災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第二章

談話

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〇〇〇


レオンが去ってから数日間、小屋は吹雪に閉ざされた。
六月下旬、平地では爽やかな風と夏の日差しによって雨雲が押し流されていく頃合いだろう。
しかし標高四千五百メートルの山頂部には季節など存在しない。
平地の冬季をはるかに凌駕する極寒の気候に、欄干の頂は閉ざされている。
やむを得ず、三人は三日間小屋の中で過ごした。
拉致、急性薬物中毒、戦闘、それらがこの十日間で立て続けに起こり、おまけに場所は慣れない高所だった。
限界を超えた活動の代償は大きく、とてもではないが吹雪の中を下山できる体力は、三人に残されていなかった。
例え快晴であったとしても、深い雪渓の残る高山を降りるには、充分な体力と気力が必要だった。
カイの飛行術に頼ることを前提にしても、またどのような不測の事態に見舞われるかわからない。
三人は体力を十分回復させる必要があった。
吹雪に足止めされずとも、三人は休息のためにしばらく留まらなければならなかっただろう。
ふいにできたその時間で、シェルティはカイとラウラに、ラサにだけ伝わるエレヴァンの成り立ちを教えた。
レオンと対峙した際は濁した、彼の知る歴史を、なぜか今になって包み隠さず話して聞かせたのだ。

「――――なんかちょっと悲しいな」
ラサとウルフの関係を聞いたカイは、そう言って寂しげに笑った。
「ウルフの人たちは、ただ自由でいたかっただけなのにな」
「ラサは間違っていたと思うかい?」
「いいや。むしろ王様として正しい選択だろ。おれもケタリング見て思ったけど、怖いもん、あれ。野放しにするのは危なすぎるでしょ」
ラサのしたことは間違っていないと、カイは言った。
「トップはみんなのこと守るのが仕事だし。社長がいい人すぎる会社は長持ちしないのと同じ。状況に応じて誰かを切り捨てるのは必要悪だ。清濁併せ吞めなきゃ、むしろダメだろ。もちろんやりすぎはダメだけどさ」
シェルティは意外だ、と驚いた。
「きみがそんなことをいうなんてね」
「一般論だよ。おれのいたとこでは」
「そうか……。つくづくきみのいた世界は開けているね。逆ならまだしも、市民が為政者の代弁ができるなんて。きみの世界はぼくらの世界よりただ少し先をいっているだけ、発展しているだけだと思っていたけど、そうじゃないらしい。社会そのものが、ここよりずっと精練されているんだね」
「いや、それはどうかな……。ネットとかあるから、情報が回りやすいってだけで、ここよりずっときな臭くて不安定なとこだよ」
それにしても、とカイはシェルティをまじまじと見た。
「やっぱシェルは皇子なんだなあ」
「どうしたんだい、急に」
「この世界のこと、すげえ真剣にいろいろ考えてるんだなって思ってさ」
「……そうでもないよ」
シェルティは微笑んで首を振った。
「話を戻そう。――――山奥に追われたウルフは、しばらくは遊牧民として静かに暮らしていた。しかし百年前、前回の災嵐が起こる直前に反乱を企てたんだ」
「反乱?」
「それは――――結局みんな災嵐で死んでしまったという?」
ラウラは幼いころからよく耳にしたウルフの伝承を思い起こした。
災嵐に乗じて朝廷の転覆を謀ったウルフだったが、災嵐が感染力の強い疫病であったために、行動を起こす間もなく全員が病死したという話を。
「すでにきみの知っている伝承とは多くの食い違いがあるだろう」
シェルティはそう言って額を抑えた。
顔色が悪い。
眉がかすかに痙攣している。
「どうした?頭でも痛いのか?」
カイは心配そうにシェルティの顔を覗き込む。
シェルティは色のない顔で微笑み、平気さ、と答えた。
「ときどきあるんだ。気にしなくていい」
「でも……」
「きみがさすってくれたら、すぐに治るよ」
シェルティは冗談めかして言ったが、カイは真剣な表情でシェルティの頭を撫でた。
「どうだ?」
「……カイ、冗談だよ」
「このへんか?」
カイはなおも真剣な顔つきで、シェルティの額に触れる。
シェルティは大きくのけ反ってそれを避ける。
「冗談だってば」
シェルティは僅かに紅潮した顔で、誤魔化すように咳払いした。
「きみ、こういう冗談は通じないんだね」
カイは憮然として腕を組む。
「頭が痛いのはほんとだろ?」
「もう痛くなくなったよ、おかげさまで」
もう一度咳払いしてから、シェルティは話を戻した。
「ウルフの反乱が失敗したのは、災嵐で不死の病を患ったからではない。ラサの手で未然に鎮圧されたからだ」
「鎮圧……」
ラウラの呟きに、シェルティは目を細める。
「言葉を濁したわけじゃない。少なくともぼくはそう聞かされていた。ラサはウルフを無力化した、と。――――しかしそれは、彼が言ったように、一族を皆殺しにすることではない。ケタリングと、彼らの思想、そこに根差す憎しみを解体することだ」
まだ頭が痛むのか、シェルティはさりげなく眉間を揉んだ。
「ぼくはそう教えられてきたし、それを信じていたけれど……正直、彼と話してわからなくなってしまったよ。ラサはウルフを生かさなかったのかもしれない。彼の言うとおり、一族郎党皆殺しにしたのかもしれない」
「どちらが、誤りなんでしょうか」
「さあね。いずれにしろ、歴史はどんな形で残っていようが、それが真実であると証明することは出来ないからね。みな信じたいものを真実とし、正史とするしかないんだろう」
「信じたいものを……」
ラウラはシェルティの言葉の意味について、じっと考え込む。
一方カイはお手上げだ、というように肩をすくめた。
「悪魔の証明みたいな話になってきたな。とにかくウルフとラサは過去に因縁があるってことだろ?」
「そうだね。ラサとウルフはかつて敵対していた。その禍根は今でも残っている。ラサは彼らを危険分子として警戒しているし、彼らはラサを、朝廷を一切信用していない」
「信用してないから、縮地の主導権を握ろうとした?」
「朝廷は信じていないけれど、朝廷の防衛計画は信じたんだろう」
皮肉に嗤うシェルティに、カイは力の抜けた苦笑を返す。
「ここって平和なとこだと思ってたけど、けっこう闇深いんだな」
「幻滅したかい?」
「いいや。さっきも言ったけどさ、正直おれのいた世界のほうがよっぽどひどかったと思うよ。テロとか格差とか環境問題とかいろいろ――――って、こんなん比較するもんじゃないか。なんにしてもおれは変わらないよ。縮地を成功させる。災嵐からこの世界を守る。それがおれの仕事だからな」
「……きみはそういうと思ったよ」
シェルティは微笑んだ。
「ありがとう、カイ。この世界はろくでもないところだけど、たくさんの人が生活する場所なんだ」
「うん。でも、おれひとりの力じゃ無理だからな。今まで通り、シェルとラウラの助けもめちゃくちゃいるからな」
「もちろん。ぼくにできることはなんでもするよ」
「頼むぜ。ラウラもな!」
話を振られたラウラは、びくりと肩を揺らし、口ごもる。
「私は――――」
「どうした?」
「いえ――――ただその、殿下の話に、びっくりしてしまって――――」
もともと異界人で、この地の歴史を知らないカイは、シェルティの話をあっさり事実として受け止めた。
しかしラウラは違う。
彼女はこの地で生まれ育った。
童話に伝説に史実。
ラウラはさまざまな形で、幼い頃からこの地の歴史を学んできた。
彼女が学んだ歴史は美しいものだった。
人の歴史は災嵐との戦いの歴史だった。
人の敵は災嵐だけだった。
人間同士での諍い、朝廷内の派閥争い、ましてや皇帝の追放、交代劇などどこにも書かれていなかった。
ラウラは裏切られたような心地だった。
彼女の中で確固としてあった朝廷への信心が、ラサの一族への尊敬が、揺らいでいた。
「――――本当は、ラサ以外の人間には言ってはいけなかったんだ」
そんなラウラの内心を見透かしたシェルティは、諭すように言った。
「でも君とカイは知るべきだと思った。だから話したんだ。命がけでこの世界を守ろうとしてくれている君たちは、知る権利がある。自分がなにに命を懸けているのか。守ろうとするこの世界が、どういう場所なのか。それを知って、それから判断してほしいと思ったんだ」
「判断、ですか」
「うん。――――この世界は守るに値するものなのか。自分の命を懸けるに値するものなのかどうか、ね」
「……!」
ラウラの脳裡に、両親と兄の姿がよぎる。
降魂のため。
縮地のため。
災嵐から世界を守るために死んだ家族の姿が。
「ラサはウルフを、この地にはじめからあった人たちを追い出して、いまのエレヴァンを作った。云わば侵略者だ。そんなラサを受け入れがたいと思うのであれば、君たちは今からでも、彼に、レオン・ウルフにつくといい」
「そんなこと―――!」
するわけないだろ、とカイは言いかけたが、しかしシェルティはそれを遮って、ラウラに訊く。
「君とカイがいれば、縮地はできる」
「……できません」
ラウラは小さく首を振った。
「できるだろう。範囲はかなり限定されるが、君とカイだけでも、縮地術を成功させることはできるはずだ」
「できません」
ラウラは、今度ははっきりと首を振った。
「私は、ラサの下で、世界を守ります」
「いいのかい」
「きれいごとだけじゃなにも守れないと、身を持って知ったばかりですから」
ラウラは吹雪に揺れる扉を見つめた。
「帰ってきませんね」

吹雪のためか、それ以外の理由か、レオンはあの夜以来一度も、三人の前に姿を現さなかった。
「帰ってこないのかな」
ラウラだけではなく、カイもことあるごとにそう口にした。
「ここ、あいつの家だろ?」
「どうだろうね。六月でこの吹雪だろう?真冬にここで過ごせるとは思えないから、数ある拠点のひとつなんじゃないかと、ぼくは思うけどね」
「そっか。じゃあ、ここ、おれたちに譲って、自分は違うとこで寝泊まりしてんのか」
「気になるのかい?」
「まだいろいろ、聞きたいことあったから。……戻ってきてくれないかな」
カイの望みは叶わなかったが、家主はおらずとも、小屋での療養に不便はなかった。
一通りの生活用品は備わっており、食糧も十分な備蓄があった。
それはレオン一人では多すぎるほどで、保存のきかない生鮮ものも多かった。
まるで三人の滞在を見越して用意したかのようだった。
やがて吹雪は収まり、雲の切れ間から日が差すようになった。
気温も零度を下回るようなことはなく、三人はようやく小屋の外へ出ることができた。
すっかり薬の抜け落ちたカイは、下山のための飛行術を試す、と言って、一日中飛び回った。
シェルティはそんなカイに、目の届かないところに行くな、ときつく言い含めた。
カイが明らかにレオンに執心していたからだ。
少しでもその影を見れば追っていくだろうカイに、シェルティは口酸っぱく、何度も釘を刺し続けた。
「カイと離れていた間、ぼくは自分が生きているのかどうかわからなかった」
シェルティはラウラにそう吐露した。
一日が三年にも感じられ、身体と魂とがバラバラになった。
自分が誰で、なにをしなければいけないかもわからなくなるほど、深い混乱に陥った、と。
シェルティはカイが自分の傍から離れていってしまうことを、なによりも恐れていた。
それはカイも同じだった。
カイもまたラウラに心の内を明かしていた。
自分はシェルティがいなければ、自分自身を見失ってしまっていただろう、と。
彼がいたから、孤独ではなかった。
ここが異世界であっても、過去の自分を知る人が誰もいなくても、平気だった。
「シェルはもう一人の自分なんだ」
カイは照れくさそうに笑った。
本人には言うなよ、と。
「なくちゃならない存在なんだ。シェルとラウラはおれにとって、もう家族みたいなものなんだ。他のなにに代えても、絶対に、守りたいと思ってる」
けれどだからこそ、カイはレオンとのことが気にかかってならなかった。
なぜなら彼は、カイと同じように、自分にとって大切なものを守ろうとしていたからだ。
そのために、命を懸けて戦っていたからだった。
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