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第二章
金翼
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人に慣れた馴鹿は、大人しく笠の男に追随していった。
遊牧地の移動時期が近かったせいもある。
この辺りの牧草はあらかた食べ尽くし、みな飢えていたのだ。
人に従って行けば新しい、豊かな若草の生える地に案内されることを馴鹿たちは知っている。
彼らはむしろ見知らぬ人より狗鷲を恐れていた。
ふだん自分たちを追うものは狗鷹ではなく狼狗である。
狼狗はよく躾けられていて、輪から外れるもの、途中で立ち止まるものには激しく吼え立てるが、馴鹿たちを傷つけることは絶対にしない。
しかし狗鷲は大きな翼で馴鹿を追い集める。
その鋭利な鉤爪で馴鹿の背を引っ掻いていくこともある。
馴鹿の群れの移動速度は遅く、まるで呑気に歩いているようだが、顔を地に落とすことなく、耳もまっすぐに立たせている。
馴鹿たちは狗鷲にひどく怯えていた。
内側の馴鹿は互いが壁となって守り合うことができたが、外側を歩く馴鹿は悲惨だった。群れの中での序列が低い、大抵は若すぎるか傷病持ちの馴鹿は、狗鷲に直接威嚇され、その鉤爪を身に受けなければならない。
外側を歩く何頭かの馴鹿は既に息が上がり、足を引きずっているものもある。とても長距離の移動に耐えられるとは思えない。
だからといって内側にいる上位の個体は、それらを内に引き入れるようとはしない。気にも留めていないだろう。
なぜならば弱者を庇えば群れが滅びるからだ。
彼らは常に淘汰の中で生きており、どのような状況でも生き残ることのできる強者だけが、群れを存続させることができるということを、本能で知っていた。
群れには必要な存在とそうでない存在がいる。
平時であればまだしも、緊急時においてまず切り捨てられるべきかは誰か、かれらは考えることもなく選ぶことができる。
そこにはもちろん、良心の呵責など存在していない。
先導していた笠の男が急に足を止めた。
それにつられ、群れの動きも止まる。
「おい、どうしたんだ」
群れを囲うように歩いていた他の男たちが声をあげる。
「なんで止まるんだ」
「早く行こうぜ」
男たちが急かす声に混じって、奇妙な破裂音が響く。
ガシャンッ。ガシャンッ。シャンッ……――――
音は続けざまに何度も響き、重なった。
まるで誰かが鈴を振るっているかのようだ。
男たちは口を閉ざし、音の出所に目を向けた。
つい今しがた下ってきたばかりの、なにもなかったはずの草地に、それはいた。
「な、なんだあ?ありゃ……」
男たちが目にしたのは、光り輝く黄金の翼だった。
それは鳥のような形をしていたが、決して鳥ではなかった。
翼、と形容するのが最も正確だろう。
頭も胴も足もない。絡み合うように癒着した両翼と、長く伸びる平らな尾。生き物かどうかもわからない奇妙なその翼は、男たちの視線を浴びると同時に、ゆっくりと飛翔した。
シャンッ。
翼が空に舞うと、また鈴の音が響いた。
それは羽音だった。
翼の羽ばたきが奏でる、荘厳な音色だった。
「……」
男たちは身構えたが、動くことはできなかった。
翼は男たちの方へ向かってきていたが、その動きはあまりにも遅く、飛んでいるというよりは浮遊しているような、奇妙な動きだった。
「お、おい、どうすんだよ」
「こっちを見てるぞ」
「ビビってんなよ。光っちゃいるが、ただの鳥だ。やっちまえばいい」
そう言って一人の男が矢をつがえ、放った。
矢は両翼の中心を射貫き、貫通して、地面に突き刺さった。
しかし翼はまるで何事もなかったかのように飛び続けている。
「なっ……!なんだ!?」
男は躍起になって続けざまに弓を引いた。
どれも命中したが、翼は落ちるどころか、血の一滴、鳴き声のひとつももらさなかった。
男たちの間に、次第に恐怖が広がっていく。
「バケモンだ……」
「なああれもしかして、外地のモンじゃねえの?」
「ありえねえ」
「でもじゃなきゃ、なんなんだよ、光る鳥なんて、聞いたこともねえよ」
「ケタリング以外のモンが内地に出たって話も聞いたことねえよ」
男たちの混乱は馴鹿にも伝播し、群れの輪が崩れ始める。
「うるせえ!」
笠の男が一喝すると、男たちはすぐに閉口した。
笠の男は懐から鼈甲色の硝子球を取りだし、指で弾いた。
それは翼と同じ黄金色の光を灯すと、翼に向かってまっすぐ飛んでいった。
旋回を続けていた狗鷲が、それを目にすると一目散に後を追った。
「おおっ!いけ!」
「やっちまえ!」
狗鷲と翼が真っ向からぶつかりあう。
怯えていた男たちは気をとりなおし、狗鷲に声援を送った。
狗鷲は翼より高い位置をとると、鋭い爪を立たせ、凄まじい勢いで降下した。
狗鷲の爪は翼を捉え、地面に突き倒した。
「とった!」
男たちは歓声をあげる。
同時に狗鷲もけたたましく鳴いた。
男たちは最初それを勝利の雄叫びだと思い、歓声をより大きくしたが、すぐにそれが間違いであることに気づく。
翼は、何事もなかったかのように浮かび上がった。
形状には少しの変化もなく、黄金の光も放たれたままだ。
対して、攻撃を仕掛けた狗鷲は地面に横たわり、動かなくなった。
笠の男は舌打ちをし、鼈甲の光球を狗鷲の頭上に浮遊させるが、狗鷲は反応を示さない。
翼はまたゆっくりと群れに向かって進み始めた。
「バ、バケモノだ……!」
男たちは再び恐怖に陥る。
「ほんものバケモノだ」
「うわああ!くるな!!」
一人が駆け出すと、他の男たちも続いて、我先にと森林帯へ向かって転がるように逃げ去って行った。
馴鹿の群れもつられて混乱に陥り、男たちのあとを追って数頭が駆け出す。
するとそれまでゆっくり動いていた翼が急に速度をあげ、馴鹿の前に先回りし、その行く手を塞いだ。
馴鹿はますます混乱に陥り、四方八方に散ろうとするが、翼はそれまで狗鷲がやっていたように群れの周囲を素早く旋回して、あっという間に馴鹿をひとつの輪に戻した。
馴鹿たちは輪に戻ってもなお興奮状態で、互いに角を突き合わせたり、のしかかり合ったりしている。
翼は素早い旋回を続けているが、若い一頭の馴鹿がそれをかいくぐり、輪の外に出た。
「おっと、だめだめ、はぐれちゃうぞ」
その一頭を捕らえ、輪の中に戻したのは、翼の背に隠れて飛んでいたカイだった。
遊牧地の移動時期が近かったせいもある。
この辺りの牧草はあらかた食べ尽くし、みな飢えていたのだ。
人に従って行けば新しい、豊かな若草の生える地に案内されることを馴鹿たちは知っている。
彼らはむしろ見知らぬ人より狗鷲を恐れていた。
ふだん自分たちを追うものは狗鷹ではなく狼狗である。
狼狗はよく躾けられていて、輪から外れるもの、途中で立ち止まるものには激しく吼え立てるが、馴鹿たちを傷つけることは絶対にしない。
しかし狗鷲は大きな翼で馴鹿を追い集める。
その鋭利な鉤爪で馴鹿の背を引っ掻いていくこともある。
馴鹿の群れの移動速度は遅く、まるで呑気に歩いているようだが、顔を地に落とすことなく、耳もまっすぐに立たせている。
馴鹿たちは狗鷲にひどく怯えていた。
内側の馴鹿は互いが壁となって守り合うことができたが、外側を歩く馴鹿は悲惨だった。群れの中での序列が低い、大抵は若すぎるか傷病持ちの馴鹿は、狗鷲に直接威嚇され、その鉤爪を身に受けなければならない。
外側を歩く何頭かの馴鹿は既に息が上がり、足を引きずっているものもある。とても長距離の移動に耐えられるとは思えない。
だからといって内側にいる上位の個体は、それらを内に引き入れるようとはしない。気にも留めていないだろう。
なぜならば弱者を庇えば群れが滅びるからだ。
彼らは常に淘汰の中で生きており、どのような状況でも生き残ることのできる強者だけが、群れを存続させることができるということを、本能で知っていた。
群れには必要な存在とそうでない存在がいる。
平時であればまだしも、緊急時においてまず切り捨てられるべきかは誰か、かれらは考えることもなく選ぶことができる。
そこにはもちろん、良心の呵責など存在していない。
先導していた笠の男が急に足を止めた。
それにつられ、群れの動きも止まる。
「おい、どうしたんだ」
群れを囲うように歩いていた他の男たちが声をあげる。
「なんで止まるんだ」
「早く行こうぜ」
男たちが急かす声に混じって、奇妙な破裂音が響く。
ガシャンッ。ガシャンッ。シャンッ……――――
音は続けざまに何度も響き、重なった。
まるで誰かが鈴を振るっているかのようだ。
男たちは口を閉ざし、音の出所に目を向けた。
つい今しがた下ってきたばかりの、なにもなかったはずの草地に、それはいた。
「な、なんだあ?ありゃ……」
男たちが目にしたのは、光り輝く黄金の翼だった。
それは鳥のような形をしていたが、決して鳥ではなかった。
翼、と形容するのが最も正確だろう。
頭も胴も足もない。絡み合うように癒着した両翼と、長く伸びる平らな尾。生き物かどうかもわからない奇妙なその翼は、男たちの視線を浴びると同時に、ゆっくりと飛翔した。
シャンッ。
翼が空に舞うと、また鈴の音が響いた。
それは羽音だった。
翼の羽ばたきが奏でる、荘厳な音色だった。
「……」
男たちは身構えたが、動くことはできなかった。
翼は男たちの方へ向かってきていたが、その動きはあまりにも遅く、飛んでいるというよりは浮遊しているような、奇妙な動きだった。
「お、おい、どうすんだよ」
「こっちを見てるぞ」
「ビビってんなよ。光っちゃいるが、ただの鳥だ。やっちまえばいい」
そう言って一人の男が矢をつがえ、放った。
矢は両翼の中心を射貫き、貫通して、地面に突き刺さった。
しかし翼はまるで何事もなかったかのように飛び続けている。
「なっ……!なんだ!?」
男は躍起になって続けざまに弓を引いた。
どれも命中したが、翼は落ちるどころか、血の一滴、鳴き声のひとつももらさなかった。
男たちの間に、次第に恐怖が広がっていく。
「バケモンだ……」
「なああれもしかして、外地のモンじゃねえの?」
「ありえねえ」
「でもじゃなきゃ、なんなんだよ、光る鳥なんて、聞いたこともねえよ」
「ケタリング以外のモンが内地に出たって話も聞いたことねえよ」
男たちの混乱は馴鹿にも伝播し、群れの輪が崩れ始める。
「うるせえ!」
笠の男が一喝すると、男たちはすぐに閉口した。
笠の男は懐から鼈甲色の硝子球を取りだし、指で弾いた。
それは翼と同じ黄金色の光を灯すと、翼に向かってまっすぐ飛んでいった。
旋回を続けていた狗鷲が、それを目にすると一目散に後を追った。
「おおっ!いけ!」
「やっちまえ!」
狗鷲と翼が真っ向からぶつかりあう。
怯えていた男たちは気をとりなおし、狗鷲に声援を送った。
狗鷲は翼より高い位置をとると、鋭い爪を立たせ、凄まじい勢いで降下した。
狗鷲の爪は翼を捉え、地面に突き倒した。
「とった!」
男たちは歓声をあげる。
同時に狗鷲もけたたましく鳴いた。
男たちは最初それを勝利の雄叫びだと思い、歓声をより大きくしたが、すぐにそれが間違いであることに気づく。
翼は、何事もなかったかのように浮かび上がった。
形状には少しの変化もなく、黄金の光も放たれたままだ。
対して、攻撃を仕掛けた狗鷲は地面に横たわり、動かなくなった。
笠の男は舌打ちをし、鼈甲の光球を狗鷲の頭上に浮遊させるが、狗鷲は反応を示さない。
翼はまたゆっくりと群れに向かって進み始めた。
「バ、バケモノだ……!」
男たちは再び恐怖に陥る。
「ほんものバケモノだ」
「うわああ!くるな!!」
一人が駆け出すと、他の男たちも続いて、我先にと森林帯へ向かって転がるように逃げ去って行った。
馴鹿の群れもつられて混乱に陥り、男たちのあとを追って数頭が駆け出す。
するとそれまでゆっくり動いていた翼が急に速度をあげ、馴鹿の前に先回りし、その行く手を塞いだ。
馴鹿はますます混乱に陥り、四方八方に散ろうとするが、翼はそれまで狗鷲がやっていたように群れの周囲を素早く旋回して、あっという間に馴鹿をひとつの輪に戻した。
馴鹿たちは輪に戻ってもなお興奮状態で、互いに角を突き合わせたり、のしかかり合ったりしている。
翼は素早い旋回を続けているが、若い一頭の馴鹿がそれをかいくぐり、輪の外に出た。
「おっと、だめだめ、はぐれちゃうぞ」
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