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第二章

文身

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ラウラの両親は西方霊堂に務める朝廷技師だった。
二人は優れた研究者で、その子どもであるカーリーとラウラもまた、同世代の子どもより頭一つ抜けた知識と霊能力を有していた。
両親の死後、優秀な子どもを求めていた西方霊堂の技師たちはすぐに兄妹を学舎に呼び寄せ、ここで世界を救う手伝いをしてほしい、と言った。
「お父さんとお母さんが死んで、悲しいだろう」
「災嵐がくれば、君たちのお友だちも、私たちも、みんなが同じように悲しまなくちゃいけなくなる」
「でも君たちなら、救えるかもしれない」
「君たちがここで、あらゆる苦痛に耐え、努力を重ねれば、世界中みんなの笑顔を守ることができる。同じように悲しむ人をなくすことができる」
「我々とともに、世界を救ってくれないか」
「世界中のみんなのために、君たちの命を、我々に預けてくれないか」
「これは君たちにしかできないことなんだ」
たくさんの大人に囲まれて、とても拒否できないような雰囲気の中で、カーリーとラウラは学舎に入ることを承諾した。
ラウラはまだ5歳だった。
それでも当時のことはよく覚えている。
両親の死を受け入れる間もないほど、目まぐるしい日々だった。
涙も乾かぬうち入った学舎では、厳しい修練や苦行を課せられた。
なにかにつけ、世界を救うためだ、と言いきかせられた。
自分たちがただの技師ではなく、降魂術の依り代として育てられていることに気づいたのは、学舎に入って数年後のことだった。
異界人の受け皿。
魂の器。
世界の平和のための供儀。
ラウラはいつの間に負わされていたその役目を、しかし投げ出しはしなかった。
自分が生贄であるということを自覚してからも、世界のため、悲しみをなくすため、挺身を続けた。
両親もまた降者であり、降魂の末に命を落としたのだということを知っても、それは揺らがなかった。
兄を降魂で失ったあとは、もはやそれはたったひとつの拠り所とさえなっていた。
与えられた責務を全うすること。
義務を果たすこと。
兄の愛したこの世界を守ること。
自分のように家族を失う人がもう二度と出ないようにすること。
その固い決意が、これまでラウラを支え続けてきた。

しかし今日、ラウラは自らの手で、誰かの家族を奪ってしまった。
シェルティを助け出すためとはいえ、それは彼女の中で、誰かを殺していい理由にはならなかった。
(守るために与えられた力で、人を傷つけてしまった)
ラウラは胸を抑えた。
胸が痛かった。
まるで氷水の中で握りつぶされているようだった。
それは芙蓉の幻痛以上に、耐えがたいものだった。
「お前の言う力ってのは、もしかして――――」
ふいに、レオンがラウラの手に自分の手を重ね合わせた。
「――――こいつのことか?」
「えっ」
ラウラは驚き、レオンの手から逃れようと後ずさった。
「なんで……?」
「お前は芙蓉の中毒の中で三日も昏睡してたんだ。放っておいたら汗としょんべんでひでえ有様になる。その濡れたもん取り替える時に見たんだよ」
ラウラは顔を赤くして俯いた。
レオンに世話をされたこと、裸を見られたことを恥じたのはもちろん、なによりも、身体に刻まれたものを見られたことが、ラウラをたまらない気持ちにさせた。

ラウラの身体には、無数の瘢痕がある。
胸から腹にかけて、そして背中一面に、幾何学模様が刻み込まれている。
それは降魂のための回路だった。
異界から魂を呼び寄せるための、印だった。
それはラウラだけではなく、学舎の子どもたち、降魂術の依代候補には、例外なく刻まれている。
朝廷の長たるラサは、この瘢痕文身の流出を固く禁じており、そのために、文身を刻まれた子どもたちは生涯朝廷に仕えることを義務付けられているのだ。
文身は降魂術のために作られたものだが、副次的な効果があった。
それは肉体の霊的許容量の底上げであった。
文身を刻まれた者は霊的感度が上がり、霊摂が容易になる。
また体内に蓄積できる霊力の量も常人の数倍となる。
文身は異界人を受け入れるための身体改造行為であり、霊的耐久性が向上した結果、当人の霊能力が飛躍するのだ。
もともと霊操の才に恵まれていたラウラだったが、文身による霊力の底上げがなければ、わずか十五歳で朝廷技師として認められることはなかっただろう。

「見ろ」
そんなラウラに、レオンは自身の胸元を開いて見せた。
「え……っ!?」
ラウラは目を見張った。
レオンの胸元には、ラウラの身体に刻まれたものとよく似た、瘢痕があった。
「それは……?」
「ウルフの証だ」
レオンの左胸には瘢痕があった。
幾何学模様でできた二重の円が、心臓の位置に刻みこまれている。
それはラウラに刻まれたもの以上に緻密な文様だった。
「一族に生まれたからといって、誰もがウルフを名乗ることができるわけじゃねえ。これが身体に現れたやつだけが、ウルフの名を冠することができるんだ」
「……現れる?まさか――――文様が、自然と浮かび上がってくるんですか?」
「そうだ」
ラウラはレオンの胸元をじっと観察し、訊いた。
「これも、なにかの霊術のためのものなんですか?」
レオンはかぶりを振った。
「ただの文様だ。なんの意味も、痛みもねえ――――だがお前のは、違うな」
レオンは舌を打った。
「てめえの身体に、術を仕込んだのか。いや、仕込まれたんだろ。朝廷のやつらに」
「……必要なことでしたから」
「またそれか」
レオンは激高し、ラウラの胸倉をつかんだ。
「連中に洗脳されやがって。利用されてるだけだとわからねえのか!」
そんなことない、とラウラは思ったが、すぐ言葉にすることができなかった。
「力をもらった?たしかにやつらはてめえに術を仕込んだかもしれねえが、その痛みに耐えたのは誰だ?」
お前だろ、とレオンは吼える。
「で、でも……施術中は、痛み止めを打っていたので――――」
「まったく痛みがなかったのか、じゃあ」
「それは――――」
痛みは当然、あった。
麻酔が切れれば、激痛に襲われた。
施術後はなん日も熱が出て、ろくに眠ることもできなかった。
「耐えたのはお前だろ。お前の力はあいつらに与えられたもんじゃねえ。自分でつかみ取ったもんだ。お前自身の力だ。朝廷の言いなりになる必要なんかなにもねえ!」
ラウラはレオンの剣幕に怯んだが、一度きつく歯を食いしばってから、言い返した。
「利用されていたとしても、かまいません」
「てめえ……」
「だって、本当だから。私も、世界を守りたいって気持ち、本当に持っているから」
ラウラは震える手で、レオンの手を握った。
「全員助けるのは無理だってわかってます。お父さんもお母さんも、お兄ちゃんも、もういないから……守ることはできません。でも、まだ生きてる人は守れます。少なくとも、災嵐で死ぬ人は、なくすことができる。私はそう信じています。最初は、たしかに、押し与えられたものだったかもしれないけど、でも、いまは、自分で受け入れました。自分で選びました。私は世界を救いたい。人のためにできることがしたい。大切な人たちが生きていたこの世界を、守りたい。これは私の願いです。私自身の望みです」
レオンはラウラの手を振り払った。
「胸糞悪い」
吐き捨てるレオンの瞳は、憐憫に揺れていた。
「お前は強い。聡明で、勇敢でもあるが――――やっぱどうしようもなくガキだ」
「ガキですか」
「きれいごとが多すぎる」
レオンはラウラの髪をめちゃくちゃにかき回した。
「なっ、なんですか!?」
「理想ばっか追い求めても、何も為しえねえよ」
「はあ……?」
「おまえはキレイすぎる」
レオンはラウラの頬に残る煤を乱暴に拭った。
ラウラがいくら顔を洗っても落ちなかったそれは、レオンの手で簡単に落とされた。
「だがお前に汚れは似合わねえな。――――理想は、キレイだから、理想なんだろう」
レオンはそう言って、遠くの空を駆けるケタリングに目を移した。
ラウラも空を見上げた。
快晴だった。
空は澄み渡り、風は強いが、暖かかった。
ラウラは風に踊る髪をいなしながら、レオンに尋ねた。
「貴方は、これから私たちをどうしますか」
レオンは黙って腰をあげ、高く突き出た岩の上に立った。
ラウラは後を追って、同じ岩場に立った。
そこから見えるのは、鮮やかな群青色の空と、はるか彼方まで続く雲海だった。
ラウラは絶景に思わず息を飲んだ。
「おれはレオン・ウルフだ」
ふいに、レオンは言った。
「お前、名は?」
ラウラはレオンの目をまっすぐ見て、答えた。
「ラウラ・カナリアです」
「小屋に戻って休め、ラウラ」
レオンはぶっきらぼうに言うと、吹き抜ける風を全身で浴び、短く霊摂をした。
そして光球を作り、ケタリングを呼び戻すと、その背に乗り、飛び去って行った。
白い産毛に太陽の光を反射させ、ケタリングは新雪のように輝いていた。
ラウラは雲海の上を泳ぐケタリングを長い間眺めていた。
(なんてきれいなんだろう)
ケタリングが雲海の中に潜り、見えなくなるまで、ラウラは目を離すことができなかった。
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