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第二章
戌歴九九八年・初冬(一)
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〇〇〇
師走の西方霊堂は騒がしかった。
教官たちは業務に追われ、候補生たちはどこか神経質で落ち着きがなかった。
年の瀬で、はじめての長期休暇を控えているからというだけではない。
年が明け、休暇が終わると、候補生たちはいよいよ養成期間を終え、補助技師として全国各地に配属される。
配属先はこの五か月の評価によって決定される。もちろん成績だけではなく、素行、適性も加味されるが、ほとんどの候補生にとって主要都市への配属を望んでいた。
人口が多く、防衛の優先度が高い地域に配属されるということは、それだけ能力を評価された、ということである。また都市部であれば他の技師や官吏と接する機会も多い。顔を売るにはこれ以上ない機会なのである。
特に西方霊堂に属する候補生たちは名家の子弟がほとんどで、自尊心が高い。
配属は甲乙丙の等級に関わらず決定されるということもあり、別等級はおろか、修練を共にした同等級の者同士でさえ、どこか殺伐といた様子だった。
そんな重苦しい雰囲気の中、丙級だけは、変わらず和気あいあいと過ごしていた。
〇
この日丙級の一同は、西方霊堂から森をひとつ越えた先にある村の、甜菜の収穫の手伝いにやってきていた。
畦道でくつかに区切られているが、畑は全体で三町ほどの大きさだった。
ラウラは畑を取り囲むように霊具を設置すると、物見やぐらの上にいるカイに手を振った。
「できました!あとはお願いします!」
カイは手を振ってそれに答えると、火のともった小さな蝋を口元に運び、強く息を吹きかけた。
火は一瞬消えたが、すぐに火炎となって燃え盛り、畑に向かってまっすぐ伸びていった。
そして一面に生い茂る甜菜の葉を焼き落とした。
カイが息を止めると炎も消え、畑は黒く焦げ落ちた葉で真っ黒に染まる。
焼き落としが済むと、畦道に散開していた候補生たちが集まった。
「いいか?」
「こっちはいける」
「いつでもいいぜ」
「それじゃあ――――せーのっ!」
彼らは両手を地につけ、ラウラの設置した霊具に霊力を送り込む。
畑の中に地震のような揺れが起こる。
まるで耕作機をかけられたかのように土は揺さぶられ、柔らかくなる。
畑に半分ほど埋まっていた甜菜が、揺さぶりを受け、跳ねるように飛び上がる。
やがて候補生たちの霊力が尽きると、畑の揺れは止んだ。
「――――お見事です!」
ラウラの一声で候補生たちはその場に突っ伏した。
「やったあ……」
「すげえ、まじで一瞬で掘り起こせちゃったよ」
「うちの実家でもやってくんないかな、これ」
「こんだけ疲れるなら手で掘るのと変わんねえよ」
肌寒い気候の中、候補生たちは息を切らせ、汗で服を濡らしていた。
「……まだ終わってない」
ただ一人だけ汗をかかず、わずかに顔を上気させただけのアフィーが言った。
「収穫」
アフィーは立ち上がり、収穫用のカゴを背負った。
「まじかよ少し休憩しようぜ」
やぐらから降りてきたカイはアフィーの腕を引いた。
「……」
アフィーは足を止めるが、カイの顔から目を逸らして、小さな声で言う。
「休憩は、全部、終わってから……」
「まあそうだけどさ、思ってたよりみんな疲れたみたいだし……。っていうかアフィーも疲れただろ?」
「平気」
「いやいや、顔真っ赤じゃん」
「赤くない」
カイは笑って、アフィーの肩を軽く叩く。
「はいはい。でもなんでそんな、今日はえらくはりきってるんだ?」
アフィーは口を尖らせてカイを睨み付けると、その手を振り払って、掘り起こした甜菜を拾い始めた。
「強情な奴め。――――でもいつまでも懐かない野良ネコだと思うと、憎さ無いままで可愛さ百倍なんだよなあ」
独り言ちるカイに、ラウラは呆れてため息をつく。
「なに言ってるんですか。ふざけてないで、私たちも拾いに行きますよ」
ラウラはカゴを背負うと、腰を降ろした候補生たちを叱咤する。
「はい、みなさんも!一番若いアフィーが休まず動いてるんですから、見習ってくださいね!」
候補生たちは慌てて起き上がり、カゴを背負う。
カイは感心した。
「たった一声でみんなを動かすなんて、すっかり先生が板についたよなあ」
「カイさんにも言ったんですよ?霊力を消耗していない分、誰よりも元気なことは知っていますからね。他の人の三倍は拾ってくださいね」
笑顔でラウラに言われたカイは、慌てて足元の甜菜を拾い上げる。
「も、もちろん!――――いやほんと、さまになってますわ、ラウラ先生……」
掘り出した甜菜をすべて拾い終えた一同は、村にある集会場に入って、ようやく一息つくことができた。
「いやあ、助かりました!」
村長を務める老人は、手ずから候補生に茶を配りながら感謝を述べた。
「村の若いのは大半霊堂の方へ出稼ぎにいっちまっておりまして、今季の収穫はどうしたもんかと頭を抱えていたんです。甜菜の収穫は重労働ですからね。それがまさか、たった一日で済ましてもらえるとは、なんとお礼を申し上げていいものか」
「いえ、こちらこそ、大切な作物を預けてくださってありがとうございました。こちらの村で作る砂糖の恩恵は、私たちも受けていますから、少しでもお役に立てたのであれば幸いです」
「恩恵だなんて、滅相もない!こっちからしたら一番のお得意さんに手伝ってもらったようなもんで、恐縮ですよ!――――それにしても噂通りの手腕で驚きました」
村長の言う噂は、霊堂の周辺にある村落の収穫作業を、丙級が手伝ったため出回ったものだった。
ラウラは修練の一貫として、秋頃から近隣村落の作物の収穫に丙級を連れ出していた。
丙級の面々からしてみれば複数人で発動させる中規模霊術の経験を積むことができ、村人からしてみれば収穫の手間が省けるという、利害の一致から始められた野外演習であったが、丙級の技師見習いたちの手際は村人の想像以上であった。
村一丸となって数日がかりで行われる収穫作業が、彼らの手にかかればたった一日で終わってしまうのだ。
やがて村人は諸手を振って丙級を出迎えるようになった。
初冬に入り、収穫がひと段落する頃には、近隣のどの村落に赴いても歓待を受けるほど、その評判は高くなっていた。
〇
農村から帰る道すがら、村長から受けた手放しの称賛に気分を良くした丙級一行は、馬上で声をかけあった。
「おれらもすっかり有名人だな」
「修練してるだけなのになあ。あんなに感謝されるんだもんなあ」
「よく言うぜ。最初はなんで演習で畑仕事しなくちゃいけないんだってぼやいてたくせいに」
「それはみんなだって言ってただろ」
「まあなんにしろ気分いいよな。最初、丙級は無能な貧乏人の集まり、とか揶揄されてたのが、今や一番の成長株だってんだから」
「そうそう。おれなんかまた帰り際に女の子につかまっちゃってさ、参ったぜ」
「はいはい」
「どうせアフィーへの斡旋だろ」
「ちげえよ!今回のは本当におれに話かけてくれたんだって!」
名前をあげられたアフィーは騒ぎ立てる青年たちに横目をやるが、特に反応は示せず、一同からすこし離れた位置で馬を歩かせ続けた。
しんがりを務めていたラウラとカイは目配せをし、アフィーの傍に馬をよせる。
「アフィー、今回はモテなかったのか?」
カイの戯れを、アフィーはそっぽを向いて無視する。
しかし馬の歩みは変えなかった。
二人と並走することは、やぶさかではないらしい。
「アフィー、私はちゃんと見てましたよ。女の子に文を渡されているところ」
ラウラの言葉に、アフィーはさらに顔をそむけた。
その代り二人に向けられた剥き出しの耳は真っ赤で、顔を背ける意味はなくなっていた。
「また勘違いされたのかあ。まあ確かに、背高いし、髪短いし、ぱっと見じゃ男か女かわかんないからなあ」
「アフィーくらいきれいだったら女性と知っても言い寄る人はいそうですけどね」
「ああ、宝塚的な?――――うん、全然あり得るな」
アフィーはカイに一瞬だけ視線を向けて、またすぐ逸らした。
アフィーは怒っているような、照れているような、複雑な表情を浮かべていた。
「なんだよ、アフィー。いつも言ってるだろ。言いたいことははっきり言わなくちゃ、相手に伝わんないんだぜ」
「……別に、なにも、ない」
「なにもないって顔じゃないだろ」
アフィーはもう一度カイに視線をやる。
今度は眉根にしわをよせた、いかにも不機嫌な顔つきをしていた。
まあまあ、とラウラはカイを窘め、アフィーに訊ねる。
「それでその文にはなんて書いてあったんですか?」
「……まだ読んでない」
アフィーはそう言って、腰に下げていた荷袋から文を取りだした。
その拍子に、なにかが地面に転がり落ちる。
「なんか落としたぞ」
カイは馬を止め、アフィーが落としたそれを拾い上げる。
「あっ!」
アフィーもあわてて馬を止める。
カイは拾い上げた、土をかぶった白い欠片を凝視し、首をひねる。
「なんだこれ?……甜菜?」
アフィーはカイの手から甜菜の切れ端を奪い返そうと、馬を飛び降りた。
荷袋の口が開いたままだったため、着地の衝撃でさらに中身がばら撒かれる。
どれも薄汚れた甜菜の切れ端であった。
「こんなん持って帰ってどうすんだよ。砂糖でも作る気か?」
霊術で甜菜を掘り起こした際、身の一部が欠けたものがあった。
あるていどの大きさのものであれば収穫されたが、こぶし大にも満たないものであればそのまま畑に捨て置かれた。
アフィーが荷袋に隠し持っていたのは、その中でも特に小さい、手のひらに収まってしまうような小さな切れ端だった。
「砂糖を作るにしては量が少なすぎますよ」
ラウラも馬を降りて、甜菜の欠片を拾い集めた。
「なにに使うつもりだったんですか?」
「……あめにする」
「あめ?」
アフィーはラウラから欠片を受け取ると、表面についた泥を拭い、躊躇うことなく口の中に放りこんだ。
「えっ!?」
ラウラは絶句して口を押える。
甜菜は砂糖の原料、という知識しか持ち合わせていないカイは、アフィーの行動に感心する。
「もしかして甘いのか?」
アフィー切れ端を口の中で転がしながら頷く。
「へえ、生で食べてもいいんだな、甜菜って」
「い、いや……カイさん……」
ラウラは首を振ったが、カイはそれを見ていなかった。
アフィーは切れ端のひとつを袖で丹念に拭い、カイに差し出した。
「いる?」
「いいの?ありがと!」
「……うん」
カイは菓子でも食べる調子で、甜菜を勢いよく咀嚼した。
「ん?思ったより甘くな――――うっ」
カイは咀嚼する口の動きをとめる。
口を押え、みるみる額にしわを寄せていく。
「すぐに飲み込んじゃ、だめ」
アフィーは切れ端を口の中で転がしながら、どこか得意げに言った。
「ちょっと噛んで、飴みたいに舐めて、甘くなくなったらまた噛む。そうやったら、甘いの、長く続く」
「――――あ、そうなの、おれいきなりかじっちゃったよ。……食べ方間違えたからかな、えぐみがすごくて……うえ、だめだ……」
カイはたまらず手の中に甜菜を吐き出した。
狙っていたかのように馬が顔をよせてきたので、カイは噛み砕いた甜菜をそのまま馬に与えた。
「……」
それを見たアフィーは俯き、無言で馬に跨った。
その顔はいつも通りの仏頂面だったが、目の端には涙が滲んでいた。
「……カイさん」
ラウラは哀れみの視線をカイに送る。
「ご、ごめん……悪気があったわけじゃ……」
「いえそうではなくて――――」
ラウラは説明した。
甜菜は生食に適したものではなく、ましてや泥のかぶった欠片を飴のように舐めるなど聞いたこともない、と。
「アフィーさんはたしか東北の出身ですから、甜菜の栽培はこちらより盛んなはずです。なので、もしかしたら、地方独自の食べ方なのかもしれませんが……」
「慣れればうまいもんってこと?」
「どうでしょう、私も食べたことはないので……」
ラウラとカイは馬に乗り、アフィーを追いかけた。
「アフィー!待ってよ、おれが悪かったからさ」
「……」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「ごめん、今度はちゃんと食べるからさ。もう一個くれない?」
「……自分で拾ってくればいい」
「ごめんってば……そんな冷たいこと言わないでよ」
「……」
カイはラウラに目線で助けを求める。
ラウラは困ったように笑い、助け舟を出した。
「アフィー、私も食べてみたいです。ひとつくれませんか?」
「……」
「だめですか?そうですね、せっかくアフィーが拾ってきたものを、ただでもらうというのも悪いですから――――そうだ、帰りに市場によって飴を買うので、それと交換でどうですか?」
「……飴?」
アフィーが食いついたので、ラウラは畳み掛ける。
「はい!市場の練り飴屋さん、行ったことありますか?とてもおいしいんですよ。中に果物がはいっているのなんかもあって――――」
「知ってる。桃、林檎、苺……先週から、柿も出た」
「詳しいですね。よく行くお店でしたか?」
「行ったことはない。でも、知ってた。通ると、いつもいいにおいする。飴細工を、作ってるときもある。蝶が多い。大きな羽の、琥珀色の、蝶。本当に飛びそうな、きれいな、蝶」
ラウラは珍しく饒舌なアフィーに、嬉しそうに笑いかける。
「じゃあ是非行きましょう!」
「……うん」
アフィーは頷くと、ポケットから甜菜の欠片を取り出し、ラウラとカイに分け与えた。
「おれも、いいの?」
「うん」
「ありがとう!飴、まかせてよ!好きなのなんでも、いくらでも買ってあげるから!」
カイは上機嫌になって言った。
「わかった」
アフィーは濃い藍色の瞳を星空のように輝かせて、大きく頷いた。
師走の西方霊堂は騒がしかった。
教官たちは業務に追われ、候補生たちはどこか神経質で落ち着きがなかった。
年の瀬で、はじめての長期休暇を控えているからというだけではない。
年が明け、休暇が終わると、候補生たちはいよいよ養成期間を終え、補助技師として全国各地に配属される。
配属先はこの五か月の評価によって決定される。もちろん成績だけではなく、素行、適性も加味されるが、ほとんどの候補生にとって主要都市への配属を望んでいた。
人口が多く、防衛の優先度が高い地域に配属されるということは、それだけ能力を評価された、ということである。また都市部であれば他の技師や官吏と接する機会も多い。顔を売るにはこれ以上ない機会なのである。
特に西方霊堂に属する候補生たちは名家の子弟がほとんどで、自尊心が高い。
配属は甲乙丙の等級に関わらず決定されるということもあり、別等級はおろか、修練を共にした同等級の者同士でさえ、どこか殺伐といた様子だった。
そんな重苦しい雰囲気の中、丙級だけは、変わらず和気あいあいと過ごしていた。
〇
この日丙級の一同は、西方霊堂から森をひとつ越えた先にある村の、甜菜の収穫の手伝いにやってきていた。
畦道でくつかに区切られているが、畑は全体で三町ほどの大きさだった。
ラウラは畑を取り囲むように霊具を設置すると、物見やぐらの上にいるカイに手を振った。
「できました!あとはお願いします!」
カイは手を振ってそれに答えると、火のともった小さな蝋を口元に運び、強く息を吹きかけた。
火は一瞬消えたが、すぐに火炎となって燃え盛り、畑に向かってまっすぐ伸びていった。
そして一面に生い茂る甜菜の葉を焼き落とした。
カイが息を止めると炎も消え、畑は黒く焦げ落ちた葉で真っ黒に染まる。
焼き落としが済むと、畦道に散開していた候補生たちが集まった。
「いいか?」
「こっちはいける」
「いつでもいいぜ」
「それじゃあ――――せーのっ!」
彼らは両手を地につけ、ラウラの設置した霊具に霊力を送り込む。
畑の中に地震のような揺れが起こる。
まるで耕作機をかけられたかのように土は揺さぶられ、柔らかくなる。
畑に半分ほど埋まっていた甜菜が、揺さぶりを受け、跳ねるように飛び上がる。
やがて候補生たちの霊力が尽きると、畑の揺れは止んだ。
「――――お見事です!」
ラウラの一声で候補生たちはその場に突っ伏した。
「やったあ……」
「すげえ、まじで一瞬で掘り起こせちゃったよ」
「うちの実家でもやってくんないかな、これ」
「こんだけ疲れるなら手で掘るのと変わんねえよ」
肌寒い気候の中、候補生たちは息を切らせ、汗で服を濡らしていた。
「……まだ終わってない」
ただ一人だけ汗をかかず、わずかに顔を上気させただけのアフィーが言った。
「収穫」
アフィーは立ち上がり、収穫用のカゴを背負った。
「まじかよ少し休憩しようぜ」
やぐらから降りてきたカイはアフィーの腕を引いた。
「……」
アフィーは足を止めるが、カイの顔から目を逸らして、小さな声で言う。
「休憩は、全部、終わってから……」
「まあそうだけどさ、思ってたよりみんな疲れたみたいだし……。っていうかアフィーも疲れただろ?」
「平気」
「いやいや、顔真っ赤じゃん」
「赤くない」
カイは笑って、アフィーの肩を軽く叩く。
「はいはい。でもなんでそんな、今日はえらくはりきってるんだ?」
アフィーは口を尖らせてカイを睨み付けると、その手を振り払って、掘り起こした甜菜を拾い始めた。
「強情な奴め。――――でもいつまでも懐かない野良ネコだと思うと、憎さ無いままで可愛さ百倍なんだよなあ」
独り言ちるカイに、ラウラは呆れてため息をつく。
「なに言ってるんですか。ふざけてないで、私たちも拾いに行きますよ」
ラウラはカゴを背負うと、腰を降ろした候補生たちを叱咤する。
「はい、みなさんも!一番若いアフィーが休まず動いてるんですから、見習ってくださいね!」
候補生たちは慌てて起き上がり、カゴを背負う。
カイは感心した。
「たった一声でみんなを動かすなんて、すっかり先生が板についたよなあ」
「カイさんにも言ったんですよ?霊力を消耗していない分、誰よりも元気なことは知っていますからね。他の人の三倍は拾ってくださいね」
笑顔でラウラに言われたカイは、慌てて足元の甜菜を拾い上げる。
「も、もちろん!――――いやほんと、さまになってますわ、ラウラ先生……」
掘り出した甜菜をすべて拾い終えた一同は、村にある集会場に入って、ようやく一息つくことができた。
「いやあ、助かりました!」
村長を務める老人は、手ずから候補生に茶を配りながら感謝を述べた。
「村の若いのは大半霊堂の方へ出稼ぎにいっちまっておりまして、今季の収穫はどうしたもんかと頭を抱えていたんです。甜菜の収穫は重労働ですからね。それがまさか、たった一日で済ましてもらえるとは、なんとお礼を申し上げていいものか」
「いえ、こちらこそ、大切な作物を預けてくださってありがとうございました。こちらの村で作る砂糖の恩恵は、私たちも受けていますから、少しでもお役に立てたのであれば幸いです」
「恩恵だなんて、滅相もない!こっちからしたら一番のお得意さんに手伝ってもらったようなもんで、恐縮ですよ!――――それにしても噂通りの手腕で驚きました」
村長の言う噂は、霊堂の周辺にある村落の収穫作業を、丙級が手伝ったため出回ったものだった。
ラウラは修練の一貫として、秋頃から近隣村落の作物の収穫に丙級を連れ出していた。
丙級の面々からしてみれば複数人で発動させる中規模霊術の経験を積むことができ、村人からしてみれば収穫の手間が省けるという、利害の一致から始められた野外演習であったが、丙級の技師見習いたちの手際は村人の想像以上であった。
村一丸となって数日がかりで行われる収穫作業が、彼らの手にかかればたった一日で終わってしまうのだ。
やがて村人は諸手を振って丙級を出迎えるようになった。
初冬に入り、収穫がひと段落する頃には、近隣のどの村落に赴いても歓待を受けるほど、その評判は高くなっていた。
〇
農村から帰る道すがら、村長から受けた手放しの称賛に気分を良くした丙級一行は、馬上で声をかけあった。
「おれらもすっかり有名人だな」
「修練してるだけなのになあ。あんなに感謝されるんだもんなあ」
「よく言うぜ。最初はなんで演習で畑仕事しなくちゃいけないんだってぼやいてたくせいに」
「それはみんなだって言ってただろ」
「まあなんにしろ気分いいよな。最初、丙級は無能な貧乏人の集まり、とか揶揄されてたのが、今や一番の成長株だってんだから」
「そうそう。おれなんかまた帰り際に女の子につかまっちゃってさ、参ったぜ」
「はいはい」
「どうせアフィーへの斡旋だろ」
「ちげえよ!今回のは本当におれに話かけてくれたんだって!」
名前をあげられたアフィーは騒ぎ立てる青年たちに横目をやるが、特に反応は示せず、一同からすこし離れた位置で馬を歩かせ続けた。
しんがりを務めていたラウラとカイは目配せをし、アフィーの傍に馬をよせる。
「アフィー、今回はモテなかったのか?」
カイの戯れを、アフィーはそっぽを向いて無視する。
しかし馬の歩みは変えなかった。
二人と並走することは、やぶさかではないらしい。
「アフィー、私はちゃんと見てましたよ。女の子に文を渡されているところ」
ラウラの言葉に、アフィーはさらに顔をそむけた。
その代り二人に向けられた剥き出しの耳は真っ赤で、顔を背ける意味はなくなっていた。
「また勘違いされたのかあ。まあ確かに、背高いし、髪短いし、ぱっと見じゃ男か女かわかんないからなあ」
「アフィーくらいきれいだったら女性と知っても言い寄る人はいそうですけどね」
「ああ、宝塚的な?――――うん、全然あり得るな」
アフィーはカイに一瞬だけ視線を向けて、またすぐ逸らした。
アフィーは怒っているような、照れているような、複雑な表情を浮かべていた。
「なんだよ、アフィー。いつも言ってるだろ。言いたいことははっきり言わなくちゃ、相手に伝わんないんだぜ」
「……別に、なにも、ない」
「なにもないって顔じゃないだろ」
アフィーはもう一度カイに視線をやる。
今度は眉根にしわをよせた、いかにも不機嫌な顔つきをしていた。
まあまあ、とラウラはカイを窘め、アフィーに訊ねる。
「それでその文にはなんて書いてあったんですか?」
「……まだ読んでない」
アフィーはそう言って、腰に下げていた荷袋から文を取りだした。
その拍子に、なにかが地面に転がり落ちる。
「なんか落としたぞ」
カイは馬を止め、アフィーが落としたそれを拾い上げる。
「あっ!」
アフィーもあわてて馬を止める。
カイは拾い上げた、土をかぶった白い欠片を凝視し、首をひねる。
「なんだこれ?……甜菜?」
アフィーはカイの手から甜菜の切れ端を奪い返そうと、馬を飛び降りた。
荷袋の口が開いたままだったため、着地の衝撃でさらに中身がばら撒かれる。
どれも薄汚れた甜菜の切れ端であった。
「こんなん持って帰ってどうすんだよ。砂糖でも作る気か?」
霊術で甜菜を掘り起こした際、身の一部が欠けたものがあった。
あるていどの大きさのものであれば収穫されたが、こぶし大にも満たないものであればそのまま畑に捨て置かれた。
アフィーが荷袋に隠し持っていたのは、その中でも特に小さい、手のひらに収まってしまうような小さな切れ端だった。
「砂糖を作るにしては量が少なすぎますよ」
ラウラも馬を降りて、甜菜の欠片を拾い集めた。
「なにに使うつもりだったんですか?」
「……あめにする」
「あめ?」
アフィーはラウラから欠片を受け取ると、表面についた泥を拭い、躊躇うことなく口の中に放りこんだ。
「えっ!?」
ラウラは絶句して口を押える。
甜菜は砂糖の原料、という知識しか持ち合わせていないカイは、アフィーの行動に感心する。
「もしかして甘いのか?」
アフィー切れ端を口の中で転がしながら頷く。
「へえ、生で食べてもいいんだな、甜菜って」
「い、いや……カイさん……」
ラウラは首を振ったが、カイはそれを見ていなかった。
アフィーは切れ端のひとつを袖で丹念に拭い、カイに差し出した。
「いる?」
「いいの?ありがと!」
「……うん」
カイは菓子でも食べる調子で、甜菜を勢いよく咀嚼した。
「ん?思ったより甘くな――――うっ」
カイは咀嚼する口の動きをとめる。
口を押え、みるみる額にしわを寄せていく。
「すぐに飲み込んじゃ、だめ」
アフィーは切れ端を口の中で転がしながら、どこか得意げに言った。
「ちょっと噛んで、飴みたいに舐めて、甘くなくなったらまた噛む。そうやったら、甘いの、長く続く」
「――――あ、そうなの、おれいきなりかじっちゃったよ。……食べ方間違えたからかな、えぐみがすごくて……うえ、だめだ……」
カイはたまらず手の中に甜菜を吐き出した。
狙っていたかのように馬が顔をよせてきたので、カイは噛み砕いた甜菜をそのまま馬に与えた。
「……」
それを見たアフィーは俯き、無言で馬に跨った。
その顔はいつも通りの仏頂面だったが、目の端には涙が滲んでいた。
「……カイさん」
ラウラは哀れみの視線をカイに送る。
「ご、ごめん……悪気があったわけじゃ……」
「いえそうではなくて――――」
ラウラは説明した。
甜菜は生食に適したものではなく、ましてや泥のかぶった欠片を飴のように舐めるなど聞いたこともない、と。
「アフィーさんはたしか東北の出身ですから、甜菜の栽培はこちらより盛んなはずです。なので、もしかしたら、地方独自の食べ方なのかもしれませんが……」
「慣れればうまいもんってこと?」
「どうでしょう、私も食べたことはないので……」
ラウラとカイは馬に乗り、アフィーを追いかけた。
「アフィー!待ってよ、おれが悪かったからさ」
「……」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「ごめん、今度はちゃんと食べるからさ。もう一個くれない?」
「……自分で拾ってくればいい」
「ごめんってば……そんな冷たいこと言わないでよ」
「……」
カイはラウラに目線で助けを求める。
ラウラは困ったように笑い、助け舟を出した。
「アフィー、私も食べてみたいです。ひとつくれませんか?」
「……」
「だめですか?そうですね、せっかくアフィーが拾ってきたものを、ただでもらうというのも悪いですから――――そうだ、帰りに市場によって飴を買うので、それと交換でどうですか?」
「……飴?」
アフィーが食いついたので、ラウラは畳み掛ける。
「はい!市場の練り飴屋さん、行ったことありますか?とてもおいしいんですよ。中に果物がはいっているのなんかもあって――――」
「知ってる。桃、林檎、苺……先週から、柿も出た」
「詳しいですね。よく行くお店でしたか?」
「行ったことはない。でも、知ってた。通ると、いつもいいにおいする。飴細工を、作ってるときもある。蝶が多い。大きな羽の、琥珀色の、蝶。本当に飛びそうな、きれいな、蝶」
ラウラは珍しく饒舌なアフィーに、嬉しそうに笑いかける。
「じゃあ是非行きましょう!」
「……うん」
アフィーは頷くと、ポケットから甜菜の欠片を取り出し、ラウラとカイに分け与えた。
「おれも、いいの?」
「うん」
「ありがとう!飴、まかせてよ!好きなのなんでも、いくらでも買ってあげるから!」
カイは上機嫌になって言った。
「わかった」
アフィーは濃い藍色の瞳を星空のように輝かせて、大きく頷いた。
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辞めますよ。
退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。
自分無能なんで、なんにもわかりませんから。
カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。
転移先は勇者と呼ばれた男のもとだった。
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人魔戦争。
それは魔人と人族の戦争。
その規模は計り知れず、2年の時を経て終戦。
勝敗は人族に旗が上がったものの、人族にも魔人にも深い心の傷を残した。
それを良しとせず立ち上がったのは魔王を打ち果たした勇者である。
勇者は終戦後、すぐに国を建国。
そして見事、平和協定条約を結びつけ、法をつくる事で世界を平和へと導いた。
それから25年後。
1人の子供が異世界に降り立つ。
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ある夏の夜。公爵令嬢のアシュレイは王宮殿の舞踏会で、婚約者のルディ皇子にいつも通り罵声を浴びせられていた。
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アシュレイの誕生日だというのに、エスコートすら放棄して、皇子づきのメイドのミュシャに気を遣うよう求めてくる皇子と取り巻き達に、呆れるばかり。
「幼馴染みだかなんだかしらないけれど、もう限界だわ。あの人達に罰があたればいいのに」
こっそり呟いた瞬間、
《願いを聞き届けてあげるよ!》
何故か全くの別人になってしまっていたアシュレイ。目の前で、アシュレイが倒れて意識不明になるのを見ることになる。
「よくも、義妹にこんなことを!皇子、婚約はなかったことにしてもらいます!」
義父と義兄はアシュレイが状況を理解する前に、アシュレイの体を持ち去ってしまう。
今までミュシャを崇めてアシュレイを冷遇してきた取り巻き達は、次々と不幸に巻き込まれてゆき…ついには、ミュシャや皇子まで…
ひたすら一人づつざまあされていくのを、呆然と見守ることになってしまった公爵令嬢と、怒り心頭の義父と義兄の物語。
はたしてアシュレイは元に戻れるのか?
剣と魔法と妖精の住む世界の、まあまあよくあるざまあメインの物語です。
ざまあが書きたかった。それだけです。
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