災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第三章

冬営地にて(一)

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南都を発ったラウラとブリアードが向かったのは、ラプソの冬営地だった。
二人が朝廷から与えられた任務は、南都で防壁が正常に機能するか、縮地が行き届くかどうかを見届けることと、南部に設置された縮地の傘、飛車の点検だった。
本番同様の縮地を受けて、飛車に異常が生じていないか確認しなければならない。
南部を担当する二人の下には、すでに各担当技官による報告は集められていた。
すべてが異常なし、とするもので、確認がとれていない箇所はひとつだけだった。
それがラプソの冬営地に設置されたものだった。
ラプソの見張り役を務める武官と技官によって、特に厳重に管理されているものの、ここだけはラウラとブリアードが直接確認に向かうよう命じられていたのだ。

半日かけて、二人は山を登った。
もうあと一歩で冬営地が見えてくる、というころには、すでに日は傾き始めていた。
「けっこう時間がかかっちゃいましたね」
「雨で足元が悪かったですからねえ。それでも登り始めてすぐ止んだからまだよかったですが、これでまだ降っているようでしたら、足なんてもう動かなくなってましたよ、きっと」
そうぼやくブリアードの足運びは軽々としたものだった。
おまけに彼は大きな荷袋を背負っていた。
総量二十キロちかい大荷物だ。
彼はそれを、南都の出発時から一人で背負い続けていた。
そのためラウラはついご謙遜を、と言ってしまう。
「余裕たっぷりじゃないですか」
「いやいやいや、おじさんはもうへとへとですよ」
ブリアードと異なり、身一つのラウラは、彼が軽々と飛び越えていった太い木の根を、手をついてどうにか跨ぎ、唸った。
「とても疲れているようには見えません」
「いや、本当にへとへとですよ。私はいま身体を霊力で強化しているんで。ご存じでしょう?ダルマチアの肉体強化の術は。だからまあ、身体はよく動くんですけど、結局はこれ自分の身体を霊操で無理やり動かしているだけですから、すごくすごく疲れるんですよ。というかもう霊力も切れそうなので、ラプソのところに着いたら私はすぐ倒れます。いやでも倒れてる暇ないんですけどね、ヤクートがしっかり仕事をしたのかどうか、それを確かめるまでは、落ち着いて霊摂もできません……」
「きっと大丈夫ですよ」
「そうだといいんですが……。早く行って確かめたい半面、なにかしくじっていたらと思うと、もう帰ってしまいたいとも――――ああ、足が重くなってきました……」
「そんなことおっしゃらずに。ヤクートさんも、アフィーも、きっとブリアードさんに会えるのを心待ちにしていますよ」
「ああ、そうでした。あそこにはアフィ―もいたんでした。気が重いことに変わりはありませんが、かわいい弟子の顔を拝めると思えば、歩みは止めずにすみそうです」
ブリアードがそう言った途端、脇の茂みを突き破って、目の前にアフィ―が転がり出てきた。
「ええっ!?」
ブリアードは驚いてその場に尻餅をつく。
アフィはーすぐに起き上がり、ブリアードをまるで木の根かなにかのように、目もくれずに飛び越えていく。
「あ、アフィー!?」
「……っ!」
驚くラウラの腕をつかみ、アフィ―はラウラごと地に伏せる。
直後に、茂みからオーガンジーが飛び出し、三人の頭上を勢いよく飛び越えた。
「逃げてんじゃねえよ」
続いて茂みをかき分けて、レオンが姿を現す。
「あ?なんだてめえは」
レオンはぬかるみに尻をつけて呆然とするブリアードに怪訝な表情を浮かべるが、その後ろにいるラウラを見て、すぐに口角を緩めた。
「――――おう。きたか」
「お、お久しぶりです……あの、これはどういう状況ですか……?」
ラウラは目を見開いた。
レオンの背後に、アフィーの操るオーガンジーが迫っていたのだ。
ラウラは隣のアフィーに目を移す。
アフィーは片手を高く掲げている。
「だ、だめです!」
ラウラは咄嗟にアフィーを制止しようとしたが、間に合わず、アフィ―の手は振り下ろされてしまう。
それに合わせて、オーガンジーは大きく広がり、背後からレオンに襲い掛かる。
レオンの頭はあっという間に包まれる。オーガンジーはレオンの視界を奪い、首を締め上げる。
アフィーは弾かれたように駆け、レオンの足元に体当たりする。
「甘い」
レオンは顔にまとわりつくオーガンジーをものともせず、中腰で突進するアフィーをかわし、その背中に蹴りをいれた。
「うっ……!」
アフィーは顔面から勢いよく転倒する。
霊操が途絶え、オーガンジーは力を失う。
レオンはオーガンジーを顔から引きはがす。
アフィ―はすかさず泥土をつかみ、レオンめがけて投げつける。
「ぐっ!」
レオンはたまらず目を抑える。
アフィーはたたみかけるようにまた泥土を投げつけ、その隙にオーガンジーに再び霊力を注ぎ込み、レオンの片手に絡みつかせる。
「とらえた!」
「だから甘いつってんだろ」
アフィーはオーガンジーを手繰り寄せてレオンを引き倒そうとするが、レオンは両目を抑えたまま、力づくでそれに抗う。
「――――や、やめてください!ふたりとも、どうしたっていうんですか!」
ラウラの呼びかけに、二人は反応を示さない。
すこしでも気を抜けばこのオーガンジーの引き合い、力競べに敗北してしまうからだ。
とにかく二人を離さなければならない。そう考えたラウラは、腰に下げた霊杖に霊力をこめた。
アフィーとレオンはそれに気づかず、にらみ合いを続ける。
「いい加減、認めろ」
「お前も動けねえんじゃ仕方ねえだろ。おれは制圧しろって言ったんだ」
ラウラは黒杖を振りかぶり、助走をつけて二人の間に割って入る。
「――――落としますよっ!」
叫び、ラウラはオーガンジーめがけて霊杖を振り下ろした。
「――――っ!?」
霊仗はオーガンジーを巻き込んで地面に突き刺さった。
ラウラは霊杖伝いにオーガンジーに霊力を流し込み、その動きを支配すると、二人の腕に一層強く巻き付かせた。
片腕をオーガンジーに縛られ、身動きのとれなくなった二人は、唖然としてラウラを見上げる。
「落ち着いてください!説明して下さい!ふたりとも、いったいどうしたっていうんですか!?」
ラウラは仁王立ちでいきり立った。
それまでレオンを睨みつけていたアフィーは、みるみるうちに叱られた子供の顔になって、縮こまった。
一方レオンは、どうにかして腕からオーガンジーを引きはがそうと苦闘する。
アフィ―が操っていた際は簡単にはがせたものが、びくともしない。
オーガンジーを繋ぐ杖も、それほど深く地に刺さっているわけでもないのに、押しても、蹴っても、抜くことができない。
「聞いていますか?お二人とも!」
「……これは……修練」
「修練?」
「うん」
「それにしては乱暴すぎますよ」
「すげえな、おい、これどうなってんだ」
レオンはまるでラウラの話を聞いておらず、ただ自分を繋ぎ止めるオーガンジーと仗に感心するばかりだった。
「びくともしねえ。おい、アフィー、しょげてねえでお前も見ろ。同じもん使ってて、天地の差じゃねえか」
「……ラウラは、すごい」
アフィ―は拗ねた顔でそっぽを向いた。
レオンは呆れたように鼻をならし、そうだな、と言った。
「お前が一時間かかってできなかったことを、ラウラは一瞬でやってのけたからな」
「……!」
「ラウラより弱い奴に護衛は務まらねえ。やっぱりお前は、大人しく料理でも教わった方がいいんじゃねえか」
「それは……」
「役に立ちたいんだろ。いまの腕っぷしじゃ、ただの足手まといでしかねえよ」
レオンの冷たい言葉に、アフィ―は俯き、肩を震わせる。
「あの、やっぱりよく話が見えないんですが……?」
ラウラは地面から杖を引き抜き、二人を解放した。
「怪我はありませんか?」
ラウラはアフィ―を心配して声をかけたが、アフィーはオーガンジーを握りしめ、返事もせずに走り去ってしまう。
「アフィ―!」
「ほっとけ」
「でも……」
「いつものことだ。腹減ったら帰ってくる」
レオンは顔についた泥を拭い、目頭を押さえた。
「目潰しは悪くなかったな」
「ケンカしてたんですか?」
「誰があんなガキと。おれはむしろそのやり方を教えてやってたんだよ」
「やり方?」
そうだ、とレオンは首肯する
「ケンカの勝ち方をな」
ラウラは目を瞬かせる。
「な、なぜそのような……」
「あいつが頼んできたんだよ。ケンカのしかたを教えてほしいってな。しつけえから、たまにああして、相手してやってんだ」
レオンは真っ赤に充血した目を乱暴にこすった。
「動きはいい。勘も働く。力はねえが、あの布切れでそれをうまく補ってる。だが打たれ弱い。あいつお前と本当に同い年か?お前は見た目よりずっと大人びてるが、あいつは見てくればかりで、中身はまるでガキじゃねえか。自分が攻勢のときはいいが、すこしのことですぐ折れる」
苦言を呈すレオンに、未だ尻餅をついたままのブリアードが同意した。
「――――そうですねえ、集中力のむらは、玉に瑕ですよねえ」
「……誰だこいつ」
レオンに問われ、ラウラははっとする。
ブリアードのことをすっかり忘れていたのだ。
「お怪我はありませんか?!」
尻餅をついたままのブリアードに、ラウラは慌てて駆け寄った。
「いいえ。転んだだけですよ……」
ブリアードはそう言ったが、泥土に尻をつけたまま一向に立ち上がろうとしない。
「……転んだだけなんですが、その拍子に肉体強化の霊術を解いてしまいまして、いやこの術、発動時が最も霊力を食うんですけどね、私はほら、もうすでに霊切れ寸前だったわけじゃないですか。なので今すぐもう一度、というわけにはいかない状況なんですが、えっと、身体の方もですね、思ったより限界だったみたいで、その、つまり……」
「つまり?」
「もう一歩も歩けません……」





レオンにおぶわれた父親を見て、ヤクートは血相を変えた。
「親父!?なにやってんだ!?」
「ち、ちがうんだ、ヤクート。この人は私を助けてくれたのであって――――乱暴をされたわけではないんだ」
ヤクートがレオンに対して誤解を抱いたのではないかと思い、ブリアードは慌てて事情を説明しようとした。
「――――このバカ親父!」
しかしヤクートはそんな父親を怒鳴りつけた。
「ば、ば、ばかおやじ……!?」
「さっさと降りろ!」
ヤクートはブリアードをレオンの背から引きずり降ろすと、レオンに向かって頭を下げた。
「すみません、レオンさん!親父がご迷惑を……」
「すぐそこで拾っただけだ。それよりアリエージュはどこにいる?」
「アリエージュなら川に行ってます。呼んできましょうか?」
「ああ、頼む。ついでにお前の親父も連れてってやれ。ケツの色が変わっちまってる」
「はい。本当にすみません……」
ブリアードはそう言ってまた頭を下げると、立っているのがやっとな父親を川辺へ引っ張っていった。
「騒がしい連中だな」
「ブリアードさん、ヤクートさんの様子をずっと気にしていて、たくさん小言があるようだったんですけど……あれでは逆に、小言を言われているかもしれませんね」
二人は近くの倒木に腰を下ろした。
ラウラはひと月ぶりに訪れるラプソの冬営地を眺め、その復興ぶりに驚いた。
抉られた地面は均され、潰れた天幕は解体され跡形もなくなっている。
一か所にまとめられた倒木は材木や薪としてすでに切り出され始めている。
修繕された幕屋の前で、夕食の支度だろうか、女たちが集まって煮炊きをしている。
その近くで、三人の子どもが、蜻蛉を追いかけ回っている。
すべてのものが西日を受け、長い影をのばしている。
暖かな光で照られている。
ひと月前の騒動が嘘のような、牧歌的で平和な光景だった。
「見違えるようですね」
ラウラは安堵して微笑んだ。
「しばらくは人手があったからな」
「レオンさんが整地したんじゃないんですか?」
「一人じゃここまでできねえよ。ラプソの見張りに、武官と若い技官連中が残っただろ。ほとんどあいつらの手によるもんだ」
「みなさんが……」
「見張りに七人も残したのは、これをやらせるためだったんだろ。――――朝廷がラプソにそこでまでしてやる義理があるとは思えねえが……いったいなにを企んでいやがる?」
見張りとして残された官吏たちは、自発的に整地を行ったのではなく、ノヴァからの命を受けて動いていた。
ラプソの見張りだけでなく、野党からラプソの女たちを守ること、荒れたラプソの土地をもとに戻すことを、彼らは命じられていたのだ。
レオンの不信感はもっともだった。
ラプソの一族はその行いを考えれば、離散を強要されてもおかしくない。
女たちに罪はないが、一族としてあり続けることを選ぶのであれば、なにかしらの制裁は免れないはずだった。
それを免責するどころか、再興に手を貸すようなことは、公明正大を掲げる皇家らしからぬ行動だった。
「ノヴァに、狙いなんかありませんよ」
ラウラは丘を登っていく蜻蛉を目で追いながら言った。
「善意だってか」
「それとも、たぶん違います。ノヴァはラプソの件に、たぶん皆さんが思っている以上に責任を感じているんです」
「……黒幕が身内かもしれねえからか?」
「えっ」
「シェルティは黒幕についてなにか勘づいているようだったが、誰を庇ってんのか、おれがいくら聞いても、確信を得るまで待て、とはねつけやがる」
「それは――――知りませんでした。殿下、私には、その話はなにも――――」
「必要がなかったからしなかったんだろ。事実おれらが知ったところで、なにができるわけでもねえしな」
ラウラはレオンの発言を、意外だ、と思った。
「怒っていないんですか?」
「ああ?」
「黒幕を懲らしめようとは、思わないんですね」
「……復讐ほどくだらないもんはねえよ」
また別の蜻蛉がやってきて、レオンの足元に止まった。
レオンはそれを、先ほどの一匹が登って行った丘の上の方へ、追い払った。
「またなにか仕掛けてくるなら話は別だがな。シェルティの野郎に言わせれば、自分が南都の主査でいる限りなにもできないだろう、だとよ。やってもすぐ露呈するし、もし自分が南都にいるときに問題が起これば、必ずそいつらは不利益を被るから、と」
「それって……」
「つまり身内なんだろ」
レオンははっきりと言った。
「あいつはてめえで始末をつけるつもりなんだろう。身から出た錆だからな。ましてやそれがカイに及ぶなら、根本から叩くだろ。それなら、おれが追及する必要はねえ」
「……そうですか」
ラウラは、口もとが綻ぶのを抑えきれなかった。
「なんだよ、その顔」
「いえ、殿下を信頼されてるんだな、と思って」
「そんなんじゃねえよ」
レオンはラウラの頭を小突き、あいつのことはどうでもいいんだよ、と話を打ち切った。
「お前、今の話知らなかったんだよな」
「はい」
「じゃあノヴァ・ラサがラプソに抱く罪悪感ってのはなんなんだよ」
「それは――――」
ラウラは目蓋を震わせ、足元に視線を落とす。
「――――ラプソがカイさんの誘拐を企てた原因は、そもそも朝廷にあると、ノヴァは考えているんじゃないかと思うんです」
「そりゃ道理だろ。シェルティ寄りであれ、ラプソを唆したのが朝廷の中枢にいる誰かであることに変わりはねえんだから」
「違います、そうではなくて……もっと根本的な問題です」
「根本的?」
「つまり、なぜ彼らが朝廷にここまで不信感を抱くようになってしまったのかということです」
ラウラは視線をあげ、中天に座す二重の黒円、天回を見つめた。
強い西日に晒されても、その漆黒に揺らぎはなかった。
「朝廷はこれまで、より多くを救うために、ある選択をしてきました」
誰を災嵐から救うか。
誰を災嵐から見捨てるのか。
この世で最も忌まわしく、重い、命の選別という罪。
それは千年続く皇家、ラサの人間が、生まれながらにして背負わなければならない罪だった。
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