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第二章

戌歴九九八年・春(六)

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ノヴァがカイのもとまで出向いたのは、軽率な行動を注意するためではなかった。
本題は、カイとラウラを西方霊堂へ出向させることにあった。
「接待も十分だろう。貴君には霊堂へ戻って本格的に修練にはいってもらいたい」
「いよいよか。――――ああ、でも、よかった。これで醜聞を重ねなくて済むな」
「あちらにも人目はある。それにこれから霊堂に集められる人間はここの連中よりよほど貴君という存在に対して懐疑的だ。慢心して足元をすくわれないように」
「う……はい」
「災嵐を回避するための術式……『縮地』はすでに完成している。あとは貴君次第だ。貴君が霊摂を必要とせず、ほとんど無制限に霊の出力が可能だということは実証されている。しかし今のままでは貴君は人の形をした霊源に過ぎない」
カイはわかったようなわからないような曖昧な表情で頷く。
それを見たノヴァは、わずかに顔を伏せ、歯を食いしばった。
自身の内から沸いた罪悪感を、あらん限りの力で、噛み殺した。
「貴君が霊操を行えなくても術式は発動できる。だが―――」
ノヴァは顔をあげ、カイをまっすぐ見つめて、続けた。
「だがそれは……貴君自身が霊操するよりはるかに安定性に欠ける方法だ。貴君の肉体への負担も大きい。……だから是非とも、貴君には霊操を身につけてもらいたい」
歯切れ悪く言うノヴァに、カイはあっけらかんと答えた。
「うん、まあ、よくわかんないけど、協力できることはなんでもするよ」

ノヴァが取り仕切る、西方霊堂を拠点とした災嵐対策室には、皇帝によって絶大な権限が与えられている。
予算も潤沢で、朝廷内の人事にさえ口を挟むことが許されていた。
ノヴァはそれを利用し、対災嵐計画を次の段階へ進めようとしていた。
第一段階、カイという動力源の確保には成功した。
第二段階は、これの運用組織を確立させることである。
縮地術はカイを核として発動されるが、エレヴァン全土にその効果を行き届かせるためには、細部を補助する人材が不可欠となる。
現在朝廷が抱えている技師だけでは到底まかなうことができない。
補助役として、千名近くの技師を新たに育成する必要があった。
そこでノヴァは技師としての素質がある者、つまり霊能力の優れた者をその出自問わず集め、補助技師として養成する計画を立てていた。
「選抜はすでに終わっている。来月には各地の霊堂を養成所として開放し、そこに候補生を集める予定だ。期間はおよそ一年。講師は朝廷の技師官が務める。貴君もそこで、霊操技術を身につけてもらいたい」
「養成所で学んで来いってことだな?オッケー。まかせてよ」
ノヴァは頷いた。
「貴君がこれ以上歓待を受けなくて済むよう釘は差しておくから、しばらくはここで彼女に霊操の基礎を教えてもらってくれ」
カイとラウラは了承した。
ノヴァは念を押すように繰り返す。
「貴君を誘おうとする輩は牽制しておく。息抜きや休息をとりに外城へ行くのもかまわないが……同じ過ちは繰り返さないでくれ」
「わ、わかったって。おれだって学んだよ。ああいう格好の人たちがいるところは、つまりそういう場所なんだって……あ!」
「なんだ?」
「聞こうと思ってたんだ……あのさ、ノヴァに兄貴っている?」
ノヴァの目蓋がかすかに痙攣する。
「……ああ、いるが」
「シェルティとかいう、金髪金眼の優男?」
「……そうだ」
「うわあいつ、まじで王子様だったのかよ……」
ノヴァは深いため息をついた。
「会ったのか?」
「うん。いやまじで、酷い目に合わされたからチクってやろうと思ったんだけど――――その反応みると、あいつが今なにしてるのか知ってるんだ」
ノヴァは眉間を抑え、頷いた。
「概ね把握している。兄上は貴君になにかされたか?」
「なにもされてない!なにもしてない!」
カイは座卓に身を乗り出す。
「……なにかあったのか」
あっさりと見抜かれたカイは、浮かせた腰を元の位置に降ろし、少し赤くなった顔に苦笑いを浮かべる。
「本当になにもない……ただちょっと遊ばれた……おちょくられただけだから……」
ノヴァは具体的な内容を問いただそうと口を開いたが、カイがラウラをあごで指し、首を振って、それを留めさせる。
ラウラの前で話せる内容ではない、と。
ノヴァは仕方なく質問を変えた。
「どこの店だ」
「『羽衣花人』ってとこだけど……」
「このことを、他の者には?」
「誰にも言ってない」
「一緒に行った商家の者もか?」
「むしろ一番知られたくない。あいつらはふつうに女の子とよろしくやってたっていうのに……おれときたら……」
言いかけて、カイは再び身を乗り出す。
「まて、勘違いすんなよ!なにもいたしてないからな!ただずっと茶化されてただけだから、まじで!」
「……わかった。とにかく、僕たち以外誰も知らないんだな、貴君がその店で兄上に会ったことは」
「うん」
「ではこのことは、他言無用にしてくれ」
ノヴァは立ち上がり、挨拶もそこそこに居室を出て行った。

「皇太子殿下にお会いしたんですか?その……春宿で?」
ノヴァが去った後も、ラウラとカイは座卓を挟んで向かい合ったまま、話を続けた。
「うん。いやまさか本当だとは思わなかったな。たしかに雰囲気のあるやつだったけど、でもふつうあんなとこに王子様なんているわけないし……」
カイはノヴァがいなくなったことで気を抜き、姿勢を崩して、ラウラが用意した干し葡萄をつまんだ。
「しかも客としてじゃなく店子としていたんだ。それなのに王子だ、なんて言われたって、信じられないよなあ」
「えっ?」
ラウラは驚きに目を瞬かせる。
「お店で……働いてたんですか?」
「うん?……あっ、客とってたわけじゃないよ?なんかボーイ的な……小間使いみたいなことしてただけっぽい」
カイは続けざまに干し葡萄を口に放りこんだ。
今更ながら、日本で言えばまだ中学生にも満たない少女相手にふさわしくない話題だと思い改め、無理やり話を逸らした。
「でもさあ……すごいよな。おれは元の世界で二十歳だったけど、適当に学生やってただけだし、ノヴァの兄貴もおれと同い年くらいだったけど、あんなとこで遊び暮らしてる。そんな中で君もノヴァも、まだ十代なのに、世界の中枢で働いてるわけだろ。人間どこでそんな枝分かれすんだろうなあ」
ラウラは謙遜した。
「私は……運がよかっただけです。大使閣下の元にいられるのは、ノヴァ様のお力添えがあったからですし……」
「でも、宴席で何度も言われてたけど、皇帝に重宝されてるんだろ?若手のホープだって」
「それも私の力だけではありません。そもそも皇帝に重宝されていたのは私の兄で、私は兄の高名の恩恵を受けているだけなんです」
「……へえ。できるお兄さんがいるんだ」
カイは干し葡萄の最後の一粒を手に取る。
「お兄さんはいまどこで働いてるの?朝廷の中?」
「兄は……」
ラウラはカイに悟られないように、また気を使わせないように、つとめて平静な顔で言った。
「兄は、数年前に他界しました」
「あ……そっか。ごめん。知らなくて、つい……」
「気にしないでください。……むしろ、みんな気をつかって、兄の話題を私の前で避けるんです。おかげで私は兄の思い出話のひとつ口にできません。そのことが少し寂しいくらいですから、閣下相手に兄の話をできて、ちょっと嬉しいくらいです」
ラウラはそう言って微笑んだ。
これは強がり半分、本心でもあった。
術式の犠牲になった実兄。その身体に入る別の人間の補佐をするという、誰もが同情を抱く状況にラウラはある。
そのため、カイがラウラの兄の身体に入っていることは朝廷中に知られているが、カイ自身には固く伏せられていた。
ラウラにも、あえてその話題を持ち掛ける者はいない。
なにも知らないカイは、干し葡萄を指先でこね回しながら、感心した。
「本当に大人だな、君は。――――ねえ、じゃあさ、お兄さんってどんな人だった?君に似てた?」
「兄は――――」
ラウラはカイを見つめる。
毛先が跳ねるくせ毛も、どこか気の抜けた印象を与えるたれ目も、座ると猫背になるところも、すべて兄そのものだった。
「――――三度の飯より、霊術が好きな人でした。熱中すると周りの物事が見えなくなって、七つも齢が離れた妹の私が、思わず説教をしてしまうくらいで……。でももっと大変な目にあったのはノヴァ様です。ノヴァ様は昔、兄の助手のようなものをしていたんですが、毎日振り回されてばかりでした。ノヴァ様だって四つ下なのに、兄ときたら年長者らしい振る舞いをちっともしないんです。ひどいですよね。……お兄ちゃんは、霊術の研究以外、なんにもできなくて、常識もないんです。なん日も身体を清めないで頭に蜘蛛の巣をはられたり、新しい術式をひらめいたからって陛下への拝謁をすっぽかしたり、妹のわたしや皇太弟であられるノヴァ様を平気で実験台にしたり――――」
カーリーの話をするうちに、ラウラは過去に戻り、ふだんは抑えている十三歳の素の顔に戻っていった。
ラウラはしばらくカーリーの所業について夢中で話し続けた。
どれだけ振り回されてきたか。どれだけえ迷惑をかけられてきたか。
しかしその口調に兄を貶めよとする気色は窺えない。
むしろどこか嬉々として、自慢げでさえあった。
「仲のいい兄妹だったんだな」
ラウラの話をにこにこと聞き入っていたカイだったが、ふと、遠い目をして呟いた。
ラウラはその瞳を見て、話を途切れさせる。
カイの瞳は、指先につまみあげられた干し葡萄と同じ色をしている。
深い紫紺色。
それは本来あった兄の瞳の色ではない。
カーリーはラウラと同じ赤銅色の瞳を持っていた。日を受けると琥珀のように輝く、美しく暖かみのある瞳だった。
カイはラウラが口を閉ざしたので、長らく手にしたままだった、最後の一粒の干し葡萄を口に入れた。
ラウラはそれを見て立ち上がる。
「昼食がまだでしたね。すぐになにか用意します」
「ありがとう。でもいまこれ食べたから、充分だよ」
「それだけでは夕餉まで持ちませんよ。なにか軽食をお持ちします」
「……はは」
「どうかしましたか?」
カイが急に笑ったので、ラウラは首を傾げた。
「それだけ世話焼きだったら、お兄さんも当然甘えるだろうなと思ってさ」
ラウラは顔を赤くした。少し怒ったように眉を吊り上げて、カーリーを相手にしていたときと同じ、母が子に言いつけるような調子をとる。
「自分がだらしないからって、私を言い訳にしないでください!いいですか、ご飯は人に言われなくてもちゃんと食べなきゃいけません。夜更かしもいけません。朝は毎日同じ時間に起きてください。わかりましたか?」
「ははは、わかった、気を付けるよ」
カイは破顔してラウラの頭を軽く撫でた。
ラウラは兄と同じような、まったく反省をしていないような、改める気のないようなカイの態度に顔をむくれさせた。
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