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第二章

憧憬

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〇〇〇

馴鹿、羊、馬の回収に、その後四日が費やされた。
カイはその間、道中で、レオンにもといた世界の詳細を語って聞かせた。
太陽系の中にある、地球という天体であること。
地表の七割は海であり、残りの三割は大きく七つの大陸に分かれていること。
その上に住む、多種多様な生物と人間のこと。
歴史、国、宗教、さまざまな文化について、カイは思いつく限りすべてのことを話した。
レオンは真剣に耳を傾けた。
カイの話はときに、この世界の人間からすると信じられないようなものもあった。
カイの世界と照らし合わせると、エレヴァンの文明は中世後期程度だ。
自分たちの世界よりずっと発展した社会に、レオンは驚嘆するばかりだった。
霊力を用いらない、災嵐のない世界。
夢物語にしても飛躍した話の数々を、しかしレオンは疑ったりせず事実として受け止めた。

「ここが夜に光る星のひとつで、球体で、山の向こうに行っても一周すりゃまた戻ってこれる。そういう知識はあるが、今生きてる誰もそれを実行できたわけじゃねえ。山の向こうは人を拒絶する氷と塩の大地が広がってる。それは空の果てにある宇宙と同じ、死後魂が向かいう場所と同じ、誰もが知ってるが、誰もが見たことのない場所だ。――――それは異界も同じだがな」
「でもケタリングは外からくるんだろ」
「ああ。本当のことはあいつらだけが知っている。だがお前と違ってあいつらは喋れないからな」
「それ、気になってたんだけど、どうやってコミュニケーションとってるんだ?やっぱあの光で操ってるのか?」
「操ってるわけじゃねえよ。基本的には先祖の手法を踏襲してるだけだから、原理はわからねえが、ケタリングにとっては光が身振りで、言葉なんだ」
レオンはそう言って、硝子球を取り出し、光を灯した。
「あいつの名だ」
レオンは光を点滅させる。長く二回、短く一回、また長く一回。
「モールス信号みたいなもんか。どういう意味なんだ?」
「さあな」
「わかんないの?」
「あいつが自分で名乗ったからな」
自分で?とカイはさらなる説明を求めた。
レオンはすぐには答えず、カイの目をじっと見つめた。
紫紺色の瞳は屈託なく輝いている。
そのまっすぐな尊敬の眼差しに、レオンは思わず口角を緩める。
ケタリングについて話すことは、レオンにとって自らの手の内を明かすことだった。
自身の心臓を、今は無き一族の秘密を晒すことも同然だった。
しかしレオンは語った。
「ケタリングは眼が光る。だがその光はウルフの血を持つものにしか見えない。はじめて会ったとき、あいつはおれに向けて目を光らせた。おれはそれを復唱した。あいつらは光で意思の疎通をするが、ウルフはそれに対応した光の言葉を秘術として隠し持っていた」
レオンはまた硝子球を点滅させる。
「簡単な命令しか出せねえがな」
「そういう仕組みかあ」
「とても興味深いですね」
カイと同様に、ラウラも純粋な好奇心に満ちた瞳で訊ねた。
「狗鷲や狼狗よりもずっと知能が高いのですね。我々の意志を汲み取るだけではなく、自ら発することができるなんて」
「あいつが自分でなにかを言うことはほとんどない。今回みたいに離れるとき、自分の行く先を告げるくらいだな」
「忠実なんですね。調教の賜物なんでしょうか」
レオンはラウラのことも受け入れ、惜しまず問いに答えた。
「多少のすり合わせはあったが、調教と言えるほどのもんはしてねえな。ジジイも言ってたが、ケタリングは人に従順だ。むしろ人に従うことを望んでいる」
「本来野生の生物のはずなのに……」
「ケタリングはウルフのために作られたもんだ、とかジジイは抜かしてやがったな」
「ウルフのために?」
「耄碌ジジイのたわごとだ。――――とにかくケタリングは、狼狗や狗鷲に比べればずっと御しやすい生き物だよ」
「それではケタリングの意志を汲み取れるのはウルフであるレオンさんだけかもしれませんが、ケタリングに意志を伝えることは、従わせることは、光の言語さえ習得していれば、ウルフでなくてもできるんでしょうか?」
「試したことはねえな」
レオンはそう言って、少し考えたあと、カイに硝子球を投げた。
「試してみるか」
カイは慌てて硝子球を受けとめると、目を見開いた。
「いいの!?」
「できるのか、おれも気になるからな。あいつを呼び出すには名前を呼んでやればいいだけだし、名前は単純だからな」
カイは興奮して子どものように飛び跳ねる。
「よっしゃ!」
「……そんなはしゃぐことか?」
「乗るのは無理って言われたの、けっこうショックだったんだよ!だってドラゴンだよ!?ほんとはずっと近くでよく見てみたかったんだよ。今まではそれどころじゃなかったけど、さっきの羊で移動も全部済んだしさ、なんの気兼ねなくなったとこで遊べるなんて最高――――」
カイはそこではっとして、隣を歩くラウラの顔を覗き込んだ。
「あの……違うんだよ、早く戻って縮地の準備に取り掛からなくちゃいけないってことはわかってるし、そもそもおれらまだ行方不明ってことになってるはずだから心配されてるだろうし遊んでる場合じゃないってことは承知してるんだけど、でも、今日はもうすぐ日も傾くし、まだ出発できないから、最後の息抜きというか……」
ラウラは笑って首を振った。
「とめたりしませんよ。むしろ明日からは、朝廷に戻ってからは本当に忙しくなると思いますから、今の内にたっぷり羽をのばしてください。それに私も、カイさんの呼び出しにケタリングが応えるのかどうか、気になります」
それを聞いたカイは瞬く間に破顔し、また飛び跳ねた。
「じゃあ遠慮なく!レオンも、まじでありがとな!」
「ついでだよ、ついで。ここ数日ほったらかしにしてたからな。どうせ今日一度様子を見るつもりだったんだ」
レオンはまとわりつくカイを手ではらい、邪険に扱ったが、カイはむしろ嬉々としてそれを受け入れた。



アリエージュとラウラが冬営地に戻ると、キースとシェルティが連れ立って出迎えに来た。
「おかえり。ずいぶんはやかったね……カイは?」
ラウラがレオンと共にケタリングを見に行ったことを伝えると、シェルティは目を伏せて首を振った。
「懐きすぎだ」
ラウラは苦笑いを返して、キースの方を見る。
「そちらも、今日はもうおしまいですか?」
「だいたい方がついたからな。貴方たちが発つ前に、弔いを兼ねた宴席を開こうと思ってな」
冬営地はその宴席の準備のため、平素なかった賑わいを見せている。
幕屋の外で女たちは慌ただしく煮炊きし、敷物を引き、照明の準備を行っていた。
その顔はまだ沈鬱の影を引きずっていたが、動きは活き活きとして、みなどこか楽しんでる様子だった。
「それは……ありがとうございます」
ラウラは頭を下げ、それから腕をまくった。
「私も、なにかお手伝いできることがあれば」
「だめよ」
アリエージュはラウラのまくった袖を、そっとおろした。
「貴方たちはお客さんなんだから、準備はこっちに任せてもらわなくちゃ」
「でも……」
「無駄だよ、ラウラ」
シェルティは肩をすくめて言った。
「ぼくも手伝おうとしたけど、頑なに断られてしまった。――――ラプソは死者への弔いにも宴席を開く。これはいわば、彼らにとっての祭事だ。よそ者のぼくらはむしろ手を控えるべきだろう」
「そういうことよ」
遠くから、アリエージュとキースを呼ぶ声がした。
二人は手をふって、すぐ行く、と返事をする。
「じゃあ、私たちも支度にとりかかるわ」
「貴方たちはゆっくり休んでいてくれ」
二人はそれだけ言うと、女たちの喧騒の中に入って行った。
「休めと言われても、この騒ぎの中じゃね」
シェルティはそう言って、ラウラに片目をつぶって見せた。
「ぼくらも、ケタリングを見に行こうか」
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