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第二章

呼掛

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冬営地から岩壁に至るまでの、急斜面の丘を駆け上って、ラウラはやっとの思いでケタリングの前に佇むカイに追いついた。
崩れた岩壁の下敷きになったケタリングは、かろうじて頭を外に突き出し、カイをじっと凝視している。
すぐ目の前に佇むカイに、どうにか噛みつこうと、首をのばしもがいている。
山と積もった瓦礫は音を立てるが、ケタリングはそこから抜け出すことができない。
瓦礫から突き出した頭と尾の先端を懸命に動かすケタリングを眺め、カイは呟いた。
「どうしたんだよ、お前、あんなに従順で、聡明だったのに」
カイはケタリングに、小さな声で、話しかけていた。
「カイさん……」
ラウラは息を切らしながらも、カイの腕を引いて、ケタリングから引き離そうとする。
しかしカイはラウラに首を振って見せ、その場から動こうとしなかった。
カイはケタリングに語りかけ続ける。

「レオンが見たら、がっかりするぞ」
「そんなの、お前だって嫌じゃないか?」
「……おれのせいなのか?」
「おれの狙うのは、お前をそうさせたのが、おれだからなのか?」
「おれがいなくなれば、自分を、取り戻してくれるか?」
「……」
「大丈夫、おれは、すぐ消えるから」
「レオンがくるまでの辛抱だ」
「いまはおれしかお前とみんなの間に立てるやつがいないんだ。だから、がまんしてくれ」
「お前だってこんなこと、本意じゃないんだろ?」
「わかってるよ」
「大丈夫だよ」
「おれがお前を守ってやる」
「お前から、みんなのことも、守るよ」
「だからもうすこしだけ耐えてくれ」

カイは自分の言葉はきっとケタリングに届くと信じていた。
しかしケタリングが返すのは獰猛な咆哮だけだった。
身体が埋まり、力が入らないためか、その威力は半減していたが、耳を塞がずにはいられない轟音だ。
ラウラは両耳を抑え、屈みこんだが、カイはそれを無抵抗で受け止め、言葉を続けた。

「リューを拾ったばっかりのころ思い出すな」
「リューはおれの飼い犬なんだ」
「拾ったの中二とかだったけど、いまでもよく覚えてる」
「訳もなく癇癪起こしてさ、手当たり次第に当たり散らして――――あいつはあのとき、いきなり知らない人間に、知らないとこに連れてこられて、パニックになってたんだと思う」
「勝手に捨てて、勝手に拾う、自分勝手なおれたち人間に、怒ってたってのもあるかもしれないけど」
「暴れまわって、疲れたら電池切れたみたいに寝て、起きたらまた暴れて」
「さんざんだったよ」
「おれの部屋、めちゃくちゃにされてさ。壊されてないものがないくらいだった」
「でもそれもだんだん落ち着いていって、最後はベッドの下から出てこなくなった」
「なにやっても出てこないし、飯も食わないし、しょうがないからおれ、ずっとそこにいて、こうやって話しかけたんだ」

「『さんざんだよな』」
「『納得いかないことばっかだよな』」
「『どうにかなんねえかな、ほんと』」
「『どうにかしたいよな』」
「『……』」
「『ひとりじゃきついんだ、おれ』」
「『だから、これは、お願いなんだけどさ』」
「『これからは一緒に、分け合わないか?』」
「『どうにもできない、こうやって暴れて発散するしかないもんをさ』」
「『それだけじゃなくて、楽しいことも』」
「『よくいうだろ、分け合えば、悲しみは半分、喜びは倍って』」
「『おれとお前でさ、これから、全部を分け合う、相棒になろう』」
「『そしたら、いろんなことが、ちょっとはマシになると思うんだ』」
「『なあ、どうだ?』」

カイは笑った。

「そしたらあいつ、飯、食ったんだ」
「がっついて食ってさ。しばらくしたら出てきて、おれの目の前でおしっこしたんだ」
「カーペット、すでにぼろぼろだったけど、とどめさされたよ」
「頭にきたよ」
「だって、いいこと言ったつもりなのに、おしっこで返されたんだぜ?」
「怒ったけど、あいつもうぜんぜん聞いてなくて、いつの間にかおれの横で寝てたんだ」
「呆れたよ」
「でもなんか安心して、おれもそのまま一緒に寝たんだ」
「ぼろぼろのカーペットの上でさ」

カイはケタリングを見上げる。
ケタリングはもう吠えていなかった。
針山にされた左目と、空洞になった右目、真っ黒い両の眼で、じっとカイを見つめていた。
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