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第二章

経緯

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ラウラが小屋に戻ると、カイとシェルティは寝台の上に座ったままの体勢で、肩を寄せ合って眠っていた。
寝台にはラウラ一人がちょうど腰をおろせるだけの隙間が残されている。
ラウラは二人を起こさないようそっとそこに座った。
目を閉じ、隣にいるカイの肩に頭を預けた。
そして瞬く間に眠りに落ちていった。
夢は見なかった。
深く、静かな眠りだった。





ラウラは日が暮れるまで眠り続けた。
目を覚ました時、小屋の中には誰もいなかった。
外に出ると、カイとシェルティの二人が鍋を煮炊きし、少し離れたところで、レオンが焼いた肉を片手に酒を煽っていた。
「あ、おはよう。気分どう?」
カイはまだいくぶん顔に土色が残っており、声もかすれていたが、朗らかに言った。
「ちょうど飯できたとこなんだ。レオンが食糧いろいろ持ってきてくれてさ」
その隣で鍋をかき混ぜるシェルティも、顔色は悪いがいつどおりの柔らかい微笑みを浮かべている。
「冷えるだろう?はやくこっちにおいで」
ラウラは笑顔で頷き、二人と共に火を囲んで座った。
「お二人は、具合、どうですか?」
「万全……とはいえないけど、だいぶいいよ。――――ラウラのおかげだ。本当にありがとう」
「私はなにもしていません。それに感謝するのは私の方です」
ラウラは居住まいを正して、カイに頭を下げた。
「薬を譲ってくれて、ありがとうございました」
カイはラウラの頬を両手でつかみ、無理やり顔をあげさせる。
「礼を言うのはこっちだ。……ごめん。おれ、結局なにもできなかった。ラウラとレオンがシェルを連れ戻してくれなかったら、いまこうやって笑えてない。――――聞いたよ、命がけで戦ってくれたって」
カイはラウラの頬に残る涙と煤の跡を拭った。
しかし汚れを落とすことはおろか、薄めることもできない。
カイは己の掌を見つめる。
手はきれいなままで、塵のひとつも移ってはいない。
カイは拳を握った。
震えるほど強く。
ラウラはそんなカイの手についた無数の擦り傷を見て、同じように拳を握った。
ラウラの身体は汚れこそあれど、かすり傷一つついていない。
せいぜい霜焼けの名残で手が腫れている程度だ。
二人は互いが身体に負った、互いにない傷跡に心を痛めていた。
「生きて再会できたっていうのに、ずいぶん辛気臭いね」
シェルティは茶化すように言って、二人の手に湯気が立つ椀を押し付けた。
椀の中には豆を軟らかく煮た汁物がたっぷりと注がれている。
「ごめんよりもありがとうよりも、まずはただいまとおかえりでしょ」
「それはシェルもだろ」
「うん、そうだね。カイ、ラウラ、ただいま。――――ごめんね。それから、ありがとう」
「お前も結局言うのかよ」
「だって言わずにはいられないよ」
カイとラウラは顔を見合わせて笑った。
「おかえり、ラウラ」
「ただいま、カイさん」
それから三人は時間をかけて、食事をとりながら、それぞれの身に何が起きたのかを話し、ことの顛末を整理した。
カイの呼びかけになぜか素直に応じた、レオンも交えて。



民衆の間で縮地という霊術の名が囁かれるようになったのは、降魂術が成功して間もなくのことだった。

これまで災嵐が近づくと、どの地方も決まって治安が悪化した。
富裕層は生き残る前提で蓄財をはじめる。
商人を中心とする都市部の民衆は富裕層、都市に居を構える大家へこぞって献金し、災嵐から自分たちを守ってくれと懇願する。
そしてろくな貯えのない貧しい農民は、明日の命も知れないのだからと自暴自棄になる。
東西南北、そして中央の五大都市にのみ設置された、災嵐用の結界、防御壁の恩恵に預かろうと、都市部に人が集まる。
都市部は人であふれ返り、やがて暴動が頻発するようになる。
災嵐まで一ヶ月を切る頃には深刻な物不足、とくに食糧難が発生し、ひどいところでは災嵐での死者と餓死者の数に差がないほどであった。
朝廷はこれを食い止めるために、縮地を早い段階から、広く民衆に布告した。
必要以上の蓄財と散財をやめるよう勧告し、農民の都市部への流入を禁止し、暴動を抑え込もうとした。
朝廷は縮地によって、百年に一度訪れる災厄を、前後の社会的混乱も含めて、存在しないものに変えようとしていた。
しかし民衆は朝廷の布告を鵜呑みにはしなかった。
朝廷は農民を村落に押しとどめて、自分たちの身だけを守る気ではないのだろうか。
自分たちが死んだあと、田畑や家畜を我がものとするために、縮地などという荒唐無稽な作り話を吹聴しているのではないだろうか。
民衆は疑念を抱き、不信感を募らせるばかりだった。
無理もないだろう、ほとんどの民衆は霊術に対する知識がなく、日常的に使用することもないのだ。
多くの人びとにとって、霊術は理外の力だった。
到底理解できるものではなく、故に、朝廷はそれを目くらましに自分たちを騙そうとしているのだろ思い込んだ。

霊術は霊操の延長線上にある。
必要な道具を揃え、決められた手順に乗っ取って霊操を行えば、誰にでも霊術を発動させることは可能だ。
例えば、霊力が火だとして。
この世界の人間は誰もが火を起こすことができる。
修練を積めば薪に火を移すことができるようになる。
道具さえあればその火で湯を沸かすことができる。
蒸気で発電を行うことができる。電気で信号を送ることができる。
受信機があればはるか遠方の相手と意思の疎通をとることができる。
電波で肉体を刺激し、治療を行うこともできる。
火を使わずものを温めることも、鳥獣を撃退することもできる。
霊術は理外の力ではない。世の法則上に存在する、人が御しえる力だった。
だがそれを専門に学んだ技師とは異なり、一般の民衆はこの複雑な過程を理解することができなかった。
それも世界を七日間先へ跳躍させる術など、荒唐無稽な夢物語としか思えなかった。
朝廷の情報開示は悪手だった。
縮地を信じろと言えば言うほど、それがどういうものなのか説明すればするほど、民衆の猜疑心は強くなる。
特にラプソの一族のように、朝廷から弾圧を受けている者たちはその傾向が顕著だった。





縮地の布告を受けたラプソの一族は、情報収集をはじめた。
そして縮地はどうやら本当に存在し、実行のために皇帝と朝廷技師たちが躍起になっているということをつかんだ。
そこで必要とされる膨大な霊力をまかなうために、異界から魂を呼び降ろす、降魂術が成された、ということも合わせて。
ラプソは一族の若者たちを間者として各地に送り込んだ。
商人や旅芸人に扮するか、大家や霊堂といったさまざまな場所で下人となった若者たちは情報を集め、ついに、カイ・ミワタリという異界人の存在に行き着いた。
各地に術具を設置し、異界人の霊力を巡らせることで、縮地は発動される。
縮地の術具は扱いが難しく、その設置には特殊な技能が必要で、朝廷技師でなければ行うことができない。
そしてラプソは、カイの補助官であるラウラ・カナリアが、朝廷技師であり、彼の修練に際して術具の設置を行っていることまで調べ上げた。
カイ・ミワタリとラウラ・カナリア。この二人がいれば、縮地の発動は可能である。
そこまで調べ上げたラプソは、二人の拉致を企てる。
縮地を自分たちのものにしようと画策する。
容易なことではない。
彼らは朝廷によって固く守られている。
自分たちの力だけでは拉致が難しいと判断した彼らは、ケタリングという、それ一頭で朝廷と拮抗しうる力を持つレオンに共謀を持ち掛けた。
レオンはそれに乗った。
彼も災嵐から自分を、朝廷に見捨てられる可能性の高い者たちを守る術を求めていたからだ。

拉致はなかなか実行されなかった。
なぜなら霊堂を去ってからの二人の所在は厳重に隠されていたからだ。
朝廷はラプソの企みに勘づいていたわけではないが、同じようにカイを狙う輩は多かったので、安全のために潜伏していたのだ。
彼らの所在を知るのは皇家の者だけだった。
もとはラサの隠れ家、有事の際の避難所であったたて穴に隠された二人を見つけるのは、レオンとケタリングの機動力をもってしても困難だった。
手詰まりとなったある日、間者としてある大家の小間使いをしていたラプソの若者がひとつの情報を届けてきた。
それは近く、師団の大規模演習が行われる、というものだった。
それも皇帝直属の、最も優秀な武官と技師で構成された特務部隊によるもので、皇帝自らも同行するという。
災嵐が数か月後に迫った中で行われるこの大規模演習を、縮地の実験ではないか、と睨んだラプソの幹部たちは、レオンに偵察を依頼した。
そしてレオンは二人を発見し、縮地をその目で確かめる。
ラプソから依頼されたのは偵察だけだったが、この機を逃せば拉致はさらに困難になる、と判断したレオンは、空を飛ぶカイを追って陥没穴に行き着き、カイとラウラ、そして居合せたシェルティをまとめて攫ったのだった。

目的のものは手に入ったが、レオンの独断にラプソの幹部一同は難色を示した。
拉致を企てたものの、彼らは朝廷を恐れていた。
報復を免れるために、ことをできるだけ内密に運びたいと思っていたのだ。
しかしレオンの派手な動きにより、すぐに追手がかかることは間違いなかった。
焦った彼らは、当初予定していた説得、懐柔策を放棄し、薬物を使った脅迫を行った。
これに反発したのが、族長の孫である青年を中心とした若者たちだった。
青年とその伴侶である女は、三人を幕屋から連れ出そうとした罰で厳しい折檻を受ける。
しかし隙を見て別の若者に言伝を託した。
そして言伝を受け取ったレオンは、カイとラウラをラプソの元から救出したのだ。
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