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第二章
欄環
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「くそ……!」
口内は狭く、三人は一切の動きがとれない、すし詰め状態にあった。
「ラウラ、シェルティ、大丈夫か?」
「はい……」
「どうにかね」
二人は答えたが、その声は苦しげだった。
息が詰まるどころか、骨がきしむような密着に、それぞれが耐えていた。
「カイこそ、怪我は?」
「なんともない。――――くそ、まじで、どういう状況なんだよ、これ」
「拉致された、と見ていいだろう」
シェルティは冷静に言った。
「ケタリングは人を食わない。このまま飲み込まれるようなことはないだろう。ぼくらをどこかに連れて行くのが、まず第一の目的のはずだ」
「さらってどうすんだよ」
「わからない。殺すか、人質にするか、どちらかだと思うけど」
シェルティの推測に、ラウラとカイは取り乱す。
「こ、殺すって……!」
「そんな……どうして……!」
「落ち着いて。――――理由はわからないが、しかし僕らに敵意があることは間違いないだろう。でなければこんな手荒い真似はしないはずだ」
「敵意って……まさか、アフィーをいじめてた連中が報復に……?」
カイは一年半前の暴発を思い出し青ざめるが、シェルティは即座に否定する。
「違う。彼らはケタリングを操れない。ケタリングを操れるのは――――」
その時、暗黒に包まれていた口内に、光が差し込んだ。
ケタリングがわずかに口を開けたのだ。
わずか数センチの隙間だったが、冷たい空気と互いの顔がわかるだけの光が、入り込んできた。
三人の呼吸は、多少軽くなる。
しかし入り込んできたその空気は、氷のように冷たかった。
加えて強烈な耳鳴りと頭痛に、三人は見舞われた。
「くっ……!」
カイは苦痛に顔を歪め、すき間から外を覗き見る。
ケタリングはいつの間にか浮上していた。
高度は千メートルあまり。山間を縫うようにして、ケタリングは飛行していた。
「飛んでる……」
カイはさほど取り乱すことなく言った。
令和の日本で生まれ育ったカイにとって、高所からの景色は珍しいものではなかった。
カイは飛行機で高度一万メートルの景色を眺めたことがある。
動画でも写真でも、上空の景色は見慣れている。
またこちらの世界で飛行術を身につけてからは、本能的な落下の恐怖が薄れ、高所にいることをまったく意に介さなくなっていた。
しかしラウラとシェルティは高所、上空に対する免疫が一切ない。
空を飛ぶ術を持たない二人にとって、千メートル上空の光景は未知なるものだった。
感動はなかった。
二人は閉口し、震えていた。
口には出さなかったが、恐怖していた。
眼下に広がる緑鮮やかな山麓は、二人の目には地獄の針山のように映っていた。
「……大丈夫」
そんな二人の様子に気づいたカイは、勇気づけるように言った。
「どんな高さからでも、落ちないよ。二人を抱えて飛べるから、おれ」
「……頼もしいね」
シェルティは声の震えを誤魔化すように、声に出して笑った。
「あははは、そうだ。心配することはなにもなかった。君の飛行術があれば、いつでも逃げ出せるんだから」
「そうそう。本気出せばけっこうスピードも出せるしさ、こいつだってすぐにまけるよ」
「じゃあ焦る必要はないね。――――でも、ここを出られたら、すぐに飛ぼう」
「ああ。こいつが口を開けると同時に飛ぶよ。だから二人とも、そのつもりでいて」
わかった、とシェルティは答えた。
ラウラも、まだ恐怖と混乱から立ち直れていなかったが、かすれた声で承知した。
カイたちのいた東方の採掘場跡地から、ケタリングはまっすぐ南下した。
途中、その身を隠すように深い渓谷へ降下した。
渓谷には深い川が流れていたが、水底がはっきりと見えるほど、その水は清く透き通っていた。
渓谷に入ったケタリングは速度をあげ、ふいに急上昇した。
雲の中に入ると、ケタリングは身体を傾け、進む先を西南方向へと変えた。
視界は灰色に閉ざされているが、ケタリングも、ケタリングを先導する光球も、速度を落とすことなく飛び続けた。
やがて雲を抜けると、眼下の景色は一変していた。
「雪だ……」
現れたのは、果てなく続く銀色の稜線だった。
快晴の空の下、氷雪は白く光り輝いている。
ところどころ黒い岩肌ものぞいているが、その面積は雪の白よりずっと少ない。
切り立った頂きは最も標高の高いところで八千メートル近くあり、山肌は広く永久凍土に閉ざされ、麓ははるか遠くに霞んでいる。
「欄環の上だ……」
ラウラの言葉に、シェルティは目を見開く。
「まさか。……ここが?」
「こんな量の雪……それも6月に……内陸の高所じゃあり得ません」
シェルティは目を凝らす。
上空からものをみるという恐怖は、目の前の絶景を前に、完全に消え去っている。
「こんなにも美しいところだったのか……」
シェルティは現状を忘れ、思わず感嘆をこぼした。
同調して、ラウラもうっとりと景色に見入った。
「私も、よくある子どもの説教話の通りに、欄環の上は荒涼とした、おそろしい場所だと思い込んでいました。内陸の山にはない険しさですが、それを補ってあまりある美しさですね……」
初めて目にする山頂の雪原に、二人はすっかり目を奪われている。
カイは目の前の光景よりも、二人の反応に驚く。
もちろん、カイも、永久凍土の山峰を実際に目にするのははじめてだ。
しかし写真や動画ですでにそれらを見慣れてしまったせいか、二人と同じように、目を離せないほどの感動は覚えなかった。
「欄環ってエレヴァンを囲ってる山脈のことだったか?二人とも、登るのはじめてなのか?」
「わざわざ登る人間なんていないさ」
「そうですね。欄環はその名の通り、内陸……つまり私たちの住む世界と、外を隔てる柵のようなものですから。山の向こうにあるのは、雪と氷と、このケタリングという生き物だけがいる、人の踏み入れない恐ろしい領域です。この絶景があると知っていても、自ら足を運ぶことはありませんね」
「そうか……。じゃあ、なんであいつは、おれたちをここに――――っ!」
剣先のように鋭く突き出た岩石の前で、先行していた光球が、突然弾けて消えた。
それを合図に、ケタリングは身体を反らせて、急な斜面に腹ばいになるような形で着地する。
残雪が舞い、崩れ、雪崩となって落ちていく。
「降りろ」
ケタリングが大きく口を開く。
カイたちはレオンに追い立てられ、断崖に突き出した岩石の上に移動させられる。
不安定な足場。吹きつける強風。空は初夏の快晴を映しているが、高度四千メートルの気温は氷点下近い。
三人は固く身を寄せ合って、正面に立つレオンと対峙した。
口内は狭く、三人は一切の動きがとれない、すし詰め状態にあった。
「ラウラ、シェルティ、大丈夫か?」
「はい……」
「どうにかね」
二人は答えたが、その声は苦しげだった。
息が詰まるどころか、骨がきしむような密着に、それぞれが耐えていた。
「カイこそ、怪我は?」
「なんともない。――――くそ、まじで、どういう状況なんだよ、これ」
「拉致された、と見ていいだろう」
シェルティは冷静に言った。
「ケタリングは人を食わない。このまま飲み込まれるようなことはないだろう。ぼくらをどこかに連れて行くのが、まず第一の目的のはずだ」
「さらってどうすんだよ」
「わからない。殺すか、人質にするか、どちらかだと思うけど」
シェルティの推測に、ラウラとカイは取り乱す。
「こ、殺すって……!」
「そんな……どうして……!」
「落ち着いて。――――理由はわからないが、しかし僕らに敵意があることは間違いないだろう。でなければこんな手荒い真似はしないはずだ」
「敵意って……まさか、アフィーをいじめてた連中が報復に……?」
カイは一年半前の暴発を思い出し青ざめるが、シェルティは即座に否定する。
「違う。彼らはケタリングを操れない。ケタリングを操れるのは――――」
その時、暗黒に包まれていた口内に、光が差し込んだ。
ケタリングがわずかに口を開けたのだ。
わずか数センチの隙間だったが、冷たい空気と互いの顔がわかるだけの光が、入り込んできた。
三人の呼吸は、多少軽くなる。
しかし入り込んできたその空気は、氷のように冷たかった。
加えて強烈な耳鳴りと頭痛に、三人は見舞われた。
「くっ……!」
カイは苦痛に顔を歪め、すき間から外を覗き見る。
ケタリングはいつの間にか浮上していた。
高度は千メートルあまり。山間を縫うようにして、ケタリングは飛行していた。
「飛んでる……」
カイはさほど取り乱すことなく言った。
令和の日本で生まれ育ったカイにとって、高所からの景色は珍しいものではなかった。
カイは飛行機で高度一万メートルの景色を眺めたことがある。
動画でも写真でも、上空の景色は見慣れている。
またこちらの世界で飛行術を身につけてからは、本能的な落下の恐怖が薄れ、高所にいることをまったく意に介さなくなっていた。
しかしラウラとシェルティは高所、上空に対する免疫が一切ない。
空を飛ぶ術を持たない二人にとって、千メートル上空の光景は未知なるものだった。
感動はなかった。
二人は閉口し、震えていた。
口には出さなかったが、恐怖していた。
眼下に広がる緑鮮やかな山麓は、二人の目には地獄の針山のように映っていた。
「……大丈夫」
そんな二人の様子に気づいたカイは、勇気づけるように言った。
「どんな高さからでも、落ちないよ。二人を抱えて飛べるから、おれ」
「……頼もしいね」
シェルティは声の震えを誤魔化すように、声に出して笑った。
「あははは、そうだ。心配することはなにもなかった。君の飛行術があれば、いつでも逃げ出せるんだから」
「そうそう。本気出せばけっこうスピードも出せるしさ、こいつだってすぐにまけるよ」
「じゃあ焦る必要はないね。――――でも、ここを出られたら、すぐに飛ぼう」
「ああ。こいつが口を開けると同時に飛ぶよ。だから二人とも、そのつもりでいて」
わかった、とシェルティは答えた。
ラウラも、まだ恐怖と混乱から立ち直れていなかったが、かすれた声で承知した。
カイたちのいた東方の採掘場跡地から、ケタリングはまっすぐ南下した。
途中、その身を隠すように深い渓谷へ降下した。
渓谷には深い川が流れていたが、水底がはっきりと見えるほど、その水は清く透き通っていた。
渓谷に入ったケタリングは速度をあげ、ふいに急上昇した。
雲の中に入ると、ケタリングは身体を傾け、進む先を西南方向へと変えた。
視界は灰色に閉ざされているが、ケタリングも、ケタリングを先導する光球も、速度を落とすことなく飛び続けた。
やがて雲を抜けると、眼下の景色は一変していた。
「雪だ……」
現れたのは、果てなく続く銀色の稜線だった。
快晴の空の下、氷雪は白く光り輝いている。
ところどころ黒い岩肌ものぞいているが、その面積は雪の白よりずっと少ない。
切り立った頂きは最も標高の高いところで八千メートル近くあり、山肌は広く永久凍土に閉ざされ、麓ははるか遠くに霞んでいる。
「欄環の上だ……」
ラウラの言葉に、シェルティは目を見開く。
「まさか。……ここが?」
「こんな量の雪……それも6月に……内陸の高所じゃあり得ません」
シェルティは目を凝らす。
上空からものをみるという恐怖は、目の前の絶景を前に、完全に消え去っている。
「こんなにも美しいところだったのか……」
シェルティは現状を忘れ、思わず感嘆をこぼした。
同調して、ラウラもうっとりと景色に見入った。
「私も、よくある子どもの説教話の通りに、欄環の上は荒涼とした、おそろしい場所だと思い込んでいました。内陸の山にはない険しさですが、それを補ってあまりある美しさですね……」
初めて目にする山頂の雪原に、二人はすっかり目を奪われている。
カイは目の前の光景よりも、二人の反応に驚く。
もちろん、カイも、永久凍土の山峰を実際に目にするのははじめてだ。
しかし写真や動画ですでにそれらを見慣れてしまったせいか、二人と同じように、目を離せないほどの感動は覚えなかった。
「欄環ってエレヴァンを囲ってる山脈のことだったか?二人とも、登るのはじめてなのか?」
「わざわざ登る人間なんていないさ」
「そうですね。欄環はその名の通り、内陸……つまり私たちの住む世界と、外を隔てる柵のようなものですから。山の向こうにあるのは、雪と氷と、このケタリングという生き物だけがいる、人の踏み入れない恐ろしい領域です。この絶景があると知っていても、自ら足を運ぶことはありませんね」
「そうか……。じゃあ、なんであいつは、おれたちをここに――――っ!」
剣先のように鋭く突き出た岩石の前で、先行していた光球が、突然弾けて消えた。
それを合図に、ケタリングは身体を反らせて、急な斜面に腹ばいになるような形で着地する。
残雪が舞い、崩れ、雪崩となって落ちていく。
「降りろ」
ケタリングが大きく口を開く。
カイたちはレオンに追い立てられ、断崖に突き出した岩石の上に移動させられる。
不安定な足場。吹きつける強風。空は初夏の快晴を映しているが、高度四千メートルの気温は氷点下近い。
三人は固く身を寄せ合って、正面に立つレオンと対峙した。
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