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第二章
戌歴九九八年・初冬(四)
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ラウラとアフィーはシェルティの用意したぬるま湯と手拭いで身体を清め、カイの寝衣を借り、着替えた。
アフィーはどうにか着替えまで済ますことはできたが、気力は失われたままで、再び椅子に座ると項垂れて動かなくなった。
「アフィー……」
ラウラはアフィーの背に手をやり、そっとさすってやった。
「大丈夫か?」
二人が着替え終わるのを待って、カイとシェルティは部屋に戻ってきた。
「怪我はしていないようでしたけれど……。ずいぶん長いこと川にいたようですから、おなかが痛むのかもしれません」
「それならもっと温かくしよう」
シェルティはそう言って、片方の手を傍にある燭台にかざし、霊摂した。
「失礼」
ラウラに代わって、シェルティはアフィーの背に掌を添える。
霊力を自身の掌に集中させ、アフィーの身体を温めてやる。
「へえ、霊力ってそういう使い方もできるんだなあ」
感心するカイに、シェルティは片目を閉じて見せる。
「お望みとあらばいつでも温めてあげるよ――――それで、一体なにがあったんだい?」
問われたラウラは、小さく首を振る。
「私にもよくわからないんです。宿舎の前でサミーさんに――――乙級の、ヤクートさんの妹さんに呼び止められて、アフィーさんが大変なことになっている、と言われたんです。それで宿舎の裏にいってみたら、アフィーさんが川の中にいて、そのときには今と同じ状態で、話すこともままならなくて……」
ラウラは目を伏せてカイに謝った。
「ご迷惑をおかけします」
「なに言ってるんだよ。おれだって同じ状況に出くわしたらまずラウラを頼るよ」
カイの言葉にラウラは微笑み、肩の力を抜いた。
「僕のところにはこないの?」
シェルティはわざとらしくすねた表情を作っていった。
「僕のことも頼ってほしいんだけどな」
「お前には頼るまでもないだろ。いつも隣にいるんだから。トラブルに出くわすときだって一緒だろ」
シェルティはそれを聞いて、すねた表情のまま硬直する。
「熱い!」
急に高温を帯びたシェルティの手に、たまらずアフィーは飛びのいた。
「……熱い」
アフィーは背中を抑えて蹲る。
「す、すまない」
我に返ったシェルティは、慌ててアフィーを支え起こし、再び椅子に座らせる。
カイはにやついた顔でシェルティを小突く。
「シェルティ、お前ってやつは――――」
シェルティはカイから顔を背ける。
「すこし驚いただけさ」
「ははは、なるほどな!」
カイはシェルティの肩を抱え、その赤らんだ顔を覗き込む。
「わかったぞ、ようやくわかった、お前のいつものアレへの対処法が」
「なんだい、それ」
「自分は恥ずかしげもなくおれをイジるわりに、イジられるのは弱いんだな」
「そんなことないよ」
そっぽを向いたまま答えるシェルティの背を、カイは無遠慮にばしばしと叩いた。
「ははは!やったぜ!今までイジられてきた分、これからはおれがお前のことイジってやるからな!」
「――――ふうん?」
しかし振り返ったシェルティの顔には、いつもの余裕が戻っていた。
「言ったね?じゃあこれからは、僕の愛の言葉に君はいつでも答えてくれるわけだ」
「臨むところだ!」
「じゃあ遠慮なく」
シェルティはカイのあごをつかみ、鼻先が触れそうなほど顔を近づける。
「近い!」
カイは顔を逸らそうとするが、あごをつかむシェルティの力は、存外に強かった。
「それはズルいだろ!?」
「君が言い出したんだよ。――――カイ、愛してるよ」
「くっ……!こいつ恥ずかしげもなく……!」
でもここで引き下がったら負けだと、カイは応戦する。
「う……く……シ、シェルティ、おれも、あ、あい――――」
「あい?」
「あ、ア、アイシテルヨー……ってやっぱ無理!」
カイは力づくでシェルティを押しのける。
「わー!無理だ!イケメンには敵わない!!おれが悪かった!!勘弁してくれ!」
「なにを謝るんだい?ほら、僕にいつもの仕返しをするんじゃなかったの?」
カイは両手をあげて降伏の意を示す。
「もう充分です!見慣れてもイケメンの庄には敵わないってことがわかったから!それにお前のガチっぽいんだよ!おれがノッたらまじでそういう雰囲気になりそうっていうか……止めどころなくなりそうっていうか……!とにかく降参です!」
「負けないで。もうすこしがんばろうよ」
「なんでお前が応援すんだよおかしいだろ!」
二人のじゃれ合いがいよいよ本格化してきたので、ラウラは咳ばらいをして、それを止める。
「あの、そういうのは二人きりのときにしていただけると――――」
カイは勢いよく頷く。
「そうだよ!……いやそうじゃない!二人のときもやんないけど!とにかく今はふざけてる場合じゃないんだから!」
カイはアフィーに目を向ける。
アフィーはカイとシェルティのやりとりを険しい表情で眺めていた。
その顔には血色が戻り、どこか苛立っているようではあったが、先ほどよりは明らかに活力を取り戻していた。
カイはアフィーの正面に椅子を持ってきて座り、膝を突き合わせた。
「なにがあったんだ?」
アフィーは俯き、カイの顔を見ようとしない。
「アフィー、頼む、教えてくれ」
「……なにもない」
「なにもないやつが、こんな寒い日にあんなどぶ川に入るかよ」
「……」
「おれに話せないことなら、ラウラはどうだ?おれとシェルティはどっかに出てるからさ」
それを聞いたアフィーは咄嗟にカイの手をとり、縋るように強く握って、首を振った。
「――――おれでいいのか?」
「うん」
「わかった」
カイはシェルティに目配せをする。
シェルティはラウラの肩に厚手の外套をかけ、そっと耳打ちする。
「ここはカイに任せよう」
外に出たラウラとシェルティは、このあとどうするべきかを話し合った。
「君をあの子のもとに送ったという候補生から、まずは話を聞くべきだろう」
「賛成です。――――サミーさんの口ぶりから、アフィーはたぶん、誰かになにかをされてあそこにいたんじゃないかと思います」
「なにか嫌がらせでも受けたのかな」
「嫌がらせ……」
「丙級を快く思っていない連中は多いからね」
シェルティの声は、冷たかった。
「とにかくそのサミーとかいう子を探そう」
宿舎の入り口は市場帰りの候補生で賑わっていた。
騒ぎ立てられないよう、シェルティは木陰に身を隠し、ラウラだけで彼らに近づいた。
ラウラは乙級の女性に声をかけ、サミーの居所を訊ねた。
サミーならば自室にいるはずだ、と言って、女性は宿舎の中に入って行った。
しばらくするとサミーが宿舎から姿を現した。
酔っているのか、顔はやや赤らんでいた。
「サミーさん」
ラウラは人目につかないよう、木陰から声をかけて、サミーを手招きした。
サミーは青ざめ、逃げようと身構えたが、ラウラの後方で目を光らせるシェルティに気づき、
怯えながらも近寄ってきた。
「あの……私、それそろ寝ようかなと思ってたところでして……」
歩み寄ったものの、まだ逃げ道を探すサミーをシェルティは笑顔で一蹴する。
「君が素直に答えてくれればすぐに済む」
「うっ……」
皇太子相手に反論することなどできるはずもなく、サミーは観念して言った。
「あの、お話しするんで、場所を変えてもいいですか。ここは目立ちすぎます。この件の告げ口が露見するだけでも恐ろしいのに、殿下といるところまで見られたら、私はおしまいなので……」
サミーの要望通り、三人は人気のない本堂の廊下に移動した。
「誓って私はなにもしてません」
サミーは全てを白状した。
「たまたま見てしまったんです。アフィーさんが、甲級の候補生に飴を捨てられるところを……」
「飴って――――まさかカイさんが買った?」
「はあ、まあ、誰にもらったものかは知りませんが、とにかく川に飴を捨てられていたんです」
「ひどい!どうしてそんなことを……!」
「それはまあ、その、アフィーさんが気に入らないからですよ」
サミーは歯切れ悪く言った。
養成開始当初から、アフィーは女の候補生たちに目をつけられていた。
アフィーはその容姿故に、どこにいても注目を集めていた。
かといって愛想がいいわけではなく、好意も敵意も等しく相手にしていなかった。
他人からの視線など、まるで気にならない。
目立つのは慣れっこだ、と言わんばかりの様子だった。
そんな彼女の態度を、他の女の候補生たちはおもしろく思わなかった。
アフィーは貧村の出身だ。
上流層の子弟と違って、幼いころから修練に励んでいたわけではない。
それにも関わらず十三歳という若さで西方霊堂に招かれた。潜在能力だけで、才能だけで候補生として取り立てられた。
若く美しく才能がある。けれど口下手で社交性はない。
そんなアフィーを嫌う候補生は少なくなかった。
特に名家の令嬢たちからは目の敵にされていた。
アフィーを攻撃する口実は、簡単に見つけることができた。
例えばアフィーの短い髪や荒れた手を指して『貧乏な田舎者』と嘲笑することができる。
丙級であることに『無能』。紅一点であることに『尻軽』。その態度をとって『生意気』『礼儀知らず』と非難することもできた。
アフィーは彼女たちの不満のはけ口になっていた。
宿舎の女性候補生専用の一画では、告げ口をする者も止める者もいないため、アフィーは口実さえないまま痛めつけられていた。
攻撃は次第に悪化し、嫌がらせや暴行に及ぶこともあった。
ラウラに与えられた軟膏や整髪剤は使う間もなく盗られてしまう。
髪を伸ばそうとしても切られてしまう。
殴る蹴るの暴力も慢性化していった。
アフィーは彼女たちから苛烈ないじめを受けていた。
その他の候補生はいじめに手を貸すことはあってもアフィーを助けることは決してしなかった。
なぜなら名家の令嬢たる彼女たちの逆鱗に触れ、自分自身や親兄弟にまで影響が及ぶことを誰もが恐れていたのだ。
かくいうサミーも、養成期間もあと少しで終わりを迎えるときに波風を立てたくないと必死だった。
候補生の中には実兄であるヤクートのみならず、ダルマチア門下の者が数名在籍していた。
父親のブリアードも教官を務めている。
自分の軽率な行動で、下手をすれば一門全員の立場を危うくしてしまうことを、サミーは理解し、なによりも恐れていた。
アフィーがおかれた凄惨な状況をはじめて知ったラウラは、あまりの衝撃にすぐに言葉を発することができなかった。
「災嵐のために自分たちは集まったのだと、誰よりも豪語しているのは上級の彼女たちじゃないですか。それなのに裏ではそんなことをしていたなんて――――」
「君や君のお兄さんのように、崇高な信念だけで挺身できる人間なんて滅多にいないよ」
シェルティは冷静だった。
「かくいう僕だって彼女と同類だからね。必要があれば信念なんていくらでも曲げられる。保身のためならなんだってできる。――――でも、だからこそ理解できないな。サミー・ダルマチア、君はなぜここにきて告げ口のような真似を?」
問われたサミーはシェルティの見透かすような視線に怯え、顔をあげることもできないまま弁明する。
「それは――――私だって本当は関わり合いたくなかったですよ。見捨てておきたかったです。だって助けたっていいことなんて絶対にありませんから。でも……」
サミーは震える声を必死に抑え込みながら呟いた。
「飴を見ているあの子は、本当に幸せそうで……あんまりだと思っちゃったんですよ。いままで見て見ぬふりしてきたのに、いまさらですけど……。私みたいなやつでも、人生で一回くらい、本気で人を助けたいって思うことがあっても、いいじゃないですか……」
シェルティは乾いた笑いをもらす。
「安っぽい偽善だな」
「な、なんとでも言ってください……とにかく私の知ってることは全部話しました。もういいですよね?それとそのほんとうに誰にも言わないでくれるんですよね?」
ラウラは震えるサミーの両手を握った。
「はい。絶対誰にも言いません」
「ラウラさん……」
ラウラは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。サミーさん。私たちに教えてくれて。……アフィーを助けようとしてくれて。あなたの行いは決して偽善なんかじゃありません。誇って下さい」
ラウラの言葉に、サミーはほとんど涙目になって感謝した。
「ううう、あ、ありがとうござます……!」
――――ドンッ!
その瞬間、凄まじい爆発音が堂内に響き渡った。
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
爆発音は続けざまに数度鳴り響き、それが止むとすぐに、外から叫び声と悲鳴が聞こえてきた。
「なんだ!?」
「宿舎の方です!」
ラウラとシェルティは急いで外に向かう。
「これは――――」
本堂を出た二人が目にしたのは、立ち昇る土煙に散乱した瓦礫、半壊した宿舎と、そこから這い出てくる負傷した候補生たちだった。
「大丈夫ですか!?」
ラウラは地面に座り込む候補生に声をかける。
「こ、腰が抜けてしまって……」
候補生は呆然とした顔つきで言った。
「一体なにが?」
「私も今帰ってきたところだったので、よくわからないのですが、裏の方からすごい音がして……」
ラウラは咄嗟にシェルティを見る。
「まさか……」
「ああ。嫌な予感がする」
シェルティは苦々しい顔で呟いた。
アフィーはどうにか着替えまで済ますことはできたが、気力は失われたままで、再び椅子に座ると項垂れて動かなくなった。
「アフィー……」
ラウラはアフィーの背に手をやり、そっとさすってやった。
「大丈夫か?」
二人が着替え終わるのを待って、カイとシェルティは部屋に戻ってきた。
「怪我はしていないようでしたけれど……。ずいぶん長いこと川にいたようですから、おなかが痛むのかもしれません」
「それならもっと温かくしよう」
シェルティはそう言って、片方の手を傍にある燭台にかざし、霊摂した。
「失礼」
ラウラに代わって、シェルティはアフィーの背に掌を添える。
霊力を自身の掌に集中させ、アフィーの身体を温めてやる。
「へえ、霊力ってそういう使い方もできるんだなあ」
感心するカイに、シェルティは片目を閉じて見せる。
「お望みとあらばいつでも温めてあげるよ――――それで、一体なにがあったんだい?」
問われたラウラは、小さく首を振る。
「私にもよくわからないんです。宿舎の前でサミーさんに――――乙級の、ヤクートさんの妹さんに呼び止められて、アフィーさんが大変なことになっている、と言われたんです。それで宿舎の裏にいってみたら、アフィーさんが川の中にいて、そのときには今と同じ状態で、話すこともままならなくて……」
ラウラは目を伏せてカイに謝った。
「ご迷惑をおかけします」
「なに言ってるんだよ。おれだって同じ状況に出くわしたらまずラウラを頼るよ」
カイの言葉にラウラは微笑み、肩の力を抜いた。
「僕のところにはこないの?」
シェルティはわざとらしくすねた表情を作っていった。
「僕のことも頼ってほしいんだけどな」
「お前には頼るまでもないだろ。いつも隣にいるんだから。トラブルに出くわすときだって一緒だろ」
シェルティはそれを聞いて、すねた表情のまま硬直する。
「熱い!」
急に高温を帯びたシェルティの手に、たまらずアフィーは飛びのいた。
「……熱い」
アフィーは背中を抑えて蹲る。
「す、すまない」
我に返ったシェルティは、慌ててアフィーを支え起こし、再び椅子に座らせる。
カイはにやついた顔でシェルティを小突く。
「シェルティ、お前ってやつは――――」
シェルティはカイから顔を背ける。
「すこし驚いただけさ」
「ははは、なるほどな!」
カイはシェルティの肩を抱え、その赤らんだ顔を覗き込む。
「わかったぞ、ようやくわかった、お前のいつものアレへの対処法が」
「なんだい、それ」
「自分は恥ずかしげもなくおれをイジるわりに、イジられるのは弱いんだな」
「そんなことないよ」
そっぽを向いたまま答えるシェルティの背を、カイは無遠慮にばしばしと叩いた。
「ははは!やったぜ!今までイジられてきた分、これからはおれがお前のことイジってやるからな!」
「――――ふうん?」
しかし振り返ったシェルティの顔には、いつもの余裕が戻っていた。
「言ったね?じゃあこれからは、僕の愛の言葉に君はいつでも答えてくれるわけだ」
「臨むところだ!」
「じゃあ遠慮なく」
シェルティはカイのあごをつかみ、鼻先が触れそうなほど顔を近づける。
「近い!」
カイは顔を逸らそうとするが、あごをつかむシェルティの力は、存外に強かった。
「それはズルいだろ!?」
「君が言い出したんだよ。――――カイ、愛してるよ」
「くっ……!こいつ恥ずかしげもなく……!」
でもここで引き下がったら負けだと、カイは応戦する。
「う……く……シ、シェルティ、おれも、あ、あい――――」
「あい?」
「あ、ア、アイシテルヨー……ってやっぱ無理!」
カイは力づくでシェルティを押しのける。
「わー!無理だ!イケメンには敵わない!!おれが悪かった!!勘弁してくれ!」
「なにを謝るんだい?ほら、僕にいつもの仕返しをするんじゃなかったの?」
カイは両手をあげて降伏の意を示す。
「もう充分です!見慣れてもイケメンの庄には敵わないってことがわかったから!それにお前のガチっぽいんだよ!おれがノッたらまじでそういう雰囲気になりそうっていうか……止めどころなくなりそうっていうか……!とにかく降参です!」
「負けないで。もうすこしがんばろうよ」
「なんでお前が応援すんだよおかしいだろ!」
二人のじゃれ合いがいよいよ本格化してきたので、ラウラは咳ばらいをして、それを止める。
「あの、そういうのは二人きりのときにしていただけると――――」
カイは勢いよく頷く。
「そうだよ!……いやそうじゃない!二人のときもやんないけど!とにかく今はふざけてる場合じゃないんだから!」
カイはアフィーに目を向ける。
アフィーはカイとシェルティのやりとりを険しい表情で眺めていた。
その顔には血色が戻り、どこか苛立っているようではあったが、先ほどよりは明らかに活力を取り戻していた。
カイはアフィーの正面に椅子を持ってきて座り、膝を突き合わせた。
「なにがあったんだ?」
アフィーは俯き、カイの顔を見ようとしない。
「アフィー、頼む、教えてくれ」
「……なにもない」
「なにもないやつが、こんな寒い日にあんなどぶ川に入るかよ」
「……」
「おれに話せないことなら、ラウラはどうだ?おれとシェルティはどっかに出てるからさ」
それを聞いたアフィーは咄嗟にカイの手をとり、縋るように強く握って、首を振った。
「――――おれでいいのか?」
「うん」
「わかった」
カイはシェルティに目配せをする。
シェルティはラウラの肩に厚手の外套をかけ、そっと耳打ちする。
「ここはカイに任せよう」
外に出たラウラとシェルティは、このあとどうするべきかを話し合った。
「君をあの子のもとに送ったという候補生から、まずは話を聞くべきだろう」
「賛成です。――――サミーさんの口ぶりから、アフィーはたぶん、誰かになにかをされてあそこにいたんじゃないかと思います」
「なにか嫌がらせでも受けたのかな」
「嫌がらせ……」
「丙級を快く思っていない連中は多いからね」
シェルティの声は、冷たかった。
「とにかくそのサミーとかいう子を探そう」
宿舎の入り口は市場帰りの候補生で賑わっていた。
騒ぎ立てられないよう、シェルティは木陰に身を隠し、ラウラだけで彼らに近づいた。
ラウラは乙級の女性に声をかけ、サミーの居所を訊ねた。
サミーならば自室にいるはずだ、と言って、女性は宿舎の中に入って行った。
しばらくするとサミーが宿舎から姿を現した。
酔っているのか、顔はやや赤らんでいた。
「サミーさん」
ラウラは人目につかないよう、木陰から声をかけて、サミーを手招きした。
サミーは青ざめ、逃げようと身構えたが、ラウラの後方で目を光らせるシェルティに気づき、
怯えながらも近寄ってきた。
「あの……私、それそろ寝ようかなと思ってたところでして……」
歩み寄ったものの、まだ逃げ道を探すサミーをシェルティは笑顔で一蹴する。
「君が素直に答えてくれればすぐに済む」
「うっ……」
皇太子相手に反論することなどできるはずもなく、サミーは観念して言った。
「あの、お話しするんで、場所を変えてもいいですか。ここは目立ちすぎます。この件の告げ口が露見するだけでも恐ろしいのに、殿下といるところまで見られたら、私はおしまいなので……」
サミーの要望通り、三人は人気のない本堂の廊下に移動した。
「誓って私はなにもしてません」
サミーは全てを白状した。
「たまたま見てしまったんです。アフィーさんが、甲級の候補生に飴を捨てられるところを……」
「飴って――――まさかカイさんが買った?」
「はあ、まあ、誰にもらったものかは知りませんが、とにかく川に飴を捨てられていたんです」
「ひどい!どうしてそんなことを……!」
「それはまあ、その、アフィーさんが気に入らないからですよ」
サミーは歯切れ悪く言った。
養成開始当初から、アフィーは女の候補生たちに目をつけられていた。
アフィーはその容姿故に、どこにいても注目を集めていた。
かといって愛想がいいわけではなく、好意も敵意も等しく相手にしていなかった。
他人からの視線など、まるで気にならない。
目立つのは慣れっこだ、と言わんばかりの様子だった。
そんな彼女の態度を、他の女の候補生たちはおもしろく思わなかった。
アフィーは貧村の出身だ。
上流層の子弟と違って、幼いころから修練に励んでいたわけではない。
それにも関わらず十三歳という若さで西方霊堂に招かれた。潜在能力だけで、才能だけで候補生として取り立てられた。
若く美しく才能がある。けれど口下手で社交性はない。
そんなアフィーを嫌う候補生は少なくなかった。
特に名家の令嬢たちからは目の敵にされていた。
アフィーを攻撃する口実は、簡単に見つけることができた。
例えばアフィーの短い髪や荒れた手を指して『貧乏な田舎者』と嘲笑することができる。
丙級であることに『無能』。紅一点であることに『尻軽』。その態度をとって『生意気』『礼儀知らず』と非難することもできた。
アフィーは彼女たちの不満のはけ口になっていた。
宿舎の女性候補生専用の一画では、告げ口をする者も止める者もいないため、アフィーは口実さえないまま痛めつけられていた。
攻撃は次第に悪化し、嫌がらせや暴行に及ぶこともあった。
ラウラに与えられた軟膏や整髪剤は使う間もなく盗られてしまう。
髪を伸ばそうとしても切られてしまう。
殴る蹴るの暴力も慢性化していった。
アフィーは彼女たちから苛烈ないじめを受けていた。
その他の候補生はいじめに手を貸すことはあってもアフィーを助けることは決してしなかった。
なぜなら名家の令嬢たる彼女たちの逆鱗に触れ、自分自身や親兄弟にまで影響が及ぶことを誰もが恐れていたのだ。
かくいうサミーも、養成期間もあと少しで終わりを迎えるときに波風を立てたくないと必死だった。
候補生の中には実兄であるヤクートのみならず、ダルマチア門下の者が数名在籍していた。
父親のブリアードも教官を務めている。
自分の軽率な行動で、下手をすれば一門全員の立場を危うくしてしまうことを、サミーは理解し、なによりも恐れていた。
アフィーがおかれた凄惨な状況をはじめて知ったラウラは、あまりの衝撃にすぐに言葉を発することができなかった。
「災嵐のために自分たちは集まったのだと、誰よりも豪語しているのは上級の彼女たちじゃないですか。それなのに裏ではそんなことをしていたなんて――――」
「君や君のお兄さんのように、崇高な信念だけで挺身できる人間なんて滅多にいないよ」
シェルティは冷静だった。
「かくいう僕だって彼女と同類だからね。必要があれば信念なんていくらでも曲げられる。保身のためならなんだってできる。――――でも、だからこそ理解できないな。サミー・ダルマチア、君はなぜここにきて告げ口のような真似を?」
問われたサミーはシェルティの見透かすような視線に怯え、顔をあげることもできないまま弁明する。
「それは――――私だって本当は関わり合いたくなかったですよ。見捨てておきたかったです。だって助けたっていいことなんて絶対にありませんから。でも……」
サミーは震える声を必死に抑え込みながら呟いた。
「飴を見ているあの子は、本当に幸せそうで……あんまりだと思っちゃったんですよ。いままで見て見ぬふりしてきたのに、いまさらですけど……。私みたいなやつでも、人生で一回くらい、本気で人を助けたいって思うことがあっても、いいじゃないですか……」
シェルティは乾いた笑いをもらす。
「安っぽい偽善だな」
「な、なんとでも言ってください……とにかく私の知ってることは全部話しました。もういいですよね?それとそのほんとうに誰にも言わないでくれるんですよね?」
ラウラは震えるサミーの両手を握った。
「はい。絶対誰にも言いません」
「ラウラさん……」
ラウラは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。サミーさん。私たちに教えてくれて。……アフィーを助けようとしてくれて。あなたの行いは決して偽善なんかじゃありません。誇って下さい」
ラウラの言葉に、サミーはほとんど涙目になって感謝した。
「ううう、あ、ありがとうござます……!」
――――ドンッ!
その瞬間、凄まじい爆発音が堂内に響き渡った。
ドンッ!ドンッ!ドンッ!
爆発音は続けざまに数度鳴り響き、それが止むとすぐに、外から叫び声と悲鳴が聞こえてきた。
「なんだ!?」
「宿舎の方です!」
ラウラとシェルティは急いで外に向かう。
「これは――――」
本堂を出た二人が目にしたのは、立ち昇る土煙に散乱した瓦礫、半壊した宿舎と、そこから這い出てくる負傷した候補生たちだった。
「大丈夫ですか!?」
ラウラは地面に座り込む候補生に声をかける。
「こ、腰が抜けてしまって……」
候補生は呆然とした顔つきで言った。
「一体なにが?」
「私も今帰ってきたところだったので、よくわからないのですが、裏の方からすごい音がして……」
ラウラは咄嗟にシェルティを見る。
「まさか……」
「ああ。嫌な予感がする」
シェルティは苦々しい顔で呟いた。
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「お前をルートベルク公爵家から追放する――」それはあまりにも突然の出来事だった。
一五歳の誕生日を明日に控えたレオンは、公爵家を追放されてしまう。魔を制する者“神託の御子”と期待されていた、ルートベルク公爵の息子レオンだったが、『継承』という役立たずのスキルしか得ることができず、神託の御子としての片鱗を示すことが出来なかったため追放されてしまう。
一人、逃げる様に王都を出て行くレオンだが、公爵家の汚点たる彼を亡き者にしようとする、ルートベルク公爵の魔の手が迫っていた。「絶対に生き延びてやる……ッ!」レオンは己の力を全て使い、知恵を絞り、公爵の魔の手から逃れんがために走る。生き延びるため、公爵達を見返すため、自分を信じてくれる者のため。
どれだけ窮地に立たされようとも、秘めた想いを曲げない少年の周りには、人、エルフ、ドワーフ、そして魔族、種族の垣根を越えたかけがえの無い仲間達が集い―― これは、追放された少年が最高の国を作りあげる物語。
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