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第二章

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カイとラウラは空中で足踏みする。
ケタリングは光球を無視して向かってくるが、自分たちは戻るべきか進むべきか、決めかねていた。
そうして戸惑っている間に、ケタリングは二人の目前まで迫ってきた。
「やばっ」
カイは慌てて急上昇し、ケタリングを避ける。
ケタリングは光球と同じようにカイにも目をくれず、その足元を通りすぎると、急降下を始めた。
「……!だめ!!」
ラウラはケタリングの向かう先を見て、叫んだ。
ケタリングは腹を下に向け、爪を立てて、着地体勢をとる。
その下にあるのは冬営地、アリエージュたちのいる幕屋だった。
カイは宙を蹴り、ケタリングを止めようと飛び出す。
ラウラは間に合わないと思い、目をつぶった。
ドォオオオッ!
ケタリングは地面を爪でつかむようにして着地した。
地響きと突風が起こる。幕屋がたわみ、笠樹の葉が舞う。
風を受けて失速したカイは、あらためて速力をあげようと体勢を立て直す。
ラウラはおそるおそる目を開ける。
冬営地は土煙で覆われて、ケタリングの頭部と翼以外なにも見えない。
「黒い……」
ラウラはケタリングの眼を見て、呟いた。
ケタリングの眼球は、金色の虹彩に黒色の瞳孔、猛禽類と同じ色合いのはずだった。
しかし目の前のケタリングの眼は、黒かった。
虹彩はかすかな光の反射もない、完全な黒色と化している。
瞳孔はふだんから黒色だが、透明度が格段にあがり、奥行きがある。
まるで透明なレンズが幾重にも連なったような、虹彩とは対照的に光をよく吸収、反射する黒色だった。
カイはそんなケタリングの明らかな異変に気付くこともなく、降下する。
カイが着地した勢いで、土煙は薄れ、冬営地の惨状が明らかになった。
アリエージュたちの隠れる幕屋は無事だった。
多少、形は歪んでいるが、元の通りの場所に立ったままである。
ケタリングが着地したのは、幕屋の上ではなく、カイが発動させた罠の上だった。
「なにを……?」
ケタリングは繭に捕らえられた技官に顔を寄せていた。
光糸の繭を、その中に封じられた技官を、しげしげと観察するように。
ラウラとカイはケタリングの行動の意味が分からず、身動きがとれなかった。
やがてケタリングはおもむろに口を大きく開けた。
歯も舌もない、体内へ通じる道もない、およそ生物の口内とは思えない無機質な空間が開かれる。
「え……?」
ラウラは、垣間見えたその口内に、違和感を覚える。
レオンに拉致された時に入った口内には、少なくとも人が二人は収まる広さがあった。
けれど今見えた口内は、ほとんど隙間がなかった。
あれでは閉口した途端に、中にあるものはすべて平たくなってしまうだろう。
潰されて、ぺしゃんこになってしまうだろう。
ラウラがそう思った次の瞬間、ぐしゃりと、嫌な音が響いた。

それはケタリングが、繭ごと技官の一人を食った音だった。

ケタリングは繭を飲み込むことはしなかった。
食ったというより、潰した、と表現した方が正確だろう。
ケタリングは首を上下させながら、繭を丁寧に咀嚼した。
べちゃりと、また嫌な音が響いた。
吐き出された繭は、潰れて、平たくなっていた。
「……ぁ」
ラウラは掠れた声を出したが、動くことはできなかった。
ケタリングが次々に技官を噛み潰していく様子を、ただ見ていることしかできなかった。
技官は捕縛術に捕らわれた状態のまま潰される。
平らになった光の繭は鮮やかな朱色に染まる。
光糸は血さえも捕らえて離さない。
血も、悲鳴も、すべては閉じ込められたままだった。
やがてすべての繭を潰し終えたケタリングは、ゆっくりと、その黒一色の眼を、カイとラウラに向ける。
ラウラは息を飲む。
はじめて邂逅したときに感じた恐怖とは異なる怖ろしさを、ラウラはケタリングに感じた。
目の前にいるのは、一度は背に乗り共闘したケタリングではない。
初めて遭遇する、未知の生物だった。
カイは震えるラウラの手を引き自分の背に隠した。
そしてケタリングから目を逸らさないまま、言った。
「な、なあ、こいつ、もしかしてレオンのケタリングじゃないのか?」
ラウラを庇ってはいるが、カイもまた、同じ恐怖にとりつかれていた。
「なんか、おかしいし、目が全然違うし――――それに――――」
カイは消え入りそうな声で、祈るように呟いた。
「レオンのケタリングは、こんなふうに人を殺したりとか、しないだろ……?」
ラウラはなにも答えなかった。
ラウラは確信していた。
目の前にいるのは間違いなく、レオンのケタリングだ。
カイとは異なり、他のケタリングを目にしたことのあるラウラは、色合いや表皮の傷からの個体を見分けることができる。
目の色こそ変化しているが、両碗の体毛が薄い、翼のつけ根が盛りあがっている、といったそれ以外の特徴はすべて合致する。
疑う余地はない。
「なにが起こってるの……?」
傾いだ幕屋から、女たちが顔をのぞかせる。
アリエージュは先ほど送り出したはずのカイとラウラの姿を見止めると、他の女たちを押しのけ、幕屋を出た。
「貴方たち、行ったはずじゃ……?」
震えるその声を聞いて、ラウラははっとする。
怯えている場合ではない。
自分には守らなければならない人たちがいることを、思い出す。
「ここは危険です!すぐにみなさんを連れて逃げてください!」
「逃げるって――――だからそれは無理だって言ってるじゃない。それに、どうして?それは、レオンのケタリングでしょう?」
「説明はあとです!とにかく――――っ」
言いかけたラウラの身体が、ふいに浮き上がる。
カイがラウラの手をとって跳躍したのだ。
直後、二人が立っていた場所にケタリングの長い尾が突き刺さる。
霊力を用いたカイの跳躍は、二人の身体をひと蹴りで幕屋まで運んだ。
「あっぶねえ……!」
カイは大きく息を吐き、すぐケタリングに視線を戻す。
「あいつ……なにしてんだ?」
ケタリングの狙いはカイとラウラではなかったらしい。
ケタリングの鋭い尾先は霊術の周囲に設置された手型の金属目がけて突き立てられていく。
「罠を、壊してる……?」
ラウラは驚愕した。
野生のケタリングには、霊具を的確に破壊し、自分を縛る霊術を解くような知能はなかった。
しかし目の前のケタリングは素早く、正確に、次つぎと手型を破壊していく。
それに合わせて光糸が切れ、網がたわみ、繭は解けていった。
解けた繭の中から、まるで変態前に蛹を破かれた幼虫のような、無惨な姿になった技官が現れた。
幕屋から顔をのぞかせていた女たちが一斉に悲鳴をあげる。
「――――すぐに逃げるわ」
血肉の塊を目にしてようやくアリエージュは理解した。
自分たちはいま、朝廷よりずっと危険なものと相対しているのだということに。
「そうしてください」
ラウラは身構えながら言った。
アリエージュは踵を返すと、幕屋の中に入った。
「逃げるわよ!」
しかし中の女たちは泣き喚くばかりだった。
「どこに?!逃げるところなんてないわ!!」
「出たら私たちも食われる!」
「いやあ!助けてえ!!」
「災嵐だ……災嵐がきたんだ……」
「おかあさん!しにたくないよ!」
アリエージュは落ち着くよう懸命に呼びかけるが、喧騒は膨らむ一方だった。
「ラウラ」
カイは首を振って言った。
「あの人たち、逃げるのはたぶん、無理だ」
「……そのようですね」
「さっきの霊術、もともとケタリング用なんだろ?もっかい使えないのか?」
「術具がありません」
設置されていた手型はすべてケタリングに破壊されてしまった。
ケタリングはそれまで手型の破壊に向けていた尾を、二人に向けてゆっくりと伸ばし始める。
「次の狙いはおれたちか?」
「わかりません。――――でも、それならむしろ好都合です」
「好都合?」
「囮になれます」
ラウラはカイの手を強く握った。
「ここから引き離しましょう。――――どこか人のいない場所に、誘導するんです」
「誘導……あっ!」
カイは懐をまさぐり、レオンから預けられた硝子球を取りだした。
「カイさん、それ!」
「忘れてた!さっきあいつ呼ぶときに借りたやつ、おれが持ったままだったんだ!」
カイは硝子球に霊力をこめる。
硝子球は砕け、発光し、宙に浮かんだ。
ケタリングは二人に向けていた尾先をぴたりと止め、カイを凝視する。
「反応してる!」
カイは光球を天高く上昇させる。
ケタリングは光球を目で追い、翼を空に広げた。
「カイさん、名を!」
「ああ!」
カイは長く二回、短く一回、また長く一回、光球を点滅させる。
ケタリングは光球に首を伸ばす。
「あっちだ!」
カイはケタリングの後方に光球を飛ばす。
「飛べ!」
カイの掛け声で、ケタリングは地面を蹴り、飛び上がった。
しかしその目が追うのは光球ではなかった。
どころか、すれ違う光球を目もくれずに尾で叩き落とした。
ガァアアアア!
ケタリングは咆哮し、カイめがけて突進する。
「なっ――――!?」
カイはラウラを庇うように抱いて、垂直に飛び上がった。
空振りしたケタリングは、勢いのまま冬営地の北側にそびえる岩壁に突っ込んだ。
激突するかと思われたが、しかしその巨体からは想像もつかない俊敏さと柔軟さで反転すし、岩壁を蹴って切り返す。
再び向かってきたケタリングを、カイは今度は急降下して躱す。
が、咄嗟のことに距離を見誤り、笠樹に突っ込んでしまう。
「うっ……」
投げ出されたラウラは運よく枝葉にかかり、木の上に残される。
一方カイは木を突き破ってしまったが、反射的に霊力を放出させ、どうにか再浮上する。
「ラウラ!?」
ラウラは下に向けて手を振った。
「ここです!――――っ!うしろ!」
ラウラが叫ぶと、カイはまた反射的に霊力を放出させ、急上昇した。
背後から迫っていたケタリングは、またも空を切る。
(カイさんが狙い!?)
カイは空中を逃げ回った。
ケタリングは尾を、翼を、全身を使ってカイを仕留めようとする。
樹の上にいる無防備なラウラや、女たちのいる幕屋には目もくれない。
(どうすれば)
ラウラは必死に頭を働かせるが、打開策は浮かばない。
それどころかカイとケタリングは、次第に冬営地から離れていってしまう。
(だめだ)
(何も思いつけない)
ラウラの頭に浮かぶのは打開策ではなく、最悪の想像ばかりだった。
カイの死。
縮地の破綻。
災嵐の直撃。
おびただしい屍と荒れ果てた大地。
ラウラは小指を握りしめ、祈るように呟いた。
「カイさんを死なせないで」
誰にともなく、ラウラは願った。
だがカイはついにケタリングに捉まってしまう。
カイの身はケタリングの尾に薙ぎ払われ、宙を舞った。
「ああっ!」
ラウラは悲鳴をあげた。
尾に打たれたカイは、冬営地の中央へ飛ばされる。
衝撃で意識を飛ばしてしまったのか、カイは浮力を失い、脱力状態のまま落下していく。
下は固い草地だ。
落ちたらひとたまりもないことは明らかだった。
(ダメ――――っ!)
ラウラは耐えきれず目を閉じた。

「――――……?」

しかしカイが落下する音は聞こえてこなかった。
ラウラは恐る恐る目を開ける。
カイはまだ宙にあった。
仰向けの体勢で、沈むようにゆっくりと下降している。
それはカイ自身の浮力によるものではない。
カイを自由落下から守っているのは、重なる二枚の平織物だった。
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