災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第三章

冬営地にて(六)

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 入り組んだ路地を駆け抜けた先には、朽ちかけたレンガ造りの廃屋があった。
 蝶番の外れたドアからするりと入っていくイエネコのあとを追いかける。
 中にはメイサ以外にも誰かがいた。
 タビトかと思ったが、どうも小さい。さまざまな色合いのネコが思い思いの場所でくつろぐそこは、野良ネコの集会場だった。

「しゃーっ」

 見慣れぬネコと大柄の獣人の登場にいきり立つ若い野良ネコに、メイサは怯まなかった。
 まっすぐ見つめる先には、一匹の白いネコ。
 古びた食器棚の上に鎮座し、メイサをじっと見下ろすそのネコは、年季を感じさせるパサついた被毛と深い知性を思わせる鋭いまなざしを持っている。
 恐らくこの集会のボスだ。

「にゃあ、にゃっ」
「……」
「にゃーっ」

 メイサがしきりに鳴いている。いやボスネコに語りかけているのだろう。
 レグルスは固唾を飲んで成り行きを見守った。
 メイサがなにを思ってここに来たのかわからないが、賢い彼のことだ、きっと自分なりにタビトを探そうとしている。
 そしてそれは、この獣人でごった返す副都で、目視でしか探しものができない獣人たちより確実かもしれない。祈りに近い直感だ。
 白ネコは黙ってメイサの言葉を聞いていた。
 やがてメイサが話し終えると、白ネコはちらりとレグルスを見て、再びメイサを見て、それから一度目を閉じた。

「ぅなん」

 しゃがれた声でひと鳴きした白ネコは、棚から降りてゆっくりとメイサに近寄った。
 メイサはまるで首元を差し出すように顎を上げる。そこへ白ネコの鼻先が埋まる。
 ボスがそれを終えると、屋内にいた他のネコたちも同じようにし始めた。
 なにをしているのか訝しんで、気づく。
 メイサの首にはタビト手製のリボンが結ばれている。あのリボンを結び直すのはタビトだけだ。
 タビトの匂いを知らせている。

「うみゅ、みゃあ」
「にゃっ!」

 数匹のネコが匂いを嗅ぎ終えた頃、一匹のネコが声を上げた。
 まるで「この匂いを知っている」とでも言いたげに鳴いたのは、きれいに色の分かれた三毛ネコだった。
 ボスネコが動く。三毛ネコを先頭に、数匹が小走りで廃屋を出ていく。
 メイサもそれを追い、大柄なレグルスは隙間からは出られないので見失わないよう注意しながらドアを押した。
 路地に戻ると、なんとも言えない顔をした留学生仲間と、やや険しい表情の守備隊実習生たちがいた。

「レグルス、さっきのは……」
「話は後だ。メイサを追う」
「お、おい」

 制止を聞かずに走り出す。
 メイサとネコたちにはすぐに追いつけた。
 表通りの喧騒はもはや遠い。
 迷いなく進んでいくネコたちはやがて、より深く、空気の濁った場所へレグルスたちを導いていった。
 祭りの囃子はもう少しも聞こえない。崩れかけた建物が増えていく。レンガの隙間から雑草が生え、石畳はぼこぼこと波打っている。
 道路に座り込んでいるもの、よそ者をじっとりと睨むもの、守備隊の制服を見てきびすを返すもの。

「……貧民街……」

 どんな華やかな都にも暗い部分はある。
 東地区貧民街は副都の暗部だ。
 行政部が手を付けられない難所であり、守備隊も定期的な巡回は行えていない。当然、実習生が入るような場所ではない。
 レグルスは何度か、この見知らぬネコたちを信用してついていっていいものかと疑った。
 しかしその度、察したかのようにメイサが振り返るので、もはや余計なことは考えず進んできた。
 その行き着く先がこんな場所だとは。

「みゃっ」

 先頭を走っていた三毛ネコがついに足を止めた。
 メイサを見、ボスを見てから、割れた石畳の端っこに頭を突っ込む。
 そこには小さな穴が空いていた。
 穴は建物の壁にあり、鉄柵が埋め込まれているため手すら入りそうにない。おそらく地下の空気穴だ。
 三毛ネコはそこからタビトの匂いがしたと主張したいらしく、しきりに小さな声で鳴いた。
 ここまできたら疑うより信じるべきだ。
 レグルスは腹をくくり、ついてきていた仲間たちとともに周辺を探してみることにした。
 彼らはレグルスほどネコたちを信じられないようで、訝しげな表情を浮かべていたが、それも僅かの間だけだった。

「おい、これ……!」

 それを見つけたのは、ひときわ鼻が効くオオカミのプロキオンだ。
 薄汚れた石畳に落ちていたのは、腕章。
 守備隊の刺繍がしてあるが、名前が書かれていない。

「実習生用の腕章だ。タビトの匂いがする」
「本当にタビトがこんなところに?」

 タビトの匂いを嗅いで、恐ろしい相手であるはずの獣人をものともせず道案内をしたネコたち。その場所に落ちていたタビトの腕章。治安の悪い貧民街。
 ここにきてようやく一同は、思いのほか事態が重いことを察した。緊張が走る。
 プロキオンはそっと落ちていた腕章を取り上げ、リゲルに頷いてみせた。

「俺様たちはこれを守備隊に届けて、応援を呼んでくる。おまえらは表通りに戻れ」
「嫌だ」

 レグルスは即答した。
 プロキオンは思いっきりしかめ面をする。

「聞き分けのないことを言うな。おそらくことは一般人、それも学生には手に負えない。俺様たち実習生もそれは同じだ」
「一刻を争う事態になっていたらどうする! タビトになにかあったら、オレは」
「落ち着け! タビトが心配なのは俺様も同じだ。だからこそ確実な手を打たなきゃならない。どうしてもというのならここにいてもいい、だが余計なことはせずじっとしていろ。俺様たちが戻るまで。いいな?」
「……」

 プロキオンはあくまで冷静だった。立ち尽くすレグルスを置いて走り出す。
 リゲルは心配そうにレグルスを見て、しかし声をかけることはせずプロキオンを追いかけていった。

「ここにいたら目立つ。少し移動しよう。表通りに戻るつもりはないんだろ?」

 ロスが声をかけてくるまで、レグルスは微動だにせず立っていた。
 なにもできない自分が悔しい。
 プロキオンの言う通り、無闇に行動して現状がよくなるとも思えない。
 でもこうしている間にタビトになにかあったら。
 頭の中の理性的な部分と感情的な部分が分裂しそうなほど乖離していて、頭痛がするほどだった。
 建物の影に移動しようと足を動かすと、緊張で強張った拳が痛いほど握りしめられていたことに気づく。

「メイサ、少し離れたところに行こう。……メイサ?」

 振り向くと、メイサが建物の入り口にいてぎょっとする。
 あの地下室を擁する石造りの建物、その重そうな鉄扉にどうにか爪を差し込めないかとメイサが奮闘していた。
 金属をひっかく音がカリカリと鳴っている。
 レグルスは慌てて駆け寄り、小さな縞ネコを抱き上げた。

「こらメイサ! ここにいろって言われただろ」
「に゛ゃっ!」
「イヤじゃない、オレだってじっとしてたくなんかないが、タビトがどんな状況かわからない以上ヘタなことは、」

 小声で言い争う二匹の耳にそれは届いた。
 微かな音、いや声だ。風にかき消されそうなほどか細い。
 しかし確実にそれは悲鳴で、二匹が求めて止まない彼の声で。

「あっ、レグルスさま!? ネコちゃんまでっ」
「おいレグルス!!」

 制止の声を背に、レグルスはメイサが張り付いていた扉を力任せに引き開けた。
 細い鎖が巻かれていただけの鉄扉は、悲鳴のような不快な音を立てつつも素直に開く。
 待機しなければいけない、自分たちでどうにかできる状態ではないかもしれない、そんな理性的な考えはすっぽ抜けていた。
 ただ、タビトの悲痛な声だけがレグルスを突き動かす。
 メイサもぴったりとレグルスの走りについてきた。
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