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第二章

飛行

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たて穴は山間の岩壁の中にあった。
入り口は階段状に落ちる滝によって隠されている。
滝の裏側にある岩壁の裂け目に入り、人ひとりがやっと通れるくらいの隧道をいくらか進むと、ふいに開けた空間に出る。
そこは巨大な陥没穴の底だった。
山中の森林地帯に空いたひし形の穴は、深さ二百メートルに及ぶ。
穴の底に広がるのはまるで砂漠の中のオアシスのような緑地だった。
湿り気を帯びた緑の濃い草木が生い茂っている。
少ない日光を追い求めるように枝を伸ばす低木には、食べごろに熟した杏子が実っている。またその杏子を求めてやってくる鳥たちもいる。
地下水が湧き出てできた小さな泉は、眩いほどの光を放っている。
底に畜光砂石が敷き詰められているためだ。
この自然の照明によって、曇天下でも、壕内は十分な明るさを保つことができた。
またその泉には虹鱒が住んでいた。
その身は文字通りの虹色に輝いており、光る泉の中で泳ぎ回るその姿はとても幻想的だった。
陥没穴の底は、たて穴とは思えないほど明るく、緑豊かで生命が溢れる場所だった。

カイはふだん使用している滝の裏にある出入口ではなく、穴の上部から、ラウラとシェルティの二人を抱えてたて穴へ降り立った。
「――――カ、カイさん!」
地面に足が着くと同時に、それまで歯を食いしばっていたラウラは声を震わせながらカイを叱りつけた。
「な、な、なんですか今のは!わたしたち、空を飛んでましたよね!?」
「ノヴァが急げって言うから――――」
「いつの間にそんなことができるようになっていたんですか!?」
「え?いや、ほら、ここって外との出入りが面倒じゃん?だから穴の上から出れたら楽なのになって思って、ラウラとシェルティが見てないときにこっそり練習してたんだ」
カイは二人が同時に眉を痙攣させたのを見て、慌てて明後日の方向に目を逸らした。
「別にあの、無茶とかしてねえよ?ちょっと、たまに、落ちたりしたけど……ケガするほどじゃなかったし?ちょっと修行の息抜きというか、空飛ぶのってやっぱ憧れあるじゃん?」
「……カイさん、あなたもう子どもじゃないんですよ」
ラウラにはっきりと言われ、カイは言葉を詰まらせる。
シェルティも呆れたため息をつく。
「せめての僕たちが見ている前でやってくれ」
「だって絶対止めるだろ」
「危ないことをしていたら、当然ね」
「ほらでた過保護」
「僕が過保護なのは、きみ自身の分まできみの身を案じなきゃいけないからだよ。……きみは自分をもっと大切にするべきだ。労わるべきだ。――――それに」
カイには言い方を変えた方が効くだろう、と、シェルティは言葉を付け足す。
「急にあんなふうに飛ばされた僕らの気持ちも考えてくれ。すごく怖かったんだから」
「う……。それはまじでごめん……」
カイは自分一人の危険は顧みないが、他人を危険な目に合わせることは極端に忌避している。
シェルティは肩をすくめ、カイの耳たぶをつまみあげる。
「ぎゃっ」
カイは奇声を発して飛び上がる。
「なにすんだよ!」
「わかった?僕の手、空を飛んだ恐怖で、君の耳たぶより冷たくなってる」
「ごめんって!でも耳触る必要ないだろ!?」
「耳弱いよねえ、きみ。でも我慢しなきゃ。これは僕らを怖がらせた罰だよ」
シェルティがまた耳に手をのばしてきたので、カイは慌てて逃げ回る。
「くんな!」
「逃げられると追いかけたくなるんだけどなあ」
「労われよ!過保護はどこいったんだよ!」
「うん?どこかに落としちゃったかな?」
「いますぐ拾え!」
いつも通りのじゃれ合いをはじめた二人に、ラウラはほっと息をついた。


カイが霊堂を去ってから一年半が過ぎた。
カイはこの間、皇家の隠れ家であるたて穴にこもり、ひたすら縮地術の習得に励んでいた。
縮地術自体は定型化されており、ラウラが専用の霊具を用いてすぐに組みあげることができる。
カイの行った修練は、その組み立てられた術具に、ひたすら霊力を流し込むというものだった。
それはいわば容器に水を注ぐようなもので、ある程度の霊操を身につけたカイにとってさほど難しいことではなかった。
しかし霊術をどれだけの間持たせられるかどうかは、カイの流しこむ霊力の量によって変わる。
注ぐ霊力の量には寸分の狂いもあってはならない。
なぜなら災嵐は七日間に及ぶ。
縮地術の発動がそれより短くなることはもちろんあってはならない。
しかし霊力の過剰注入により術具に不備が生じては元も子もない。
術具の耐久性から、縮地はちょうど災嵐の期間だけ行われるのが望ましいとされていた。
つまり短すぎても、長すぎてもいけないのだ。
目を隠した状態で、容器の中に決められた量の水を、一ミリの誤差もなく注ぐような、卓越した技巧がカイには求められた。
カイは霊具に霊力を注入するという地道な修練をひたすら行った。
反復することで、その感覚を自身に叩き込んだ。
今ではカイは、決められた量を注ぐだけでなく、注ぐ水の量を一ミリ単位で調整することができるまでになっていた。
その技巧、施術の練度は皇帝にも認められた。

三人が半ば強要されている、たて穴での軟禁状態にある生活は終わりを告げるはずだった。
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