災嵐回記 ―世界を救わなかった救世主は、すべてを忘れて繰りかえす―

牛飼山羊

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第二章

真意

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カイとラウラは幕屋の中に戻った。この騒ぎの中でも目覚めないシェルティを寝台に横たえ、族長と中年の男たち、ラプソ族の幹部一同と膝をつき合わせた。
割れた香は撤去され、幕屋の戸は開け放たれた。
天幕内の空気は一新され、芙蓉の香りは消えたが、代わりに男たちの吹かす煙管の煙が広がった。
その煙は、薄荷の匂いがした。
薬香よりよほど身体によさそうな、清涼感のある匂いだった。
しかしそれを嗅いだラウラとカイは、なぜか肺が締め付けられるような、鈍い痛みを感じた。
二人はつい先ほどまで好調だった身体の変化に違和感を覚えつつも、そこに気を割く余裕はなかった。
「――――我われは、もとより全員を救うつもりです。どんな小さな村落でも見捨てたりはしません。なにひとつ損なわせません。カイさんの縮地もそれができるだけの仕上がりです」
ラウラは縮地を我がものとしようとするラプソ族に対して、その必要はない、と丁寧に説いた。
独占などせずとも災嵐からは守られる、と。
ラプソ族の住まう山域も庇護対象である、と。
「なにも心配いりません。ですから――――」
「心配などしていない」
しかし族長はラウラの説得をにべもなくはねつけた。
「我々は信じていないのだ。朝廷を」
「い、今までは裏切られたかもしれません。でも今回は――――」
「信じられるか!」
族長の剣幕にラウラは怯み、言葉を続けられない。
「先の災嵐時も我々は朝廷に救いを乞うた。しかしその願いが聞き入れられることはなかった。それどころかお前たちは、暴動を恐れて、災嵐直前まで許可を出しておきながら、いざ災嵐がやってくると、我われの面前で都市の防壁を閉じた。背後に災嵐が迫る中、われわれを締め出したのだ!餌として差し出したのだ!」
族長は次第に激昂していった。
祖父から、父から、耳が痛いほど聞かされてきた恨みつらみを、まるでラウラが仇であるかのように吐き出した。
「お前たちは言った。『同じ人間、同じ民。共に災嵐を乗り切ろう』と!甘い言葉で我々の先祖の頭を鈍らせた。そして我々が足をかけたと見るや、その梯子を落としおった!」
老人は手にした杖で床を強く叩き、宣言する。
「朝廷など信じられるものか!ラサは大噓つきだ!我々の身は我々自身の手で守らなければならない!」
幹部の男たちも同調し、おお!と鬨の声あげる。
カイは圧倒されながらも、ラウラの一歩前に出て、口を開いた。
「もしかしてあんたら、あいつとグルだったんですか?」
「あいつ?」
「ケタリングの……」
「あの無法者か」
族長は吐き捨てるように言った。
「我々とて好んであのような者と手を組んでいるわけではない」
「やっぱりそうなのか。だからあいつと同じことを望むのか。縮地を、自分たちのためだけにって――――」
カイは顔に悔しさを滲ませる。
「全部仕組んでたのか?おれたちを助けてくれたのも、全部、縮地のためで――――」
「元の計画はあの男の暴走によって潰された」
答えたのは、族長ではなく、別の幹部の男だった。
それを皮切りに、男たちは次つぎと口を開きだす。
「偵察を頼んだだけなのに、ひとりで連れ去ってくるとは!」
「情報を与えたのはこちらなのに、指示に従わないとは、身勝手もいいところだ」
「俺はそもそも反対だったんだ。汚らわしい同族殺しが……すぐにでも我らの土地から追い出したいくらいなのに、手を組むなんて……」
「手を組んだつもりはない。利用しているだけだ」
「あの『足』は利用価値がある」
「しかしもう切ってもいいのでは?縮地は手に入ったのだから」
「賛成だ。それにやつは我々を出し抜こうとした」
「そうだ!縮地の漕手をひとりで攫い、脅しにかけたのがきたのがなによりもの証拠だ!」
「あやうく漕手は命を落とすところだったからな」
「そんな危険を冒す理由が、俺たちを裏切って縮地を独占するため以外にあるか?」
「それに彼らに向けた言動も、まるで縮地を我がものとせんとする言い草だったそうではないか!」
「なに!?」
「たしかか?!」
男たちはカイに詰め寄った。
「そうなんだな!?」
カイはたじろぎ、首を振った。
「ものにしようとかそんなかんじではなかったですよ。あんたらと言ってることはおおなじだった。朝廷にまかせたら、ケタリングや辺境に住む人たちを守ってもらえないかもしれないからって――――」
「嘘だ!」
「やつの口車だろう。あの男が自分とあの怪物以外を気に掛けるとは思えない」
「やはり切ろう」
「ああ。今日にでも皆集まってくるだろう。支度が済み次第縮地の発動を!」
男たちは、カイの証言などまるであてにせず、話を進めた。
「いやいや、待ってよ!待ってくださいよ!」
カイは慌てて男たちを止めた。
「なに勝手に決めてるんですか!?なんでもやるって言いましたけど、無理ですよ、それは。今ここで縮地?災嵐後まで?じょ、冗談言わないでくださいよ。そんなことしたら、他の人たちはどうなるか――――」
今度のカイの言葉を、男たちは流さなかった。
幕屋は一瞬で静まり返り、緊迫した空気が流れる。
「お前の意志は必要ない」
族長は、抑揚のない声で言った。
「お前に選ぶ権利はない。漕手はただ漕手であればいい」
「そんなの、従えませんよ」
「そうか」
老人は杖で、寝台に横たわるシェルティを差した。
「ではその者は二度と目覚めることがないだろう」
カイとラウラの顔から、同時に血の気が引く。
カイはシェルティに飛びつき、身体を激しく揺すった。
「シェルティ!シェルティ起きろ!」
シェルティは目蓋を持ち上げたが、瞳の焦点は不確かで、身体も脱力したままだった。
「シェルティ……!しっかりしてくれ……」
カイはほとんど泣きながらシェルティに縋った。
ラウラは色を失った顔で、カイに代わって男たちと対峙する。
「ま、まさか……なにか盛ったんですか?」
「飲ませ続ければただの薬だ。――――だがやめたらどうなるだろうな」
「なんてことを!」
ラウラは唇を震わせながら、男たちを糾弾する。
「助けたふりをして人質にするなんて!ラプソは誇り高き遊牧民ではなかったのですか!」
族長は顔色も声音も変えずに答える。
「そうだ。我々は誇り高きラプソ族だ。――――だからこそ此度の戦、一族の名誉のために勝たねばならない」
「名誉のためなら卑劣な手段も厭わないと!?」
「卑劣ではない。これはひとつの戦術だ。それにお前たちが過去我われに行った仕打ちに比べれば、比較にならないほど手ぬるいものだろう」
「薬と偽り毒を盛ることのどこが戦術ですか!これはただの強迫です!」
「では正々堂々決闘でもすれば満足か?」
族長はシェルティに向けていた杖を床に降ろし、己の体重を預けた。
ぎしりと、杖が軋む。
族長は杖と絨毯の接着点に視線を落としながら、ぼやいた。
「まったく、都市部の若者はきれいごとばかりで困る。実力はないのに皆口だけは達者だ。――――おかげでうちの若い連中までなまくらになってしまった」
外で狼狗が短く吠える。
それに続いて、馬の足音と嘶きが響いてくる。
「きたか」
幕屋の入り口に、壮年の男が現れる。
それは伏せったシェルティのために、朝廷へ助けを求めに行ったはずの男だった。
男は頭をたれ、幹部と族長に向かってひとしきりの挨拶口上を述べたあと、言った。
「知らせて参りました。ほとんどがそのまま夏営地に留まっていますが、こちらへの加勢として、いくらか腕の立つものをよこしてくれました」
老人は目を細めて、幕屋の入り口の外にいる、武装したラプソの男たちを眺める。
「これで万事は整った」
老人は視線をカイとラウラに戻し、杖で床を叩いた。
「あとは縮地を発動させるだけだ」
ラウラは心臓が早くなるのを感じる。
呼吸をするたびに、肺が痛む。まるで針の筵に晒されているようだ。
ラウラはそれが緊張と興奮からくるものだと思い、自分に必死に言い聞かせた。
(落ち着かなきゃ。この人たちの言いなりになっちゃいけない)
しかし動悸は激しさを増す一方で、痛みは肺から胸部、腹部へと広がっていく。
ラウラは痛みをこらえながら、どうにか口を開いた。
「その人は――――朝廷に助けを呼びに行ってくれたのではなかったんですか?」
そうだ、と族長は鷹揚に返した。
「こいつは我われの助けを呼びに行ったのだ」
「――――ラウラ」
カイはラウラの腕を引き、シェルティとともに自分の胸元に寄せた。
「逃げよう」
「カイさん……でも――――」
「シェルティならきっと大丈夫だ」
カイは声を潜める。
「ここから離れたら、どっか安全な場所で、おれはシェルティと縮地する。三日……いや一週間くらいあったほうがいいか。その間にラウラはノヴァを呼びにいってくれ。ノヴァなら、きっと助けてくれる。なんとかしてくれる。縮地が終わった瞬間、すぐシェルティの治療に入れるように、準備を整えておいてほしい」
ラウラはカイの口から出たノヴァという名に勇気づけられ、大きく頷いた。
「わかりました」
「頼んだ」
カイはそう言って、床を蹴った。
ラウラは衝撃に備え、身を固くした。
「――――?」
しかし、強風で吹き上げられるような飛翔の感覚は訪れなかった。
代わりに、なにか重たいものがラウラの身にのしかかってきた。
自分を抱いていたはずのカイが、床に倒れ伏したのだ。
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