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第二章

戌歴九九八年・初夏(二)

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〇〇〇

エレヴァン全土から集められた候補生は、のべ三百人にのぼる。この三百人は専門の訓練を数か月受け、その後縮地術の専門技師として各地で術具の設置と災嵐までの管理業務に就く。
候補生が訓練を受けるのは、東西南北の四つの霊堂である。
中でも選考の段階で秀でた成績を残した者は、四つある霊堂の中でもっとも規模が大きく有能な技師が集まる西方霊堂に集められた。
西方霊堂に選抜された五十余名の候補生は、その中でさらに能力に応じた階級分けをされた。
上から甲、乙、丙の三階級である。
能力ごとに指導内容も異なり、特に甲の候補生はほとんどが良家の出身で、霊操や霊具、霊術の扱いに関してはすでに他者の指導を必要としていなかった。
彼らは災嵐に備えた臨時職員とでもいうべき補助技師としてだけでなく、朝廷お抱えの技師、官職である技師官としての登用も見込まれており、より実践的な経験を積ませることが訓練の主旨とされていた。
乙においては、基礎的な霊操は身につけているものとし、その研鑽に努めることを求められた。
そして一番下の丙は、霊操能力が求められる基準に達していないとみなされた者たちのための階級だった。
訓練内容はごく基礎的な、霊具を用いた霊操の修練からはじまる。
いわば丙は初心者の集まりだった。

「なぜ西方にあんなやつらがいるんだ。東方霊堂に配属された知人の方がよほど優れていたぞ」
「さあな、よほどうまくゴマでもすったんじゃないか」
「功名心でここにいるということ?最低ね」
「災嵐から世界を守るという志をもった私たちを見習ってほしいわ」
「その通りだ!けしからん!」
「西方の品位が落ちるわ」
「今からでも教官に直訴しにいこう。あんな赤ん坊と同じ学舎にはいられない、とね!」
「無駄だよ。選考したのは彼らではないし、決定権はもっと上の人間にある」
「ああ。選考基準を定めたのも彼らだろうな」
「基準に誤りがあると?」
「ここの基準は、霊操の可否だけじゃない、蓄えられる霊力の量なんかも見られるんだ。あいつらはたぶんその霊摂能力と霊力の高さだけでここにこられたんだろう」
「やはり誤りじゃないか!」
「一芸に秀でただけの連中とは……ますます軽蔑する。こっちは血のにじむ努力をへてここにいるっていうのに……」
ラウラはいたるところから聞こえてくるそんな声を、どうにかやり過ごし、自分の受け持つ丙の教室へ向かった。
「お、ラウラ先生、おはようございます!」
教室の中央で、他の候補生に囲まれるカイは、ラウラを見るなり手を振った。
「閣下、その、何度も言いますが先生というのは……」
「いやおれいま学生だし、こういうとこで贔屓してもらっちゃ悪いでしょ」
カイの言葉に、他の候補生も便乗する。
「そうですよ、先生。大使だけ贔屓なんてずるいです」
「大使がラウラ先生を呼び捨てるなら、おれらもそうしますよ!」
「ラウラちゃん、今日の課題はなに?」
カイは笑って、ラウラをちゃん付けした候補生を小突く。
「調子に乗んなよ!」
「そうだぞ!ラウラ先生、おれはちゃんと敬称も敬語も使いますから、今日の評価に色を添えていただけると――――」
「あ、ずるい、ならおれも!おれもです先生!ラウラ大先生!」
「さっきのは冗談です!二度とちゃん付けなんてしないので、おれの評価もお願いします!」
「調子に乗るなって言ってんだろ!」
カイは候補生たちを追い回す。
狭い教室内で彼らは子どものようにはしゃぎ合った。
ラウラは呆れた視線を投げかけたが、内心ではほっと肩をなでおろしていた。

訓練が始まって数週間が過ぎた。ラウラはカイが属しているという理由で丙の候補生を受け持つことになったのだが、彼らが周囲から蔑まれていることに対してひどく心を痛めていた。
確かに彼らは優れた霊摂能力、ひいては並外れた霊力があったが、それを霊操に生かすことはできなかった。
むしろ有り余る霊力故に、並みの霊具の扱いでさえ手こずるといった始末だった。
それでも彼らは彼らなりに真剣だった。
ほとんどが地方の農村出身のもので、西方霊堂に招かれたことは彼らにとって僥倖だった。
ここで評価を得て、補助技師の資格を得ること、出世の道を見出すことに、彼らは必死だった。
その目的を他級の者たちは嘲笑するが、ラウラは良しとした。
理由はどうあれ、修練に取り組む姿勢は真剣そのものだったからだ。
ラウラにとっての懸念は、彼らのやる気が心無い者たちの振る舞いによって折れてしまわないかということだった。
しかしその影は、カイが払い去ってくれた。
カイは自分が丙であることを当然だと認めていた。
他級の者も、さすがに渡来大使であるカイの前では陰口も嫌がらせも控えていたので、カイ自身は丙が排斥されていることに気づかずにいた。
人数が少なく、訓練内容も他級とは一線を画すため浮いているのだろう、といった程度の認識だ。
カイは同じ丙の訓練生に対して遠慮も隔たりもなく接した。
齢にばらつきはあるが、丙の者はみな似た出自で、価値観が近い。
最初はカイという異界人に対して畏まり、どう接したらいいかわからないといった様子だったが、その飾らない人となりにすぐ打ち解けることができた。
カイ自身も、これまで一人で行ってきた修練を共にする仲間ができたことを喜ばしく思っていた。
こちらの世界に呼ばれたことで中断された学生生活を取り戻したようで、浮足立っていた。
そしてそれは、ラウラも同じだった。
(私には友だちがいないから、きっとこんなふうにはできなかった)
(ノヴァと、殿下のときもそうだったけど、閣下は人と心を通わせるのがうまい方だ)
(なにかにつけて私のことをすごいって言ってくれるけど、ほんとうは、閣下のほうがずっとすごい)
ラウラはカイに感謝すると同時に、尊敬の念を深めた。

開始時間が近づいてきたので、ラウラは手を叩き、注目を集める。
「そこまでです!わたしには敬称も敬語も必要ありませんし、使っても今日の評価が良くなることもありません。むしろみなさん、朝からこれだけ騒ぐ元気があるなら、今日はいつも以上に力を発揮できる課題に変更しましょう」
ラウラはその大きな瞳を輝かせて、無邪気な愛らしい笑顔で言った
カイを含む候補生は、その魅力的な笑顔を前に、顔色を失い、冷や汗をたれながす。
「え……まじ……?」
「大使がよけないこというから!」
「おれのせいかよ!焚きつけたのはお前らだろ!」
「今日帰れるかな……」
ラウラの指導が厳しいものであることを、彼らはすでに身をもって知っていた。
彼らは数分前の戯れを後悔しながら、肩を落として席に着いた。



日が落ちて、あたりはすっかり暗くなったが、丙の教室にはまだラウラを含む四人の人間が残っていた。
他級の教室はすでに施錠され、候補生のほとんどはすでに宿舎に戻っている。
「で、できました……」
丙級の最年長、二十三歳の青年ヤクート・ダルマチアは、献上するようにラウラに完成した課題を差し出した。
ラウラは受け取ったそれを子細に点検する。
三十センチ四方の皮生地には不格好な花模様が刺繍されている。
生地は差し損じの穴だらけで、まるで子供の手習いのような有様だった。
ヤクートは祈るように目を閉じ、手を組む。
「どうですか?」
ラウラは険しい表情で考え込む。
「――――いいでしょう」
ラウラが合格を伝えると、ヤクートは年甲斐もなく飛び跳ねて喜んだ。
「おわったー!」
ヤクートはなにか不備が見つかって引き留められたらたまらない、と急いで荷物をまとめ、満面の笑みで言った。
「お二人さん、お先に失礼!」
カイは苦笑いで手をふる。
「お疲れ……」
これで教室に残る候補生は残り二人になる。
カイは隅の席で黙々と針を刺す寡黙な同級生に目をやり、心中で深いため息をついた。
カイとその候補生の、今日の課題の進捗具合は五十歩百歩だった。
残りあと三枚の花弁を縫い付ければ終わるのだが、今のところひとつの花弁に一時間はかかっている。
単純に計算すればあと三時間はかかるだろう。
先はまだ、長かった。

ラウラが丙級生に与えた今日の課題は、霊操で皮生地に刺繍を施す、というものだった。
手を使わず、霊操だけで針に糸を通し、玉結びをし、硬い生地に花を縫い付ける。根気と繊細さが求められる課題だ。
さらにラウラの合否判定は厳しく、花の模様が歪であったり、針を刺す回数が不足していると即座に再提出を命じられた。
候補生は慣れない針仕事に四苦八苦しながらも、一日を終える頃には比較的容易に針を扱えるようになっていた。
カイと、もう一人の候補生、アフィー・ライカを除いては。
「――――今日はもうこのへんにして、続きは明日にしない?」
カイの甘えを、ラウラは一蹴する。
「いけません。明日には明日の課題があります」
「そろそろ夕飯の時間だしさ、残りは宿題ということで……」
「だめです。寝所に戻って殿下に手伝ってもらおうという魂胆はお見通しですよ」
「で、ですよねえ……。じゃあせめて、ちょっと休憩しない?休み休みやったほうが効率あがるしさ。――――ね、アフィーもそう思うよね?」
カイに突然話を振られたアフィーは、身を固くする。
―――パキ。
そして本日幾度目になるかわからない、針が折れる音が響く。
「……」
教室に沈黙が流れる。
「……閣下、アフィーさんの集中を妨げてはいけませんよ」
「すみません……。アフィーも、ごめんな、じゃまして」
アフィーは無表情のままそっぽを向き、新しい針に糸を通し始める。
カイはラウラに顔を近づけて小声で尋ねた。
「怒らせたかな」
「さあ……彼女はいつもあの調子ですから」
「クールすぎるよな。無表情だから、何考えてるのかわかんなくて、やりずらいよ」
―――パキ。
そのやり取りが聞こえたのか、アフィーはまた針を折った。
「……」
今日彼女が折った針は十本を超える。
針になかなか糸を通せなかったり、玉結びができない候補生はいたが、力み過ぎて針を折ってしまうのはアフィーだけだった。
「……」
アフィーは折れた針を見つめたまま、微動だにしない。
視線を針に落とし、まだどこか幼さの残る切れ長の瞳を、波打たせている。
ラウラとカイは顔を見合わせ、慌ててアフィーの元へ駆けよった。
「指でも刺したか?」
「大丈夫ですか、アフィー?」
二人の声に、アフィーはただ小さく頷き返す。
「……針が」
アフィーは瞳を伏せたまま呟いた。
ラウラとカイは机の隅に積み上げられた折れた針を見て、また慌てて動き出す。
「新しい針ですね!今すぐ用意しますね!」
「あ、おれの予備があるよ、それ使って!」
アフィーはまた小さく頷き、カイとラウラに視線を向ける。
暗い夜空のような瞳に、燭台の明りがゆらめく。まるで星空を映す湖面のようにアフィーの瞳は輝いている。
ラウラとカイは思わず息を飲んだ。
自分たちに向けられたアフィーの顔の、そのあまりの美しさに。
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