、霊操による体温操作だった。
ラウラは与えられるぬくもりに目を細めながらも、いけません、と言った。
「それでは、シェルティさんの霊力がなくなってしまいます」
「いいんだ。どうせほかで使うことなんてないし。それより君は集中して。せめて山を登れるくらいには回復してもらわないと。ぼくは君を温めることはできても、おぶってやることはできないから」
ラウラは頷き、目を閉じて霊摂をはじめた。
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皇子の罵声のせいで、男にだらしなく浪費家と思われて王宮殿の使用人どころか通っている学園でも遠巻きにされているアシュレイ。
アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
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