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第二章

戌歴九九八年・初冬(三)

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その日、講義を終えたラウラは、食堂で他の教官たちと共に夕食をとっていた。
食堂は閑散としている。
午後七時過ぎ、ふだんであれば候補生たちで賑わっている時間だったが、彼らのほとんどは外に出払っていた。
修練に励んでいるわけではない。
むしろ、ここ数日はどの級も講義を早い時間に切りあげている。
修了が近いため、多くの教官が各候補生の評価や配属地の振り分けといった雑務に時間を必要としていたためだ。
候補生たちはここぞとばかりに市場に繰り出していた。
対して市場で食事や酒を楽しむのが常だった教官たちは、業務に追われ、外食に出る時間さえ惜しまなければならなかった。
ふだんは利用する者のほとんどいない教官卓が、ここ数日は満席に近い。
閑散とした食堂の、唯一賑わう一角で、教官たちはを互いの指導力を称賛し合う世辞の応酬を繰り返していた。
「結局こういうのは指導者の手腕が問われるものですからな」
「いやなんの、私なんぞはしょせん一介の技師に過ぎませんからね。名門の方々には到底及びません」
「謙遜なさるな。西方霊堂務めであって、なにが一介の技師ですか」
「まったく候補生も幸運ですなあ、これだけの教官に恵まれて」
「災嵐がなければこれだけの名士に指導してもらう機会なんて一生なかったでしょうからね」
「私もあと十歳若ければ、その幸運にありつけたんですが」
「その若さで教官に就くような方に教えることなんてなにもありませんよ」
「いやあ、ただの若輩者です。それに若さなどここではなんの自慢にもなりませんから――――」
そう言って若手の教官はラウラの方を見やった。
それまで適当な相づちをうっていたラウラは、愛想笑いを浮かべて席を立つ。
「――――お先に失礼します」
教官たちは同じように愛想笑いを浮かべてラウラを見送った。

ラウラはまっすぐ食堂の出口へ向かったが、後方で教官たちがわざとらしく声を潜めたので、足を止めた。
ラウラは気づかれないように柱の陰に隠れると、耳を澄ませた。
盗み聞きをすることに抵抗感はあったが、案の定聞こえてきたのは、ラウラや丙級に関する、根も葉もないうわさ話だった。
「――――まあ彼女は特別ですから」
「技師としての腕は確かに認めますが、教官への登用は、私は未だに疑問ですよ」
「陛下は贔屓の激しい方ですからな」
「――――今の朝廷もひどいもんですよ。特に災嵐対策に関しては出自の知れない官吏ばかり重用している」
「あなたのご子息も官吏職についてから長いですよね。――――まさか不当な扱いを?」
「ええ。うちは代々官吏を輩出しているんですが、特に息子優秀で、登用試験の成績も抜群でした。それなのに未だなんの役も得られず……親としては、悔しい限りですよ」
「それは酷い!」
「皇帝の名家嫌いという噂は本当なんですね」
「正室との折り合いが悪いのも、それが原因だと聞きますな」
「逆では?私が聞いた話では、チャーリー殿との折り合いが悪いから、名家を嫌煙するようになった、とのことでしたが」
「チャーリー様は浪費家であられるますからね。ラサの気質に合わなかったんでしょう」
「それに息子の出来にも差がありますからなあ」
「他の名家の子息が優秀であることに耐えられないのかもしれません」
「不愉快な話だ」
「まったく」
教官たちは自分たちに都合のいい風聞を広げ、シェルティの母父である皇帝と正室に留まらず、やがて丙級までも貶め始める。
「丙級に異界人を編入したのも、かねてからそれが理由ではないかと私は思っていたんですよ」
「というと?」
「つまり、異界人の能力を使って、あたかも平民出の者の方が技師として秀でていると知らしめようとしているのではないか、と」
若手の教官は独自の解釈を述べた。
霊摂の必要なく常に身体を異界の霊力で充満させているカイは、カイ自身がまた霊摂の対象である霊源になりえる。
それも四元素と大差ない、膨大で尽きることない霊源だ。
火水風土が流動的で、安定した確保が難しいのに対し、カイの内を流れる霊力は常に一定で、霊摂も容易だ。
本来落ちこぼれ集団だったはずの丙級がある一時を境にその能力を飛躍的に向上させたのは、候補生たちがカイの霊力にあやかっているからではないか、というのがその教官の主張だった。
「彼らは特に外部演習で結果を残しているでしょう?近隣の村民の中には彼らがこの霊堂指折りの技師だと勘違いしている者までいる始末です。――――まったくの誤解だ!彼らは結果を残せて当然なんですよ。演習先で霊源の心配をする必要がないんですから」
教官の憶測が事実であれば、その発言は正しかった。
カイという霊源があれば、本来数十キロの重装備で挑まなければいけない登山に、手ぶらで挑むことが可能になる。
もちろん教官の憶測は外れている。カイを霊源にすることを、ラウラは候補生のためにならないと判断し、許さなかったのだ。
彼らは他級の候補生と同じく、それぞれの霊力を補う霊源は持ち歩くか、現地で調達するかして、演習に臨んでいた。
しかし他の教官たちは発言を真に受け、丙級に対する非難の声を強めた。
「それでは現在の丙級の評価はまったく正当とはいえないじゃないか!」
「これでもし正式な配属先が彼らより落ちることがあれば、我々の教え子はあまりにも不憫じゃないか!?」
「いかにも!」
「私怨で貴重な技師の芽を摘むとは、陛下もしょせんは人の子というわけですか」
「いや、これに大きく噛んでいるのはむしろ太弟殿下の方では?」
「たしかに、ここの決定権を持っているのは彼だ」
「残念ですな。優秀で、陛下や兄君よりずっと我々のことを理解してくれていると思ったのに……」
「陛下の意向を組んでいるんですかね?まったく、従順すぎるというのも、どうも――――」

これ以上は聞くに堪えないと思い、ラウラは食堂を出た。
腸が煮えくり返る思いだった。
(評価は正当!)
(全部みんなの実力!努力の成果!ズルなんてひとつもしてない!それなのに――――)
地団駄をいくら踏んでも、気は晴れなかった。
なぜ敬うべき主君を平然と罵れるのか。
自分たちより優れている者を素直に認めることができないのか。
あまつさえ誰よりも公平公正なノヴァに対して身勝手な失望を口にするなど、救いようがない。
(あんな人たちと肩を並べているなんて!)
引き返して、怒鳴りこんでやろうかと何度も思った。
けれどラウラはぐっと堪えた。
こんなつまらない諍いで、丙級への風当たりが強くなっては、皆に合わせる顔が無い。
ラウラ自身、教官どころか、カイの補佐としての立場も失ってしまうかもしれない。
ラウラはただ、歯噛みすることしかできなかった。

頭を冷やすため、ラウラは宿舎の周りをしばらく歩き回った。
夜風は頬を裂くように冷え切っていたが、沸き立つ思いを落ち着かせるのにはちょうどよかった。
ラウラは自分に言い聞かせる。
(あんな人たち、相手にしたって仕方ない)
(私は私の大事な人たちのために、やるべきことをやるだけ)
気を引き締めたラウラは、もうひと仕事終えてから宿舎に戻ろうと決意し、本堂に足を向けた。
すると目の前にあった候補生用の宿舎から、慌てた様子でひとりの候補生が飛び出してきた。
「あっ!」
ラウラはその女性に見覚えがあった。
ブリアード教官の娘で、ヤクートの妹にあたる、乙級の候補生サミー・ダルマチアだった。
サミーはラウラに駆け寄り、大げさな身振りで助けを求める。
「――――どうも、お久しぶりです。あの、突然でぶしつけなんですけど、丙の子がなんかえらいことになってて……」
それを聞いたラウラの頭には、真っ先にアフィーの姿が浮かんだ。
「なにがあったんですか!?」
ラウラが血相を変えたので、女子候補生はさらに慌てて窘める。
「ああ!違うんです!そうですねあのちょっとあの私の言い方紛らわしかったですね。よくなかったですね。あのその別に怪我したとかじゃないんです。ただちょっと、えっと、なんか大変そうなかんじになってて……」
「はっきり言ってください。アフィーになにが?」
「えー……あの、とにかく見てもらったらわかるかと……」
「ではアフィーのところまで案内してください」
「え!?無理です」
女子候補生は詰め寄ってきたラウラから大きく数歩後ずさる。
「どうして無理なんですか?」
「私がなにかしたとかではないんですけど、なんならいつもは放っておくんですけど――――面倒事はごめんですし――――本人も平然としてますから――――でも今回はすごい取り乱してて、あまりにもかわいそうで、だから、その――――とにかくいってみてください!」
サミーはそれだけ言って走り去ってしまう。
「待ってください!まだ――――」
ラウラはサミーを追いかけて走るが、サミーの脚はおそろしく早く、とても追いつけそうになかった。
ラウラはすぐにあきらめて方向を変え、アフィーがいるという宿舎の裏手に向かった。



宿舎の裏手、排水用のドブ川に膝をついて、アフィーは呆然としていた。
「アフィー!?」
ラウラは自分が汚れるのも躊躇わず川に入り、アフィーを助け起こした。
起き上がったアフィーはどぶにまみれていた。とくに手はまっ黒で、爪の奥深くまで泥が入り込んでしまっている。
まるで川底を引っ掻いたような有様だった。
「しっかりして下さい!なにがあったんですか!?」
ラウラの呼びかけに、アフィーは反応を示さない。
昨日、飴を前に星空のように輝いていた瞳は、深海のように光を失って真っ暗だった。
ラウラは周囲を見回す。
人気はない。
宿舎から漏れる明りも少なく、まだほとんどの候補生は市場から帰ってきていないようだった。
ラウラは少し考えてから、アフィーの手を引いて、川から上がらせた。
「冷え切っているじゃないですか」
アフィーやはり反応を示さない。
それでもラウラが手を引くと素直に足を進めた。
アフィーの足取りは重く、不確かだ。
指先も固く凍りついている。
ラウラはアフィーが転ばないよう注意を払いながら、できる限りの早足で、カイの住居に向かった。

カイはシェルティと夕食後の一服をしているところだった。
やってきた二人の姿を見て、椅子を蹴るようにして飛んでくる。
「どうした!?」
アフィーはカイを見てわずかに眉根を下げたが、それ以上の反応は示さなかった。
「なにがあったのか、私もよくわからないんです。アフィーは宿舎裏にいて……」
カイは汚れた二人の手を躊躇なく握り、部屋の中に招き入れた。
「わかった。とにかく入って。着替えと、タオルと、温めるもの……シェルティ!」
カイに呼ばれる前に、シェルティはすでに二人のための椅子を用意していた。
「うん。二人とも座って。汚れを落として、服を変えて、身体を温めて――――話は、それからだ」
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